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2015年11月28日 (土)

歴史地震の呼称に元号を冠するのは適当ではない

ある地震学者に出した手紙です。前半省略、結び省略


 さて、「貞観津波」など、「歴史地震の呼称に元号を冠するのは適当ではない」という私見に御注目をいただきありがとうございます。

 このようなことを考えましたのは、「貞観津波」という用語に違和感をもってからです。つまり、貞観は太宗李世民の時代の中国、唐の年号として著名なもので、日本の清和天皇の元号、「貞観」はそれをまねたものです。清和は太宗の『貞観政要』を学んだことも知られています。これをそのまま津波の名称にするのは東アジア全体には通りがわるいのではないか、余計な誤解のもととなるのではないかと思います。なにしろ東アジア諸国の元号の全体の数は多く、将来、歴史地震研究が東アジアを視野におさめて人文学と理学のあいだで進む場合には、必ず、元号付きの固有名詞をどうするかが問題となるに相違ありません。

 私は、貞観津波については、基本的に9世紀日本海溝巨大地震とか9世紀奥州大津波などという用語を使うようになりました。年次をはっきり示す場合は「9世紀日本海溝巨大地震869)」でよいのではないかと思います。

 南海トラフ地震については、おのおの「7世紀南海トラフ地震」「9世紀南海トラフ地震」「11世紀南海トラフ地震(1096,99」「14世紀南海トラフ地震」「15世紀南海トラフ地震」「18世紀南海トラフ地震」「19世紀南海トラフ地震」「20世紀南海トラフ地震」ではいかがでしょうか。今のところ同一世紀での2回の発生はありませんので、これでよいのではないかと思います。必要な場合は西暦を括弧でつけることになります。なお、寛元の地震などは確定していない訳ですから「一二四五年(寛元三)年地震」ということになります。そして確定したら、「13世紀南海トラフ地震」と格上げされるということではないかと思います(ただ、元号付きの呼び方、たとえば貞観津波という言い方は専門家のあいだでは通用性がありますので、それを拒否するものではありません。自分でも必要な場合は使っています。しかし一般には、たとえば新聞や小学校の教科書などは9世紀日本海溝地震がよいと思います)

 これは歴史用語全体についての私見とも関係しています。私は、薬子の変については「平城上皇クーデータ事件」、保元の乱については「崇徳クーデター事件」、平治の乱については「二条天皇重婚事件」、治承寿永の乱については1180年代内乱(または源平合戦)、承久の乱については「後鳥羽クーデター事件」などの用語を使用すべきであると主張しております。これについては、そもそも「乱」だとか「変」などという言葉で歴史事件を表現するのは、一種の天皇中心史観で学術的にかたよったもので採用できないという問題があります。

 しかし、そこから離れても、歴史事件の名称は、できる限りその実態を表現できるものであることが望ましいと考えます。たとえば平治の乱の実態は後白川と二条の親子げんかが根っこにあり、それを表現するためには「二条天皇重婚事件」がよいという訳です。これは結局、「平治の乱」の本質理解に関わってきますので、研究によって決定されるほかない問題です。研究の進展が用語体系に変化をもたらすのは学術には一般的なことで、元号を使用するという「社会習慣」に、それが左右されるようなことがあってはなりません(ただし、「二条天皇重婚事件」という私見が正しいかどうかはいうまでもなく別問題です。これには当分のあいだ賛同はえられないようです)。

 このように考えますのは、用語記憶を偏重するような通俗常識は歴史意識のあり方として払拭していくことが歴史学の研究と教育の目標としてどうしても必要なことと考えるためです。これは歴史学界全体の共通意見ではありませんが、「歴史は暗記」という感じ方をなくすためには、歴史学自身が変わっていかなければならない、少しでも記憶の負担を少なくするようにしなければならないという考え方です。

 もちろん、「世紀」という考え方自体、西暦という考え方自身が西洋中心史観で本質的には採用すべきものではないとも思います。その意味では地質学者が使用する「Before Present」(BP)がもっとも納得でき、あるいは「核時代前」年号がよいと考えています。しかし、歴史学にとっては、時間のクロノロジカルな、客観的な進行を表記することは必須のことで、当面、世紀・西暦は次善の策として使用せざるをえない訳です。

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