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2015年11月20日 (金)

「学際からの視野」が歴史学になぜ必要か。

 以下は『日本史学』(人文書院)の第三部のまえがきです。歴史学は精神衛生に悪いというのが中井久夫さんのご意見で、中井さんが、こう書いた『治療文化論』についても、この第三部で紹介しました。私は学際からの視野を系統的に確保することが、歴史学者の実践的姿勢のために、それゆえに精神の健康のために必要と考えています。

学際からの視野

趣旨

 歴史家は、矛盾する史料と史料が同じ確実性を持つ時の決定に、非常な努力ーー精神衛生にとくに悪い質の努力ーーを払う。いくら足を伸ばしても着底しない泥沼を進む思いが、歴史家には、あるのではないだろうか。また史料がない時の歴史家は空想の禁欲をみずからに強いて苦悶することがあるようだ(中井久夫『治療文化論』)。

 歴史学は学術のなかでもっとも非実用的な学問である。対象が歴史である以上は、現在史(Contemporary History)であっても、それはすでに動かせないものである。歴史家はそれに耐えなければならない。それはどのような場合も過去にむかう内省の組織であって、直接には現実を動かさない。あるいは動かしてはならない。過去は理解されるべきものであるが、現在はかならず理解できない部分をふくみ、本質的に実践と投企の対象だからである。

 それ故に、歴史学が現実に関わるのは、他のより実用的な学問を通じてのみである。私は2011年3月11日の東北東海岸地震の後に地震学・火山学の人々と議論をする機会がふえ、その中で、文理融合の研究がいかに重要かを実感した。歴史学が社会に開かれていなければならないということは、まずは諸学との学際的な関係を要請されているということだというのが実感である。

 そして私などは、それは歴史学と歴史学者の精神の健康のためにもどうしても必要なことだと思う。もちろん、一種の真面目さのあまり、狭い場所で耐え、学際的な場に出ていかない強さをもっている歴史学者も立派だとは思う。しかし、その場合は、歴史学の最大の喜び、つまり他の学問にまったく新しい方法を教えられ、また他の学問を支えているという実感の中で生きていくことはできない。上に引用した中井久夫の言葉にあるように、歴史学はなかなか辛い部分もふくむだけに、凡百の歴史家には、他分野の研究者からの啓発が必要だと思う。

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