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2015年9月

2015年9月29日 (火)

『老子』3,賢さをたっとぶということはやめよう

3 賢さをたっとぶということはやめよう
 賢さを特別視することはやめよう。そうすれば我々は競争することをやめる。珍しいものを特別視することもやめよう。そうすれば我々は盗みをしようなどとは考えない。誰も物欲しそうな様子をみせなければ我々の心は乱れない。神の声を聞く人の目指すことは、その心を空しくして普通のものをおいしく食べ、その欲を弱くしてむしろ人間の骨組みを丈夫にすることだ。人びとがいつも心を空しくして欲を弱くできれば、賢しらなものが動く余地はなくなる。こういう簡単なこと(無為)を基礎にして社会は構成できるのだ。


賢を尚ばず、民をして争わざらしむ。得難きの貨を貴ばず、民をして盗みを為さざらしむ。欲すべきを見わさず、民の心をして乱れざらしむ。是を以て聖人の治は、其の心を虚しくして、其の腹を実たし、其の志を弱くして、其の骨を強くす。常に民をして無知無欲ならしめ、夫の知者をして敢えて為さざらしむ。無為を為せば、即ち治まらざる無し。


不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盜。不見可欲、使民心不亂。是以聖人之治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。爲無爲、則無不治。

解説
 普通、最初の三節には「為政者」「人君」などを主語に補って解釈する。「為政者が才能のあるものを尊重するということをやめれば人民が争うことはなくなる」などという訳である。そうなると、後半部分も人びとのお腹を一杯にして、余計な知識を与えなければ国家は安穏であるなどと解釈せざるをえなくなる。しかしこれでは老子は儒教と同じように政治の術を述べていることになり、しかも一種の愚民化政策を推奨しているということになってしまう。

 そうではなく、この章で、老子は私たち自身のことを心配しているのである。子どものことを賢いといって誉めたり、珍しいものを欲しがるのは、文明のもつ「不安の病」だといっているのである。

 たしかに、文明の基礎にはいわゆる精神労働と肉体労働、綺麗な労働と辛い労働の対立がある。その中で生きていくためには賢くないと不安だという社会心理ができている。また昔から、商品を売って利ざやを得るためには、珍しいものをほしがる心理を組織して、本能的な不安や嗜癖をあおるのが文明社会のやり方である。老子は、そういう文明の病を廃絶するという見通しを語っているのである。もちろん、ここで老子はまず人生訓を語っている。普通の人間が賢さによって勝負しようというのは危険であり、珍しいものに目を奪われていては足下をすくわれるという道理を語っているのである。しかし、老子は、人生を確実にし、不安を克服するためにはどうしても文明批判に進み出ることが必要だともいっているのだと思う。

2015年9月28日 (月)

老子27ここには「善い」ということの説明がある。

27 善き人のもつ襲された光の秘密
 善く旅するものは車馬の跡を残さず、善い話し手は他者を傷つけず、善く数えるものは計算棒は使わない。そして、善い門番は貫木を使わないのに戸を開けられないようにし、荷物を善みに結ぶものは縄に結び目がないのにゆるまないようにできる。神の声を聞く人は常に善く人を世話して、人に背を向けることがない。また物に対しても同じで、物を大事に世話して、それを棄てるようなことはしない。それらは襲された光によって照らされているのだ。そして実は、善き人は不善の人の先生であるのみでなく、不善の人の資けによってこそ善人なのである。師と資(師と弟子)の関係はつねに見えない光によって結ばれている。師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師は、賢こいかもしれないが、かならず自分が迷うことになる。ここに人間というものの不思議さがある。

善く行くものは轍迹なく、善く言うものは瑕讁なく、善く数うるものは籌策を用いず。善く閉ざすものは、関鍵なくして而も開くべからず。善く結ぶものは、縄約なくして而も解くべからず。是を以て聖人は、常に善く人を救い、故に人を棄つること無し。常に善く物を救い、故に物を棄つること無し。是れを襲明と謂う。故に善人は不善人の師、不善人は善人の資なり。其の師を貴ばす、其の資を愛せざれば、智ありと雖も大いに迷わん。是れを要妙と謂う。


善行無轍迹。善言無瑕讁。善數不用籌策。善閉無關鍵、而不可開。善結無縄約、而不可解。是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師、不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。
 
解説
 ここには「善い」ということの説明がある。その要点は、丁寧で善らかな気配りにあるが、それは人間関係を照らす見えない光と、その不思議さへの感性にもとづいたものであるというのである。「師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師」や「親を愛さない子、子を愛せない親」は深刻な問題となるが、それだけでなく、実はどのような場合も、人間の関係というのは相互的なものであって、それは人間の内面は見えないようでいて相互に直感できるということなのである。老子は、人類の「道」の基本には「善」がある。それは性善説などという場合の「善」ではなくて、人間の内面をも照らしだす不思議な光のことだというのである。人間が「類」的な存在といわれるのは、そういうことである。この思想は、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、況や悪人においておや」という断言と相通ずるところがある。親鸞も「弥陀の光」をみているのである。なお、ここから東洋思想には、「悪」に関する深刻な思索と追究がない、「原罪」の観念がないとする見方には賛成できない。『老子』にとっての「悪」は何よりも政治と戦争の悪であった。

『老子』22 一つの熱いものだけを胸に抱く

 網野善彦さんの口癖が「負ければ勝ち」というものであったことを聞いた。『老子』でいえば「曲則全、枉則直」というものだと思う。この種の人生訓というのは、昔は漢文で、中学校の授業できいた。歴史家からは、なんといわれるかわからないが、そういうことは必要なように思う。いわゆる東洋哲学は、漢字で思考をせざるをえない、漢字で思考をする人間には必要なものだと思う。

 「聖人j」という言葉が訳しにくいが、「昔、神の声を聴いた人jとやってみた。大塚久雄さんは、旧約聖書の神は微声で語るといい、ある随筆には、きわめてきつい経験をしたとき、そういう声を聞かれたともあった。網野さんの仕事にあるように、この列島の神も微声で語った。
 


22 一つの熱いものだけを胸に抱く
 曲折が多い方が真っ当なものになれる。枉道(横道)に入らなければ正道はわからない。へっこめば満たせばよい。服はすり切れたら新しくすればよい。少ない方が有り難い。多ければ迷うのが人間だ。それだから、昔、神の声を聴いた人は一つの熱いものだけを胸に抱き、世界の謎を了解するための式を作ったのだ。力んで見ようとしないから、世界が明らかになるということがある。自分だけで判断できないと感じるから逆に明瞭になっていく。自分で闘うことをあきらめれば、かえって実を結ぶものだし、自分に自信がないところほど長所になっていく。こうして争わないと悟れば、世界は争いではない姿をみせる。「曲なれば則ち全し」というのは(日本の)古い諺だと「負けるが勝ち」ということだ。これは嘘ではない。私たちは本当に真っ当になって、世界に戻っていかねばならない。

曲なれば則ち全く、枉なれば則ち直し。窪めば則ち盈ち、敝るれば則ち新たにす。少なければ則ち得、多ければ則ち惑う。是を以て聖人は一を抱きて、天下の式と為す。自ずから見さず、故に明らかなり。自ら是とせず、故に彰る。自ら伐たず、故に功有り。自ら矜らず、故に長し。夫れ惟だ争わず、故に天下も能く之と争う莫し。古の謂うところ、曲なれば則ち全しとは、豈に虚言ならんや。誠に全くして之に帰す。

曲則全、枉則直。窪則盈、敝則新。少則得、多則惑。是以聖人抱一、爲天下式。不自見故明、不自是故彰。不自伐故有功、不自矜故長。夫惟不爭、故天下莫能與之爭。古之所謂曲則全者、豈虚言哉。誠全而歸之。

解説
 老子の人生訓については、その優柔不断な消極主義を指摘したり、逆にそれがふてぶてしい居直りや図々しさ、あるいは狡さを意味するという見方がきえない。しかし、「負けるが勝ち」というのは、愛情であり、愛惜である。ここにあるのは、ともかく人間は全力で生きているのだという観察であり、それを結果からみて、その全てを認めようという考え方である。そして、私たちは本当に真っ当になって、世界に戻っていかねばならないという呼びかけである。"Be broken to be whole," was that mistaken? Truly, to be whole is to return.

2015年9月27日 (日)

村井康彦氏の『出雲と大和』について


 村井康彦氏の『出雲と大和』は「古代史」学会では無視されている。ある人に感想を聞いたところ、まったく無意味、そんなことを聞かれて意外だという反応があったのが記憶に新しい。

 私は重要な仕事だと思う。もちろん、村井さんの専門は平安時代史だから、「古代史」からみて素人の仕事だという反応はありうるだろう。方法的にも、史料批判の上でも意見はありうる。しかし、「素人」が正しいことをいえるというのが、歴史学という学問の本質に属することだと思う。

 「石母田正の英雄時代論と神話論を読むーーー学史の原点から地震・火山神話をさぐる」という論文の初校を終えた。そこで、村井氏の仕事は、石母田正氏の出雲神話論に直結すると書いた。その部分を下記に引用しておく。

 (1)石母田の出雲神話論
 なぜ『古事記』においてオホナムチが重要な神格として登場し、「出雲神話」がヴィヴィッドに描かれたのか。

 石母田は、『日本書紀』におくれて成立した以上、出雲神話部分の成立を七世紀半ば前後の成立と考えるという点から出発し、当時、出雲神話が強調される伏線として、第一に、六五九年(斉明五)の出雲杵築神社の「是歳。出雲国造<名を逸せり>に命せて、厳神の宮を修めしむ」という大修造がされたこと、第二に、壬申の乱において出雲国造の一族と考えられる出雲臣狛なる人物が活躍していること、第三に、壬申の乱においてオホナムチの子神、事代神が神武イワレヒコの陵に馬・兵器などを奉納せよという託宣を下したことなどの事情を上げた。

 石母田は、これらは大和に分布する出雲系氏族の進出を反映しているとした。とくに第三の事代主の託宣が神武陵への幣物の奉納であったことは重要で、これは神武以下三代の后が事代主神あるいは大物主神という出雲系諸神の出自をもっているという神話に反映している。またイワレヒコは熊野で体制を立て直すが、この物語の背景には熊野と出雲のあいだの深い氏族的・神話的な関係があるとした。『古事記』『日本書紀』において神武紀はもっとも成立が新しいものとされるが、そこには、このような背景があったというのである。

 さらに石母田は、「天武天皇の『意思』について」という節をもうけて、このような動きは、天武が出雲神話の位置を強調したためであろうと論じ、それによって地方社会をふくむ広汎な族長層、氏族・階層を対象とする物語としようとした。それは『古事記』が個々の氏族の神話的由来を神々の血族的体系の一部として位置づけようとしていることに関係していたという。そして『古事記』を文学的な記述としようという以上、専制者、デスポットとしての神権的な物語の位置を高めるためには、その理念とは異質の世界をそれなりに説得的なものとして展開せざるをえないのだという。「津田博士のようにそこに単純に出雲人のしわざ=作為を見出すのではなく、また松村博士のように、『天皇氏神話圏』と『出雲系氏族神話圏』とを分離することによって解決するのではなく、なぜ天武天皇は、その政治理念を『古事記』によって具体化するさいに、出雲系の異質の物語を取り入れざるをえなかったのかを、主体の矛盾として問題とすることにある」というのが石母田の観点である。

 このような石母田の見解は、すでに述べたように、オホナムチを畿内から播磨、出雲までを覆うような広い神話圏をもつ文化的英雄神ととらえたことに深く関係するものであったことはいうまでもない。そのような神であったからこそ、デスポットの神権制に対する対抗者、対抗神話として描き出す価値があったというのが石母田の言いたかったことなのである。私なりに敷衍していえば、『古事記』の出雲神話は、そのような神をいわば出雲に局限された神として祭り籠めるという過程を反映していたということになるだろう。

(2)村井康彦『出雲と大和』の観点

 このような石母田の構想は基本的に継承するべきものであろう。はるか以前に、このような見通しを示した石母田の天才はさすがであると思う。私は、まだ十分に石母田後の出雲神話論の研究史を追跡した訳ではないが、これまでそこから大きく抜け出た仕事はなかったのではないだろうか。

 しかし、最近、村井康彦『出雲と大和』は、そこに新たな分析を付けくわえることに成功した。村井が注目したのは、斉明天皇が出雲に対して強い強迫観念をもっていた可能性である。つまり村井は、六五九年(斉明五)の出雲杵築神社の大修造は、前年にタケル皇子(建皇子)が死去したことの衝撃のなかで行われたのではないかという。建皇子は天智と遠智娘の間に生まれた第三子で姉に太田皇女と鸕野讃良皇女(後の持統)がいた。本来彼こそが天智の正統な跡継ぎであったが、この皇子は「唖にして語ふこと能はず」という生まれであった。

 村井は、この皇子のイメージが同じような生まれつきであった誉津別王と重なり、『古事記』の誉津別王の記事が迫真のものとなったという。誉津別王は大王垂仁の子どもと伝えられ、『古事記』『日本書紀』は、彼が物をいえなかった原因はオオクニヌシからのいわゆる「国譲り」の時、杵築神社の社殿を立派に造営するという約束が曖昧になっていたためであるとしている。彼が(天皇の氏族霊である)白鳥を追って杵築神社に行くことによって言語を発するようになったというのは有名なものがたりである。しかし、タケル皇子は、そのような幸運に恵まれることなく八歳で死去し、孫を溺愛していた斉明は、その衝撃のなかで斉明が杵築神社の「修厳」に全力をあげたのである。

 この村井の議論は、石母田のいう「主体の矛盾」を見事に正確に示したものであるが、邪馬台国は出雲勢力が立てた国であったという鮮明な主張を追求するなかからでてきたものであるという意味でも興味深い。邪馬台国論は、ここでは論ずることはできないが、出雲と大和のあいだには、本来、領域的な一体性があり、オホナムチの信仰は出雲にはじまって、その全域に及んだとされるのである。私も有名な『魏志倭人伝』のいう邪馬台国への行程は日本海ルートで丹後を経過したものとする小路田泰直の新説*25に賛同して、『かぐや姫と王権神話』において、丹後から大和の一帯がヤマト王権膝下の広域地域であったことを論じ、そのなかに丹後奈具社から大和広瀬神社をむすぶ月神・豊受姫の信仰域をみることができると論じた。オホナムチの出雲から大和を覆う信仰域もそれに重なるものであるということになる。
(3)七世紀の地震と斉明・天智・天武の母子王朝
 私は、この村井の意見に、さらに七世紀にしばしば大和飛鳥を襲った地震の影響を付け加えることができると思う。(以下略)。

『老子』35章。超越的な「道」の理路をとることを、巨象に乗って天下を往くようなものだという比喩で論じている。


35 大きな象に乗って天下を往く
 巨象にのって天下を往けば、往って害されることはなく、平らかで泰らかである。音楽と餌は(象だけではなく)旅人の足を止めるが、過ぎゆく道自体の側からいえば、それらは淡々としていて、味は消えていく。そもそも、先に述べたように、そういう大道は、目をこらしても見えず、耳をすましても聞こえず、用いても変化のないものなのだ。

大象を執って天下を往かば、
往きて害せられず、即ち平泰なり。
楽と餌とは、過客を止めるも、
道の言に出だすは、淡乎として其れ無味なり。
之を視るも見るに足らず、之を聴くも聞くに足らず、
之を用いて尽すべからず。


執大象天下往、
往而不害、即*1平泰。
樂與餌過客止、
道之出言、淡乎其無味。
視之不足見、聴之不足聞、
用之不可尽。

解説
超越的な「道」の理路をとることを、巨象に乗って天下を往くようなものだという比喩で論じている。殷の時代には建築工事に巨象を用いたといい、中国南部では象はやや後までも残った。甲骨文字の「為」は、この象を使役している字形である。もちろん、「大象」という語は、「大像」(大きな形)に通ずるニュアンスをもっている。一四章では、「道」の運動を「物のない象」といい、四一章でも道を「大象」と形容し、それは「無形」であるといっている。「大象」を動物の象と理解するというような解釈は、知る限りは存在しない。しかし、そうした方が哲学詩のイメージがわく。

2015年9月26日 (土)

法曹界の動きは国家機構内部の分岐を意味する

法曹界の動きは国家機構内部の分岐を意味する

 安保法案をめぐるここしばらくの状況で、もっとも驚いたのは法曹界の動きであった。とくに内閣法制局の長官経験者のほとんどが安保法制を違憲といい、しばらく前には最高裁元長官の山口氏が違憲という意見を公表し、弁護士出身とはいえ、最高裁判事が国会で安保法制を違憲であると証言した。

 法曹界は、国家機構の中枢部における動きを実感としてとらえられる業界である。法学の学者たちがはっきりした発言をするようになったことには、すでに彼らのアンテナに、このような法曹界全体の雰囲気が伝わっていたという条件があったのであろうと思う。

 国家機構のなかで、事実として、重要な分化、分岐が発生しているということである。これは基本的にはよく組織されている日本の国家機構における事態としては歴史的な変化である。欧米では、国家機構内部で司法中枢が独自の動きをするというのはよくあることであるが、日本では、きわめて珍しい。私は現代史ではないので、史料にそくしていうことはできないが、おそらく第二次世界大戦の終了後、はじめてのことではないだろうか。

 もちろん、法曹界はようするに既得権集団であり、所詮、エリートのいうことだ。専門家が専門家であるというだけで、その主張をただ納得するのは権威主義だという反応があるだろう。法曹界は、基本的には、ここ20年ほどの政治の大枠に異議をとなえていないのだから、今になって、そんなことをいうのかという意外感はあるだろう。安保法制に賛成であるという立場からいわせれば、さらにいろいろな意見がありうるだろう。そもそも、法曹界は国家機構に近いところでももっとも専門性が高く、誇りも高い集団であるから、逆にそれに対する反発がありうるとも思う。法曹界の中枢は、法律という仕事自身の意味を、素人によって無視されたと感じ、さすがに声を上げざるをえないと判断したのだという言い方もできるかもしれない。

 しかし、そういうことがあったとしても、問題は、そのすべてを越えている。安部政治のグループが、法的な判断を行うという職能自体を否定しようとしていると、法曹界の相当部分が感じているのはやはり他人事ではない。これは一つの専門分野の反応ということではすまないのである。このような状態、国家機構内部における分岐・ほころびの事実をどうどう判断するかは、安保法制強行に賛成であるという考え方の人をふくめて、社会人ならば正確に詰めておくべきことだと考える。

 表面から見ると、法曹界の動きは一部エリート、専門家の動きにみえるかもしれない。しかし、法曹界は、官僚組織にもっとも近接したスペシァリストの集団である。このような法曹界の状況は、長期的には、官僚組織の内部に分岐としてはねかえる可能性がある。現在、日本の官僚組織は安部政治のいうことに唯々諾々と従っており、これがアメリカ軍部や財界に近い筋をのぞけば、安部政治のもっとも強い地盤になっている。

 問題は、安部政治の内容が立憲主義に反するというだけではなく、法治主義に反しているということであり、それを自然であると考える人たちがいぇっているということである。しかもさらには彼らに国家の運営能力が本当にあるのかという疑問を増大させざるをえないという状況にある。私は、安部政治の推進者たちの背後にいるのは、日米関係のなかに巣くっているきわめて特殊な利権集団、アメリカ軍部や財界に近い特別の筋、いわゆる安保利権グループであると考える。しかし、そこが国家の枢要事項を操作できるほど、現代国家というのは甘い物ではないだろうと思う。五輪のスタジアム建設をめぐる迷走が示すような政策決定の矛盾、不手際といわざるをえないことは、今後、さらに続くだろう。そうなれば、トップ依存の官僚組織の中も、そのままではいない。法曹界は、その場合のもっとも大きな共鳴板となる。

 私は、災害と原発事故に対する法学の動きをみていて、これで法曹界・法学界は平気なのかと感じ、批判をブログにも書いた。しかし、考えてみれば、日本社会では、学界が動くときは法学界(あるいは政治学界)が表にたつことになっていた。まず大正デモクラシーでは吉野作造であり、美濃部達吉の天皇機関説が国会で攻撃されたときにも大学と学界は大きく動いた。第二次大戦後の全面講和のとき、60年の安保強化改訂問題のときも政治学・法学の動きは大きかった。これと同じようなことがいま起きているということなのだと思う。しかも、今回、それらを越えて、法曹の現場が動いたのはきわめて大きい。いわゆる「政治改革」=小選挙区制の導入で、政治学界が大きくそれに関わった関係もあって、政治学の動きが低調ななかであるから、法学と法曹界の動きは大きな意味があったと思う。

 日本の国家中枢には立憲主義・民主主義のみでなく、法治主義そのものを無視する傾向が強いから、こういう形で法学界が前面に立つことになるのには相当の理由があるのだと思う。それをふまえて、学界は法学界を支持し、強く応援して社会的に行動することを重視することになる。それによって、この安保法制の問題は、単に一つの分野の仕事や専門性、そしてその慣行や利害に関係するものではなく、より全面的な問題であることを明瞭にしていかねばならないと思う。

 仕事の分野によっては、いまは人ごとにみえる場合もあるかもしれない。しかし、安保法制の問題は、すべての人びとの仕事と生活に必然的にかかわってくる問題である。学界というのは、カナリアのような存在であって、危険を感知するのは、その社会的責務である。その意味で、学術の相互の連携がゆるがせにできないものとなっていると思う。とくに心配なのは、社会科学のなかでは経済学の動きが極めて鈍く、自然科学の中枢部にもほとんど動きがないことである。せっかく動き出した学生たちのためにも、という前に、私たちの学問の誇りにかけて、全体が動けるような学際的な議論を組み立てることができるかという問題である。

 問題の入り口は安保法案である。これは実際に戦争に結びつく可能性がある問題であって、危機は深いと思う。しかし、私は、学術にとっての試金石は、やはり、3,11をどう考えるかということだと思う。災害と原発をめぐる社会科学、人文科学、自然科学の学際的協働であろうと思う。すこしだけ調べてみたが、法学の場合も、災害法学といわれる分野に、法学全体がどう関わっていくかが大きいように思う。ともかく、学者として、学問のレヴェルから、おのもおのもががんばらねばならない。

『老子』52光をかかげて、小さなもののところに戻っていけ


52 女が母になることの秘密
 世界の始まりはすべて母にある。女が母となることの秘密を知り、そこに子どもが生ずれば、その子を知ることができ、つまり世界をも知ることができる。その子を知ったからには、振り返って、その母を守っていくことだ。そうすれば身体がなくなるまで殆ういことはない。
 身体に開いている孔の門を閉じれば、身体が終わるまで労れない。その門を開いて、向こうにわだかまっている黒い異物を身体に入れてしまえば、身体が終わるまで救われることはない。
 ものの小さな兆しを見ることを明といい、柔らかなものを守ることを強というのだ。光をかかげて、小さなもののところに戻っていけば、身体の殃いが残ることはない。これを常とすることだ。

天下に始め有り、以て天下の母と為す。既に其の母を得て、復た其の子を知る。既に其の子を知り、復た其の母を守らば、身を没するまで殆うからず。其の孔を塞ぎ、其の門を閉ざせば、身を終うるまで勤れず。其の孔を開き、其の事を済せば、身を終うるまで救われず。小を見るを明と曰い、 柔を守るを強と曰う。其の光を用いて、其の明に復帰すれば、身の殃を遺す無し。是を習常と謂う。

天下有始、以爲天下母。既得其母、復知其子。既知其子、復守其母。沒身不殆。塞其兌、閉其門*1、終身不勤。開其兌、濟其事、終身不救。見小曰明、守柔曰強。用其光、復歸其明、無遺身殃。是謂習常。

 母性というものをどう考えるか。世界を生む母性と、その孔から生まれた世界、そして個々人の身体に開いた孔や住居の門を、同時的に、かつ直感的に把握するという老子の基本思想が謡われる。世界の境い目、境界を個々人が小さな灯で照らして、黒々とした異物の侵入に注意しよう、そのためにこそ柔軟な感性をもとう。それに習常すれば世界に殃はないという呼びかけが心に響く。

*1「塞其兌、閉其門」。閲の構えと中を対称して文とした。閲は門中に入れるの意。兌は、兄は祝、祈祷の意。祈祷に伴う忘我をいう。ここでは目・耳・口・鼻などの身体の孔の意で使う。兌を兌換(交換)の意に用いるのは唐代の兌便(切手)の語からくる。

非戦の思想。

 ながく日本友和会で活動している友人からきたメールのなかに入っていた昨年5月に横浜港南台教会での池住義憲氏の(名古屋高裁、自衛隊イラク派遣違憲判決の訴訟原告団代表)の講演の一部から。

紀元前8世紀  旧約聖書「イザヤ書」2:4
 「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かつて剣を上げ
 ずもはや戦うことを学ばない」

紀元前5世紀 「法句経」(釈尊の言葉と大乗仏教の教え)
 「殺すな、殺させるな、殺すことを許すな」

1~2世紀新約聖書「マタイによる福音書」26:52
 「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」

1899年 オランダ・ハーグで開催された「第一回世界平和会議」
 特定の戦争の解決のためではなく、軍縮、戦争の防止、紛争の平和的解決のための恒
 久的な国際法を創り出すことを目的として開催。

1903年 内村鑑三「非戦論」
 「余は日露非開戦論者であるばかりではない。戦争絶対廃止論者である。戦争は人を殺
 すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である。そうして大罪悪を犯して、個人
 も国家も永久に利益を収め得ようはずはない」(『非戦論』山本泰次郎編、角川文庫)

1926年 内村鑑三「新文明論」
 「わが日本が国家的宣言を発して、国家の武装解除を宣言し、こうして全世界に戦争の
 ない新文明を招来し得るなら、それはなんと素晴らしい日であろう」(英文論説『新文明』)

1928年「パリ不戦条約」(戦争放棄に関する条約)第1条
 「締結国は、国際紛争解決のための戦争に訴うることを非とし、かつその相互関係にお
 いて国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自に人民の名において厳
 粛に宣言す」

1945年「国連憲章」第1章2条4
 「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いか
 なる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他
 のいかなる方法によるものも慎まなければならない」

2015年9月25日 (金)

老子14時間の始源を理解する

 老子 14 時間の始源を理解する
 目をこらしても見えないものを微妙といい、耳をすましても聞こえないものを希静といい、循で回っても触れないものを平夷という。つまり見えざるもの、聞こえざるもの、触れざるものが区別できずに混沌として一体となっている太い縄のようなもの。それが、この世界にはあるのだ。それは上側が明るい訳でなく、下側が暗いわけではない。つまり実体ではないが、しかし、龍のように太くなった縄の波動は、名づけることのできないまま無所有の世界に戻っていく。その運動は形状のない状であり、物のない像であって、恍惚の中でのみ覚知することができる。しかし、前からみてもその首を見ることはできず、後ろから見ても、その尻をみることはできない。時間をさかのぼって現在をみることによってのみ、時間の始源を理解することができる。これによって道義の筋道を知ろうではないか。


視之不見、名曰微
聴之不聞、名曰希。
循之不得、名曰夷。
此三者不可到詰、
故混而爲一。
其上不皦、其下不昧。
縄縄不可名、復歸於無物。
是謂無状之状、無物之象。是謂惚恍。
迎之不見其首、随之不見其後。
執古之道、以御今之有。
能知古始。是謂道紀。

老子18道義の基本を破壊する人びとが、仁義を説教し、智恵をつかって大嘘をつく。

老子18
 道義の基本を破壊する人びとが、仁義を説教し、智恵をつかって大嘘をつく。家族が親和する関係の基礎を壊す奴らが、孝行を説教し、国家を混乱させて忠臣づらをするのだ。


大道廢有仁義。
智恵出有大偽。
六親不和有孝慈。
國家昏亂有忠臣。

2015年9月24日 (木)

老子39と42。日本神話を読むための老子

 地震火山神話を中心に神話論をやっていますが、『荘子』を読まねばならず、必然的に『老子』に迷い込みました。形而上学化した荘子にくらべ、老子では神話論的イメージが素朴で、生き生きとしているというのは、いわれるところです。

 私は漢文教育復活論者ですが、その場合、小学校では論語がよいでしょうが、しかし、中学では老子をやったらどうかと思います。老子の方が若者のつらさには響くものがあるのではないでしょうか。

 私は文学の授業には『古事記』を加えたいという益田勝美さんの意見に賛成です。その場合、日本の神話には宇宙論的な要素が少ないのが問題で、これを『老子』で補うことができるのではないかと思います。
 
 我々の世代だと中国の「文化大革命」のときの滑稽な「批孔」の問題があり、不思議の感を持ちました。そののち、蔵原惟人氏の中国哲学論を読み、それ以来、中国哲学をどう学ぶかということは私にとって大事な宿題でした。意外なルートで『老子』を読むということになり、喜んでいるのですが、これまでの現代語訳には納得できないものを感じます。もちろん、素人ですから、先学を簡単に批判すべきではありませんが、あまりに世俗的な読み方になっているか、形而上学をそのまま繰り返すようになっているかのどちらかになってしまう向きを感じます。しかし、老子は日本でもっとも詳細に読まれている古典であることがよくわかりました。
 
 中学生に読ませようとしたら、いろいろな工夫がいるのではないか。いや自身で読むのにも現代語訳をしないとわからないということで、だいたい半分近くの翻訳を終えました。
 
 これは少しものになりそうなので、本格的に勉強するために『津田左右吉全集〈第13巻〉道家の思想とその展開 』を注文しました。私は津田左右吉は端本でもっているのですが、これは読んでいません。

 これを読んだら、また神話論に立ち返ろうとしています。
 
 以下、39章と42章です。これは神話論に直結するところで、『古事記』『日本書紀』の冒頭を読むためにどうしても必要と思ってやったものです。

39 万物の霊長の誉れ
 本来の初発は次のようなものだ。つまり天は初発から清澄であり、地は安寧である。神は初発から霊魂をもち、谷の女神は最初から孕んでいる。万物は初発において生じており、その王たる人間も初発から世界の長であった。
 天は清澄でなければ破裂するし、地は安寧でなければ傾廃する。神に霊魂が宿っていなければ心が動かなくなり、谷神が孕まなければ身体が尽きてしまう。万物が最初に生じていなかったら、まさに今滅ぶところになり、王たる人間が万物を貴ぶことがなければすぐに躓いて倒れてしまう。
 こうして天と地、神と谷神、万物と人間が、初発から貴賤と高下でつながれており、その貴きは賤しき、高きは下きをもって根源とするのが定めなのである。
 万物の霊長であり、王である人間は、世界の孤児であり、寡であり、僕であるとへりくだらなければならない。これこそ、賤しいものが根源となるということである。そうなのだ。だから王という誉れを数え致(きわ)めていくと、それは誉れではない。王の身分であるからといって美しい琭玉を欲してはならない。むしろ落ちている石のようでなければならない。


昔の一を得る者、
天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く、
神は一を得て以て霊に、谷は一を得て以て盈ち、
万物は一を得て以て生じ、侯王は一を得て以て天下の長と為る。
それ之を致せば、
天は以て清きこと無くんば、将に裂けるを恐れんとす。
地は以て寧きこと無くんば、将に廃くを恐れんとす。
神は以て霊なること無くんば、将に歇むを恐れんとす。
谷は以て盈つること無くんば、将に竭くることを恐れんとす。
万物は以て生ずること無くんば、将に滅ぶを恐れんとす。
侯王は以て貴高なること無くんば、将に蹶づくを恐れんとす。
故に貴きは賤しきを以て本と為し、
高きは下きを以て基と為す。
是を以て侯王は自ら孤、寡、僕と謂う。
此れ賤しきを以て本と為すに非ざるや。
故に数々(しばしば)の誉れを致せば、誉れ無し。
琭琭として玉の如きを欲せず、落落として石の如し。

42 永遠の時間と無限大の空間
 道があって、そこから初発が生じるが、一は二になり、二が三になって急速に万物が生じていく。万物は、永遠の時間のなかで、背に月の陰を負い、前に太陽の陽を抱き、無限大の空間のなかで、沖天の気をもって声を上げ、声を和せる。
 人は孤であり、寡であり、僕であることをいやがるが、しかし、万物の王たるものとして、これは誉称である。万物は損じたようにみえて益し、益したようにみえて損ずるものである。このような損益の関わりについて、人の教えることを私も端的にいってみるとすると、強すぎるものは死に方がむずかしいのだ。私は「孤・寡・僕」というのを教えの始めとしたい。


道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。
物は陰を負いて陽を抱き、沖気もって和を為す。
人の悪む所は、唯だ孤・寡・僕なるも、而も王公は以て称と為す。
故に物は或いは之を損じて益し、或いは之を益して損ずる。
人の教うる所は、我も亦之を教えん。
強梁なる者は其の死を得ず。
吾れ将に以て教えの甫と為さんとす。

字は直してしまう。読みやすいテキストにしてしまう。字の原義に関わるものは特に大事にする。老子を読むことは漢字をつかって抽象的な思考をする訓練であると考えることができるように思います。一種の散文詩のように書く感じでやっています。

2015年9月23日 (水)

老子が徳政イデオロギーを肯定するとは思えない

 老子32.老子の記述を一種の社会科学的記述と読んでみること。

32 自然の恵みは社会の平等の根拠

 道義の本来の姿には名がない。自然の樹木は、小さなものでも、どれも世界のなかで誰にも属していない無主のものである。王というものは、この無主の境域を確保することによって万物を帰属させようとする。しかし、天地の性が合体して降る甘露のように、自然の恵みがあれば、人々は指示されなくても平等な社会をめざすものだ。

 樹木からなにかを製造して初めて様々な名をもつ物(器物)ができるが、すでにそうなってしまったからには、それを止めることをも知らねばならない。余計なものを制作する無駄を知っていてはじめて、社会は危殆を免れることができるのだ。

 道義というものが世界にある有り様は、どの谷川も、大河と大海があるから均しく流れることができるのと同じだ。


道の常は無名なり。
樸は小と雖も、天下に能く臣とする莫し。
侯王もし能くこれを守らば、万物は将に自ら賓せんか。
天地相合して、以て甘露を降さば、民は之に令すること莫く自ら均しからんとす。
始めて製せられて名あり。名また既に有れば、それ将に止めるを知らんとす。止めるを知るは殆うからざる所以なり。
道の天下に在けるを譬うれば、猶お川谷の江海におけるがごとし。


道常無名。
樸雖小、天下莫能臣。
侯王若能守之、萬物將自賓。
天地相合、以降甘露、民莫之令而自均。
始製有名。名亦既有、夫亦將知止。知止所以不殆。
譬道之在天下、猶川谷之於江海。 

 老子の文中の「王」というものについての記述を一種の社会科学として読んでみるという作業である。つまり、下記の「侯王もし能くこれを守らば、万物は将に自ら賓せん。天地相合して、以て甘露を降さば、民は之に令すること莫く自ら均しからんとす」という部分は、普通「もし王が、この道を守っていけるならば、万民は自ずから従うであろう。天地は和合して甘露をふらせ、人民は命令されなくてもおのずと治まるであろう」などと理解される。つまり、老子がいわゆる徳政イデオロギーを了解しており、それを肯定すると解釈される。
 たとえばもっとも穏当な老子の解説書であり、ヨーロッパ哲学との対照にすぐれた福永光司『老子』は、老子の階級社会批判の強さをみとめながらも、「彼は現実社会の貴賎そのもの、貧富そのものも存在まで根本的に否定するものではない」とする。たしかに老子は原始的な族長の地位はみとめるから、そのように読めるところもあるが、私は根本的にはきわめてラディカルなものと思う。
 上記の文章でも、老子は批判的な解説、あるいは社会科学的な観察をしているのだと考える余地はないのだろうか。
 「樸」という言葉は切り倒されたばかりの樹木という意味であるが、それは自然から切り離されたばかりの有用物という意味で理解される。それはそれ自身としては無主と考えれば、ここで網野善彦氏の無主の原理が働き出すということになる。そういう形で訳してみた。

2015年9月22日 (火)

安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の続行を求める申し入れに賛同

参議院議長 山崎正昭 様                2015年9月25日
参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」委員長 鴻池祥肇 様
安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の続行を求める申し入れ
                                 市民有志

参議院に設置された「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」(以下「特別委」)は、2015年9月17日、同特別委に審議を付託された安保関連法案等計5件の採決を行い、いずれも賛成多数で可決されたと言われています。
 しかし、採決が行われたとされる同日16時30分頃の委員会室の模様を参議院のインターネット中継やテレビの中継・録画で視る限り、鴻池委員長席の周囲は与野党議員によって何重にも取り囲まれ、委員長の議事進行の声を委員が聴き取れる状況になかったことは一目瞭然です。また、委員長も動議提出の声を聴き取り、各委員の起立を確認できる状況になかったことは明らかです。

こうした状況の中で、採決というに足る手続きが踏まれたとは到底言えません。また、委員会室にいた特別委の委員自身も、「可決はされていません。・・・・委員長が何を言ったかわからない。いつ動議を出したのか、採決されたのかわからない」(福山哲郎委員)、「いったい何がおきたのか、そもそも動議が出たのかどうかも、委員長が何を発言したのかも誰もわからない。そして、私は自民党席の前にいたが、彼らも何もわからないまま立っていただけですよ」(井上哲士委員)と語っています。実際、速記録(未定稿)でも「議場騒然、聴取不能」と記されるのみで、議事の進行を記す委員長の発言も質疑打ち切り動議の提案も記されていません。

こうした一連の事実と状況に照らせば、上記5件の「採決」なるものは、参議院規則が定めた「議長は、表決を採ろうとするときは、表決に付する問題を宣告する」(第136条)、「議長は、表決を採ろうとするときは、問題を可とする者を起立させ、その起立者の多少を認定して、その可否の結果を宣告する」(第137条)という表決の要件を充たしていないことは明らかです。
国会での審議が進めば進むほど違憲の疑いが深まった安保関連法案を参議院規則まで踏みにじり、締め括りの質疑も省いて、「採決」なるものを強行したことは憲政史上、稀にみる暴挙です。
以上から、私たちは貴職に対し、次のことを申し入れます。

1. 私たちは5件の「採決」と称されるものは、すべて採決の要件を充たさず、採決は不存在であると考えます。貴職がこうした私たちの見解を受け入れないのであれば、参議院規則にもとづいて反証されるよう、求めます。
2. 「採決」が存在しない以上、安保関連法案の審議は未了です。よって、改めて所定の手続きを取り、法案の審議を再開されるよう求めます。

2015年9月21日 (月)

安全保障関連法に反対する学者の会の戦争法「採決」強行への抗議

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 学者の会の記者会見に参加してきた。千葉から東京は遠い。時間の見計らいを間違って少し遅れる。会場は満杯だった。ずっと立っていて、行き来の電車では能の台本の台本のようなものを書いていたので、疲れた。連休中に仕上げなければならない。

 以下が声明。

 2015年9月19日未明、与党自由民主党と公明党およびそれに迎合する野党3党は、前々日の参議院特別委員会の抜き打ち強行採決を受け、戦争法案以外の何ものでもない安全保障関連法案を参議院本会議で可決し成立させた。私たちは満身の怒りと憤りを込めて、この採決に断固として抗議する。

 国民の6割以上が反対し、大多数が今国会で成立させるべきではないと表明しているなかでの強行採決は、「国権の最高機関」であるはずの国会を、「最高責任者」を自称する首相の単なる追認機関におとしめる、議会制民主主義の蹂躙(じゅうりん)である。

 また圧倒的多数の憲法学者と学識経験者はもとより、歴代の内閣法制局長官が、衆参両委員会で安保法案は「違憲」だと表明し、参院での審議過程においては最高裁判所元長官が、明確に憲法違反の法案であると公表したなかでの強行採決は、立憲主義に対する冒瀆(ぼうとく)にほかならない。

 歴代の政権が憲法違反と言明してきた集団的自衛権の行使を、解釈改憲にもとづいて法案化したこと自体が立憲主義と民主主義を侵犯するものであり、戦争を可能にする違憲法案の強行採決は、憲法9条のもとで68年間持続してきた平和主義を捨て去る暴挙である。

 こうした第3次安倍政権による、立憲主義と民主主義と平和主義を破壊する暴走に対し、多くの国民が自らの意思で立ち上がり抗議の声をあげ続けてきた。戦争法案の閣議決定直前の5月12日、2800人だった東京の反対集会の参加者は、衆院強行採決前後の7月14日から17日にかけて、4日連続で、国会周辺を2万人以上で包囲するにいたった。そして8月30日の行動においては12万人の人々が、国会周辺を埋めつくした。

 これらの運動は「戦争をさせない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」が、政治党派はもとより、思想や信条もこえた共同を実現するためにあらゆる努力をしてきたことによって形成された。「安全保障関連法案に反対する学者の会」と学生たちの「SEALDs」、そして日本弁護士連合会との共同行動も、こうした新しい運動の繋(つな)がりのなかで実現した。

 「安全保障関連法案に反対する学者の会」は学問と良識の名において組織され、発起人と呼びかけ人が発表した声明に、賛同署名を呼びかける活動によって一気に全国に拡(ひろ)がった。6月15日と7月20日の記者会見後、各大学において有志の会が組織され、学生、教職員はもとより、卒業生や退職者も含めた、それぞれに独自で多様な声明が発せられて、集会が開かれ、パレードが行われた。「学者の会」に寄せられた署名者の数は現在、学者・研究者1万4120人、市民3万957人に達し、声明等の行動に立ち上がった大学は140大学以上に及んでいる。私たち「学者の会」は、知性と理性に反する現政権の政策を認めることはできないし、学問の軍事利用も容認することはできない。

 戦後70年の節目の年に、日本を戦争国家に転換させようとする現政権に対し、一人ひとりの個人が、日本国憲法が「保障する自由及び権利」を「保持」するための「不断の努力」(憲法第12条)を決意した主権者として立ち上がり、行動に移したのである。私たち「学者の会」も、この一翼を担っている。

 この闘いをとおして、日本社会のあらゆる世代と階層の間で、新しい対等な連帯にもとづく立憲主義と民主主義と平和主義を希求する運動が生まれ続けている。この運動の思想は、路上から国会にもたらされ、地殻変動のごとく市民社会を揺るがし、生活の日常に根を下ろしつつある。ここに私たちの闘いの成果と希望がある。

 私たちはここに、安倍政権の独裁的な暴挙に憤りをもって抗議し、あらためて日本国憲法を高く掲げて、この違憲立法の適用を許さず廃止へと追い込む運動へと歩みを進めることを、主権者としての自覚と決意をこめて表明する。

 2015年9月20日

 安全保障関連法に反対する学者の会

2015年9月19日 (土)

四野党は安保、辺野古、原発ですぐに政策協定の作業をはじめてほしい。

安保法制廃止、辺野古基地建設停止・普天間撤去、原発政策転換で四野党は政策協定を。

 安保法制強行のなかで、考えざるをえないのが、これを廃案にするためにどういうことが必要かということである。

 私は、これ自体は、誰でもわかる非常に単純なことだと思う。つまり、国会前の集会に参加していた政党が平等な立場で政策協定をむすび、選挙協力をすればよいのだと思う。

 私は、国会前の集会で小沢一郎氏が、私はこういう場所にでたことはないが、この法案だけはつぶさねばならぬと思ってでてきたと発言するのを聞いた。民主党・日本共産党・社会民主党・生活の党の4野党の国会前での発言を聞いていれば、安保法制廃止を中心にして、これらの政党が政策協定をして、選挙協力をするべきことは、これらの政党の義務である。

 もちろん、その上でいくつかの問題はあり、第一には、これら政党が政党としては平等な立場を相互に確認すること、第二に、これらの政党に集まっている国民の支持の現状にみあった立候補を保証すること、第三は政策協定には、辺野古基地建設停止・普天間撤去、原発政策転換を加えることなどが必要であると思う。

 今からみれば、今回の事態の根源は、日米政財界および軍部の一部に巣くう安保利権集団といわれる集団が地盤となって周到な計画をつめてきて、昨年12月の総選挙を最後のチャンスとみて全力をあげ、小選挙区制の制度的虚構を利用して、議席上の優位を確保したことにある。河野自衛隊統幕長が総選挙直後に訪米し、米軍幹部に「現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思うが、予定通りに進んでいるのか」と問われ、「与党の勝利により来年夏までに終了と考える」と発言したこと(統合幕僚監部の文書「統幕長訪米時の(ママ)おける会談の結果概要について」)は、彼らがそういう「予定」を国民にみえないところで詰めてきたことを明示した。

 それでも、一二月総選挙の投票率53パーセントのなかで、自民党は比例では、33パーセントの支持であるから、国民のなかでの厳密な支持率、純得票率は17パーセントにすぎない。しかも直前の最高裁判決は現行の投票権の不平等について「違憲状態だが選挙は有効」としたが、判事15人のうち、4人は選挙の有効性をみとめず、その他でも5人の裁判官が補足意見で、「違憲状態の選挙で選ばれた国会議員は国会の活動をする正統性がない」と言い切った。ようするに最高裁の半数以上が、現国会の正当性を認めていないのである。これは小選挙区制の矛盾が国家機構内部でも明示されたことを意味している。

 安保利権集団は、この間の経過で、九条改憲はできないことを思い知っており、昨年のいつかの段階で、参議院の多数をとれる今をのぞけば、自衛隊をアメリカ軍の下で動かすことはできなくなると判断したに違いない。彼らにとって今が千載一遇の好機にみえたのであろう。沖縄における翁長さんの勝利は、そういう判断を後押ししたに相違ない。

 安保法制の廃案にむけて共同した四野党は、この安保利権集団の出先である安部政権を国会から追い落とさねばならない。この四野党こそが国民のなかでは多数なのであるから、四野党はまとまって行動する必要がある。これは単純な話であろう。政治というものは、実は単純な話のはずである。四野党は、国会前集会では常識的に行動し、どの野党も、俺が俺がという態度はとらなかった。目の前にいる多数の人びとをみれば誰もそういうことはいえない。廃案まで行動すると国会前で発言した以上、その姿勢をそのまま延長してほしい。

 それ故に、問題は、第二の沖縄、第三の原発にある。そして、このうち難しいのは、この間の経過からいって沖縄の辺野古基地建設停止・普天間撤去で一致することかもしれない。

 しかし、この安保法制の問題は、状況を明確にした。右の統幕部文書には「沖縄県知事選挙時にはリバティーポリシーの実施、地域情勢に配慮して頂き感謝する。結果として普天間移設反対波の知事が就任したが、辺野古への移設問題は政治レヴェルの議論であるので、方針の変更はないという認識である。安倍政権は強力に推進するであろう」と述べて、米軍の選挙協力に感謝している。ここには、米軍と自衛隊が沖縄に対して明瞭に県民の意思とは違う政治計画をもって動いてきて、それは安保法制強行の計画と一連のものであったことを示している。

 これが明らかになった以上、沖縄の辺野古基地建設停止・普天間撤去は安保法制廃案と一連の問題として政策協定に入れられる必要があることは明らかである。この間の動きの基礎には沖縄の人びとの県をあげた動きがあった。沖縄の人びとと状況におされて全体の事態は動いてきたことは明らかである。問答無用、県知事とあう必要もないという姿勢が決壊したときに、列島全体に波が立ち始めた。四野党の政治家にはそれを想起してほしい。

 その上で考えるべきことは、沖縄では米軍と自衛隊の軍事協力による県民の権利侵害という違憲状態が、すでに実際に存在していることである。四野党が全国政党である以上、安保法制廃止の政策協定は、同時に辺野古基地建設停止・普天間撤去の政策協定でなければならない。そうでなければ、これだけの物議をかもした安保利権集団に対峙することにはならない。

 最後の原発政策転換については、何よりも福島と東北の全体のことに立ち戻って、初心にかえり、ものごとを考えるべきであろうと思う。この点では四野党を信頼したい。これは、この邦、この列島の将来に関わってくる。各政党の立場は、その将来像においてはことなっているだろう。それは当然のことである。しかし、将来を考える上での入り口の問題は一致できるようになっている。

 重要な機会であると思う。

 ともかく、出発点として、統合幕僚監部の文書「統幕長訪米時の(ママ)おける会談の結果概要について」を国会で徹底的に議論してほしい。国民の目の届かないところで何が行われていたのかを知る権利がある。


 老子の八章は「上善は水の如し」であるが、その結論は「動には時を善しとす」である。

老子8 上善は水の如し。
 上善は水の如し。水はすべてを潤して争わない。水はすべての人に悪まれるところにいる。それこそ人間の歩むべき道であり、運命である。
 住居は大地に近く素朴で、心は淵のように深くありたい。交友は仁義を篤くし、言葉は信を守り、正義も安定のなかにあってほしい。また事に処するのにはおのおのの能というものをわきまえながら、行動は時を外さないようにしたい。
 そもそも平和というのは人に責任をもっていかないということだ。

 上善は水の若し。水は万物を利して争わず。
 衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。
 居には地を善しとし、心には淵きを善しとし、
 与(とも)にするは仁を善しとし、言には信を善しとし、
 正には治を善しとし、事には能を善しとし、動には時を善しとす。
 夫(そ)れ、唯(ただ)争わず、故に尤(とが)め無し。

2015年9月18日 (金)

安保法制は、廃案にするほかない

 国会では、結局、河野自衛隊統幕長の米軍との謀議文書は提出されず、証人喚問も行われなかった。公僕たるものが文書を隠すことは許されないことだ。これは欧米でやればキャビネットがつぶれる。こういうやり方はおかしい。

 しかもこれは米軍との謀議文書である。つまり、この統合幕僚監部の文書「統幕長訪米時の(ママ)おける会談の結果概要について」は、先のブログに記したように、河野自衛隊統幕長が、昨年12月の総選挙直後に訪米し、米軍幹部に「現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思うが、予定通りに進んでいるのか」と問われ、「与党の勝利により来年夏までに終了と考える」と発言したことを示している。

 直前の総選挙では安保法制を国民に問うことはせず、自民党公約の271番目に抽象的に書いておき、実際には、米軍に「予定」としてもっと早くから約束していたということである。人びとが知らないところで、米軍と自衛隊が了解し合っている「予定」というものがあり、それを政権幹部が了解しているのである。総選挙ではそれをかくして、アベノミクスなるものを焦点にして宣伝をする。これは謀議である。


 この「予定」がアメリカ軍が次ぎに他国を攻撃するときに実地に動き出すというのがこわいところである。自衛隊が米軍の下で中近東にでていくことも「予定」されているのである。


 人に隠してて何事かを行うというのは、市民生活では認められない、市民生活で認められないことを政治の場ではやっていいのだという論理は成立しない。これは普通の道義をまもらなくてもてんとして恥じないということである。無恥であるから謀議をし、謀議をするから無恥が増殖する。採決劇なるものは茶番である。

 朝日新聞デジタルによれば、「採決」劇は次のようなものである。
「17日午後4時半ごろ、参院特別委員会の鴻池祥肇(よしただ)委員長に対する不信任動議が否決された。委員会室の外で待機していた鴻池氏が右、左、正面とお辞儀して委員長席に腰を下ろした。民主党の福山哲郎理事が「これからの議題は何ですか」と話しかけながら委員長席に歩み寄った瞬間だった。委員会室の後方に控えていた約10人の自民党議員が鴻池氏をガードするためにスクラムを組んだ。同時に、安倍晋三首相も閣僚席に座り、中谷元防衛相と岸田文雄外相が続く。前日夕から足踏み状態にあった委員会が、あっという間に安全保障関連法案の採決の舞台へと転換した」。

 悲しいことに、より大きな謀議を行っている集団にとっては、このくらいはお手の物ということであろう。国家中枢に謀議が巣くうことを許してはならない。

 安部政権の行動を「反知性主義」と批判する向きがある。それはその通りであろう。しかし、それは文脈によっては、やや知識人が、自己の知性を誇るというニュアンスがあって、私は好まない。

 何よりも、そこで集団的に国家機構を使って謀議が行われていることを軽視できないのである。それは反知性ということを越えている。
 
 しかもその謀議は日本という国家とアメリカという国家の公的な関係ではない。日米政財界および軍部の一部に巣くう安保利権集団といわれる集団を地盤にしているというほかない。アーミテージはいわゆるジャパンハンドラーにすぎず、アメリカでは政治家としてみとめられていないという。

 経団連は9月10日、武器など防衛装備品の輸出を「国家戦略として推進すべきだ」という提言を公表し、安全保障関連法案の成立をみこんで、「防衛産業の役割は一層高まり、その基盤の維持・強化には中長期的な展望が必要」として、10月に発足する防衛装備庁に対する先行的要望をまとめたということである。

 軍部、財界の一部が、全体として動いていることは明らかである。まず必要なことは、多くの人がその実態を知り、それがどういうことかを考えることであろう。国家機構・軍部・財界の一部がこういう人びとによって占拠されているのである。

 私は、これは暴走としかいえないものであると思う。それを軽視することはできないが、しかし、暴走というのは、この集団は、この動きの先がどうなるかについて見通しをもっていないからである。戦争がいつ起きるか、どのように起こすかの基本はすべてアメリカが握っており、それに従属する立場である以上、それは当然のことではある全体構想はアメリカの世界戦略なのであるから、必然的にそこには長期的な計画、いわゆる戦略というべきものはない。しかも、この暴走を規定しているのは国家間の公的な関係ではなくして、アメリカと日本という世界資本主義の二大国の隙間に巣くっている利権集団であるから、そこには長期的な意思そのものが宿りようがない。

 彼らにとっては、今が千載一遇の好機にみえるのであろう。先回の総選挙では、投票率は53パーセントであったから、政党支持率を示す自民党の比例票は、国民のなかでの厳密な支持率、純得票率でいえば、17パーセントにすぎない。これは今後もふえることはない。自民党に荷担した公明党も支持率を下がるほかない。小選挙区制による虚構の多数と実際の意見分布は異なっている。

 自民党は原発事故に責任のある政党である。また沖縄の耐えられない基地負担の放置にも責任のある政党である。様々なところで責任を問われることが目に見えており、その意味でも追いつめられていることを彼らは実感している。いま、アメリカへの軍事的協力と従属に進まなければ、機会はないという判断である。しかし、これは蛸が自分の足を食うようなものだ。見通しがない集団の動きによって国がひっかきまわされるのは止めなければならない。

 安保法制の問題は、すべての人びとの仕事と生活に必然的にかかわってくる問題である。この法案は日本の社会と国家にとって危険・無用な存在であって、廃案にするべきものであるというほかない。

 老子31章を訳してみた。君子というのは族長と訳せると思う。老子の神話世界の背後には明らかに族長的な平和思想があるというのがたいへんに興味深い。


 武器は不浄の器
 武器というものは不浄な器である。武器という物自体が自身を嫌っているのではないか。道理を信じるものは、その場にはいない。族長は平時には左の清浄な席を貴ぶが、武器をもちいる時は右側の不浄の席に移る。
 武器は不浄の器であり、本来、族長がふれるべきものではない。これを用いるしか選択がない時は薄暗い気持ちで、勝ったとしても喜びなどはない。武器の使用を楽しむのは殺人を楽しむことである。殺人を楽しむようなことは、志心を得ることができない無明の世界に入ってしまうことだ。吉事には左側の席を尚(あ)て、凶事には右側の席をあてる。副将軍が左にいて、上将軍が右にいるのは、そのためである。これは葬礼の規則と同じように席を決めているのである。殺人が衆ければ、悲哀と涕泣の気持ちが場に満ちる。戦に勝つというのは、葬礼の規則をもって対処すべきことなのである。

2015年9月17日 (木)

老子80 将来の社会  国は小さくて人は少ない方がよい。


 老子のいわゆる「小国・寡民」の思想とよばれているものである。これは徹底した平和主義が一種のコミューンへの自足、コミューン思想に展開する様子を示しているように、思う。
 いちおう、一仕事を終えたので、国会にいくことにする。
 

老子80 将来の社会
 国は小さくて人は少ない方がよい。重機があっても使わないようにし、人は死を怖れず、慌ただしく移動することはやめて静かに生きる国である。船や車に多くの人が乗って動くことは少なくし、ましてや甲冑や武具をもって陣をはるようなことはしない。そこでは、書類はない方がよい。縄を結んで数を数え合図しあっていた昔でも、社会は成り立っていたのだ。
 住んだ土地のものを甘いといい、土地の服を美しいといい、その住処に休まって、その慣わしを楽しむ。隣国もそのようであって、鶏や犬は競って鳴き、群れて吠えていても、人は老成して死ぬまで、そんなに多くの人と群れなくてもよいのだ。

老子36章 私たちの希望

老子36章 私たちの希望
 小さいままでいたいならば最初は大きくならなければならない。柔弱さが必要ならば、先ずは強くならなければならない。破壊の対象はしばらく重たく評価しておいた方がよい。獲得するためには自分をあたえなければならない。
 これは微かな光明である。しかし、柔らかく弱いものが硬く強いものに勝つのだ。

 英文はルグインのものがよかった。

2015年9月16日 (水)

老子26万乗の主でありながら世界を軽がろしく扱う

 老子の平和主義は明瞭だという観点から、老子26章を下記のように読みたい。従来の解釈とは違うが、 「奈何萬乘之主、而以身輕天下」を「いかんぞ、万乗の主にして、身を以て天下より軽がろしくするを」と読み下し、「戦車一万輌を擁する大国の主という身でありながら世界を軽がろしく扱うとはどういうことか」という形で、軍事力をもった大国に対する批判とよみたい。
「戦車一万輌を擁する大国の主という身でありながら世界を軽がろしく扱うとはどういうことか」というのは現在でもそのまま使えるフレーズだと思う。昔から続いていることで、世に尽きないものであろうが、人類史の上で、そろそろこういう悪はなくしたいものである。これは非戦思想としてはきわめて早い物になるのではないか。

 他も相当違うが、こう読んだ方がよいと思う。


26 万乗の主でありながら世界を軽がろしく扱う
 重いものは軽いものの根本であり、静かなものが騒がしいものをおさえる。
 原初の族長は、人びとと移動するときにも、もっとも重たい荷車の手助けをして、一日中、そこから離れず、にぎやかな市の建物についても、燕が巣に宿るのと同じように、周囲の騒がしさを超越してしまう。戦車一万輌を擁する大国の主という身でありながら世界を軽がろしく扱うとはどういうことか。
 軽がろしければ根本を失い、騒がしければ族長の役割を果たせない。

重きは軽きの根たり、静かなるは躁がしきの君たり。
是を以て君子は、終日行きて輜重を離れず。
栄観有りと雖も、燕処して超然たり。
いかんぞ、万乗の主にして、身を以て天下より軽がろしくするを。
軽がろしければ則ち本を失い、躁がしければ則ち君を失う。


重爲輕根、靜爲躁君。
是以君子、終日行、不離輜重。
雖有榮觀、燕處超然。
奈何萬乘之主、而以身輕天下。
輕則失本。躁則失君。

老子66

 現政権はアメリカと日本財界の中に巣くう安保利権グループを先導して、国の中心である憲法を自己自身でつかみ、骨抜きにしようとしている。手続きもなく、自分から世界の中枢を握ろうなどというのはできることではない。

 集会に来る人をみていると、みなさん、一人一人で駅の方から歩いてくる。 もちろん、集会では旧職場のE氏に会ったように、前提にはさまざまなネットワークがある。その中心が国会に向いている。今週金曜まで行ける方は、一度は国会に行かれて、そういう様子を見られますように。

 老子のいうように、世界の中心は不思議に満ちている。


29  世界の中心は不思議に満ちている。
 自分から世界の中枢を握ろうなどというのはできることではない。世界の中心は不思議なことで満ちている。それは行為の対象ではない。それをすれば壊れるのは自分であり、つかんだと思ったものは失われる。
 先を行こうとする人がいれば、成り行きにまかせようという人がおり、熱くなる人がいれば、それを吹いてさまそうとする人がいる。強剛な人がいれば柔和な人もいる。物事を培かう人がいれば破壊する人もいて、人によって様々だ。
 ともかく、原初の聖者は声を荒げたり、身を飾ったり、偉そうにするのを笑うだろう。

将に天下を取らんと欲して之を為さば、吾、その得ざるを見るのみ。天下は神器なり、為すべからず。為す者は之を敗り、執る者は之を失う。
故に物は、あるいは行き、あるいは随い、あるいは歔(きょ)し、あるいは吹き、あるいは強く、あるいは羸(よわ)く、あるいは挫し、あるいは落つ。
是を以て聖人は、甚を去り、奢を去り、泰を去る。

 昨日はついでに、国会図書館によって『老子』の現代語訳で入手していない加藤常賢氏のもので、古い物と新しい物の関係を確認してきた。新しいもの『中国の修験道』を古書でかえばよいということがわかって購入。

 しかし、驚いたのは、白いトラック、まっしろにぬられた、いわゆる街宣車が3台、国会の周辺をまわっていて、その巨大な横腹に、「見殺しですか天皇陛下・餓死させられる一億もの自国民を」という字が大書されていたこと。これは憲法の天皇条項を直接に攻撃するということのように思える。これは不思議というより驚いたこと。

2015年9月15日 (火)

歴史学研究会の「戦後70年首相談話に対する声明」

歴史学研究会の「戦後70年首相談話に対する声明」

 第二次世界大戦の終結から70年にあたる今年、閣議決定を経た首相談話が、8月14日に安倍晋三首相より発表された。そこには、内外の世論を意識して、「侵略」「植民地支配」「反省」などの用語が盛りこまれてはいたが、いずれも過去の首相談話を引用する間接話法や、戦後日本の立場をめぐる説明のなかに登場するのみで、安倍首相自らの言葉としては用いられていない。加えて、「侵略」「植民地支配」の主体があいまいで、日本が起こした侵略戦争であることを明記していないため、談話は、責任の所在、ひいては「反省」をする主体も明らかにしていない。歴史学研究に携わる立場から、私たちは、とりわけ歴史的事実および歴史認識に関わる以下の3点を看過できない。

 第一に、近現代日本の対外関係のとらえ方である。談話は、日本の19世紀を、欧米諸国による植民地化への危機感のなかで近代化を遂げ、独立を守り抜いたとする一方、朝鮮の主権を侵害し、台湾を植民地化した事実を無視している。そのうえで、日露戦争から20世紀を説きおこし、植民地支配のもとにあった「人々を勇気づけ」た、と一面的に評価する。しかし、日露戦争は何よりもまず、満洲など中国東北部と朝鮮半島の支配権をめぐる日本とロシアの戦争であり、おもな戦場もそれらの地域だった。いいかえれば、帝国主義的な野心をもって、戦場となった非当事国の人びとの人権を侵害しながら続けられた戦争である。日露戦争の際、日本は、朝鮮の中立宣言を無視し、ソウルを制圧したうえで、日韓議定書などを強要した。こうした事実に一切触れないことで、植民地支配の責任はそもそも欧米にあると印象づけ、日本固有の責任を希薄化させようとしている。

 第二に、第二次世界大戦に至る歴史的経緯の理解にも問題がある。とりわけ世界恐慌以降、欧米諸国が経済をブロック化したことによって大打撃を受けた日本が、国際的に孤立し、力の行使による「解決」へとむかったと表現し、「国内の政治システム」が「その歯止めたりえなかった」とするのは、日本を受動的・被害者的な位置においた、自己弁護的な歴史把握である。これは、日露戦争の理解と同様、大陸侵略の事実から目をそらし、その主体や責任の所在をあいまいにするものである。

 第三に、植民地支配および戦争の被害者に対する、加害者としての主体性・責任意識の欠如が指摘されねばならない。談話は、「慰安婦」問題への直接的な言及を避け、これを女性一般の戦争被害の問題に触れるだけで済ませている。このような表現は、「慰安婦」問題を戦争一般の問題として扱い、日本固有の責任を回避しようとする姿勢にほかならない。また、「国内外に斃れたすべての人々」というひとくくりの表現にすることで、加害と被害の関係をあいまいにし、朝鮮人・中国人などの強制連行、捕虜・一般市民に対する虐殺、引揚げに際しての混乱や悲劇などの具体的な事例についても、一切触れていない。それらは、日本が植民地支配および戦争の責任として引き受け、引き継ぐべき、大きな課題である。談話は、国際社会が期待する日本の戦争責任への真摯な態度を示したとはいえず、歴史学の多くの研究が掘り起こしてきた事実ともほど遠い内容である。
 
 以上の3点が象徴しているように、今回の首相談話の基調は、独善的な歴史認識に貫かれており、安倍首相、ひいては日本政府の不見識を国際社会に示すものである。談話の内容が、小中高校などの教育現場や教育内容へのさらなる干渉の根拠になりかねないとの懸念もある。また談話は、「私たちの子や孫」以下を「あの戦争には何ら関わりのない」世代と位置づけ、謝罪の打ち止めを謳ってもいる。加害の歴史を正視せず、向きあうべき歴史をあいまいにしたまま、被害国・被害者の「寛容」にすがって一方的に謝罪に幕引きをはかろうとするのは、それこそ加害国・加害者の横暴である。
 私たちは、戦争を直接知る世代が、ひとり、またひとりと少なくなっていくなか、蓄積された歴史学の研究成果をふまえて、歴史と正面から向きあい続けていくことをあらためて決意する。それとともに、日本政府が、今回の談話で示した歴史認識をただしたうえで、「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任」を、率先して、誠実に果たしていくことを強く求めるものである。

2015年9月14日
歴史学研究会委員会

 上記の声明がメールで届いた。
 
 歴史家の書いた文章であるということがすぐにわかる。具体性と感情と論理のつながり方のようなものが身に親しい文章である。
 意見の伝達が瞬時に行われる。これはどういうことなのだろう。
 本当に瞬時につたわってくる。相手の脳髄の意識の内容がそのまま伝わってくる。
 このような形で真偽性が巨大な篩いによってザーと音を立てて露出してくる。
 このスピードは止めることができないだろう。根っこには歴史学のあ岩盤がある。
 
 日曜に京都から帰った。
 一週間はさすがに疲れた。
 前半は、徳一論の仕上げ、後半は最近こっている老子の現代語訳。
 昨日は、『基本の30冊 日本史学』の校了。徳一論の完成と送付で終わった。
 今日は鍼にいって、その後、国会周辺に行く予定。
 昨日の夜は眠れず、多和田葉子さんの『言葉と歩く日記 (岩波新書)』を読む。
 歴史家の生活と言葉自身をあつかう人の生活の違いを考える。中国での経験、この一週間の経験を考え、言葉自身をあつかう人から学ぶことは多いのではないかと反省。
 

2015年9月 7日 (月)

河野自衛隊統幕長の文書の徹底した審議を求める

 安保法制の状況が目を離せない。

 一番大きいのは河野自衛隊統幕長が、昨年12月に訪米した際、17日、オディエルノ米陸軍参謀総長と安保法制について先行的に議論していた問題である。総選挙は14日。この日本共産党仁比聡平議員が示した統合幕僚監部の内部文書「統幕長訪米時の(ママ)おける会談の結果概要について」の日付は同24日付けである。統幕長が、総選挙直後に日本をでてアメリカ軍と相談し、「現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思うが、予定通りに進んでいるのか」と米軍に問われ、「与党の勝利により来年夏までに終了と考える」と発言している。これは自衛隊がアメリカ軍の意思と密接な関係をもって政治的に動いていることを否定しがたい形で示している。この報告文書の日付が、安倍内閣の発足と同じ日、24日であるというのが何ともいえない。この軍事的枠組と米軍注視のなかで自民党と公明党が安保法制を「予定」通り進めているということである。

 米軍と自衛隊が了解し合っている「予定」というものがあるのである。この予定はアメリカ軍が次ぎに他国を攻撃するときに実地に動き出すことになる。それはやはりまずいだろう。

 国会は翌年1月26日開会、与党(自民党・公明党)協議は、2月13日開始である。公明党はさすがに12月の河野自衛隊統幕長の動きでは局外にいたであろう。こういう問題で、局外におかれていたというのは決定的な問題である。この政党は、本来、「平和」を掲げていた政党であるから、ここで連立を離れるのが、この政党の将来にとっては一番よいのではないかと思える。この文書は、それだけの意味とインパクトをもっている。
 
 そもそも閣議決定は5月24日である。閣議決定の五ヶ月前に、つまりキャビネットが意思を確認する五ヶ月前まえに、自衛隊トップとはいっても、一省の部下が先行して法案の成立について他国の軍部と相談するというのは越権行為である。
 
 早く全文が公開され、河野氏が何をどういったか、それに政府および自民党がどう関わっていたかが、白日の下に明らかにされねばならない。

 総選挙では、安保法制は議論にもなっていなかった。この統合幕僚監部の内部文書が示したのは、自民党は安保法制の翌年8月に成立させるという予定を選挙前、選挙中、選挙後に意識的に隠していたということである。国民の認知していないところで、安倍政権と自衛隊トップが緊密な連絡をとって米軍の下で自衛隊が行動する方向で自衛隊が動いている。

 すでに昨年7月に千葉県・習志野駐屯地の中央即応集団所属の第1空挺(くうてい)団が、アメリカ本土の米軍基地で、パラシュート降下による「敵基地の征圧訓練」を米陸軍と実施していることも報道された。同空挺団の海外での降下訓練は創設(1954年)以来初めて。陸自の第1空挺団員約50人と米陸軍歩兵旅団戦闘団約500人が、米軍横田基地所属のC130輸送機に同乗していっせいに降下、「ドネリー訓練場にある滑走路を設定し、降下場を確保した」(陸幕)というもの。右の統幕部文書にはアフリカ、ジブチの自衛隊基地について「今後の幅広い活動のため利用を拡大させたい」ともあり、アフリカまで、米軍と共同作戦を展開することは既定方針として語られている。

 太平洋の上、戦争情報システムによって一体化した空中と海面と海中に存在する日米の武力はすでに膨大なものとなっている。それを世界中に発動するための調整が米軍と自衛隊のなかで進展している。しかも、そのキーが、沖縄の辺野古に巨大基地を作ろうという動きとシンクロしている。右の統幕部文書には「沖縄県知事選挙時にはリバティーポリシーの実施、地域情勢に配慮して頂き感謝する。結果として普天間移設反対波の知事が就任したが、辺野古への移設問題は政治レヴェルの議論であるので、方針の変更はないという認識である。安倍政権は強力に推進するであろう」と述べて、米軍の選挙協力に感謝している。米軍と自衛隊は沖縄に対して明瞭に県民の意思とは違う政治計画をもって動いているのである。これは日本が独立国であるとすれば、許されないことである。

 国家機構のなかでの安保法制と自衛隊の位置がアメリカがらみで強化されているのは分かっていたが、これが国家予算のなかで拡大しているのが不気味なことである。東京新聞9月3日 朝刊によれば、二〇一六年度の概算要求で防衛省が過去最大となる五兆九百十一億円を求めたが、他省庁でも安倍政権の安全保障重視の方針を利用して予算を確保しようという姿勢は強まっている。とくに文部科学省の主な概算要求をまとめた「概算要求主要事項」には「安全保障・防災/産業振興への貢献」という分野があり、文部科学省が大学を軍事研究に誘導する動きとの関係で見過ごせない。これは国家のなかでの自衛隊の位置の突出をまねく。
 
 自衛隊も官庁機構も、特定の政治勢力の主張にそって行動してはならない組織である。しかし、安倍政権の基盤は、明らかにそこににある。

 現在の自民党は、先回の総選挙では、比例は自民党は33パーセントの支持であった。投票率は53パーセントであったから、国民のなかでの厳密な支持率、純得票率は17、16パーセントとである。これは60年代の過半数以上の支持のあった自民党とは違う。名前は同じだが中身は大きくかわっている。そして自民党の恒常的な支持者は実際上、2割を切っている。これに公明党の支持をつけてどうにかもっている。いちおう「多数」の顔ができるのは、小選挙区制と公明党のお陰だ。こういう状態を自民党はよく知っているのであろう。そのために、国家機構のなかに支持基盤を置くほかないということであろうが、それは蛸が自分の足を食うようなものだ。

 日テレ世論調査によると、安保関連法案を今月27日に会期末を迎える今の国会で成立させることについて、「よいと思う」は24.5%(前月比-5.0P)で、「よいと思わない」が65.6%(前月比+7.8P)に上ったということである。

 厳密にいえば2割しか支持がない政党が国民の多数意見に反して、国の基本にかかわる問題について、その変更を強行するというのは許されないことだ。これは安保法制が「違憲」かどうか、さらにはそれに賛成か反対かということよりも前の問題だ。

 米軍と自衛隊が了解し合っている「予定」の実態が広く知られていけば、この「よいと思わない」が75%から80%になるだろう。そうならない前に強行採決ということを考えている人々が確実にいるというのが不気味な話である。国家というものは、公明正大でなければならず、そういう操作があってはならないものだと思う。

 私の経験したアメリカ軍の戦争、ベトナム戦争、ラテンアメリカへの侵攻、イラク戦争はすべて不道なものであった。これは少しでも事実を知れば明らかなことだ。

私は、最近、『老子』にこっている。明日からは御寺へのご奉仕なので、暇をみつけて『老子』超訳の仕事を続けるつもり。

老子30章の試訳

 政治に関わろうとするならば、
 武力で世界に出ていくようなことはするな。
 それは遅かれ早かれ報復を呼ぶ。
 軍隊の駐留したところは荊棘(いばら)の荒野となり、
 戦争の後は飢餓が続く。
 交渉の結果がすべてで、それは必ずしも武力によらない。
 守り抜いたからといって慢心してはならず、
 攻めようなどと考えてはならない。
 武に驕るなどということはあってはならない。
 自衛のためやむをえないとはいっても、
 軍を強化することにこだわってはならない。

 ものごとは強壮に流れると、やがては衰えてしまう。
 それは道をはずれた振る舞いというものだ。
 道をはずれた振る舞いは長続きしない。


老子30章
 道を以て人主を佐くる者は、兵を以て天下に強いず、
 其の事は還るを好む。
 師の処る所は、荊棘ここに生じ、
 大軍の後は必ず凶年あり。
 善くする者は果のみ、以て強いるを取らず。
 果に矜ることなく、
 果に伐ることなく、
 果に驕ることなく、
 果ちてやむをえずとし、
 果ちて強いることなし。
 物は壮なれば則ち老ゆ。
 是を不道と謂う。
 不道は早くやむ。

2015年9月 6日 (日)

老老子19 政治が「聖」「智」などの題目で自己を飾るのをやめさせれば

老子には政治の廃絶、政治からの解放という思想があると思う。
これは東アジアの思想として大事なものであると思う。老子の言葉からは怒りのようなものが伝わってくる。

老子19
政治が「聖」「智」などの題目で自己を飾るのをやめさせれば
私たちの利益は百倍にもなる。
政治が自分の側に「仁義」があるなどというのをやめさせれば
私たちのもつ仁義が明らかになる。
政治に「巧利」の術があるというのは
それが盗賊の巣であるということだ。
政治家には、こういう言い方でわからないだろうか。言葉を継げば単純な話だ。
自分の素地を朴訥に語れ。私心を忘れて欲望を抑えよ。

2015年9月 5日 (土)

『老子』69 兵法は闘いの法である。

老子69
兵法は闘いの法である。
闘いの時は、相手が主宰者で、私たちは支配されている。
相手の強いところには踏み出すな。
ずっと下がって相手を包囲する。
陣地のない闘いを覚悟し、腕はあげずにみんなと組み、武器はとらない。
そうすれば敵はいなくなる。
禍は敵を軽んずることから始まる。
敵を軽んずることは、ほとんど自分たちの宝を失うことに同じだ。
力が拮抗したときには、宝を失う哀しみが強い方が最後の勝利者となる。

 神話論の「石母田正の英雄時代論と神話論を読む−−学史の原点から地震・火山神話をさぐる—」の最終稿を今日中に送ることができそうだ。
 来週の出張の準備がおわれば、明日は新宿にいって学者の会の行動に参加できそうだ。
 

2015年9月 4日 (金)

老子57

老子57
 国には正義が必要であり、
 争いを収めるには人の意表にでなければならない。
 しかし世界が求めているのは無為だ。
 世界に制約が多ければ人の心は貧しくなり、
 人の心がとがってくれば、
 国は混沌にしずむ。
 そうなれば人の智恵は
 よくは働かない。
 法律を守れといいながら
 国は盗賊の家になっていく。
 
 私はいいたい。
 無為が広がって人に影響し、
 誰もが静かな明け暮れを好んで
 人が正義に生き、
 誰もが無事に生きる中で
 暮らしの豊かさが広がり、
 そして誰もが無欲になる中で
 素朴という原初の徳がみなおされることを

老子74

アーシュラ・K・ルグィンの「Lao Tzu Tao Te Ching」、老子の英訳を読んでいる。
眠れぬまま、老子74を訳してみた。これまでの訳は、ルグウィンのものもふくめて、老子を政治的に読み過ぎているように思う。

 人が死に近づいていく定めを怖れなければ
 死は禍々しい姿をみせない。
 禍々しい死への怖れが人に常に取り付いてしまうのは
 どこかに悪の親玉が生まれているからである。
 彼を捜し、おのもおのもの力を集めて殺さねばならない。
 それを首切役に委ねてはならない。
 首切役は自分の役目を大工が木を切るのと同じだと考える。
 人の首を木のように切る大工の手は癒えない傷をうけ、そこから腐敗がはじまる。

 ある友人に教わって加島祥造「タオ」を頼んだら今日、届いた。しかし、これもどうかと思う。老子のいうことはもっと個人的なことのような気がする。友人は老子のずるさ俗的に賢いところがきらいだといっていたが、そこまではまだみえない。倭国神話のことをやり始めて、荘子を読むことはどうしても必要になり、その延長のようにして読んでいるが、面白いうものだ。

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