『歴史学研究』。鹿野政直氏が学び舎の中学校日本史教科書
『歴史学研究』が届く。鹿野政直氏が学び舎刊行の中学校日本史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』について書いている。賛同するところが多い。
とくに「パターン化した教科書は子供たちに歴史に対する受動性を養成する」というのは、その通りだと思う。それは教育を、社会的「常識」なる俗物的な偏見を子どもに感染させる営為にしてしまう。知識のゆがみを子どもにもたらし、教養を疎外させる営為である。私は、鹿野さんもひいている『歴史学と歴史教育のあいだ』(歴史学研究会編)に転載された論文(WEB頁「中世史研究と歴史教育」をみてください)で、教科書的歴史像を徹底的に突き崩すという考え方から、いわゆる「武士中心史観」の批判がどうしても必要だと論じ、その後、それにそって『平安王朝』(岩波新書)にいたる仕事をしてきた。しかし、こんな単純な目的意識もなかなか学界では普遍化はしない。自分の研究も日暮れて道遠しである。
鹿野さんも書いているように、学び舎教科書では古代・中世・近世という区分は最初無かった。そもそもこの「古代・中世・近世」という区分が問題。学界では、その定義は曖昧である。言葉を付与すれば分かった気持ちになる。何かそこにあるのだという幻想を広めるばかりである。学び舎の教科書のよいのは時間感覚、時期区分を、歴史の切れ目にすべて地球史を入れる、差し込むことで作ってあること。これはいい方法だと思う。
鹿野さんの意見でもう一つ共感するのは、教師も「ともに学ぶ」存在であるということ。学者も教師も子どもも学ぶという考え方である。
これについては『歴史学と歴史教育のあいだ』(歴史学研究会編)に転載された論文で下記のように書いた。
「(重要なのは)学者と教師は、職業としての学者や職業としての教師ということを越えて、両者とも知識人であり、何らかの分野の研究者でも教育者でもあるという事実であろう。学者であることと研究者であること、教師であることと教育者であることが閉ざされた一対一対応の関係にあるものでないことは当然のことである。だから、研究と教育の間では、各々の独自の分野を確認しながら、研究についても教育についても相互乗り入れしつつ付き合うべきことになるのだろう。現実にはこれは大変なことだろうが、それによってこそ歴史の学者と教師が生き生きとしたまとまりや社会的影響力をもちうるのだろう」。
これを書いたのはもう40年近く前か。同じことを考え続けてきたことだけは感心する。
いまでは、別の条件がある。教師と学者が、ネットワークで、ブログで、ツイッターで直接にむすびあうことだ。これは本当に推進してほしい。相互に学界のなかと教育界のなかを見通せるようにすることだ。
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