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2015年9月26日 (土)

法曹界の動きは国家機構内部の分岐を意味する

法曹界の動きは国家機構内部の分岐を意味する

 安保法案をめぐるここしばらくの状況で、もっとも驚いたのは法曹界の動きであった。とくに内閣法制局の長官経験者のほとんどが安保法制を違憲といい、しばらく前には最高裁元長官の山口氏が違憲という意見を公表し、弁護士出身とはいえ、最高裁判事が国会で安保法制を違憲であると証言した。

 法曹界は、国家機構の中枢部における動きを実感としてとらえられる業界である。法学の学者たちがはっきりした発言をするようになったことには、すでに彼らのアンテナに、このような法曹界全体の雰囲気が伝わっていたという条件があったのであろうと思う。

 国家機構のなかで、事実として、重要な分化、分岐が発生しているということである。これは基本的にはよく組織されている日本の国家機構における事態としては歴史的な変化である。欧米では、国家機構内部で司法中枢が独自の動きをするというのはよくあることであるが、日本では、きわめて珍しい。私は現代史ではないので、史料にそくしていうことはできないが、おそらく第二次世界大戦の終了後、はじめてのことではないだろうか。

 もちろん、法曹界はようするに既得権集団であり、所詮、エリートのいうことだ。専門家が専門家であるというだけで、その主張をただ納得するのは権威主義だという反応があるだろう。法曹界は、基本的には、ここ20年ほどの政治の大枠に異議をとなえていないのだから、今になって、そんなことをいうのかという意外感はあるだろう。安保法制に賛成であるという立場からいわせれば、さらにいろいろな意見がありうるだろう。そもそも、法曹界は国家機構に近いところでももっとも専門性が高く、誇りも高い集団であるから、逆にそれに対する反発がありうるとも思う。法曹界の中枢は、法律という仕事自身の意味を、素人によって無視されたと感じ、さすがに声を上げざるをえないと判断したのだという言い方もできるかもしれない。

 しかし、そういうことがあったとしても、問題は、そのすべてを越えている。安部政治のグループが、法的な判断を行うという職能自体を否定しようとしていると、法曹界の相当部分が感じているのはやはり他人事ではない。これは一つの専門分野の反応ということではすまないのである。このような状態、国家機構内部における分岐・ほころびの事実をどうどう判断するかは、安保法制強行に賛成であるという考え方の人をふくめて、社会人ならば正確に詰めておくべきことだと考える。

 表面から見ると、法曹界の動きは一部エリート、専門家の動きにみえるかもしれない。しかし、法曹界は、官僚組織にもっとも近接したスペシァリストの集団である。このような法曹界の状況は、長期的には、官僚組織の内部に分岐としてはねかえる可能性がある。現在、日本の官僚組織は安部政治のいうことに唯々諾々と従っており、これがアメリカ軍部や財界に近い筋をのぞけば、安部政治のもっとも強い地盤になっている。

 問題は、安部政治の内容が立憲主義に反するというだけではなく、法治主義に反しているということであり、それを自然であると考える人たちがいぇっているということである。しかもさらには彼らに国家の運営能力が本当にあるのかという疑問を増大させざるをえないという状況にある。私は、安部政治の推進者たちの背後にいるのは、日米関係のなかに巣くっているきわめて特殊な利権集団、アメリカ軍部や財界に近い特別の筋、いわゆる安保利権グループであると考える。しかし、そこが国家の枢要事項を操作できるほど、現代国家というのは甘い物ではないだろうと思う。五輪のスタジアム建設をめぐる迷走が示すような政策決定の矛盾、不手際といわざるをえないことは、今後、さらに続くだろう。そうなれば、トップ依存の官僚組織の中も、そのままではいない。法曹界は、その場合のもっとも大きな共鳴板となる。

 私は、災害と原発事故に対する法学の動きをみていて、これで法曹界・法学界は平気なのかと感じ、批判をブログにも書いた。しかし、考えてみれば、日本社会では、学界が動くときは法学界(あるいは政治学界)が表にたつことになっていた。まず大正デモクラシーでは吉野作造であり、美濃部達吉の天皇機関説が国会で攻撃されたときにも大学と学界は大きく動いた。第二次大戦後の全面講和のとき、60年の安保強化改訂問題のときも政治学・法学の動きは大きかった。これと同じようなことがいま起きているということなのだと思う。しかも、今回、それらを越えて、法曹の現場が動いたのはきわめて大きい。いわゆる「政治改革」=小選挙区制の導入で、政治学界が大きくそれに関わった関係もあって、政治学の動きが低調ななかであるから、法学と法曹界の動きは大きな意味があったと思う。

 日本の国家中枢には立憲主義・民主主義のみでなく、法治主義そのものを無視する傾向が強いから、こういう形で法学界が前面に立つことになるのには相当の理由があるのだと思う。それをふまえて、学界は法学界を支持し、強く応援して社会的に行動することを重視することになる。それによって、この安保法制の問題は、単に一つの分野の仕事や専門性、そしてその慣行や利害に関係するものではなく、より全面的な問題であることを明瞭にしていかねばならないと思う。

 仕事の分野によっては、いまは人ごとにみえる場合もあるかもしれない。しかし、安保法制の問題は、すべての人びとの仕事と生活に必然的にかかわってくる問題である。学界というのは、カナリアのような存在であって、危険を感知するのは、その社会的責務である。その意味で、学術の相互の連携がゆるがせにできないものとなっていると思う。とくに心配なのは、社会科学のなかでは経済学の動きが極めて鈍く、自然科学の中枢部にもほとんど動きがないことである。せっかく動き出した学生たちのためにも、という前に、私たちの学問の誇りにかけて、全体が動けるような学際的な議論を組み立てることができるかという問題である。

 問題の入り口は安保法案である。これは実際に戦争に結びつく可能性がある問題であって、危機は深いと思う。しかし、私は、学術にとっての試金石は、やはり、3,11をどう考えるかということだと思う。災害と原発をめぐる社会科学、人文科学、自然科学の学際的協働であろうと思う。すこしだけ調べてみたが、法学の場合も、災害法学といわれる分野に、法学全体がどう関わっていくかが大きいように思う。ともかく、学者として、学問のレヴェルから、おのもおのもががんばらねばならない。

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