『老子』69 兵法は闘いの法である。
老子69
兵法は闘いの法である。
闘いの時は、相手が主宰者で、私たちは支配されている。
相手の強いところには踏み出すな。
ずっと下がって相手を包囲する。
陣地のない闘いを覚悟し、腕はあげずにみんなと組み、武器はとらない。
そうすれば敵はいなくなる。
禍は敵を軽んずることから始まる。
敵を軽んずることは、ほとんど自分たちの宝を失うことに同じだ。
力が拮抗したときには、宝を失う哀しみが強い方が最後の勝利者となる。
神話論の「石母田正の英雄時代論と神話論を読む−−学史の原点から地震・火山神話をさぐる—」の最終稿を今日中に送ることができそうだ。
来週の出張の準備がおわれば、明日は新宿にいって学者の会の行動に参加できそうだ。
« 老子57 | トップページ | 老老子19 政治が「聖」「智」などの題目で自己を飾るのをやめさせれば »
「宗教」カテゴリの記事
- 老子には戦争論があります。今の東アジアで重要なものと思います。(2018.02.21)
- 『老子』第一章。星々を産む宇宙の女神の衆妙の門(2018.01.02)
- 『老子』33章「自(みずか)らを知る「明」と「強い志」(2017.11.22)
- 『老子』政治に関わって天下の公共のために働くということ(2017.08.18)
- 『老子』王が私欲をあらわにした場合は「無名の樸」を示す(第三七章)(2017.08.12)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント