『老子』第七章。天長地久と天壌無窮。そして老子は処世法か
老子の現代語訳のテキストをいくつか集めたが、かなわないのは一種の世俗的な処世法として老子を読もうとする本である。昨日も図書館で一冊をみたがあわてて返した。むしろ老子は徹底的に危険な思想として読む方がよい。
以下は老子における「宇宙の生成と神話」として考えている一項。
天は永遠に長く、大地も久しく時を刻んできた(第七章)
天は長く地は久し。天地の能く長く且つ久しき所以の者は、其の自らを生ぜざるを以てなり。故に能く長生す。是を以て聖人は、其の身を後にして、身先んじ、其の身を外にして身存す。其の無私なるを以てに非ずや、故に能く其の私を成す。
天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私耶、故能成其私。
天は永遠に長く、大地も久しく時を刻んできた。天地がよく長く久しく続いている所以は、それが自分の発生を意識しないまま存在しているからであり、だからこそかえって、よく長生しているのである。これと同じように、神の声を聞こうとする人も自身の身体を意識しないので、後ろから進んでいくようであるが、結局、その身は先頭に立つことになる。彼らは自身の身体を意識しないので外側にはずれているようであるが、結局、真ん中にきてしまう。それは彼らが無私であるためというべきではないか。だからかえって、彼らはよく自己を成熟させていくのである。
解説
冒頭の「天長地久」という言葉は、きわめて有名なもので、普通、天地の安定を謳歌する、おめでたい文句であるとされている。明治時代には天皇誕生日を「天長節」といったが、本来、天長節というのは、絶世の美人とされる中国の楊貴妃の夫の玄宗皇帝が自分の誕生日を祝日としたのが最初である。老子は李氏と伝承されており(司馬遷『史記』)、唐王朝(六一八〜九〇七年)の帝室も李氏であったために、天子の長寿を祈る祝日を天長節と称したのである。日本でも光仁天皇が七七五年(宝亀六)十月十三日の誕生日に天長節の儀を行なった。しかし、日本では誕生日を祝うという慣習自体が根付かず、以降、天長節の名も記録にみられない。それが復活したのは、一八六八年(明治一)のことで、しばらくして天長節祭という皇室祭祀で祭られた。なお「天長地久」というのは「天壌無窮」と同じことであって(「壌」は地の意味)、天照大神の「天壌無窮」の神勅というものが、万世一系の天皇の神聖な位置を表示するものとして「打ちてしやまん(敵を討ち滅ぼすまで止めないぞ)」というスローガンと一緒になって、戦争中に叫ばれたこともよく知られていよう。この天長節が文化の日(十一月三日)に姿を変えたのは第二次世界大戦後のことである。ここには、長期にわたる東アジアの政治文化が隠されているのである。
しかし、「天長地久」という言葉それ自身も『老子』にあっては決して単に目出度いというものではなかった。『老子』五章には「天地は仁ならず」「聖人は仁ならず」という強烈な思想があることは少し前に紹介した通りである。天地は人間とは関わりなく存在して人間を吹き飛ばすものでもあったのである。老子は、そういう天地と歴史の現実をふまえた上で、人間は天地と同じように、「自らを生ぜざる」という覚悟をもたねばならないというのである。これは自己意識の過剰を放棄するということであろう。
この章の解釈で、一番問題にされてきたのは、それに続く「是を以て聖人は、其の身を後にして、身先んじ」という部分である。これは、普通、「聖人はわが身を人の後ろにおきながら、それでいて自ずから人に推されて先立つ」などと訳されるが、これでは、意識して人の後ろについて、推薦されるのを期待するということになりかねない。これでは「老子のずるい処世法」「計算された功利主義」ということになりかねない。以上を前提にすれば、右に現代語訳をかかげたように、老子は、禅の言葉でいう自己の放下を支持しているのである。それが人の後ろであれ通常をはずれた位置であれ、それは二次的な問題だというのであって、これは「曲なれば則ち全し(負けるが勝ち)」の思想と同じことである。これを「人に推されて先立つ」ことを期待できるなどというニュアンスで読んでしまうのは、前半の「天長地久」の意味が読めていなかったことを示している。
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