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2015年10月21日 (水)

親鸞の「善人なおもて」には老子の影響はないか。

 以下、老子二七章の解説です。
 親鸞に老子の思想の影響があるのではないかというのは、森三樹三郎氏の意見であるが、より具体的にいえば、『老子』27章の「不善人は善人の資」が「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人においておや」に響いているのではないかと考えた。
 いずれにせよ、森三樹三郎と福永光司の老荘思想研究を受け止めて、津田左右吉を乗り越えていくことが、宗教史研究のみでなく、東アジア論全般にとって重要なことと考える。

27 不善人は善人の資、「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人においておや」

善く行くものは轍迹なく、善く言うものは瑕讁なく、善く数うるものは籌策を用いず。善く閉ざすものは、関鍵なくして而も開くべからず。善く結ぶものは、縄約なくして而も解くべからず。是を以て聖人は、常に善く人を救い、故に人を棄つること無し。常に善く物を救い、故に物を棄つること無し。是れを襲明と謂う。故に善人は不善人の師、不善人は善人の資なり。其の師を貴ばす、其の資を愛せざれば、智ありと雖も大いに迷わん。是れを要妙と謂う。


善行無轍迹。善言無瑕讁。善數不用籌策。善閉無關鍵、而不可開。善結無縄約、而不可解。是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師、不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。


 善く道を旅するものは車馬の跡を残さず、善い話し手は他者を傷つけず、善く数えるものは計算棒は使わない。そして、善い門番は貫木を使わないのに戸を開けられないようにし、荷物を善みに結ぶものは縄に結び目がないのにゆるまないようにできる。神の声を聞く人は常に善く人を世話して、人に背を向けることがない。また物に対しても同じで、物を大事に世話して、それを棄てるようなことはしない。それらの善は襲された光によって照らされているのだ。そしてそもそも、善き人は不善の人の先生であるのみでなく、不善の人の資けによってこそ善人なのである。(そして師と資(師と弟子)の関係も同じように見えない光によって結ばれている)。師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師は、賢こいかもしれないが、かならず自分が迷うことになる。ここに人間というものの不思議さがある。
 
解説
 ここには「善い」ということの説明がある。老子は、「善」とは丁寧で善らかな気配りにあるが、それは人間関係を照らす見えない光と、その不思議さへの感性にもとづいたものであるというのである。これは孟子が性善説「性悪説」などという場合の「善」ではない。老子は、人間が個体として「善」か「不善」かを問うのではなく、人間の「善」とは人間の関係にあるというのであり、人間の内面は見えないようだが、実は不思議な光の下で相互に直感できるというのである。そもそも人間と犬・猫のあいだでも瞳を見つめあえば相互の内面を少しは見ることができるものである。それに対して、言葉をもっている人間と人間ならば、最後には相互の本質を知ることができる。人間が「類」的な存在といわれるのは、そういうことなのであるが、老子は、それを人類の「道」の基本には「善」があり、それを照らす「襲明(隠された光)」があるのだと表現する。「師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師」や「親を愛さない子、子を愛せない親」は、迷いの中でその光を失ったものだというのが老子のいうことである。
 問題は、この老子の思想が導いたのが「不善人は善人の資」というものであったことである。善が関係に宿るのだとすれば、これはいわば当然のことであろう。人が善であるのは、不善の人を資けるからであるが、逆にいえば、善人は不善人の資けによってこそ善人であるということになる。私は、これは人間の倫理や宗教にとって決定的な立言であろうと思う。人間がアリストテレスがいうような「政治的動物」である以上に、「類的存在」であることを強調したのはまずはフォイエルバッハであろうが、フォイエルバッハは、老子のように人間の相互関係にふみいって問題を見つめる点が弱かったように思う。老子の立言は、福永光司『老子』(三八六頁)がいうように、むしろ親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、況や悪人においておや」(『歎異抄』)という決定的な断言に相通ずるところがあるのではないだろうか。もちろん、親鸞が「況や悪人においておや」というのは老子の思想をさらに越えているところがあろう。福永が「親鸞の信仰が深い罪業意識に支えられ、鋭い宗教的な人間凝視をもつのに対して、老子には親鸞のような罪業意識がない」というのはうなずけるところがある。しかし、「弥陀の光明」の下で、「あさましき罪人」が許されるということと、老子の「道は罪を許す」という思想が基本的には同じことであることを否定する必要はないということも明らかなように思う。とくに私には、「弥陀の光明」ということと、老子のいう「襲明(隠された光)」ということは詩的なイメージとして酷似しているように思う。
 大胆なことをいうようだが、私は親鸞は老子の「善人は不善人の師、不善人は善人の資なり」という格言を知っていたのではないかと思う。親鸞の『教行信証』の化身土巻の末尾には「外道」についての書き抜きがあるが、孔子についての言及は少なく、ほとんどは老子についてのメモとなっている。『教行信証』に明らかなように、親鸞は一面でたいへんな学者であり、勉強家であった。もちろん『教行信証』の結論は老子を外道とするものではあるが、その筆致はけっして拒否的なものではない。親鸞は、『歎異抄』を述べた晩年までの間には老子「五千文」を読んでいた可能性はあると思う。しかし、この問題についてはあまりに本章の解説からはずれるので、最後の付論「老子と日本」で再論することとしたい。

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