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2015年9月24日 (木)

老子39と42。日本神話を読むための老子

 地震火山神話を中心に神話論をやっていますが、『荘子』を読まねばならず、必然的に『老子』に迷い込みました。形而上学化した荘子にくらべ、老子では神話論的イメージが素朴で、生き生きとしているというのは、いわれるところです。

 私は漢文教育復活論者ですが、その場合、小学校では論語がよいでしょうが、しかし、中学では老子をやったらどうかと思います。老子の方が若者のつらさには響くものがあるのではないでしょうか。

 私は文学の授業には『古事記』を加えたいという益田勝美さんの意見に賛成です。その場合、日本の神話には宇宙論的な要素が少ないのが問題で、これを『老子』で補うことができるのではないかと思います。
 
 我々の世代だと中国の「文化大革命」のときの滑稽な「批孔」の問題があり、不思議の感を持ちました。そののち、蔵原惟人氏の中国哲学論を読み、それ以来、中国哲学をどう学ぶかということは私にとって大事な宿題でした。意外なルートで『老子』を読むということになり、喜んでいるのですが、これまでの現代語訳には納得できないものを感じます。もちろん、素人ですから、先学を簡単に批判すべきではありませんが、あまりに世俗的な読み方になっているか、形而上学をそのまま繰り返すようになっているかのどちらかになってしまう向きを感じます。しかし、老子は日本でもっとも詳細に読まれている古典であることがよくわかりました。
 
 中学生に読ませようとしたら、いろいろな工夫がいるのではないか。いや自身で読むのにも現代語訳をしないとわからないということで、だいたい半分近くの翻訳を終えました。
 
 これは少しものになりそうなので、本格的に勉強するために『津田左右吉全集〈第13巻〉道家の思想とその展開 』を注文しました。私は津田左右吉は端本でもっているのですが、これは読んでいません。

 これを読んだら、また神話論に立ち返ろうとしています。
 
 以下、39章と42章です。これは神話論に直結するところで、『古事記』『日本書紀』の冒頭を読むためにどうしても必要と思ってやったものです。

39 万物の霊長の誉れ
 本来の初発は次のようなものだ。つまり天は初発から清澄であり、地は安寧である。神は初発から霊魂をもち、谷の女神は最初から孕んでいる。万物は初発において生じており、その王たる人間も初発から世界の長であった。
 天は清澄でなければ破裂するし、地は安寧でなければ傾廃する。神に霊魂が宿っていなければ心が動かなくなり、谷神が孕まなければ身体が尽きてしまう。万物が最初に生じていなかったら、まさに今滅ぶところになり、王たる人間が万物を貴ぶことがなければすぐに躓いて倒れてしまう。
 こうして天と地、神と谷神、万物と人間が、初発から貴賤と高下でつながれており、その貴きは賤しき、高きは下きをもって根源とするのが定めなのである。
 万物の霊長であり、王である人間は、世界の孤児であり、寡であり、僕であるとへりくだらなければならない。これこそ、賤しいものが根源となるということである。そうなのだ。だから王という誉れを数え致(きわ)めていくと、それは誉れではない。王の身分であるからといって美しい琭玉を欲してはならない。むしろ落ちている石のようでなければならない。


昔の一を得る者、
天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く、
神は一を得て以て霊に、谷は一を得て以て盈ち、
万物は一を得て以て生じ、侯王は一を得て以て天下の長と為る。
それ之を致せば、
天は以て清きこと無くんば、将に裂けるを恐れんとす。
地は以て寧きこと無くんば、将に廃くを恐れんとす。
神は以て霊なること無くんば、将に歇むを恐れんとす。
谷は以て盈つること無くんば、将に竭くることを恐れんとす。
万物は以て生ずること無くんば、将に滅ぶを恐れんとす。
侯王は以て貴高なること無くんば、将に蹶づくを恐れんとす。
故に貴きは賤しきを以て本と為し、
高きは下きを以て基と為す。
是を以て侯王は自ら孤、寡、僕と謂う。
此れ賤しきを以て本と為すに非ざるや。
故に数々(しばしば)の誉れを致せば、誉れ無し。
琭琭として玉の如きを欲せず、落落として石の如し。

42 永遠の時間と無限大の空間
 道があって、そこから初発が生じるが、一は二になり、二が三になって急速に万物が生じていく。万物は、永遠の時間のなかで、背に月の陰を負い、前に太陽の陽を抱き、無限大の空間のなかで、沖天の気をもって声を上げ、声を和せる。
 人は孤であり、寡であり、僕であることをいやがるが、しかし、万物の王たるものとして、これは誉称である。万物は損じたようにみえて益し、益したようにみえて損ずるものである。このような損益の関わりについて、人の教えることを私も端的にいってみるとすると、強すぎるものは死に方がむずかしいのだ。私は「孤・寡・僕」というのを教えの始めとしたい。


道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。
物は陰を負いて陽を抱き、沖気もって和を為す。
人の悪む所は、唯だ孤・寡・僕なるも、而も王公は以て称と為す。
故に物は或いは之を損じて益し、或いは之を益して損ずる。
人の教うる所は、我も亦之を教えん。
強梁なる者は其の死を得ず。
吾れ将に以て教えの甫と為さんとす。

字は直してしまう。読みやすいテキストにしてしまう。字の原義に関わるものは特に大事にする。老子を読むことは漢字をつかって抽象的な思考をする訓練であると考えることができるように思います。一種の散文詩のように書く感じでやっています。

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