河野自衛隊統幕長の文書の徹底した審議を求める
安保法制の状況が目を離せない。
一番大きいのは河野自衛隊統幕長が、昨年12月に訪米した際、17日、オディエルノ米陸軍参謀総長と安保法制について先行的に議論していた問題である。総選挙は14日。この日本共産党仁比聡平議員が示した統合幕僚監部の内部文書「統幕長訪米時の(ママ)おける会談の結果概要について」の日付は同24日付けである。統幕長が、総選挙直後に日本をでてアメリカ軍と相談し、「現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思うが、予定通りに進んでいるのか」と米軍に問われ、「与党の勝利により来年夏までに終了と考える」と発言している。これは自衛隊がアメリカ軍の意思と密接な関係をもって政治的に動いていることを否定しがたい形で示している。この報告文書の日付が、安倍内閣の発足と同じ日、24日であるというのが何ともいえない。この軍事的枠組と米軍注視のなかで自民党と公明党が安保法制を「予定」通り進めているということである。
米軍と自衛隊が了解し合っている「予定」というものがあるのである。この予定はアメリカ軍が次ぎに他国を攻撃するときに実地に動き出すことになる。それはやはりまずいだろう。
国会は翌年1月26日開会、与党(自民党・公明党)協議は、2月13日開始である。公明党はさすがに12月の河野自衛隊統幕長の動きでは局外にいたであろう。こういう問題で、局外におかれていたというのは決定的な問題である。この政党は、本来、「平和」を掲げていた政党であるから、ここで連立を離れるのが、この政党の将来にとっては一番よいのではないかと思える。この文書は、それだけの意味とインパクトをもっている。
そもそも閣議決定は5月24日である。閣議決定の五ヶ月前に、つまりキャビネットが意思を確認する五ヶ月前まえに、自衛隊トップとはいっても、一省の部下が先行して法案の成立について他国の軍部と相談するというのは越権行為である。
早く全文が公開され、河野氏が何をどういったか、それに政府および自民党がどう関わっていたかが、白日の下に明らかにされねばならない。
総選挙では、安保法制は議論にもなっていなかった。この統合幕僚監部の内部文書が示したのは、自民党は安保法制の翌年8月に成立させるという予定を選挙前、選挙中、選挙後に意識的に隠していたということである。国民の認知していないところで、安倍政権と自衛隊トップが緊密な連絡をとって米軍の下で自衛隊が行動する方向で自衛隊が動いている。
すでに昨年7月に千葉県・習志野駐屯地の中央即応集団所属の第1空挺(くうてい)団が、アメリカ本土の米軍基地で、パラシュート降下による「敵基地の征圧訓練」を米陸軍と実施していることも報道された。同空挺団の海外での降下訓練は創設(1954年)以来初めて。陸自の第1空挺団員約50人と米陸軍歩兵旅団戦闘団約500人が、米軍横田基地所属のC130輸送機に同乗していっせいに降下、「ドネリー訓練場にある滑走路を設定し、降下場を確保した」(陸幕)というもの。右の統幕部文書にはアフリカ、ジブチの自衛隊基地について「今後の幅広い活動のため利用を拡大させたい」ともあり、アフリカまで、米軍と共同作戦を展開することは既定方針として語られている。
太平洋の上、戦争情報システムによって一体化した空中と海面と海中に存在する日米の武力はすでに膨大なものとなっている。それを世界中に発動するための調整が米軍と自衛隊のなかで進展している。しかも、そのキーが、沖縄の辺野古に巨大基地を作ろうという動きとシンクロしている。右の統幕部文書には「沖縄県知事選挙時にはリバティーポリシーの実施、地域情勢に配慮して頂き感謝する。結果として普天間移設反対波の知事が就任したが、辺野古への移設問題は政治レヴェルの議論であるので、方針の変更はないという認識である。安倍政権は強力に推進するであろう」と述べて、米軍の選挙協力に感謝している。米軍と自衛隊は沖縄に対して明瞭に県民の意思とは違う政治計画をもって動いているのである。これは日本が独立国であるとすれば、許されないことである。
国家機構のなかでの安保法制と自衛隊の位置がアメリカがらみで強化されているのは分かっていたが、これが国家予算のなかで拡大しているのが不気味なことである。東京新聞9月3日 朝刊によれば、二〇一六年度の概算要求で防衛省が過去最大となる五兆九百十一億円を求めたが、他省庁でも安倍政権の安全保障重視の方針を利用して予算を確保しようという姿勢は強まっている。とくに文部科学省の主な概算要求をまとめた「概算要求主要事項」には「安全保障・防災/産業振興への貢献」という分野があり、文部科学省が大学を軍事研究に誘導する動きとの関係で見過ごせない。これは国家のなかでの自衛隊の位置の突出をまねく。
自衛隊も官庁機構も、特定の政治勢力の主張にそって行動してはならない組織である。しかし、安倍政権の基盤は、明らかにそこににある。
現在の自民党は、先回の総選挙では、比例は自民党は33パーセントの支持であった。投票率は53パーセントであったから、国民のなかでの厳密な支持率、純得票率は17、16パーセントとである。これは60年代の過半数以上の支持のあった自民党とは違う。名前は同じだが中身は大きくかわっている。そして自民党の恒常的な支持者は実際上、2割を切っている。これに公明党の支持をつけてどうにかもっている。いちおう「多数」の顔ができるのは、小選挙区制と公明党のお陰だ。こういう状態を自民党はよく知っているのであろう。そのために、国家機構のなかに支持基盤を置くほかないということであろうが、それは蛸が自分の足を食うようなものだ。
日テレ世論調査によると、安保関連法案を今月27日に会期末を迎える今の国会で成立させることについて、「よいと思う」は24.5%(前月比-5.0P)で、「よいと思わない」が65.6%(前月比+7.8P)に上ったということである。
厳密にいえば2割しか支持がない政党が国民の多数意見に反して、国の基本にかかわる問題について、その変更を強行するというのは許されないことだ。これは安保法制が「違憲」かどうか、さらにはそれに賛成か反対かということよりも前の問題だ。
米軍と自衛隊が了解し合っている「予定」の実態が広く知られていけば、この「よいと思わない」が75%から80%になるだろう。そうならない前に強行採決ということを考えている人々が確実にいるというのが不気味な話である。国家というものは、公明正大でなければならず、そういう操作があってはならないものだと思う。
私の経験したアメリカ軍の戦争、ベトナム戦争、ラテンアメリカへの侵攻、イラク戦争はすべて不道なものであった。これは少しでも事実を知れば明らかなことだ。
私は、最近、『老子』にこっている。明日からは御寺へのご奉仕なので、暇をみつけて『老子』超訳の仕事を続けるつもり。
老子30章の試訳
政治に関わろうとするならば、
武力で世界に出ていくようなことはするな。
それは遅かれ早かれ報復を呼ぶ。
軍隊の駐留したところは荊棘(いばら)の荒野となり、
戦争の後は飢餓が続く。
交渉の結果がすべてで、それは必ずしも武力によらない。
守り抜いたからといって慢心してはならず、
攻めようなどと考えてはならない。
武に驕るなどということはあってはならない。
自衛のためやむをえないとはいっても、
軍を強化することにこだわってはならない。
ものごとは強壮に流れると、やがては衰えてしまう。
それは道をはずれた振る舞いというものだ。
道をはずれた振る舞いは長続きしない。
老子30章
道を以て人主を佐くる者は、兵を以て天下に強いず、
其の事は還るを好む。
師の処る所は、荊棘ここに生じ、
大軍の後は必ず凶年あり。
善くする者は果のみ、以て強いるを取らず。
果に矜ることなく、
果に伐ることなく、
果に驕ることなく、
果ちてやむをえずとし、
果ちて強いることなし。
物は壮なれば則ち老ゆ。
是を不道と謂う。
不道は早くやむ。
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