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2015年10月 1日 (木)

『老子』第一章。道。大地母神の身体に道が通っていって万物が産まれる

 『老子』第一章の「道」についてのもっとも有名な一節について、いちおうの釈読が終わった。

 研究の基本は池田知久氏の仕事や、中国出土文献研究会(代表浅野裕一)の仕事にあるが、私は日本史の研究者なので、研究成果に学んで楽しんで読むということで許していただく。

 しかし、帛書や楚簡の出土は、たいへんなことであるというのを実感する。日本史の研究はなんと言っても津田左右吉の仕事から始まったというのが、私などの意見である。それは津田左右吉がむしろ本質的には東洋思想史の研究者であった以上、東洋史の一部として始まったということである。問題は、津田的な東洋史は、甲骨文の発見ですでに古くなっていたが、それは春秋・戦国時代の理解にまでは影響しなかったことである。帛書や楚簡の出土は、この状態を変化させ、日本史の側からいえば、津田の仕事の古さを点検し、それにもとづいてすべてを点検せざるをえないことになっている状況だと思う。
 
 うかつなことに、私は神話論の分野に入ることによって、その状況を初めて知った。
 
 これを知った以上、神話論をやるのも、いちおうの教養を身につけてからでないとできない。
 ショックだったのは、津田は『老子』が嫌いなのだということを初めて知ったことである。津田の中国論の基本にそれがあったのだ。そして、津田は日本神話のテキストのなかに道教を発見し、それを摘出して日本的なものをもとめてタマネギの皮むきをやったのだということも分かってきたような気がする。

 いろいろ弁解をするが、ともかく、以下は、『老子』を、一種の哲学詩あるいは神話詩と理解して、読みやすく釈読したものなので、勘弁である。


1  大地母神の身体に道が通っていって万物が産まれる
 普通、道徳だとか、道義だとかいわれる道と、ここでいう永遠(恒常)の理法という意味での道はまったく違うものだ。また、普通、名声だとか、有名だとかいわれる名も、ここでいう理法を認識するという意味での名(概念)とはまったく違う。そもそも万物の始めの段階では、道は混沌としていて名づけようのないものだ。(天地が分かれ、陰陽、雌雄の違いとそれにもとづく欲求が生じ)、大地の神の身体に道が通っていって、母神となり、そこから万物が産まれる時に、はじめて万物に名前をつけることができるようになる。だから、永遠の存在のなかに欲求がまだ生まれていないときは、全体の様子は渺々としている。その存在のなかに欲求が生まれて初めて、名前が明らかになってくるのだ。そして、道と、それに対応する認識の両者は、名は異なっているが、同じところから出てきて、同じように玄冥なものである。そして、玄と玄が重なっている場所には、世界万物がうまれる衆妙の門が開いている。

道の道とすべきは、恒の道に非ず。名の名とすべきは、恒の名に非ず。名無し、万物の始め。名有り、万物の母。故に恒の無欲*1にして、以て其の眇を観、恒の有欲にして、以て其の曒なるを観る。此の両者は、同じく出でて名を異にし、同じく之を玄(げん)と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。

道可道、非恒道。名可名、非恒名。無名、万物之始。有名、万物之母。故恒無欲、以觀其眇、恒有欲、以觀曒。此兩者、同出而異名、同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

解説
 永遠なる定常宇宙に動きがあって、ビッグバンが始まる。ビッグバンからしばらく立って物理法則が働き始め、天地が分かれて星ができ、そこに陰陽、雌雄が生じて、欲求が生じた後に、「道=理法」に対する「命名=認識」が始まるということになる。普通、老子は「無欲」の哲学といわれる。しかし、老子の神話的宇宙論では、「道」は実在的なものであるから、それに対応して欲求の存在を認め、それを見つめるところから出発しているはずである。「恒の無欲・有欲」とは、いわば定常宇宙に動きが生まれ、それが欲という拡張システムになっていくというイメージであろう。老子の宇宙論は『恒先』その他の同時期の道家思想の宇宙論を前提にして、それを詩化しているから、言葉を補って読むほかない。この章を詩的に理解する鍵は、道と名の重なる場、自然の理法と意識活動が重なる場を「玄の又玄」として、地母神・谷神たちの「衆妙の門」に結びつけることである。


*1『恒先』に「(万物は)同出なるも性を異にし、因りて其の欲するところに生ず」とある。

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