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2015年10月26日 (月)

歴史学に入っていくためにはどうしても読書の習慣が必要である。

『日本史学』(人文書院)第一部序

Ⅰ読書の初め
趣旨。
 歴史学に入っていくためにはどうしても読書の習慣が必要である。史料はデータベースである程度は代用できるが、研究書の熟読なしに歴史学はありえない。歴史家の読書は同じ本を繰り返し読むことが必要である。私が大学時代に指導をうけたのはヨーロッパ史の大塚久雄先生であるが、その伝記『大塚久雄ーー人と学問』(石崎津義男、みすず書房)には、大塚さんが「自分の読んだ本はせいぜい100冊だろう」といったとある。たしかに専門分野の本で徹底的に読むのは、人間のキャパシティからいって100冊を越えることはできないと思う。
 ここで「読書入門」として挙げた五冊は、まずは読みやすい本という意味である。これらが100冊のうちになるかどうかは後の経過にかかるが、ともかく、歴史学に入門するためには、どうしてもそういう本が必要である。それは、やはり学者の書いたもの、歴史専門書を出版している出版社のものになっていく。そういうなかで駅の本屋などに満ちあふれている「歴史本」を自然におかしいと感じるようになるのが、歴史学の初めの一歩である。
 なお、この中には二冊、考古学の森浩一氏の自伝と『青鞜』の創刊者、平塚らいてうについての伝記的研究がふくまれている。歴史家の作業は孤独な作業なので、ときに憂鬱におそわれることもある。そういう時には自叙伝を読むのが、歴史家にとって最良の元気回復法である。とくに、複雑なことの多かった日本近代の自叙伝は気持ちを静め、深いところから我々を励ましてくれる。私の場合の特効薬は、河上肇『自叙伝』(岩波文庫)、光成秀子『戸坂潤と私――常とはなる愛と形見と』(戸坂潤の愛人の自叙伝、晩聲社)であるが、私のような年になると、先に逝った先輩や仲間の追悼文集も同じ位置をもつことになる。
 どうぞ、気に入った本を発見されますように。

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