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2015年9月23日 (水)

老子が徳政イデオロギーを肯定するとは思えない

 老子32.老子の記述を一種の社会科学的記述と読んでみること。

32 自然の恵みは社会の平等の根拠

 道義の本来の姿には名がない。自然の樹木は、小さなものでも、どれも世界のなかで誰にも属していない無主のものである。王というものは、この無主の境域を確保することによって万物を帰属させようとする。しかし、天地の性が合体して降る甘露のように、自然の恵みがあれば、人々は指示されなくても平等な社会をめざすものだ。

 樹木からなにかを製造して初めて様々な名をもつ物(器物)ができるが、すでにそうなってしまったからには、それを止めることをも知らねばならない。余計なものを制作する無駄を知っていてはじめて、社会は危殆を免れることができるのだ。

 道義というものが世界にある有り様は、どの谷川も、大河と大海があるから均しく流れることができるのと同じだ。


道の常は無名なり。
樸は小と雖も、天下に能く臣とする莫し。
侯王もし能くこれを守らば、万物は将に自ら賓せんか。
天地相合して、以て甘露を降さば、民は之に令すること莫く自ら均しからんとす。
始めて製せられて名あり。名また既に有れば、それ将に止めるを知らんとす。止めるを知るは殆うからざる所以なり。
道の天下に在けるを譬うれば、猶お川谷の江海におけるがごとし。


道常無名。
樸雖小、天下莫能臣。
侯王若能守之、萬物將自賓。
天地相合、以降甘露、民莫之令而自均。
始製有名。名亦既有、夫亦將知止。知止所以不殆。
譬道之在天下、猶川谷之於江海。 

 老子の文中の「王」というものについての記述を一種の社会科学として読んでみるという作業である。つまり、下記の「侯王もし能くこれを守らば、万物は将に自ら賓せん。天地相合して、以て甘露を降さば、民は之に令すること莫く自ら均しからんとす」という部分は、普通「もし王が、この道を守っていけるならば、万民は自ずから従うであろう。天地は和合して甘露をふらせ、人民は命令されなくてもおのずと治まるであろう」などと理解される。つまり、老子がいわゆる徳政イデオロギーを了解しており、それを肯定すると解釈される。
 たとえばもっとも穏当な老子の解説書であり、ヨーロッパ哲学との対照にすぐれた福永光司『老子』は、老子の階級社会批判の強さをみとめながらも、「彼は現実社会の貴賎そのもの、貧富そのものも存在まで根本的に否定するものではない」とする。たしかに老子は原始的な族長の地位はみとめるから、そのように読めるところもあるが、私は根本的にはきわめてラディカルなものと思う。
 上記の文章でも、老子は批判的な解説、あるいは社会科学的な観察をしているのだと考える余地はないのだろうか。
 「樸」という言葉は切り倒されたばかりの樹木という意味であるが、それは自然から切り離されたばかりの有用物という意味で理解される。それはそれ自身としては無主と考えれば、ここで網野善彦氏の無主の原理が働き出すということになる。そういう形で訳してみた。

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