列島の風景の劣化と「省エネ法」ーージブリの『熱風』
京都は暑かった。
毎日、夕方は銭湯に出かけて風呂に入る。一日目の風呂はいつも行くところだったが、二日目行ったら、そこは休み。そばの町屋の前にいたおばあさんに、近くの銭湯を聞くと、少し北へ歩けばあると教えてくれた。
京都は、まだまだ銭湯が歩いてすぐのところに何軒もあるのがいい。夕方、仕事を終えて、汗になった身体をたっぷりの湯に沈めるというのは、暑い日本の夏の愉楽であろうが、そういう生活をほとんど忘れている。
私は、大田区の馬込、正確には馬込の南の桐里というところで育った。さらに南が池上、蒲田である。山王から馬込のあたりは九十九谷ともいわれる坂の多いところだが、その馬込の谷から南へ坂を上っていく、その登りっぱなのところに家があった。
家からは馬込の一番南端の谷戸をくだって流れていく川すじの道が一望できた。銭湯は、その川にそって下っていったところにあった。家風呂を焚くときもあったが、焚かないときは、夕方、川のそばの道を行った。川の向こうには一・二軒の家しかなく、こちらがわもほぼ畠で風呂屋の向こうにもまだ畠があった。
今思い出すと、馬込の丘の方にも銭湯があって、そっちにも行ったが、平らな池ぞいの道を行ったことの方が多かったように思う。叔母に連れられていくときは叔母は団扇をもち、帰りには氷をおごってくれた。
今の大田区では考えられないかもしれないが、これは農村、田舎、村の風景である。柳田国男は、どこかで、私たちの民族あるいは民俗の原風景には、家居と田畠と道の夕暮れの景色があるといっていたように思う。そういうものは、私には、自然のなかで安息する感情の支えであったと思う。
いま、京都での仕事のあと、新幹線で、京都は暑かったと書きだしてみて、風呂のことを思い出し、そして小さな頃の風呂のことを思い出し、新幹線の窓から風景をみていると、この列島の風景が、この五〇年にこうむった巨大な変化を思う。
その富の蓄積と変化それ自体を否定しようというのではない。しかし、風景は、外側の自然においても内側の心の自然においても壊れた。それは何らかの形で修復されなければならない。
それを否定するのではない。それとどういうように向き合ってきたか。あるいは、そもそもそのような原風景からの連続のなかで、自分の心象風景を維持してきたかといえば忸怩たるものがある。その悔いが先に立つ。
さて、この一週間、ネットワークからも離れ、新聞も食事のときに入った食堂で、一回、夕刊をみただけという生活をしてきて、いまから東京に戻る。いま帰りの新幹線のなか。安保法案はどうなるのであろうか。八月後半には国際歴史学会の出張があるので(於、中国、「東アジア地震」の分科会に出席)、半ばまでには、一度国会前にいかねばならない。
一昨日、帰宅。ジブリから『熱風』8月号が届いている。
『特集、サツキとメイの家』を読む。
2020年には「省エネ法」が個人住宅にも適用され、普通の木造の家を立てられなくなるという大問題である。「2020年は日本の家がなくなる日」(古川保)によれば「省エネ法」とは「縁側もふくめて部屋のすべての室温を20°Cにキープできる家にしなさい」ということで、住宅の断熱・気密化を法的に強制しようという法案であり、法自体の施行は決まっているということである。
すでに新築の場合は、列島の何処に行っても似た工法になり、建築基準法によって、伝統的な(普通の)木造建築はきわめて立てにくい建築制度となっている。その上に、この法が施行されると、「サツキとメイの家」のような家は法的にまったく建てられなくなっていくという問題である。これは住宅産業の要求を支配政党が丸呑みしたためであるということである。亡国の政党である。
これが、この列島の風景を劣化させてきた根本にある。これは本当に冗談ではない問題のように思う。国の形に文字通りに関わる大問題である。こういうことをやっている政党が一生懸命になっている法律、安保法制がいいわけはない。安保法制は氷山の一角である。この氷塊を沈めても、ほかにまだまだあるということだろう。
その全体の構造が問題だが、先日のブロゴスに、平野貞夫氏の安保法制についての発言があった。下記のように明瞭なもの。
「安倍首相の思考回路が非常に不安定で、病的なものがあるとすれば、それを利用している日米双方の「安保コングロマリット」の操り人形になっているのでは、と見ています。弱肉強食の資本主義を推し進める資本家を背景に、日米の官僚、官僚出身の政治家たちがコントロールしている。私も自分の政治経験の中で、かつてその一部の人たちと議論したり、仲間だったことがありますから、よく見えるんですが、安倍首相はきちんとした哲学や思想、理念があってやっているわけではなく、そういう人たちに踊らされています。アベノミクスもその構造の一つですが、競争中心の弱肉強食型の資本家たちは、軍事や軍備拡大によって経済成長を図ろうとしています。過去、軍備拡張がどれほど人類を不幸にしたかといったことは、彼らはどうでもいい。そういう背景を私は感じます」。
「競争中心の弱肉強食型の資本家たち」というのは、その通りなのであろうと思う。これを正確に認識して、勝手なことをさせないための包囲網が必要なことは明らかである。平野さんも、ここまで言った上で政治家としてどう行動されるのかが注目である。資本主義批判を正確にする政党が日本共催党しか存在しないというのは困ることである。資本主義批判、しかもアメリカと日本という世界資本主義の中心に存在する日本の資本主義を批判することなしには、やっていけない時代である。資本主義自体の問題とともに、日本資本主義の国民経済を壊し、伝統を尊重しない独特の性格をどうするかという問題である。
中村政則さんがなくなった。『日本史学の30冊』の一冊に中村さんの『労働者と農民』をえらび、行きの新幹線で初校ゲラを読んでいたので、自宅からの連絡にショックであった。今日、お通夜。
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