なぜ日本史研究者が老子を読むか。『老子』66
老子など変わったことを始めたものだと思うが、東アジア史にとって、老子の原型を伝える帛書や楚簡の出土は、たいへんなことであるというのを実感している。
研究の基本は池田知久氏の仕事や、中国出土文献研究会(代表浅野裕一)の仕事にあり、これは厳しい議論があっても、東洋思想というものを本格的に考えるさらに大きな動きになっていくと思われる。
特に日本史の研究はなんと言っても津田左右吉の仕事から始まったと考えていますが、津田は本質的に は東洋思想史の研究者ですから、それは日本史が東洋史の一部として始まったということである。
しかし、津田はようするに『老子』をふくめた東洋思想(中国思想)についての評価が低く、それが津田の日本神話の読み方に影響した。『古事記』『日本書紀』は、いわゆる神仙思想の表面的な影響をうけたもので神話としての本質をもたないという津田の観点の基礎には 『老子』と神仙思想そのものに対する津田の低い評価があったという事情がわかってきたように感じている。『日本史学』(人文書院)では津田左右吉について基本的に肯定的に書いたが、津田の『シナ思想と日本』(岩波新書)が問題を孕んでいることはよく知られている。東アジア論を考え直す原点はここだと思う。
問題は、津田的な東洋思想史は、甲骨文の発見ですでに古くなっていたが、それは春秋・戦国時代の理解にまでは影響しなかったことで、帛書や楚簡の出土は、この状態を変化させ、日本史の側からいえば、津田の仕事の古さを点検し、それにもとづいてすべてを点検せざるをえないことになっている状況だろう。
ともかく、漢文を学校でならわなくなっているというのが、東アジアの文化や 歴史というものを無視する文化的な土壌になっていると、私は考えているが、歴史学・日本史研究もそういう状況を放置していてはならないと考えるに至った。先日、国際歴史学会で、中国の済南にいって、中国の歴 史や哲学というものを安定的に考える訓練ができていないという反省もした。
しかし、私などにとってはやはり福永光司氏が道教の意義を強調しているのを知り、20年前ほどに若干はおいかけたものの、そのままにしていたことの不見識に気付いたことがショックであった。何もしらずに歴史学をやってきたのである。
以下は、今日の仕事。疲れたので、少し運動をして、別の仕事に移る。沖縄がどうなっているかが気になる。
66 倭国の女神伊弉冉も谷の女神たちの女王である
江海の能く百谷の王たる所以の者は、其れ善く之に下るを以てなり。故に能く百谷の王たり。是を以て民に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以て之に後る。是を以て聖人は、上に処りて民重しとせず、前に処りて民害とせず。是を以て天下、推すを楽しんで厭わず。其れ争わざるをもってす。故に、天下能く與にして諍う莫し。
江海所以能爲百谷王者、以其善下之、故能爲百谷王。是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。是以聖人、處上而民不重、處前而民不害。是以天下樂推而不厭。以其不爭。故天下莫能与諍*1。
大河と大海の神が谷々の女神の王となれるのは、そこに下ってくる谷々を抱きかかえる、そういう場にいる巨大な女神だからである。神の声を聞く人は、(同じように)人々の上席で語るときも一歩下って語り、人々の前に立つときも後見の身分であることをわきまえていた。このように、天下は聖者を推すことを楽しみ、嫌悪や争いはなかった。天下はよく與に共和していて争うようなことはなかった。
解説
ここで江海が百谷の王であるというのは江海の神が、多くの谷々の神の王であるということであろう。私は、前項でみたように、谷の神が女神である以上、江海の神も女神であると考えておきたい。これまでの解釈では江海の神は帝王などとされて男神とされているが、それは必ずしも論証されたことではないと思う。
そういう以上、本来は、中国の神話史料を読み解いて、江海や谷の女神について議論する必要があるが、私の知識量の関係で、ここでは倭国神話を例として試論を述べることを御許し願いたい。よく知られているように、天浮き橋から下界におりてきて、ミトの婚合をした女神伊弉那美と男神伊弉諾は、国生をして日本列島、ジャパネシアを産んだ後、神産に取りかかるが、『古事記』はそれを「既に国を生み竟へて、さらに神を生みましき」と表現している。その最初に生まれたいわば環境の神々ともいうべき神々の中で、一〇番目に生まれた「水戸」、つまり河口や湾口の女神である速秋津比売神が江海にいる巨大な女神であって、それは彼女が沫那美、頬那美、水分の神、そして久比奢母智(柄杓持、北斗)神などの母親とされていることで分かる。興味深いのは、『延喜式』の大祓祝詞によれば、この女神は、八塩道の塩の八百会に座す」神で、谷川の水を流れ出た穢と一緒に「持ちかか呑みてむ」神であるとあって、その名前の「アキ」とは、水戸口で大きな口をあけてうるという意味であるという。これに対して、谷川にいる女神は、瀨織津比咩といって彼女が大地の上で活動する人間が作り出す穢を速秋津比売神に渡すのであるという。そして、海の底には、速佐須良比咩神、つまり(『中臣祓訓解』によれば)これらの女神の祖神であるイザナキ自身がひかえていて、すべての穢を「持さすらひ失てむ」「祓ひ給ひ清め給ふ」というのが大祓祝詞のいうところである。
こうして、谷川の瀨織津比咩の下に、水戸で口を開けている速秋津比売がおり、さらにその下に海底の伊弉那美などの女神がひかえていて、おのおの穢を引き受けていたというのが倭国神話の語ることなのであるが、これは老子が、大河と大海の神が谷々の女神の王となれるのは、そこに下ってくる谷々を抱きかかえる、そういう場にいる巨大な女神だからであるというのと同じことであろう。というよりも、そもそも、伊弉那美と伊弉諾は中国の神話の神、女媧と伏義を原型とする神であったから、このような水の女神たちのイメージの源流も中国にあった可能性が高いのである。
さて、以上は本書の最初の部分の解説であって、本章の重点は、むしろ後半の「聖人」についての議論にある。聖人、つまり神の声を聞く人は、女神たちが順次に下側に控えて前のものをささえるような受容する徳をもたなければならないというのである。なお、「是を以て民に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以て之に後る」の部分は、「統治者となって人民の上に立ちたいと望むなら、必ず自分のことばを謙虚にして人にへりくだり、指導者となって人民の先頭に立ちたいと望むなら、必ず自分のふるまいを抑えて人の後からついてゆくことだ」(金谷)などと訳されることが多い。老子はこういう世俗的な術策を説いていないというのが私見であるが、少なくとも、ここは統治者の処世を語ってはおらず聖人について語っていることは確認しておきたい(福永・池田)。老子は地域の氏族や協同体やのレヴェルでの「聖人=神の声を聞く人」の役割については十分に尊重していたものと考えられるのである。
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