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2015年7月13日 (月)

日本の国の形と地震史・火山史

 以下、今週末の仙台での講演の最初の部分、ともかく、ここまで書いたので、あと一息である。

 むずかしいが「日本の国の形」というものを考える場合、このような問題を徹底的に追及する必要があると心をきめた。

 しかし、この間の地震学・火山学・地質学の努力はやはり相当のものであることを実感した。この国土に棲んでいる人びとは決して単一「民族」ではないが、ともかく同一の国籍をもつ権利をもつ人びととして「共同性」をもっている。それを感じ、考えるためには、彼らの研究はいわば絶対的な必要であろうと思う。ともかくそれが「諸学」の基礎であり、いまもっとも必要な「知」であることは明らかである。前回のエントリーで、「無知の体系」などという書きたくもないようなことを書いてしまったが、ともかく、これについては「無知」であることに居直ってはならない。

 以下は、その勉強の結果であるが、そもそも研究は日進月歩であろうし、私は俄勉強なので、不十分なところがあると思う。それは御寛恕を乞いたい。
 
「日本の国の形と地震史・火山史」
ーーーーー地震史・火山史の全体像を考える

「地震・火山観測研究計画を地震学・火山学などの自然科学としてでなく、災害科学の一部として推進する。災害誘因(自然現象)のみではなく、災害素因(社会現象)も見通して学融合的に災害を予知する」(「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画の推進について(建議)」)

 私は3,11の翌年末に文部科学省に設置された科学技術学術審議会、地震火山部会の次期研究計画検討委員会の専門委員をつとめました。この委員会は地震火山の観測研究計画を立て、毎年4億弱の予算の使い道を5ヶ年分について決めるという委員会でした。3,11の経験をふまえ、地震火山の観測研究計画を再検討し、決定するという趣旨の委員会です。地震については相当の予算が投入されていると思っていましたが、それは観測機器や地震の速報システムの割合が大きく、研究の予算や人員が非常に少ないというのに驚きました。

 委員会で議論したことで大きかったことは、自然現象としての「地震」は「災害誘因」に過ぎない。災害の根本的な原因、「災害素因」は社会的な脆弱性にあるという、防災学の考え方でした。災害の原因は地震という自然現象にあって不可抗力のものだという意見がいまでもあるかもしれませんが、それは本末顛倒した考え方です。自然現象としての「地震」は英語でいえばハザードで、震災、災害はディザスターで、両者は違うものだということで、地震学の人びとも、これで一致した訳です。

 科学技術審議会の委員会には人文系の研究者が委員になることは珍しいということですが、今回の場合は、過去の地震や噴火の研究について、歴史地震・歴史噴火について議論することがどうしても必要だということで歴史の分野からも委員を選ぶということで役割をつとめました。私が適任であったかは別問題で、私は『かぐや姫と王権神話』という本を3,11の前年に書いて、かぐや姫は火山の女神だと論じたこともあって、地震・噴火の史料をみてはいたのですが、災害史という観点はまったくありませんでした。

 私は、3,11の後に、地震学、地質学の研究者が東日本大震災の1年以上前から、9世紀の津波の浸水域やその震源断層などに基づいて、巨大地震発生の可能性を警告していたことを知りました。それどころか関東大震災発生を警告していた地震学者、今村明恒氏は、すでに戦前から超長期の周期的な大地の動きの分析や、9世紀の大地震の研究の必要性を指摘していたことを知りました。

 私は3・11後にこうした事実を知って衝撃を受けました。そして、歴史学は本気で地震や噴火についての研究をしなければならないということを痛感して地震学・火山学の成果を勉強してきました。まずは市民として国民としてどう考えるか、この国で「命」というものをどう考えるのか、また防災についてどう考えるか、さらに国土計画や都市計画をどうしていくか、また日本の国土についての国民的な議論や知識のあり方をどうしていくか、そのような問題に対して学術がどのような奉仕が出来るかという問題です。

 さらに、この列島の歴史は、すべてこの大地・地殻の上で展開する訳ですから、これをどう考えるかということは、歴史学にとっても決定的な問題です。そのためには、いうまでもなく学際的な議論が必要ですが、歴史学の内部でも時代毎で議論するだけではなくて、列島の歴史の全体にかかわる通史的な問題として議論しなければならないと思います。

 『歴史のなかの大地動乱』という本を書いてから後、私はそういう考え方の下に、地震学・火山学・地質学の研究を学ぶとともに、検討の枠を出来る限り日本史の全体に広げて考えようとしてきました。その結果、日本列島での地震や火山活動はだいたい500年から700年という周期をもって活発になる「大地動乱」というべき時期があったのではないか。そしてそれが歴史の進行に大きな影響をあたえたのではないかと考えるにいたりました。報告の題を「日本の国の形と地震史・火山史ーー地震史・火山史の全体像を考える」としたのは、そういう理由です。なにしろ初めての分野に入りこんでの勉強の結果で、まだこなれていないところも多く、分かりにくいところがあると思いますが、御容赦いただきたいと思います。

Ⅰ地震・噴火のスーパーサイクル

地震のスーパーサイクル

 これを考えるためには、まず、地震学・火山学・地質学の側の地殻の運動の超長期的な周期、いわゆるスーパーサイクルについての議論が前提になります。もちろん、地震の周期性を科学的に考えること自身が難しいことはいうまでもありません。そのためには、過去の地震について地質データをひろく蒐集してつきあわせ、それを各地の考古学的な資料、文献史料、さらに現代の観測データと照らし合わせる大規模な作業が必要となります。その中心がプレート間地震の周期性を確定していくことであることはいうまでもありません。これは列島の居住者にとって決定的な意味をもつ仕事ですから、一件一件、正確に照合し、記録して保存し、後に検証ができる形で確認して行くことが必要となります。

 なにしろ予算も人員も圧倒的に不足していますから、それは実際上、まだ実施されていないというのが本当のところですが、いくつかの仮説がでています。まず重要なのは、三・一一のような陸奥沖の大地震ですが、これについては、地震研の佐竹建治氏が八六九年の陸奥沖地震と二〇一一年の東日本太平洋岸地震は同じ震源、同じ規模の地震であったことを明らかにし、それにもとづいてスーパーサイクルモデルを提唱しています(「どんな津波だったのか」『東日本大震災の科学』、東京大学出版会。図1参照)。
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 つまり、これまでの宮城県沖地震はおよそM七・五で、一回の地震による最大滑り量は二メートル。平均発生間隔が三七年なので、一〇〇年間にほぼ三回発生し、合計約六メートルとなります。一方、太平洋プレートの沈み込みは年間およそ八センチなので、一〇〇年間に八メートルになります。これまで、この差、一〇〇年に二メートルは地震をおこさずに沈み込んでいると解釈されてきましたが、そうではなく、これが蓄積されてきたと考えると、一〇〇年で二メートルなので七〇〇年で一四メートルです。つまり、一四メートル分のプレートがつっかえていて、これが七〇〇年に一度、一挙に解放されると、三・一一のような巨大な地震が起きる計算になります。このモデルを当てはめて考えると、九世紀の貞観地震、一五世紀に起こった一四五四年の奥州津波、二〇一一年の東日本太平洋岸地震と大体七〇〇年のスーパーサイクルで地震が起こっているのではないかということになります。

 これに対して北大の平川一臣氏が三陸沖から北海道の津波痕跡調査を行った結果が図2です(「千島海溝・日本海溝の超巨大津波履歴とその意味」『科学』2012年2月号)。上から新しい順にみていきますと、二〇一一・三・一一、一七世紀(一六一一年、慶長)、一二・一三世紀、八六九年陸奥地震、紀元前後、2500年前などの津波痕跡を想定できるといいます。これはさまざまな留保が必要な結果ではありますが、平川氏は約1000年の間隔で巨大津波が確認できそうであるとしています。この二つは異なっていますから、さらに広範な調査と付き合わせた検討が必要ですが、ようするに、七〇〇年とか一〇〇〇年の範囲でスーパーサイクルを考えることが可能かもしれないということになります。
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 次は、このスーパーサイクルが、南海トラフ地震などの他のプレート間地震においても存在するのかという問題です。石橋克彦氏によって、南海トラフ巨大地震は、だいたい100年から150年に一度起こるということが確認されています。その最新の結果が図3ですが、だいたい、そういう結果になっていると思います。ただ、私は、最近、一二四五年(寛元三)の地震が南海トラフ地震ではないかという石橋氏の示唆(『南海トラフ巨大地震』岩波書店)にしたがって史料を解読し、あくまでも状況証拠ですが、たしかにその可能性はあるという論文を書きました。それでこの一二四五年(寛元三)年地震を図に追記してあります。これによって、従来は一〇九九年から一三六一年の間が二六二年もあいていたのが、より間隔が短くなって、一四九年と一一六年という数値になりました。まだ六八四年と八八七年の間、また八八七年と一〇九九年の間は二〇〇年開いていますので問題は残っています。あるいは誤差の範囲内かもしれませんが、ともかく150年前後に一度というサイクルは確実といってよいと考えます。
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 問題は、この150年前後という通常のサイクルで来る南海トラフ地震のみでなく、南海トラフの四国から九州沖、熊野沖、東海沖の三つの領域が連動するような巨大地震が発生していることです。これについて高知大学の岡村真氏は、津波痕跡の分析によって、「津波堆積物として痕跡を残す大きめの津波を生じる南海地震は300年程度の再来周期をもっていた」としています(岡村真、松岡裕美,「津波堆積物からわかる南海地震の繰り返し」,科学,82巻,P182-191,2012年)。この論文からひいた(および地震調査研究本部のHP)図4をみていただきますと、上から一七〇七年(宝永)、一三六一年(正平)、六八四年(天武)、300年前後、そして約二〇〇〇年前、つまり紀元前後がならんでいるのが分かると思います。これもきれいに三〇〇年といっている訳ではありませんが、南海トラフ大地震にも規模という点からみると、一種のスーパーサイクルがあるということはいえるということです。これは現在にとっても重大な問題で、つまり、直近の大きな規模をもった南海トラフ大地震は、一七〇三年のいわゆる宝永の大津波ですから、ちょうどだいたい300年経ったところですから、現在予想されている南海トラフ大地震は大規模なものとなる可能性があるということです。
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噴火の活発期・静穏期はあるか

 地震の周期性は、最終的には、地質学的な分析の集積とプレートの動き、そのテクトニクスの理解によって確定していくほかない問題です。しかし、もう一つの可能性として、やはりプレートの運動を基礎にして発生する火山の噴火を地殻の動きの現れとして分析していくことが可能かどうかという問題があります。つまり、火山の活発化あるいは沈静化と大地震発生のあいだに何らかの関連を措定するのは火山学・地震学の通説です。

 もしそうであるとすれば地震の周期性をもって現れる地殻の運動を噴火の時代的変化を標識として指摘していくことが可能ではないかということになります。つまり、自然史的な「大地動乱」の時期を地震と噴火の連動のあり方によって分析することができないかということです。もちろん、現在のところ、歴史地震と歴史噴火の長期分析は、ようやくおのおのの分野で進展し始めたとことで、両方を統合した分析は科学的にはむずかしい状態です。しかし、仮説を考え、それにそって歴史事象を位置づけるということは歴史学にとってどうしても必要なことではないかと思います。

 現在、このようなことを考える上で、参考になるのは、都司嘉宣氏が『富士山噴火の歴史』(築地書院)で提出した研究ではないでしょうか。これは和歌などの文学史料によって冨士の噴煙の有無を通時代的に点検したもので、都司は一三六一年、一四九八年の南海トラフ地震、一六〇五年の(伊豆・小笠原海溝)地震、一七〇七年の南海トラフ地震、一八五四年の南海トラフ地震が噴煙の増加のキッカケ、それ故に火山活動活発化のキッカケになっているという長期的な見通しを示しています。

 都司もいうように、3,11の直後、三月一五日に冨士の南西斜面の地下五~一五キロで起きたM六・四の地震が冨士の噴火につながるのではないかと火山学者の多くが覚悟したといわれています。さいわいこの地震は噴火につながりませんでしたが、3,11の後、秋田駒ケ岳、浅間山、日光白根、箱根、焼岳、富士山などで有感地震が観測され、また霧島新燃岳、小笠原の西之島の噴火、御岳の噴火、口永良部の噴火などが発生しています。それでも火山学者によると、20世紀は日本列島としては異常に火山の噴火が静かすぎただけで、現在の状況は普通に戻っただけで、火山活動の活発化とまではいえないといいます。しかし、火山活動と大地震発生のあいだに関連があることを目の前でみせられているという感は深いです。

 都司の仕事以降、富士山の噴火歴の研究は大きく進展しています。とくに重要なのは、紀元前後以降の噴火歴が明らかになったことで、「冨士火山東斜面における最新期火山噴出物の層序」(山元孝広ほか。『地質調査研究報告』62巻11/12号、二〇一一年)の記述によってそれを紹介すると、以下のようになります。「BC50年頃には南東山腹から二ツ塚スコリアが噴出しスコリア丘を形成した。AD50年頃には御殿場口登山道沿いの標高3,600~3,100メートルで割れ目噴火が起き、東山腹に雄鹿溶岩流を流下させた。AD150年頃には東山麓から須走口馬返1スコリアが噴出した。AD350年頃に須走口馬返2スコリアが噴出し、おそらく同じ頃、東山腹から幻の滝溶岩流が流出した(以下略)」これによって紀元前後以降の冨士の噴火歴が明らかなったことの意味は大きいといえます。

 冨士において進んでいるような噴火歴の調査が全国の火山で確定していけば、「大地動乱」というものを、火山噴火と地震の連動として具体的に検討できるのではないかと考えるものです。

 以上、「大地動乱の時代」というべき時期が超長期のサイクルをもって、この列島にやってくるのではないかという想定を可能にする、地震学・火山学・地質学の仕事を紹介しました。最初に結論を申し上げておくと、以上を組み合わせると、「大地動乱の時代」としては第一が、紀元前後の神話時代になります。第二が、7世紀末~10世紀、日本が本格的に文明化していく時代で、「貞観地震」として有名になった八六九年の陸奥沖地震を中心とした時代です。そして第三が15世紀半ばから18世紀の時代になります。一五世紀の一四五四年に発生した陸奥津波からはじまって徳川時代の冨士大噴火までの時代になるのではないかということです。

 これは歴史を大局的にみての歴史学者としての観察を含んでいますので、自然科学的には確定できない部分もあると思いますが、このような分析も無意味ではないだろうと考えています。

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