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2016年1月 6日 (水)

安土桃山時代はやめて安土大阪時代にしよう。室町時代もまずい

日本史の時代名と時代区分

 先日、京都駅のそばのアヴァンティという本屋でばったり、井上章一氏にあって立ち話。

 面白かったのは、「安土桃山時代」というのは時代名としておかしい。これは大阪城を無視するという心理が働いている。先日、ある雑誌で対談をした話しの続きになるが、これは一種の中央史観ではないかという井上氏の見解であった。共感する。地名を時代名につかうのならば、たしかに井上氏のいうように「安土大阪時代」が正しいと思う。

 先日の大阪ダブル選挙の問題があったので、「大阪」ということをよく考えるようになった。大阪を歴史の一つの中心にすえる歴史記述は必要だろうと思う。近代史の側で研究があるだろうが、大阪が日本経済の中心から外れていったのは、おそらく第二次大戦の戦争経済のなかではないだろうか。これによって大阪経済の活力が抜かれ、そして戦後、大阪資本のうちの大資本が東京に進出し、大阪はむしろそれらの大資本の活動の母体として利用され、大阪という町が疲弊していったのであろうと思う。高度成長とグローバル化がそれに拍車をかけたのであろうか。いずれにせよ、大阪が列島経済の中心であった時期というのを明瞭に描き出すことが大阪に歴史と文化を取り戻すうえでも基礎になるのではないかと思う。

 こういうことを考えていると、問題は「室町時代」「鎌倉時代」という言葉が正しいかということである。もちろん、現在のところ、この言葉を使わざるを得ないとは思うが、将来まで、それでよいとは思えない。つまり、子供たちに「室町」という言葉を覚えてもらう必要はどこにもないと思う。室町の「花の御所」の実態は重要な問題ではあるが、これは研究にとって重要であっても、室町という言葉はまったく必要ない。私は「足利時代」の方がよいと思う。たとえば原勝郎に『足利時代を論ず』という論文があるように、「足利時代」という言葉は明治大正のアカデミーではよく使われた言葉である。それなのに、なぜ「室町時代」が一般化したかといえば、これは「足利尊氏」が逆賊イメージとされた皇国史観の時期の慣習が残ったのではないかというのが私の疑いである。そして一種の中央意識がそこにもあったのかもしれない。東京か京都が中心でないとならないという意識である。

 また鎌倉時代というのも困った言葉で、この時期の国家が初めて全国的な軍事政権に展開している現実をとらえそこなわせる。ミスリーディングな言葉である。ここにはいわゆる「武家政治発達中心史観」が影響している。

 私は最近、江戸時代という言葉はまずい、京都の研究者が徳川時代と呼ぶのが正しいと考えるようになった。『日本史学ー基本の30冊』(人文書院)という読書案内は、その用語法で統一した。以上を一般化すれば、ようするに、地名を時代名にするのはやめた方がよいのである。

 それでは全体をどうするか。私は昨年出版した『中世の国土高権と天皇・武家』の序論で、基本的には8世紀から13世紀初頭(承久の乱まで)を王朝国家、それ以降を武臣国家としたらいいとしたが、ようするに北条時代、足利時代、織豊時代、徳川時代として「武臣≒武王」の氏族名で時代名をつけるのがわかりやすいと考えている。私見では、王朝時代は中世、武臣時代は近世ということになる。これは明日書くことにしたい。

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