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2015年12月16日 (水)

社会的物質代謝と生業論の学融合的な課題

 この図と下記の文章はある研究会で披露したものです。
Busitutaishanozu_3

物質代謝と社会構造の概念図の説明     保立道久

はじめに
 生業論といわれる議論が歴史学のなかで話題となっている。その中心となっているのは、白水智、盛本昌広、春田直紀、橋本道範などの諸氏であって、私は、この研究動向は、本格的な社会経済史研究の動きを復活させるために、重要だと考えてきた。
 もちろん、生業論といわれる研究動向は、従来の社会経済史の研究に対して批判的な様相を示す場合も多い。いわゆる戦後派歴史学のもっていた社会経済史の方法は原則的・理論的であることを目ざしたといっても、しばしば実証の条件や技術が未発達で、方法的な枠組みが狭い、あるいは狭い印象をあたえたのは事実であるから、これはやむをえないことであるが、しかし、ここには、必要な方法論議をすれば解決できる問題も多いように思う。
 この状況を自然科学の方に自分なりに説明するために、図を作成してみた。以下、簡単に、この図を解説する。
1生業論と自然科学
 生業という言葉は、「なりわい」と読むから、簡単な言い方をすれば、ようするに、生業論とは人間の日常生活からみた経済活動の諸相を論ずる、人間の日常生活から視線を外さないということによって様々な分業(精神労働と肉体労働の分業をふくむ)や経済活動のあり方を統合的にとらえていくという研究視角であり、素材選択と方法意識のことである。私なども、いわゆる社会史研究のなかで、それを強く意識していた。経済史研究が民衆史研究や社会史研究に展開し、それがさらに分岐して生業論という動きにつながっていると私などは考えるが、そういう立場からいっても、当面、上のようにいっておけば歴史学内部では、広く了解可能であろうと思う。

 しかし、問題は、この生業論的な研究が自然科学との接点をもって展開しつつある状況である。上の定義のようなものは、歴史学・考古学内部あるいは社会人文科学の側では了解可能であるが、自然科学にとっては、それをどう受けとめてよいかは不明であろう。自然科学にとって、この生業論なるものに対応する研究対象は何なのか、それに関わって自然科学の側で、どのような方法論議が必要なのかなどの問題は必然的に発生する。

 問題は、その場合、やはり上で本格的な社会経済史といった研究動向が背後にもっていた方法意識に近いものが必要になることであろう。もちろん、それは歴史の具体的な研究の表面にでてきた訳ではない。各世代の研究者のもっていた社会科学の方法論に関わる領域の問題であって、具体的な史料実証作業の表面ではしばしば暗黙の了解事項になっていたようなレヴェルの問題である。

 生業論と自然科学との学融合的な研究ということを考える場合、もっとも大事なのは、生業論という視角が自然科学に対してどういう研究を要求しているのかということを明示することであろう。

 図では自然の運動形態を地球科学的自然(地学と大気海洋現象)、生態学的自然(植物界・動物界)、社会的自然に大別して示した。生業論の枠組みからは地質学、大気海洋科学、植物学、動物学との間で、どういう研究をしたいか、そしてその全体によって何を問題にしたいかということになる。

2人間と自然の物質代謝と「生産・再生産」

 私見では、それはまず、人間と自然の物質代謝における対象的生産(いわゆる「生産」)と主体的生産(いわゆる再生産)の双方を、自然史のなかでとらえるためにはどうしたらよいかということだと思う。

 つまり、生業論の視角、人間の生活の総体から視線を外さない統合的な研究視角という場合に決定的なのは、人間の生活は人間自身の再生産と自然的な生産の両者をふくんでいるということである。なお、日本語の生産という言葉は工場生産、大量生産などという言葉の印象が強く、物を機械的に作りだすという印象がある。これによって歴史学の中にもこれに流されて生産という言葉自体を使用しないようにと考える傾向も生まれている。それに代わって生業という訳である。

 しかし、生産という用語は、決まった方式によって決まった物を作り出すということではない。そもそもproduce,productには「前へ導く、明るみに出す」という行為、自然の内部に入り込んで、そこから物を取り出すというニュアンスがある。「生む」「産む」の前提に入り込むことがある。しかもここで自然の内部に入り込んで生産するという場合、それは二重の意味をもっている。つまり、第一にはそれは対象的な自然、人間の身体の外にある自然に入り込んで生産するということであるが、第二には、主体的な自然、人間的自然=身体の世界に入り込んで生産するということである。後者は、人間が人間自身の自然に入り込んでいって繰り返し関係する、つまり「再生産する」ことである。そこには性的生産のみでなく、生命の成長や死に関わる世界のすべてが含まれる。
 「再生産」という用語を、生産というものが第一次的であり、「再生産」は二次的であると理解してはならない。それはむしろ「自己生産」という意味では基軸の位置にある。「生産」と「再生産」は一体なのである。生業論の視角はこの「生産」と「再生産」の一体性におかれなければならない。

 難しいのは、この人間自身=人間的自然の再生産というものを自然科学的にとらえる方法である。つまり人間が食べ、身体を養い、排泄し、住み、個性的な性関係をもち、前世代・次世代と関わっていくということなど、ようするに人間が自分の動物としての身体(人間的自然=主体的自然)を維持するすべての直接的な行為の結果を探り出す方法である。これは人間の身体の歴史であって、長期的には人類学が行っているような研究であるが、しかし、1万年前から、あるいは歴史時代の歴史を検討する場合、どのようなことが可能か。私の視野では見えない部分が多い。

 ただ、それは広い意味での人口論が基礎となることは明らかであろう。人間自身の身体を維持し、生殖することによって、すべての基礎としての人口を作り出す局面である。人間人口論自体を自然科学がどう扱えるかは私にはわからないが、少なくとも人口の拡大は動物の巣と獣道、猟場と同じような人間的自然の周縁領域を作り出していく。これは人間が食べ、排泄し、住居を営み、さまざまな形と目的で動き回ることによって発生する動物としての人間の再生産にともなう緩衝帯のような生態系であって、それ自身としては本来の意味で社会的なものではないが、しかし、このような人間的自然に直接に付着する生態系の変化が人間と対象的自然との関係のすべての基礎にすわる。

 それを歴史学と自然科学で議論するためには、結局、図の上部に記した自然の無用性のなかで「廃墟=放棄された巣」を探ることが必要になるのではないかと思う。この廃墟の問題については後にふれることとするが、この廃墟、「遺跡」の様相を詳しくかつ統計的にみることによって、人間の生業の痕跡をみるということであって、ここではいうまでもなく考古学が決定的な位置をになう。歴史学が自然科学に奉仕しうるとすれば、やはりそれは最終的には「遺跡」(人間の生活・生業痕跡)の考古学的な分析が基礎となるはずであろう。


3生業経済と市場経済ー有用性と無用性

 生業論にとって、方法的に重要なのは「生業」と「経済」の概念の関係をどうとらえるかであろう。これをとかずには生業論は理論たりえない。その意味では、市川三男「環境をめぐる生業経済と市場経済」(『岩波講座 文化人類学』2)が参考になる。この論文のいう「生業経済」は、自然の有用性、使用価値が営まれる世界であるが、ここに「生産」と「再生産」の一体性の世界がある。

 それは、自然の多様な有用性の占取であって、それは自然を空間的に区分し、時間的にも区分し、また生態学的に区分していく。こうして、自然は様々なランドマークによって空間的に区分され、また季節の巡りの年間暦などによって時間的に分節され、また生態系の中心をなす動植物も区分し命名されていく。対象的自然の有用性の発見の仕方、その有用性を効用価値にしていく過程が人間による生産の本質的な特徴を形成することはいうまでもない。

 他方で市場経済とは自然の余剰、人間にとって無用な自然の過剰に基礎を置く経済である。自然の過剰という形をとった無用性を商品化することである。ここでは商品がかならずしも自然の有用性の表現ではなく、無用性=過剰性の表現であることが重要であろう。人間は自然の直接的な有用性のみでなく、生業経済には現在のところ無用・過剰な自然の存在形態を利用する方向で、生産諸力を拡大するインセンティヴをあたえられる。

 このような生業経済と市場経済のキーをなすのが、人間の空間的・時間的・生態学的な認識、民間知の蓄積である。これが社会的自然が他の諸階層の自然と比べてのもっとも大きな特徴である。それは、一つの社会的な認識のシステムによって媒介されている。もちろん、動物も自然を意識し、観察して、それを記憶する。しかし、その記憶を協同的な意識関係として強化するシステムをもっていない。社会的な自然の形成においてはこれが必須である。たとえば、漁村においては漁場の地理的認識と発遣、その記憶の管理が漁村の社会的自然においては必須の要素である。

 図にみる自然の運動諸形態の矢印が下から上に上がっているのは、有用性・宝庫性の側面である。これを人間的自然が力能としてうけとめて社会的自然の内部に組織したものがいわゆる生産諸力である。「生産力」といわずに「生産諸力」というのは、それが意味する有用性(それに対応する有用労働)がきわめて多様で、機械的に一元化できないからである。生業経済はつねに、こういう多様な生産諸力を統括する主体として存在する。

 これに対して上から下に下がってくるのが、自然の無用性、過剰性とそれが人間を自然的に規定する側面である。

 物質代謝は、この両側面の境界で展開する。市場経済は、自然の無用性を浸食し、それによって生産諸力を拡張する。前近代では、こういう多様な生産諸力を統括する生業経済と市場が主体となって自己運動する動きとの対抗関係がつねに存在する。

4hazards/disastersと社会構造

 自然の無用性と有用性のバランスが大小・諸形態のハザードによって破壊される、生産諸力が破壊される経験が人類史の当初から存在した。採集経済領域の食い尽くしといわれるものである。

 hazards(「異変」、自然的な異変)は、最初は諸形態のdisturbance(「攪乱」)として現れる。そして、自然的なhazardsはdisasters(「災害」、人間社会の災害)に展開する。三者の区別と連関を正確に踏まえることが重要であるが、問題がdisturbance→hazards→disastersという順序で展開するのはいうまでもない。より正確に言えば、このdisturbance→hazards→disastersの系列は。おのおの、Crustalogicalな(地殻的な)それ、Meteorologicalな(気象的な)それ、Biologicalな(生態学的な)それという形をとり、しかもそれらが複合的に登場する。

 また自然の諸階層においてはより低次な運動諸形態のhazardsが決定的な意味をもつ。たとえば地球科学的自然が、通常の枠をこえた地震や噴火などのhazardsを起こすと、社会的自然が攪乱され、disasters=災害が産み出される。また大気海洋の自然は生態学的自然に対して決定的な影響をおよぼし、同じようにdisasters=災害が産み出される。「地殻災害Crustalogical Disasters」「気象災害Meteorological Disasters」「生態災害Biological Disasters」などが複合した場合には社会は大きな危機に陥る。

 社会的自然の形成は、その廃墟の重層の上に展開する。廃墟は、われわれからみれば「遺跡」であるが、それは自然としてみれば、動物の巣のあとと区別できない。前述のように、この廃墟の認識が生業論的視角からいうと決定的な意味をもつ。それを分析すれば、人間の再生産にともなう緩衝生態系を自然科学的に認識することが可能となるのではないかということになる。

 廃墟の形成とはhazardsのdisastersへの転化である。歴史は、自然史の側から見れば、自然の有用性と無用性の衝突、有用的な生産諸力とそれによる自然の廃墟化、hazardsのdisastersへの転化の矛盾をつうじて展開する。そしてこれが(歴史学が固有に扱うような)社会構造自身の矛盾と結合したとき、カタストロフがうまれる。

おわりに

 このカタストロフは、レヴォリューションあるいはレジームシフトを社会に強制するのであるが、それはしかし、自然との関係からは相対的に離れた領域、つまり、図でいえば、一番右側に描かれた社会領域固有の問題である。disturbance→hazards→Regime shiftが自然科学が扱う問題であるとすれば、社会科学は、それを前提としつつ、disturbance→hazards→disasters→Revolutionという系列を扱うことになる。なお、ここでいうRevolutionは社会の強行的転換というような具体的形態を意味するものでなく、本来の意味、つまり世界軸のRevolt(回転)あるいは、「革命」(天命の改まり)を意味することはいうまでもない。軸がどのように回転するか、なめらかに人知れずか、荒々しい音をたてるか。社会が生きのびるためには回転が必要だが、できるかぎり明瞭でなめらかで、カタストロフを拡充しないものになるかどうかには、社会の構え方、予知と予感の力が必要だろう。
 しかし、Regime shiftとRevolutionの研究が学術的には似たような方法的な構えを必要とするのは、人間の歴史もやはり「自然史」の一部であることを認識させる問題である。

 なお、以下は、このような問題を考えるときに、いつも立ち戻っていた戸田芳実「中世文化形成の前提」(戸田『日本領主制成立史の研究』323頁)の一節です。
「前近代社会では、自然にたいする人間の劣位という基本条件のもとで(これは人間の日常が展開する生態的自然の表層に対する劣位ということである。自然総体に対して人間がつねに劣位となるのは誰でも知っていることである。この誰でも知っていることをもって戸田の、この文章を批判するのはフェアではない――保立追記)。「自然の紐帯」・「自然関係」が社会関係と社会意識のなかに浸透し、その意味 で自然と社会とは、近代と異質の有機的な結びつきをもっている。したがって、「社会的に、歴史的に創造された要素」がそれぞれのばあいに対立しなければならないものは、まず優越した自然そのものであり、そしてつぎに人間の特定の歴史的な社会関係にからみついた擬似的自然である。近代以前でも、文化を形成する諸要素は、「社会的に、歴史的に創造された要素」に外ならないが、まず重要な点は、それがその根底においてどのように前近代の 歴史的な「自然規定性」とかかわり合っているかということである。前近代社会の人間関係、階級支配を軸とする前近代の社会構造は、生産者にたいする特定の「自然規定性」(それはなによりもその段階の生産力の質と水準としてあらわれる)を前提とし、また、民衆にたいするそのような自然の規制 力を社会関係の規制力に転化することによって維持される。いいかえれば、生産者が自然にしばりつけられる条件のもとでは、支配者は自然を占取し、 自然を擬似的に体現することによって、生産者を把握することができるのである。これは前近代社会の階級的支配関係の重要な基礎である(なお、現代社会においても社会的自然それ自体が人間の従属の根本条件となっていることはいうまでもなく、それが社会関係の呪物性、フェティシズムとして現れることはマルクスが詳しく論じたことである。そのレベルをふまえて、前近代と近代における自然規定性を(種差をふまえて)解明することが課題であることはいうまでもないーー保立追記)。
 したがって、民衆が自然にたいする相対的独立度を高めるという生産に直結した自生的な実践は、桎梏となった本来の自然規定性を変革すると同時に、社会関係に転化された擬似的自然規定性をも変革せずにはおかない。そのようにすべての変革の起動力となる自然と人間との自生的な実践的関係(すな わち生産力)の進歩の過程は、また同時にその過程と成果を反映し定着した意識的・自覚的な所産を生み出す。それは人間の自然にたいする社会的実践との連関を失わない知的労働の結晶である。技術・言語・科学的知識・理性と文化の発展は、それぞれの時代の歴史的制約を帯びながら、意識的局面に おける人類発展の能動的要因をなしている。そして文化は高次の社会関係から生じた階級意識の規定をうけると同時に、あるいはそれ以前に、そのような自然との闘争過程の意識的側面に深く根ざしているのである。その意味では、文化はルフェーブルのいう「人間が自然を享受する仕方としての人間の 自由」の意識的な歴史的所産であって、その点に、民族的あるいは人類的共同財産としての文化の継承性の根源がある。簡単にいえば、文化は基本的に 生産力と生産関係の二つの側面にそれぞれ規定された二重性を帯びているのである」。

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