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2015年7月 7日 (火)

地震・噴火の大地動乱の時代に入ったかどうか。

 ある週刊誌から、「現在と九世紀の地震の状況は似ているのではないか。歴史学者としてどういう予測ができるか」という取材をうけた。昨年のことだが、記事はきわめて短いものになった。以下は、インタビューをテープにとったものを起こしたもの(娘に感謝)。PCの中にあるのを発見。
 長大なもので、いまは若干、考えを進めた部分もあるが、基本は変わっていない。

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 写真は東北大学の国際災害科学研究センターにいって史料レスキューのボランティアにいったとき。東北大学文学部棟の窓から海を撮影。


 私は地震学者でも火山学者でもないので、地震・火山について具体的な議論をしたり、予測をしたりすることはできません。ただ、歴史学者として強調しておきたいのは、明治以降千人を超える死者が出た震災というのは十二回あることです。つまり一八九一年(明治二四)の濃尾地震は七二七三人の死者が出ていますが、以来一二〇年ですから、大体十年に一度、千人を超える人が亡くなった地震が起きていることになります。これは驚くべきことですが、3、11の前、私はこれを正確に認識しておらず、地震学の方にいわれてはずかしい思いをしました。このことは国民、市民の中に歴史知識として十分に位置づけなければいていないのではないかと思います。

 こういう死者の数は文明や技術が進んだからといって必ずしも減少するということはなく、むしろさらに大きくなる可能性は高いわけです。高度経済成長以降、一種、金儲け優先の社会になってきていますから、国土や都市は脆弱になっていて、より多数の被害が起こる可能性を否定できません。

 それは結局のところ、国土計画や都市計画をどうしていくか、また日本の国土についての国民的な議論や知識のあり方をどうしていくか、そのような問題に対して学術がどのような奉仕が出来るか、といった問題に関わってくると思います。そういう風に考えた上で、九世紀の地震を考えることがどう役に立つかということですが、歴史学者の立場からの見方なので、自然科学的には確定していない部分もあるかと思います。ただ、歴史学者の歴史感覚と判断で考えることは無意味ではないと思ってはいます。

 まず、現在と九世紀の大地動乱との類似点についてですが、八六九年の陸奥沖地震と二〇一一年の東日本太平洋岸地震は同じ震源、同じ規模の地震であったといいます。東日本太平洋岸地震のマグニチュードは9.0です。9世紀陸奥沖地震はマグニチュード8.3とも8.6ともいわれていましたが、再評価が進んだ結果、M9.0に近い規模のものであったということになっています。九世紀には、陸奥沖地震の約10年後に南関東地震が起きています。この地震は関東大震災と同様の構造を持っており、相模トラフが動いた結果として相模、武蔵に大きな被害をもたらしたとされています。地震調査研究本部は、今後三〇年で同じような南関東地震地震が起こる確率が高いとしており、この予測結果が正しいとするならば、今後、九世紀と同様に南関東地震が発生する可能性は確かにあるのだと思います。

 九世紀と同じ周期でこの地震が起こると仮定すると、二〇一一年の次に地震が起こるのは二〇二一年となります。これは一九二三年に起こった関東大震災の、約百年後ということになります。南関東地震にどういう周期性があるのか、そもそも周期性があるのかということについては、私は何もわかりませんが、関東大震災の前に起こった同様の大きな地震は、七〇年ほど前の幕末の地震になります。これらのことから考えると、地震学的な見地から見ずとも、経験則からいって地震発生の恐れがあり、警戒する必要があるというのは当然だろうと思います。

 さらに九世紀には南海トラフ地震が陸奥沖地震の二十年後に起こっています。これは非常に巨大な地震で、八ヶ岳で山体崩壊が起こっています。この地震があった年には、信濃の国で大洪水が発生しました。石橋克彦氏が最初に歴史史料の読みから推定した訳ですが、ここ20年以上の信州の考古学界の総力をあげた調査で、この洪水は地震による山体崩壊によって出来た堰き止め湖が、その後の梅雨と台風によって破裂したことによって引き起こされたものであることが確定しています。災害の復元図も作成されています。この事実は日本の歴史学会と考古学会にとって大きな衝撃でした。この南海トラフ巨大地震は、日本全国に影響を及ぼしていたことが史料からも明らかになっていますが、この南海トラフ地震は東海地震の領域にも及んでいたことは確実です。

 もし現代に於いて、この地震が九世紀と同じように陸奥大地震の30年後に起こると仮定すると、二〇三一年に発生するということになります。これは、一九四四年に起きた東南海地震、一九四五年の三河地震、一九四六年の南海地震の三つの地震の約百年後ということになります。三十年内に南海地震が発生する確率が六十%であるという、地震調査研究本部による試算と、南海トラフの地震発生周期が大体百年に一度、ということからも南海地震がいずれ起きるということは確実です。

 仮に地震調査研究本部の予測通りに地震が起きるとすると、陸奥沖での地震(M9.0)と南海トラフ地震という大規模なプレート間地震が二、三十年内に連続して起こるという、九世紀に起こった地震のテンポと非常に似通っているということになるといわざるをえません。プレート間地震の発生の様子が、九世紀と二一世紀で、非常に似ているということは、歴史的な知識として非常に重要なものだと思います。

 さらに、最近の地震学の研究として、内陸で発生する地震にも、プレートの動きが何らかの影響を与えている可能性が高いという見解が出てきているようです。単純に活断層が単独で動くのではなく、活断層の動きと、プレート間地震の間に関連性があるのではないかということです。このことから、内陸部で発生した地震の構造についても、九世紀と二一世紀で似通っている可能性があるということになります。

 九世紀と二一世紀の地震のもう一つの共通点として、逆に、地震の静穏期の問題があります。歴史学者としては、こちらの方にむしろ関心があるといってもよいのですが、明治から現在までの約百二十年の間に起きた十二回の地震の内、大正時代の関東大震災(一九二三年)から福井地震(一九四八年)までの二十五年間に、八回もの千人以上の死者を出した地震災害が集中しており、その後は一九九五年の阪神淡路大震災まで五十年間、大きな被害地震は発生しませんでした。つまり、地震の激しかった二十五年間は戦争に向けて社会が傾斜し、敗戦というみじめな結果をもたらした時代であり、その後の五十年は、いわゆる高度経済成長の時代で、よく言われるように、偶然大地が静かな時代だったということです。

 これは、九世紀でも同じようなことが起こっています。九世紀は平安時代の最初の一世紀にあたりますが、その前の奈良時代、八世紀の前半には、大仏の建立にも影響を与えたとされる河内・大和地震を筆頭に、地震が相当多い時代でした。歴史学の立場から見ると、大仏の建立に影響を与えた河内・大和地震などは奈良時代の政治に大きな影響を及ぼしました。しかし、その後半の五十年は、相対的に地震が静かだった時代です。

 ただ、その代わりのようにして、火山噴火が続きます。七八八年の大隅国霧島岳御鉢噴火、七九六年阿蘇山神霊池異常、八〇〇年、八〇二年富士山噴火というわけです。何かいまの状態に似て来つつあるようにも感じます。

 こういうなかで、八一八年には北関東地震が起きます。この北関東地震が九世紀の大地動乱の最初のきっかけであったといってよいと思います。そして、827年に京都群発地震。830年に出羽秋田地震、832年に伊豆国火山噴火。837年に陸奥国鳴子火山噴火、838年に伊豆神津島大噴火。839年に出羽国鳥海山噴火。841年に信濃国地震、北伊豆地震が連発。そして、850年には出羽庄内地震、855年には東大寺大仏の仏頭が落下した地震ということで立て続けになります。863年には越中・越後地震、そして864年には富士山が噴火を起こし、同じ年、少し遅れて阿蘇山神霊池噴火。866年には豊後国鶴見岳噴火。阿蘇山噴火という様子ですから、これは相当のものです。

 この、一時静穏期があったというのが20世紀の状況と似ているように思います。考えてみると、奈良時代後期から、平安時代前期にかけての時代は、ある種の高度成長の時代であったと思います。九世紀に起きた南海トラフ地震で起こった八ヶ岳の山体崩壊によって引き起こされた大洪水の下から、条里制の遺構が確認されており、このことは八世紀の半ば頃から進んでいた国土の開発が、九世紀後半の大洪水で覆われたことを示しています。しかし、このような災害にもめげず、平安時代は活発な大開発の時代になっていくのです。

 一般的な歴史の常識として、8・9世紀は、社会が乱れ多くの災害の被害を受けるなど、一種の貧困化が進んだ時代であるというイメージがありますが、現代の歴史家の見方としては、実際にはむしろ相当な発展期であったと捉えるのが普通です。気候的には温暖化の影響で旱魃が進み、地震や噴火に見舞われたにも関わらず、これだけの発展を成し遂げたというのは驚くべきことです。この発展が成し遂げられた理由としては、温暖化の影響はありましたが、逆に灌漑施設の準備があれば田地の開墾が可能であったこと、全国的な国家が出来あがり、富の移動と開発政策がとられたこと等が挙げられます。

 このような発展の時代の後、九世紀から地震の発生が再び起こり始めた。これにはやはり、現代との類似性を感じます。こういうのは安易な感じ方だという批判はあろうかと思いますが、しかし、大地の静穏の時期と動乱の時期が繰り返され、その周期が社会に影響を与えてきたのは事実です。これは日本の歴史にとって非常に大事なことであり、日本の国土と歴史の中で、このようなことが常に起こってきた、ということを歴史の常識として持っているべきであると強く感じています。

 この後、868年に、播磨地震・京都群発地震が起こり、そして869年に陸奥沖海溝津波と肥後国地震・大和地震が連続して発生します。そして二年後の871年には出羽国鳥海山が噴火しました。この噴火は東北の地震によって、プレートのつっかえがとれた影響で引き起こされたものであるということです。これはプレートテクトニクスの考え方と、現代の地震学の見地からも、マグニチュード9.0前後の地震の直後には必ず大噴火が起こる、ということのいい例であるといえます。先にふれたように、この直前には富士山の噴火も起こっています。火山の噴火と、プレート間地震の間には何らかの関係性があるといってよいのだろうと思います。さらにこの後の874年には、薩摩開聞岳噴火が起こっています。この十年後には南関東地震、八八〇年には出雲・京都で群発地震、二十年後に南海トラフ地震とふたたび立て続けになります。

 歴史学の立場から見ると、このように九世紀の地震と現在の地震の状況が、似通っていると捉えることが出来ますが、地震学の立場からこのような地震発生の類似性が、九世紀の1200年後に起きたことに何らかの法則性があるのかどうか、これはきわめてむずかしい問題のようです。地震の活発期が起こるというのも、ある一定の時期に集中して起こりやすいとする説や、活動期と静穏期のような周期があるとする説、そうではなく、全くのランダムで起こるとする説など諸説あり、決定的なものがないのが現状です。

 つまり、陸奥沖海溝地震と東海南海地震の間に、やく1200年経っている訳ですが、この間にいわゆるスーパーサイクルはあるのかとういことです。つまり、しばしば「大地動乱の時代」といわれますが、そういうものがある程度の期間で、一定の周期をもってやってくるのか。あるいは阪神大震災の後に「大地動乱の時代」に入ったということを自然科学の立場からいえるのかどうかという問題です。これはいわゆる「地震予知」にとってももっとも根本的な問題だろうと思います。

 これについては地震研の佐竹健治氏がスーパーサイクルモデルを提唱しています。このモデルを当てはめて考えると、九世紀の貞観地震、一五世紀に起こった一四五四年の奥州津波、二〇一一年の東日本太平洋岸地震と大体七〇〇年のスーパーサイクルで地震が起こっていることが分かります。このモデルが本当に正しいのかということについて、全力を挙げて調査をするべきであると考えます。今の時代が、長い日本の自然史の中でどのような位置にあるのか、ということを把握し、七〇〇年サイクルというこのモデルが本当に正しいのか、ということを確定させることが出来れば、七〇〇年後、千年後には現在の知識を役立てることが可能になります。そのためにも今、この問題を確定させ、国民的な知識として定着させることは非常に大きな意味のあることであると思います。

 さらに、このスーパーサイクルが、南海トラフなどの他の地域においても存在するのか、ということも確認する必要があります。石橋克彦氏によると、南海トラフ巨大地震は、まず東海で起こり、その後に南海で起こる傾向にあるということです。その周期は百年単位ですが、規模は様々なようで、それが巨大になるのには一種のスーパーサイクルがあるのかもしれません。私に考えられることではありませんが、東北での地震に七〇〇年のスーパーサイクルがあると仮定した上で、 南海トラフにもスーパーサイクルがあるのかどうかというような問題です。

 なにしろ、プレート間地震の周期性を、科学的に証明する、あるいは考えること自身がなかなか難しいようです。そして、その周期性を考えるためには、現代の観測データと、過去の地震についての文献史料、各地の考古学的な資料、及び地質データについて一件一件照合を行い、確認して行く作業が必要となります。この調査研究は、日本の地震学者にしかなし得ない研究ですが、その文献史料、そして考古学的な地震痕跡の調査も同じように日本史を研究する歴史学者にしかできないことですので、少しでも役に立ちたいということです。

 さて、最後にとくに念のために申し上げたいのは、歴史学者として現在と九世紀を比較して感じることは、少なくとも当面のところは、九世紀の地震ほど、現在の動きはきつくないということです。

 九世紀の地震が現在と似ていることは事実ですが、あまりにその類似をいって危機をあおるようなことはあってはならないと思います。もし、10年後に南関東地震が起き、30年後に南海トラフ地震が起きたとしても、少なくとも現在の状況では9世紀ほど地殻の状況はシビアではないように思います。もちろん、今後、9世紀に似た状況になるというのが最悪のシナリオで、その可能性は否定すべきではないと思いますが、現在の状況と物事を正確にみてみると、九世紀ほどの厳しい状況にはなっていません。

 九世紀に起こった大地動乱の厳しさの特徴は、三つあります。第一には、噴火が激しかったことです。事実として九世紀には、富士山と九州の火山、さらに東北の火山が広い範囲で大噴火をしています。これは『歴史のなかの大地動乱』で書いたように、当時の人々にとっては大問題であり、国家的な衝撃だったと言えます。

 富士と阿蘇以外にも、火山活動は記録に残っており、九州では八七四年と八八五年に開聞岳、八四三年に霧島、八四九年と八六七年に鶴見岳等で異常が起こっています。これとは別に伊豆でも噴火が頻発しており、八三二年に伊豆のどこか、八三八年には神津島の大噴火、八八六年には新島で噴火が起きています。八五六年には安房で火山灰が降ったという記録があり、伊豆からの火山灰がそこまで届いたと考えられます。東北方面では八三七年に鳴子火山群、八三九年と八七一年に鳥海山などで噴火が記録されています。

 またこれまでに挙げた火山以外にも、赤城、日光白根、蔵王、白山、肥前国温泉岳等で異常があった可能性があるようです。『大日本地震史料』によると、これらの山の神社の位が異様な高さに到達しています。これは山々が何らかの神の力を示したために位を上げたと考えるのが合理的であろうと思います。つまり、これらの山々で噴火や火山性地震が起きていた可能性があります。

 これらをあわせてみると、九世紀には非常に多くの火山噴火が起こっていたことが分かります。もちろん、3.11後に秋田駒ケ岳、浅間山、日光白根、箱根、焼岳、富士山などで有感地震が観測されていて、ご存じのように火山活動は活発化しつつあるのですが、それでも火山学者によると、これまでが静かすぎただけで、現在の御岳の噴火を初めとする状況は、活発化とまではいえないということです。九世紀においては、火山と地震が連動して起こり続け、最終的には十和田湖において有史最大の噴火まで起こっています。この火山活動の活発さが、現代と九世紀との最大の差である、と言えます。

 現代との相違点の第二には、9世紀には、京都と近畿地方が激しくゆれたことです。現代においても阪神大震災が起こっていますが、八,九世紀には京都はきわめて有感地震が多かったことが知られます。京都の東側を通る花折断層によって引き起こされた、この群発地震は、当時の朝廷や政治に大きな影響を及ぼしました。これは十世紀まで続いており、平将門の乱の直前にも地震が発生し、当時の朝廷は将門の乱と地震の両方に、同様の危機感を持っていたと推測されています。列島の中央部が何度もゆれたということがどういう意味を持つことかはわかりませんが、日本の地殻の変動が、その時期に激しく起こったということの一つの重要な表現であり、地震学的にいっても重大なのだろうと思います。現在、京都では大きな地震は観測されておらず、これは九世紀との大きな差としてあげることが出来ると思います。

 第三の差異としては、九世紀には朝鮮半島まで揺れていたことがあります。貞観地震において東北が揺れ、その後に大和、肥前においても地震が発生し、その直後に朝鮮半島で地震が発生しています。朝鮮半島には地震史料として残っているものは非常に少ないため、詳しくは分かりませんが、これはユーラシアプレート全体が貞観地震の影響を受けていると言えると思います。同様の事象は、その後の一五世紀の地震においてより明確に起こっています。一四五四年の一二月に起きた奥州津波の約一月後に、朝鮮南部で大地震が起こり、多数の圧死者が出ているという記録があり、この一五世紀の地震は、九世紀よりも明確に日本列島と朝鮮半島で連動して起こっていたことが分かります。地震学の研究者によって一五世紀から一七世紀までは、東北アジアにおける地震の広域的活動期とされていますが、九世紀も同じような活動期であったことが予想されます。また、一,二世紀にも同様の地震と津波が起こっていたとする研究者もおり、ちょうど七〇〇年ごとのスーパーサイクルで地震が起こっているともいえます。このスーパーサイクルが本当に存在するものか、ということは定かではありませんが、この一連の活動期の中で、朝鮮半島もその影響を受けて地震に見舞われていたことは明らかであり、少なくとも現代において、朝鮮半島での地震が観測されておらず、現状は九世紀と比較するとそこまで厳しいものではない、と言えると思います。

 9世紀は、いまのところ、日本の歴史上でも最大の大地動乱期であったと言えると思います。内陸での地震発生状況などからみても、現在の状況より激しい状態であったのではないでしょうか。当時の人口が現在と比較して非常に少なかったこともあり、九世紀のような状況でも、地震による死者の数は少なかったため史料の表現も違ってきますので、単純な比較は出来ません。ただ、現在までに明らかになっている自然の動きは、九世紀ほど厳しいものではないことは確かです。

 もちろん、九世紀と現在では国土のあり方が変遷しており、九世紀ほどの規模でなくても、与える影響は大きいということはいえる訳です。そもそも九世紀の陸奥地震では一〇〇〇人の死者といわれている訳ですが、今回の3,11ははるかにそれを越え、さらに原発の被害は予断を許さない訳ですから、九世紀と現代の比較というのは問題の設定自体がむずかしいといえるのかもしれません。ただ、いわゆる「大地動乱の時代」のとば口に入ったことは事実としても、それはまだ本格的なものではなく、また9世紀ほどの激しいものではない可能性があると考えてよいのではないかというのが、歴史家としての意見です。


 これは希望的な観測にすぎないかもしれませんが、ともかく火山・地震列島に棲む私たちは、まだまだ事態を予知し、備えをする十分な時間があるのは事実と思います。

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