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2015年8月19日 (水)

桜島噴火の神はオホナムチ=オオクニヌシであること。

桜島噴火の神はオホナムチ=オオクニヌシであること。

 オホナムチ、つまりオオクニヌシという神が火山神としての性格をもっていたことは、文学史家の益田勝実によってはじめて指摘された。益田勝実の著書、『火山列島の思想』である。

 益田は、当初、このオホナムチの火山神としての実態を出雲に引きつけて考えようとした。しかし、直接の証拠としたのは、大隅国の海底火山を引き起こした神がオホナムチという名前をもっていたことであった。

 大隅のオホナムチの活動は七四二年(天平一四)の大隅国で六日間にわたって太鼓のような音が聞こえ、同時に大地が大きく震動したという事件から始まった。このとき、聖武天皇は、使者を遣わし、「神命」を聞かせようとしたという(『続日本紀』)。この事件は、爆発音がありながら、目に見える噴火はないまま大地が震動したというのだから、おそらく海底火山の噴火にともなうものだったのではないだろうか。

 というのは、それから二〇年以上も経ってからのことであるが、聖武の娘の孝謙女帝が再即位した直後、七六四年(天平宝字八)十二月に、大隅国の国境地域の信尓村の海で大噴火がおこったのである(『続日本紀』)。

 「西方に声あり。雷に似て、雷にあらず」といわれているように、爆発音は奈良にまでとどろいた。その被害は民家六十二区と八十余人に及び、その七日後に、煙霧が晴れると三つの火山島が出現していたという。この三嶋の位置は、信尓村=敷根郷とすれば現在の国分市の沖の沖小島などの島であることになり、あるいは桜島の東南部、一九一四年の大噴火で溶岩が噴出した辺りであったともいう(これについては火山学の小林哲夫氏に詳しい分析がある)。

 その様子はあたかも神が「冶鋳」の仕業を営むようであり、遠望すると島のつながりが神の棲む「四阿」のようにみえたという。「ここには火山に神が棲むという観念が明瞭にあらわれている。そして、しばらく後の史料に「去る神護年中、大隅国の海中に神ありて、嶋を造る。其名を大穴持神といふ」とあって、この島を造成した神がオホナムチであったことがわかるのである(『続日本紀』七七八年(宝亀九)十二月。なお「神護年中」とあるが、七六四年は天平宝字八年であって、翌年十月に神護に改元されている。ここからみると、噴火は一・二年は続いたのであろう)。

 私が興味をもったのは「冶鋳」という言葉で、これは鍛冶と鋳物の仕事を意味している。つまり、火山にはバルカン、鍛冶の神が住んでいるというのである。これについて『歴史のなかの大地動乱』ではじめて気づいたのだが、一般に火山の神は女神だが、その大地のなかで、鉄を打ち、音をだし、稲妻をだし、地震で大地をふるわせる神は男であるということではないかと思う。

 オホナムチ=大己貴神については、この神の名の語義について考える必要がある。これについては、早くから①大名持(優れた名前の持ち主、本居宣長)、②大地持(敷田年治『古事記標注』)、③最高尊貴者などの諸説があり、松村武雄が④オオクニヌシと逆推して「大きな国主」と理解する見解を提出し、石母田が⑤大きな穴=石窟という意見を追加した。益田勝実はこの石母田説に同じたが、右の桜島噴火の神の史料に注目して、「アナ」とはより具体的には火山火口を意味するとした。

 しかし、この神のもっとも一般的な呼称が「大汝」であることからすると、松村のいうように「大己貴」の訓はやはりオホナムチであろう。そして、「ナ」については敷田年治『古事記標注』が「地」の意味としたのを採用したい。

 新村出によれば、その語源は、ツングース諸民族が「大地」を「ナ」naとしたことにある。それは「ウブスナ(産土)」の「土」(な)に通ずる言葉だという。新村はさらに「ナ」につけられた「ゐ」は、一種のStability、固定性を示す用語だという(新村出一九七一「天と地」同全集4)。つまり、雲の静かな状態をクモヰ(雲居)、田圃の田をタヰ(田居)といい、また敷居、屋根居などという言葉があるように、「ゐ」は、漢字でいえば「居」であって、「なゐ」とは漢字であらわせば「地居」となる。「地居震る」「地居動む」というのが「地震る」「地動む」の正確な表記なのであるが、それが忘れられて、地震自体のことも「なゐ」というようになったというのが新村の説明である。ようするに「大地=ナna」というのは、自然としての大地という意味であることになるだろう。私は「土地範疇と地頭領主権」という論文(『中世の国土高権と天皇・武家』所収)で「地」という言葉が、平安時代になっても、網野のいう自然としての大地の意味で使用されていることを論じたが、問題はそこにつらなっていく。

 オホナムチのムチとは貴人という意味であるから、「大きな大地を象徴する尊貴な神」、つまりオホナムチということになる。

 神話はこの列島に対する自然観の一部をなしている。オオクニヌシというと因幡の白兎という決まり文句から、そろそろ抜け出す必要がある。因幡の白兎の話し自身、子供たちには伝わっていないだろうが、ここからどうにかしていかねばならない。

 火山列島に棲むということが、どのような感覚をもつべきことなのか。それを文化の根っこのところから考えていき、少しでも知識を、この列島の根にまで通していくこと。それが必要なのだと思う。歴史学は基礎をつちかう仕事である。それを信頼できるような中身のものにしていき、過去を知る拠点を作っていくというのは、一つの希望の仕事である。
 
 

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