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2015年9月28日 (月)

老子27ここには「善い」ということの説明がある。

27 善き人のもつ襲された光の秘密
 善く旅するものは車馬の跡を残さず、善い話し手は他者を傷つけず、善く数えるものは計算棒は使わない。そして、善い門番は貫木を使わないのに戸を開けられないようにし、荷物を善みに結ぶものは縄に結び目がないのにゆるまないようにできる。神の声を聞く人は常に善く人を世話して、人に背を向けることがない。また物に対しても同じで、物を大事に世話して、それを棄てるようなことはしない。それらは襲された光によって照らされているのだ。そして実は、善き人は不善の人の先生であるのみでなく、不善の人の資けによってこそ善人なのである。師と資(師と弟子)の関係はつねに見えない光によって結ばれている。師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師は、賢こいかもしれないが、かならず自分が迷うことになる。ここに人間というものの不思議さがある。

善く行くものは轍迹なく、善く言うものは瑕讁なく、善く数うるものは籌策を用いず。善く閉ざすものは、関鍵なくして而も開くべからず。善く結ぶものは、縄約なくして而も解くべからず。是を以て聖人は、常に善く人を救い、故に人を棄つること無し。常に善く物を救い、故に物を棄つること無し。是れを襲明と謂う。故に善人は不善人の師、不善人は善人の資なり。其の師を貴ばす、其の資を愛せざれば、智ありと雖も大いに迷わん。是れを要妙と謂う。


善行無轍迹。善言無瑕讁。善數不用籌策。善閉無關鍵、而不可開。善結無縄約、而不可解。是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師、不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。
 
解説
 ここには「善い」ということの説明がある。その要点は、丁寧で善らかな気配りにあるが、それは人間関係を照らす見えない光と、その不思議さへの感性にもとづいたものであるというのである。「師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師」や「親を愛さない子、子を愛せない親」は深刻な問題となるが、それだけでなく、実はどのような場合も、人間の関係というのは相互的なものであって、それは人間の内面は見えないようでいて相互に直感できるということなのである。老子は、人類の「道」の基本には「善」がある。それは性善説などという場合の「善」ではなくて、人間の内面をも照らしだす不思議な光のことだというのである。人間が「類」的な存在といわれるのは、そういうことである。この思想は、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、況や悪人においておや」という断言と相通ずるところがある。親鸞も「弥陀の光」をみているのである。なお、ここから東洋思想には、「悪」に関する深刻な思索と追究がない、「原罪」の観念がないとする見方には賛成できない。『老子』にとっての「悪」は何よりも政治と戦争の悪であった。

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