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2015年10月22日 (木)

『老子』のラディカリズムと赦しの思想

  『老子』のラディカリズムと赦しの思想 前項の直接の続きです。

62 道は天子と三公の罪も許す。
道は万物の奥にして、善人の宝、不善人の保せらるる所なり。美言は以って尊を市うべく、行は以て人に加わうべし。人の不善なる、何の棄つることか之れ有らん。故に、天子を立て、三公を置くに、璧を供めて以て駟馬に先だたしむること有りと雖も、坐して此れを進むるに如かず。古の此れ貴ぶ所以の者は何ぞや。求めて以て得られ、罪有るも以て免ると曰わずや。故に天下の貴きものとなる。

道者万物之奥、善人之寶、不善人之所保。美言可以市尊、美*1行可以加人。人之不善、何棄之有。故立天子、置三公、雖有共璧以先駟馬、不如坐進此。古之所以貴此者何。不曰以求得、有罪以免耶。故爲天下貴。

 道は万物の奥の幽暗な場所にあって、善人の宝であるとともに、不善の悪人もそれによって守られているものである。飾り立てた言葉でも地位を買い、飾り立てた行為で人に恩をきせるというのは世の常のことであるが、しかし、道は、その種の不善の人々をも見棄てないのだ。そもそも天子を冊立するとか、三公を任命するというのも不善な虚飾の行為そのものであって、その虚飾性は、その儀式で見事な玉を先に立てた四頭だての馬車が前駆することに示されている。そんなことをするのではなく、この道を進言して、その不善を許してあげなくてはならない。古くから、この道が貴ばれているのは何故か。それはこの道によって求めれば与えられ、罪があっても許されるからだ。だから、この世界で無上の価値をもっているのだ。

解説
 本章では、まず前項二七章のいう「不善人は善人の資」という考え方が、道は善人のみでなく、不善の悪人をも守るという言い方で繰り返されている。そして老子は、不善の最大のものが虚飾であるという。老子は、その性格からいっても虚飾というものが蛇蝎のように嫌いだったのだろう。その上で、老子は、虚飾の最大のものとして、天子の即位や三公(大臣)任命そのものを挙げる。老子は、見事な玉を先に立てた四頭だての馬車が前駆する天子即位式や三公(大臣)任命式の儀式が嫌いであるということを越えて、天子の即位や大臣任命ということ自体が、本質的に虚飾の行為、不善の行為であるといっているのだと思う。これは五章の「聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す」に並ぶ強烈な王侯観である。「老子の思想は、君主の存在や国家の行政機構そのものをも否定する無政府主義的な傾向をその根底に内包する」と述べたのは福永光司『老子』(三四四頁)であるが、その通りだと思う。

 上記の現代語訳では、それにそって王侯や卿公は存在自体が虚飾で、その意味で不善人であるという直截な読みをしてみた。そうであるから、その即位・任命にあたっては道にもとづく進言こそが必要であると解釈したのである。これで、文章の通りは非常によくなるのである。それに対して、これまでの現代語訳は、(福永のそれをふくめて)王の即位式などに、見事な玉や四頭だての馬車を並べるのは虚飾なので道にもとづく進言を行うと解釈する。しかし老子がそんな世俗的なことをいうだろうか。ともかくそれでは「人の不善なる、何の棄つることか之れ有らん」という前段と文脈が続かず羅列的な現代語訳になってしまうのである。

 私の現代語訳が正しいかどうかは、今後の議論にまつとしても、昔の中国には、老子の思想を徹底的な王権批判と受け止めた人びとは実際に相当数いた。中国の歴史において、老子を始祖とあおぐ道教が大反乱の旗印となった例はきわめて多い。もっともよく知られているのは、紀元一八四年に起きて後漢の王朝を崩壊に追い込んだ黄巾の大反乱であろうそれは張角という道士が起こした太平道と呼ばれた宗教運動にもとづいていたが、この反乱は数十万の信徒をえて各地に教団を組織したのである。張角の太平道の教典であった太平経には、天の命をうけた真人が有徳の君主に地上世界の救済を教えるという筋書きがあるが、それは『老子』の本章にいうような王侯への進言という考え方にもとづいて創出されたものではないだろうか。そもそも、道教は、この張角という道士が起こした太平道から始まったことは特記されるべきことである。

 さて、以上を前提として本章の後半部を読むと、そこには「古くから、この道が貴ばれているのは何故か。それはこの道によって求めれば与えられ、罪があっても許されるからだ。だから、この世界で無上の価値をもっているのだ」とある。これは前項二七章のいう「不善人は善人の資」(悪人と善人は相身互い)という考え方にもとづく赦しの思想である。福永『老子』は、これが老子の思想のなかでももっとも独自なもので、この赦しの思想こそが、老子の教説が宗教化していく基底にあったのではないかという。ここは決定的なところなので、福永の見解の中心部分を引用しておきたい。

「『汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり』というのはイエスの教えであるが、人間の犯した罪が天に対する告白によって許されるという(老子の)思想は、初期の道教のなかにも顕著に指摘される(いわゆる「首過」の思想)。これは告白という宗教的な有為によって人間が天(道)に帰ろうとする努力であり、老子の不善に対する考え方とはそのままでは同じくないが、道の前に不善が赦されるとする老子の思想は原理的に継承されているといえるであろう」(福永『老子』三八六頁)

 たしかに「求めて以て得られ、罪有るも以て免る」というのは、『マタイ福音書』の「求(もと)めよさらば与えられん」「汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり」と酷似しているのではないだろうか。それは是非善悪の区別を説く儒教や、義と律法の神であるユダヤ教のエホバの神とは大きく異なっている。老子の思想が宗教的な展開をみせたのは、たしかにそれが「罪の赦し」という側面をもっていたためではないだろうか。なお右の引用の中段にある「首過」の思想とは、太平道の教祖にして、実際上、宗教としての道教を作り出した、黄巾の乱の組織者、張角による罪の懺悔(「首過」)のことである。張角は、それによって苦難や病からの解放を説いたという。そのような思想として、老子の思想は「中国における宗教思想の展開のなかで一貫した底流として生命をもちつづけた」(福永『老子』)のである。

 『老子』の教義は、このように、早い時期から宗教的な救済と政治的な急進性の結合をもたらすような内実をもっていたのであるが、もし、前項の末尾で述べたように、老子の思想が親鸞の「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」の思想に影響していたとすれば、親鸞の「赦しの思想」が一向一揆を支えたことも、老子に共通するということになる。ただ、これについてもあまりに本章の解説からはずれるので、最後の付論「老子と日本」で再論することとしたい。

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