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2015年11月 2日 (月)

老子の清静と日本神道の清浄(第四五章)

 『老子』45章の通釈です。ちょうど書き終わった頃、伊藤克己氏がツイッターで神社の墓地運営をめぐっての情報を提供しているのをみて考えることが多い。私は日本社会を保守するためには神道と神社は大事だと考える。しかし、それに関わって歴史家としてやるべき仕事の多さに目が回る。


老子の清静と日本神道の清浄(第四五章)
大成は欠くるが若く、其の用は敝きず。大盈は冲(むな)しきが若く、其の用は窮(きわ)まらず。大直は屈するが若く、大巧は拙なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静は天下の正たり。

大成若缺、其用不弊、大盈若冲、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。淸靜爲天下正。
 大成しているものは欠けるところがあるように見えるが、(その隙があるからこそ)その働きが尽きることはない。満ち足りているものは空しいところがあるように見えるが、(その影があるからこそ)その働きは窮まることがない。長大な直線は曲がっており、本当に巧みなものは拙ないままのところを残しており、雄弁は訥々としているように聞こえる。動作を躁しくすれば寒さは防げるが、静かにしていれば動かなくても熱さに勝つことはができる。淸く靜かな無為こそが世界にとってまず大事なのだ。

解説
 本章は有名なギリシャのソフィスト、ゼノンのアキレスと亀の話を背景に読むとよい。運動を静止の連続に置き換えるとアキレスは亀に追いつけないという例の話である。ゼノンは、運動と静止の矛盾を語ったのであるが、老子の趣旨も相似した議論であって、この時期、ユーラシアの西と東において同じような逆説が語られているのである。ただ、老子が強調するのは、運動と静止の矛盾において本源的なのは静止であるということのように思う。対立するもののうち無為で静かな方こそが大事だ。静止のなかにこそエネルギーが秘められているのだというのである。

 老子によるいくつかの例示のうち、日本でもっとも有名だったのは「大巧は拙なきが若く」であろうか。二〇世紀を代表する禅学者の鈴木大拙の「大拙」という号は、これに由来している。また徳川時代の画家、伊藤若冲の号は「大盈は冲しきが若く」からである。この句は具体的にいえば、満月にも必ず小さな影があるということだと思う。月影はつねに動いている以上、満月に影のない状態というものは抽象的にしか考えられず、極小であれ、実際には影があるからこそ月に盈ち虧けがあるのだということになる。管見の限りでは、そのような考え方はこれまでされていないが、満月と月の影というのはアキレスと亀の話と原理的にはまったく同じ話であることは明らかだろう。

 これを確認すれば、後半の「躁は寒に勝ち、静は熱に勝つ」という部分も分かりやすくなる。この部分の意味が上の現代語訳で述べたような「動作を躁しくすれば寒さは防げるが、静かにしていれば動かなくても熱さに勝つことはができる」という趣旨だということは諸書でほぼ一致している。ようするに、「心頭滅却すれば火もまた涼し」という意識と身体のあり方が大事だというのである。しかし、武内以降、これまでのほとんどの解釈は、この部分は、前半とのつながりが悪い、別の文章をもってきて引っ付けたなどという意見が多い。しかし、ゼノンに引き比べて、「躁」は運動、「静」は静止のことをいっているということで考えて何の問題もない。ただ違いは、ゼノンの議論や右の月の盈ち虧けの場合は、実際の空間での運動であるのに対して、ここでは人間の身体と心が対象になっているというのが違うだけである。それを入れて考えれば、本章の前半と後半の関係はむしろ論理明解であるというべきだろう。私は、テキストのままで話が通るならばテキストを変改してはいけないと思う。

 この「清静」というのは、静止にともなうエネルギーの蓄積というような趣旨の内面的な意味を中心に考えなければならない。最後の一句、「清静は天下の正たり」という言葉は、詳しく謂えば、「自分の心に集中したところから、周囲をみていくと、清静な心が、その世界の中心にあることを発見する」というような趣旨であるというべきであろう。普通、ここでいう「天下」は「国家=政治世界」の意味とし、「天下の正」を「天下の首長=王」という意味で解釈される。清静無為の道に従えば首長に成ることができるという訳であるが、これは間違いである。管見の限りでは、私見と同じなのは蜂谷の見解くらいであるが、「天下」という言葉をもっぱら「国家=政治世界」とすることは、後にも述べるように無理が多い(■■■頁)。

 また、この「清静」というのが、少なくとも『老子』が執筆され広まった春秋戦国時代の段階では、決して物理的あるいは衛生の意味での「清潔・清浄」ということではなかったことも注意しておきたい。そもそも『老子』には「清」という文字の登場例は少なく、三例しかない。その一つが本章なのであるが、第二の例は「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く」という天を清澄とする三九章の例であって、これは宇宙論にかかわる「清」の観念である。そして第三が「谷間の水の濁流が清まわることを待つ」ように清濁を併せ呑むという心的な態度を示す一五章の例であって、この「清静」は自然の循環を熟視するなかで心のエネルギーを豊かにする態度というようなことであろう。いずれにせよ、これらには物理的衛生の意味はほとんど含まれていないのである。もちろん、三世紀以降になって、『老子』の教えから派生した道教=神仙思想が、中国に流入した仏教のインド的な清浄思想の影響をうけると道教でも物理的な清浄を尊重するニュアンスが強まるが、結局、それは道教の中心をしめることはなく、やはり老子の教えという意味での道教のいう「清静」はあくまでも心的態度の意味が大きかったというべきであろう。

 さて、この関係で問題となるのが、日本の神道の「浄穢」の観念との対比である。これは『老子』の日本における受容の問題として、きわめて重要なので、少し詳しく説明すると、そもそも、神話時代は、奈良時代のころまで続いていた日本の神話時代には、厳格な浄穢の観念はなかった。本来の倭国神話のなかでは素戔嗚尊の行動をみればわかるように、「穢」というものは一種のエネルギーであって頭から拒否されることではなかったのである(西田長男)。もちろん、神話的な祭祀においては神への「物忌み」が重視されたが、それは老子のいう「清静」と似たようなものであって、そこには血や死を穢れとして排除する観念は希薄で、後のような女性の排除もなかった。

 しかし、神話から文明への移行のなかで、七・八世紀以降、中国(唐)から輸入された文明宗教、仏教や道教的な神仙思想が流行する。とくに王権と貴族社会の中枢では仏教が中心となり、以降、日本は徳川時代まで基本的には仏教国家というべき性格を帯びることになった。次項でみるようにだいたい九世紀以降、王権中枢を握った仏教は、「本地垂跡」、つまり仏教の神々こそが「本地」で日本神話の神々は、その神々が遠くまでやってきて「迹を垂れた」ものであるという理屈を作り出したのである。そして、この仏教が、上述の道教を基礎とする神仙思想を利用しながら、日本に「浄穢」の観念をもちこみ定着させたのである。

 その背景には、王朝国家の成熟にともなう都市の膨張のなかで疫病や災害に対する恐怖が強まり、衛生観念が肥大化していったことがあった。こうして、だいたい奈良時代後期以降、日本には「貴賎」の国家秩序が「浄穢」の衛生意識によって守られるというシステムが深く根付いていったのである。それは九世紀にできた二つの令外官、蔵人所と検非違使のもっとも主要な仕事が穢の除去、清目であったことによくあらわれている(蔵人所は天皇身辺の清め、検非違使は洛中の掃除)。これは各地にはるかに巨大な都城をもち、都市の運河や下水道を整備していた唐代の都・長安とは大きくことなっていた。こういう中で「穢は日本の事、大唐すでに穢を忌まず」(『小右記』万寿四年八月二五日条)といわれるように、浄穢の観念は日本において特に独自な展開を遂げた。この中で上位者や主人の穢を掃除し、清める下位者や従者は穢れた身分とされ、また穢の集中する被差別身分(「穢多・非人」)が都市的な場を中心として作り出されていった。黒田俊雄は、このような身分制が王権と宮廷を囲繞した仏教の下で系列化されたことを明らかにし、このような浄穢観念に貫かれた身分秩序を「種姓身分」制と呼んだ。「種姓」とはもとをたどればカーストを意味する仏教用語言葉であるが、この言葉で表現される身分制の実態もインドのカーストによく似たものということができる(保立「日本中世の諸身分と王権」)。

 「浄穢」というと、現在では神社に特有なものと思われがちであるが、むしろ、正確にいえば、それは、この時代に国家と仏教によって神社に押しつけられた役割であったという方が正しいであろう。拙著『かぐや姫と王権神話』で論じたように、日本の神道の地盤は、八世紀まで続いていた神話世界にあり、神話から引き継いだ「物忌み」の心意は神道の深層に持続していた。私は、そのような物忌みの思想は、日本社会において依然として重要な意味をもっていると考えている。しかし、文明の時代の到来とともに、日本の神道は「祭祀の礼務、潔にあり」などといわれるように、国家と宮廷の清浄の守り手という役割をおうことになった。甲乙丙丁などの様々に規定された穢が神社に及んだ場合、それによって神社の祭礼や儀式の中止がつねに問題となったのである。神社は国家と仏教の下で、浄穢のシステムを管理する、いわばリトマス試験紙のような役割を担うようになってしまった。神社は都市的な場の空間のなかで伝染し、肥大化する穢を増幅し、キャッチする神経網のような役割を負うようになったのである。

 こういう中で、『老子』の「清静」の思想が、カースト的な浄穢の身分制に対応する神道の「清浄」の理屈に読み替えられるという事態が生まれたのである。つまり、右にもふれたように、『老子』第三九章の「天は一を得て以て清く」というのは、宇宙論にかかわる「清」の観念である。ところが、これが伊勢神道を大成した度会家行の『類聚神祇本源』では「神を祭るコト、清浄ヲ先と為せ。我鎮に一を得るを以て念と為す也」という形で引用される。つまり、神を祭る勤めの「清浄」に転換されてしまっているのである。また高橋美由紀『伊勢神道の成立と展開』が指摘しているように、日本でもしばしば利用された『老子』の河上公注には、第一四章の注として「当にこれを受くるに静をもってし、これを求むるに神をもってすべし」とある。これは人間が道に悟入するには心を静寂にし、心の神明を働かせなければならないという内面的な意味であるが、それが伊勢神宮の経典に引用されると、「これを受くるに清浄をもってし」と変更されてしまうのである。「静」から「清浄」への変化である。

 日本の神道が『老子』の「清静」の内面的倫理を受け止めなかったというのではない。神道の中には、それに対応する「物忌み」の心意が維持され続けていたと思う。しかし、神社が仏教の下で、世俗的・身分的な「清浄」という国家的な儀礼秩序に稠密に組織されていったことは否定できないだろう。

 さて、最後に鈴木大拙と伊藤若冲の号の由来が、『老子』本章にあるという話に戻るが、大正時代までの人たちは、こういう種類の漢語をよく知っていて、それを人生訓として、人生観の支えとしていた。そういう漢語のうちでは『老子』がしばしば使われていたのであるが、現在では、それは忘れ去られてしまった。これは日本文化から奥行きを失わせたように思う。こういう文化の浅薄化は、神道の内部にあった「物忌み」、老子の思想に対応するような自然の尊重と一体感の重視が文化の中から失われるのと並行して進んだのではないか。大正時代までは、自我の意識は自然との間で一種の溶け合いの中にあった。そういうように、自然を観照しながら自己自身を内省するというのが、人生というものを考えるためには、もっとも健康なやり方だったのだろうと思う。これを「融即」などといわれることがあるが、たとえば夜の小川に飛ぶ蛍は自分の魂が流出したものではないかなどというのは、それなりに自然な感覚だったのである。そういうものをどうにかして取り戻すために、『老子』と日本の宗教・文化との関わりの省察は大きな意味をもつように思う。

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