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« 日本の神道と神社を東アジアのなかで考えるために。『老子』39 | トップページ | 歴史学における史料の読み。 »

2015年10月27日 (火)

網野善彦さんの無主の思想と『老子』のユートピア、『老子』32

今日は、いちおう、『老子』の仕事は終わり。
これで一区切りである。仕事の計画の再調整に入らなければならない。

天地が合体して甘露をふらせれば人々は自然の恵みを均分する(第三二章)

道の恒なるは無名なり。樸は小と雖も、天下、能く臣とする莫し。侯王、もし能く之れを守れば、万物、将に自のずから賓せんとす。天地、相合して以て甘露を降す。民、之れに令する莫くして自のずから均し。始めて制られて名有り。名も亦た既に有り。夫れ亦た将に止まるを知らんとす。止まるを知れば殆うからざる所以なり。道の天下に在けるを譬うれば、猶お川谷の江海に於けるがごとし。

道恒無名。樸雖小、天下莫能臣也。侯王若能守之、万物將自賓。天地相合以降甘露、民莫之令而自均。始制有名。名亦既有、夫亦將知止。知止所以不殆。譬道之在天下、猶川谷之於江海

 恒遠なる道は名義分明なものではない。自然の樹材は、小さなものでも、どれも世界のなかで誰にも属していない無主のものである。もし諸国の王が、この無主の境域を守るならば、万物は帰属するであろう。また天と地の性が合体して降る甘露のように、自然の恵みがあれば、人々は自分たち自身で均分するものだ。(そういう中で)制限と差異が生まれてくると、名義が分明になってくる。差異と名義が分明になってくると既てを所有することができるが、そこには限界があるものだ。限界で止まることを知っていれば危機をさけることができる。道が差異に満ちた豊かな世界を生み出す様子は、一つ一つの谷が水を集めて大河と大海に注いでいく様子と同じことだ。

解説
 本章も『老子』の宇宙生成論としてまとまった内容をもっている。まず前項まで注意してきた「谷」との関係で重要なのは、「天地、相合して以て甘露を降す」という部分であろう。これは「天地陰陽の二気が調和交合して美味い露を降らせるの意。男女の性のいとなみを自然界の現象に擬人化した古代人の発想」ということである(福永)。

 この天地が合する場というのは「谷」ではないだろうか。これも知識の不足によって倭国神話からの推定にならざるをえないが、先にもふれたように『古事記』では、谷川の女神、瀨織津比咩と、江海から河口に横たわって口を開けている速秋津比売神が、水分の神や久比奢母智(柄杓持、北斗)神などに関わっていることは先にふれた通りである。問題は、この水分神と久比奢母智神にはおのおの「天の神」と「国の神」がいる。まさに天の神と地の神が山谷の場所であう訳である。桃太郎の桃のことを考えれば分かるように、谷川はまさに天地陰陽の二気が交合して万物が生まれ、大地に流れ出てくる場なのである。

 そう考えれば、この「天地相合」の句は、末尾の「道の天下に在けるを譬うれば、猶お川谷の江海に於けるがごとし」にうまく対応してくる。「道が差異に満ちた豊かな世界を生み出す様子は、一つ一つの谷が水を集めて大河と大海に注いでいく様子と同じことだ」と訳してみたが、『老子』は「谷」という言葉のイメージを自在に使っているように思う。

 ともかく、谷は、天と地の接するところであるというのは、そこが無主の自然の場のなかで、もっとも人間の世界に近いところであることを意味する。『老子』に頻出する「樸」とは、切り出したばかりの未加工の樹材をいうが、それは谷に横たえられ、谷をくだされて加工されて器材となっていくのである。本章では、そういう無主の自然を守ることが王権の固有の正統根拠とされており、また自然の恵みが、人々の間での自治的な均分に結びつくとしている。この部分は網野善彦の有名な『無縁・公界・楽』の論理につながるもので、『老子』の論述は見事だと思う。

 しかし、本章で解釈が難しいのは、「始制有名」以下の部分である。問題は「制」の解釈であるが、ほとんどの解釈が「制」を、(その原義にそって)「切る」と理解し、前段の「樸」にひっかけて解釈している。「樸が一たび切られると、そこに名をもつさまざまな器物が生じるが、名をもつ世界がすでに生じたからには、名をもつものの限界を弁えてゆくのだ」(福永)、「樸が切られ始めると名ができてくる。名ができたからには、やはり無欲の気持ちに止まることを知るべきであろう」(蜂谷)などというのである。しかし、これでは率直に言って意味がわからない。

 これらに対して異なるのは、まず武内の意見であって、武内は「制」を「差等」と理解したようで(『荀子』(王制)に「処国有制」とあって、注に「制、亦謂差等」とある)、全体を「無名の道から万物が生じるのを始制有名といったのである。しかし万物は千差万別であるから、人がこれに対するとき必ずそのよきを貴び悪しきを卑しんで名誉心を起こさせる」と解釈している。また長谷川は「制」を制度の意味ととっている。私訳では、これらに寄りつつ「制」を多様性、差異、制限の意にとって、「道」の無主の世界に対する「名」の有主の世界を論じたものとしてみた。「樸」という比喩は大事ではあろうが、しかし、ここは論理の筋を通して理解することが可能であると考えるのである。

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