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2015年12月 2日 (水)

歴史学の憲法的な使命と天皇について

 日本の歴史学の中心問題は、現在でも「天皇制」研究である。

 その事情は現憲法の規定する天皇制が特殊な歴史的特徴をもっていることにある。

 憲法の天皇規定の出発点は天皇が王としての身分を維持しており、その身分が「法の下の平等」(憲法14条)の唯一の背反例として存在することである。しかも、その地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」ものであると憲法に明記されているように(憲法第一条)、主権者の総意が失われれば、その存廃が問題になるような王なのである。そして現憲法の天皇規定の最大の特徴は、天皇の役割を内閣の認可と通告のもとに10項目の儀式を中心とした国事行為のみを行うことに限定し、国政上の権能からは厳密に排除していることにある。天皇に10項目の国事行為以外のなんらかの国家的、政治的機能を果たさせようとするのは天皇の政治利用であって、憲法上は厳格に禁止されている。

 つまり、現在の天皇は「王」ではあっても「王権」はもたず、「君」ではあっても君「主」ではない。その意味で現在の天皇制は社会科学上の概念としての立憲君主制とは大きく異なっている。もちろん、現実には、天皇はしばしば政治的な存在として機能させられており、その非法治主義的な磁場のなかでは政治利用は許されないという憲法的立場さえも一つの政治的な立場として扱われてしまうことがある。しかし、天皇の法的・身分的な安定という点から見ると、憲法に規定された国事行為以上のことを行うことは様々な不安定要因となる。
 
 これは世界史的にみて、きわめて珍しい王に対する憲法規定であると思う。

 しかも、その実態の根は深い。まずはその国事行為という憲法上の法的役割が身分的地位となるのは、天皇を包摂する儀礼部局、宮内庁その他の国家機構や諸財産を条件としている。しかし、より根本的には、その身分は、その王としての人格に付着する文化とイデオロギーによって作られている。このように天皇は現代では現実の政治的な役割を果たすことが禁止されている文化的・イデオロギー的な存在であるということは、その王としての実質はその歴史的存在、過去存在にあることにある。ここに、「王としての天皇」を具体的に考えることが歴史学にとっての一種の憲法的な義務となる理由がある。憲法の天皇規定の内容が基本的に歴史的なものである以上、その内容は歴史学に問わざるをえない要素がきわめて多いのである。

 天皇については、現在でも日本社会のなかには様々な意見がある。その地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」ものである以上、意見はまったく自由であり、しかも多様である。その多様性は、天皇がすでに法的には身分的にのみ存在する存在であることにもよっていると思う。

 もちろん、歴史の文脈に照らして、事実に即して議論を深めていくことは極めて大事なことである。その場合も多様性は前提となる。それは政治利用をさけるという良識が深まっていくのと並行する過程であろう。

 また、このことは、憲法が存在する以上、現実の制度やシステムを憲法にふさわしいものに維持することは当然として、それ以上の変更を直接の問題としないという姿勢を意味するというのが私見である。

 以上は安田浩氏の『天皇の政治史』について拙著『日本史学』(人文書院)で書いたものの、下原稿です(この拙著でも同じ趣旨を書いてあります)。原稿を書く中で、安田さんの本と、私の『平安王朝』の類似を感じました。

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