『老子』35章。超越的な「道」の理路をとることを、巨象に乗って天下を往くようなものだという比喩で論じている。
35 大きな象に乗って天下を往く
巨象にのって天下を往けば、往って害されることはなく、平らかで泰らかである。音楽と餌は(象だけではなく)旅人の足を止めるが、過ぎゆく道自体の側からいえば、それらは淡々としていて、味は消えていく。そもそも、先に述べたように、そういう大道は、目をこらしても見えず、耳をすましても聞こえず、用いても変化のないものなのだ。
大象を執って天下を往かば、
往きて害せられず、即ち平泰なり。
楽と餌とは、過客を止めるも、
道の言に出だすは、淡乎として其れ無味なり。
之を視るも見るに足らず、之を聴くも聞くに足らず、
之を用いて尽すべからず。
執大象天下往、
往而不害、即*1平泰。
樂與餌過客止、
道之出言、淡乎其無味。
視之不足見、聴之不足聞、
用之不可尽。
解説
超越的な「道」の理路をとることを、巨象に乗って天下を往くようなものだという比喩で論じている。殷の時代には建築工事に巨象を用いたといい、中国南部では象はやや後までも残った。甲骨文字の「為」は、この象を使役している字形である。もちろん、「大象」という語は、「大像」(大きな形)に通ずるニュアンスをもっている。一四章では、「道」の運動を「物のない象」といい、四一章でも道を「大象」と形容し、それは「無形」であるといっている。「大象」を動物の象と理解するというような解釈は、知る限りは存在しない。しかし、そうした方が哲学詩のイメージがわく。
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