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2016年2月

2016年2月25日 (木)

スーパーチューズデイでサンダースはアフリカ系の支持をえるだろう

 アメリカ大統領選挙の民主党予備選が27日のサウスカロライナ、そしていわゆるスーパーチューズデイ、3月1日の民主党の予備選は、アラバマ、アーカンサス、コロラド、ジョージア、マサチューセッツ、ミネソタ、オクラホマ、テネシー、テキサス、ヴァーモント、ヴァージニアで行われる。

 南部のアフリカンの人口の多い、サウスカロライナ、ジョージア、テネシーの結果がどうなるかは、今後の民主党予備選の行方を確実に占うものとなる。サンダースはアイオワで存在感を発揮し、ニューハンプシャーで勝利し、ネバダでもタイに近いところまでクリントンを追い上げた。

 サンダースに対するアフリカ系アメリカンの支持はネバダでは多くはなかったが、これは、今後、変化していく可能性が高いと、私は思う。アメリカ全体での、アフリカ系アメリカンの人口比率は10%をきるところだろうか。最近では、ヒスパニックの人口がむしろ増えているという。しかし、この10%の影響が大きいのは、オバマの選出過程で明らかであった。

 先日、このブログで、サンダースのユダヤ系の出自が移民国家アメリカのなかでどういう意味をもつかについて考えてみたが、アフリカ系アメリカンの側から問題を考えてみる。そのためには起点をやはり公民権運動におかなければならない。マーチン・ルーサー・キングJr.牧師の時代である。

 キング牧師が中心になった公民権運動は1955年のローザ・パークス逮捕事件への関わりが出発点であった。これは私たちの世代だとよく知られている、アラバマ州モンゴメリーで、ブラックのローザ・パークスがバス内で白人に席を譲ることを拒否し、逮捕されたという事件である。その地の牧師であったキングはこの事件に激しく抗議し、バス・ボイコットの運動を開始した。

 2004年に行われた全米の高校生の歴史意識調査(スタンフォード大、メリーランド大)では、(大統領を除いて)アメリカでもっとも有名な人物は?という質問に対して、67%がキング牧師、次の60%がローザ・パークスとなっている。オバマは、このような意識状況を条件として登場したのであって、これは、公民権運動がアメリカ社会に完全に受け入れられたことを示している。

 ただ、問題は、アフリカンに対する実質的な差別は明瞭に残っていることである。私は、アメリカには、一度、ボストンにいっただけだが、ホテルの受付や実務にいる人が、朝と夜で違う。朝・昼はホワイトで、夜はブラック。仕事の種類で肌の色が違う。ようするに職位が身体で左右されている。身分そのものである。それは我々がアメリカにいってもっとも感じる点の一つであろう。「公民権」というレヴェルでの変化は大きかったが、基本的な生活条件の相違にかかわる人種的差別は変わっていないところがある。

 藤永康政「黒人政治の黄昏ーーバラク・オバマの時代と公民権運動の選択的記憶」(『歴史学研究』907号。2013年7月)によれば、2008年でさえ、オバマに投票した白人、とくに白人男性は46%に止まる。2013年のギャラップ調査でもオバマ政権に対する黒人の支持率が89%であるのに対して白人のそれは35%に過ぎない。黒人差別が「大いに(a lot)ある」という世論はアフリカ系では50%近くあるが、白人は10%にすぎない。「公民権」の形式的平等を実現した後、実質的な平等を主張する動きは方向を失っているのである。アフリカ系の人びと自身のなかに、自身の状況が改善されていない理由は人種主義にあるのか、自己責任かという問いに対して、意見がなかばするという状況さえ生まれているという(世論調査機関ビュー・リサーチ・センターの調査結果)。

 しかし、この状況は2011年に始まったウォール街占拠運動、オキュパイ運動(Occupy Wall Street)以降の状況のなかで、変化をみせている。このオキュパイ運動は、水面下に潜ったように感じられていたが、サンダースの選挙運動のなかで完全に復活し、争点化した。「There is something profoundly wrong when the top one-tenth of one percent owns almost as much wealth as the bottom 90 percent」(トップの1%のさらに10分の一が、ほとんど90%の人びとのもっている富と同じほどに富を所有しているというのは、どこか根本的に間違っている)」という「富の格差」の不道徳性というサンダースの訴えは、人種をこえて強い力を発揮している。

 全般的な貧困化と格差ということは、富の分配の問題であるが、しかし、それは社会の構造の問題として提出されており、しかもそのなかで人種差別が頻繁に問題にされている。たとえばサンダースのツイッターには「We live in the world's richest nation and yet 37 percent of African American kids and 47 percent of Native American kids live in poverty」(我々は世界でも最も豊かな国に住んでいるのに、アフリカ系アメリカ人の子供の 37%、ネイティブ ・ アメリカンの子供たちの 47%がひどい貧困のなかで生きている)などという言及が頻出する。

 このような人種差別を批判する声が広く語られるのはアメリカ社会で久しぶりのことであり、これはアフリカ系の人びとのなかに時間がたてばたつほど浸透していくだろう。

 そもそも、右の藤永の論文がいうように、牧師マーチン・ルーサー・キングJr.は、暗殺される前に、公民権運動の枠を越えて、「dispossessed(所有せざる人々、もたざるもの)」たちを人種をこえて糾合する「貧しき人々のキャンペーン」に踏み出していた。それは同時に、当時、アメリカが行っていた「汚い戦争」、ベトナム戦争に対する反戦運動にも展開し、明瞭な政府批判の運動に展開していたのであって、キングは、ここに踏み出たからこそ、1968年に暗殺されたのである。

 これまで、公民権運動の意義が社会的に承認されるなかで、逆に、最晩年のキング牧師の動きは記憶の下層に潜められていた。端的にいえば、アメリカ社会はキング牧師が暗殺された歴史の現実の一部を選択して記憶の表面に押し立てて、キング牧師が暗殺された理由と現実にヴェールをかぶせていたということになる。

 これから6月まで続く民主党の予備選挙のなかで、その記憶が呼び出されることになるのはおそらく必然である。キング牧師はジョージア州アトランタで生まれており、ローザ・パークス逮捕事件のおきたアラバマ州モンゴメリーの教会の牧師であった。

 3月1日のスーパーチューズデイには、キングの生地ジョージアと、ローザ・パークス逮捕事件の現場、アラバマが舞台となる。もちろん、キング牧師はアメリカでは第一級の人物であり、宗教的にも偉人として尊敬されている人であるから、そこで呼び出されるキング牧師の記憶は決して単純に対抗的で荒々しいものにはならないだろう。

 そこで直接に呼び出されるキング牧師の記憶は、おそらく1963年のワシントン行進におけるリンカーン記念堂の前の集会で、キング牧師が行った有名な“I Have a Dream”という演説、人種間の協和をうったえる演説にそくしたものになるだろう。アメリカでは、このワシントン集会にサンダースが活発な活動家として参加していたことは多くの人が知るようになっている。サンダースのキャンペーンページに「August 1963. An organizer for the Student Nonviolent Coordinating Committee, Sanders takes an overnight bus with fellow activists for his first-ever trip to Washington, D.C. He hears Martin Luther King Jr.’s historic “I Have a Dream” speech firsthand at the March on Washington for Jobs and Freedom.」(1963年8月。学生非暴力調整委員会の組織者として、サンダースはシカゴから夜行バスを仕立てて仲間の活動家とともにはじめてワシントンD・Cに行き、マーチン・ルーサー・キングJr.の歴史的な“I Have a Dream”という演説を聞いた)とある通りである。

 公民権運動も、ベトナム反戦運動も、実際には激しい運動であったが、歴史は、すでにその正統性を確認しており、それによってさらに受け入れやすいものとなっているといってよい。これはサンダースにとって有利なことであろうと思う。

 もちろん、事態がどう展開するかはわからない。アメリカは巨大な帝国であって、一押しでかわるものではない。とくに繰り返しているように、サンダースが、外交政策の上で、どのような方向をだしていくかは、まだまださまざまな問題を含んでいる。しかし、歴史家としては、アメリカの人びとが第二次大戦後、60年代の歴史を、いま実感をもって振り返る機会をもてていることをうらやましいと思う。

2016年2月24日 (水)

歴史と単独者


 歴史というのは、結局、単独者として過去の総体に向き合うということである。過去のすべての世界のなかへ入っていき、それが目の前に広がっていき走馬燈のように回り出すという感覚である。単独者として世界史の総体に向き合うということである。それは追体験の立場であり、共感とヒューマニズムにかこまれた過去にむけた文化的な愉楽の世界である。

 しかし、追体験によって過去を客観化するということは過去を突き放すことである。それは人が、過去を向いたまま、背中の側から、まさにBack to the futureの姿勢で時間のなかを激しい勢いで突っ切っていくということを意味している。過去を追体験し、それを明瞭にかつ広範囲に対象化すればするほど、過去を突き放す力は強くなり、時間を突っ切っていくスピードは急速になる。それは共感とヒューマニズムの世界を走馬燈のように動かす世界であって、そこには永遠の虚無が入ってくる。

 それはキルケゴール的にいえば想起の立場であり、ユーモアの立場であるが、ユーモアは人と人との間に距離を設定し、それとともに、そこに喜劇性を見出す作業である。それは想起の作業を笑いに充ちたものにするが、それはやはり事態を客観化して、人びとは想起によって実存から永遠性に後退していくことになる。

 その意味で、歴史学は永遠なるものを時間の一点に発見する一神教における永遠性と似た感覚をもつのであるが、しかし、それは神の姿をとらない。それはより徹底した自己の相対化と現在の相対化であって、無限に無神論に近づいていく。そこに登場するのは巨大な歴史の姿それ自体であって、しかも、その一つ一つの要素は無限に極小であるからこそ、ヒューマニズムの対象となり、それに対する追体験は、それを壊すものに対する歴史の怒りをもたらす。虚無は怒りによって満たされる。歴史学は、こうして歴史の怒りを体現する学問になるのであるが、しかし、問題は、人間が行う学術である以上、そこにはアイロニーが忍び込んでくることである。人は怒っているだけでは身がもたない。ヒューマニズムは怒りに燃料を注ぎ込むだけであるが、アイロニーは怒りに対する諦念となり、救いとなる。

 アイロニーは他者である。私たちは、単独者として過去の総体に向き合うのであるが、実は、私たちの隣に同じ単独者を発見することによって、ヒューマニズム→怒りの世界から、急に、現在の私たちの現状をアイロニーをもって発見するのである。こうして、歴史学は、「ヒューマニズムと怒りとアイロニー」をもって他者と協働の世界を発見するはずである。

 それこそが歴史的実践の世界であるはずであって、歴史学は人びとをゆっくりと実践の世界に接近させ、そこに直面させるはずのものである。現在の歴史学はそうはなってはいないかも知れないが、歴史学の地下の作業場を通っていく道の角の向こうには、つねに実践の世界がある。

2016年2月23日 (火)

紀元前後から4回目の大地動乱の時代がくるのかどうか。

 火山学・地震学の人には怒られるのではないかと思いますが、私は、大地動乱の時代が日本列島にはだいたい700年周期で起こるのではないかと考えています。

 それは3,11のような東北地方(奥州)巨大地震、そして南海トラフ巨大地震、さらに富士の噴火が200年ほどの間に連続するということによって特徴づけられる大地動乱の時代です。

 これは紀元前の富士の噴火、分厚い津波痕跡を残した南海トラフ巨大地震と奥州津波、次ぎに8世紀から10世紀の、南海トラフ巨大地震、869年奥州大津波、そして、富士五湖を形成した富士噴火に続きました。

 その約700年後にも戦国時代から徳川初期にかけての大地動乱の時代が続きました。享徳の奥州津波、宝永の南海トラフ巨大地震と富士噴火です。

 2011年の3,11は869年の奥州津波とほぼ同規模といわれており、今後30年で相当の確度で発生するといわれている南海トラフ巨大地震は大きくなるのではないかという予測もあります。そして、その前後に富士噴火があるのではないかというのは、大げさないわゆる「世を騒がせる」発言のようですが、まだまだ先のことではありますが、一つの可能性としてありえないことではないと考えるに至りました。
 
 紀元前後から4回目の大地動乱の時代ということになります。

 それを考える上で、示唆的なのは、最後にも引用しますが、1985年に『正論』175号に乗った下記の益田勝美氏の警告です。

 「時を定めず断続的に火を燌く山々をもつわたくしたちの国は、その各地のマグ マの神とどうつきあって生きるかが、歴史的大課題である。ひたすら忌み恐れて祀った昔とかわり、現代的に科学的なつつしみ深い対し方が必要ではなかろうか、と思う。こんど大島でもあわてて観測機器を追加配置したが、全国の火山地帯にはもっと大規模な観測網を敷く必要があろう。火山国だから、これは不可欠・不可避のことだ。それと、気がかりなのは、現在の 大島を見ても、機器の 針が描く波線ばかりに頼りすぎていること。火山地帯には、常時、パトロール隊を置き、人間の五官を総動員して歩き回って見張るべきだ。たとえ物入りでも、手は抜けない。科学の力と人間の力を組み合わせて、全体的に見るべきだろう」(『正論』175号)。

 この益田の提言を考える上で、重要な著作が、最近、二冊、刊行されました。一冊は、これまでほとんどの人が知らなかった上記の文章を、青土社の編集者の榎本周平氏が確認して、そのほかにも知られなかった文章をふくめて、編集した、益田のアンソロジー『日本列島人の思想』です。

 そしてもう一冊が、このアレクサンドル・ワノフスキー『火山と日本の神話』です。
Wanofskicci20160222

 この本は私も出版に関わっていますので、こちらから紹介しますが、丁寧につくられていて良い本だと思います。

 これに関わった最初は、急に社主の方からメールが入って、ワノフスキーの本について読んでほしいということでしたので、本書に収録されている1955年に出版された『火山と太陽』のコピーを送ってもらって、読みました。そして自宅近くまで来てくれたので会って、感想を伝えたことでした。

 あとがきに「無名の亡命者による古事記研究を紹介したところで読んでくれる人がいるのだろうかという疑問は、この企画の初めから消えることはなかったのですが、各分野の一線で活躍しておられる専門家に現代的異議を認めていただいたことで、こうした形での出版が実現できました」とあるように、最初にお会いしたときは、この本の価値を評価できるかという質問でしたので、価値があること、そして出版するのならば『火山と太陽』は全文を入れた方がよいと伝えました。全文が第一部としておさめられています。

 第二部は、宗教哲学の鎌田東二氏(京都大学)、地質学の野村律夫氏(島根大学)、そして私の解説で、私は、「歴史学からみる火山神話」という文章を書いています。小見出しをあげますと「すべてを火山から考える、天孫降臨についての独自の主張、ワノフスキー古事記論の限界と問題点、歴史学にとっていま必要なこと」ということになります。

 最初の「すべてを火山から考える」という節の最初の部分だけを引用しておきますと、次のようになります。
 ワノフスキーの論文「火山と太陽」は興味深いものである。それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった。同じような主張を最初に明瞭に述べたのは、おそらく寺田寅彦が一九三三年に書いた論文「神話と地球物理学」であろう。寺田という と「天災は忘れた頃に」という名言が有名であるが、私は、この寺田の論文の価値はきわめて高いと思う。寺田の論文は素戔嗚尊についての記述が 詳しいとはいえ、「国生神話」「出雲神話」その他の論点についてもふれており、ワノフスキーはこの寺田の論文をうけて、その議論を展開しているといってよい。両者を並べて読むことによって、私たちは、この国の神話研究の問題点を探り、それを発展させていくための示唆をえることができると思う。

 とはいえ、ワノフスキーの視点は、寺田の地球物理学的な視座とはまったく異なっていた。それは若い日にみたという何処か異国の火山噴火らしきものの夢に発した詩人的な直観によるものである。しかし、神話の世界を知るためには直観なるものも有効であろう。その意味ではワノフスキーが日本神話を火山的モチーフの観点から再検討しようとしたことは価値あるものであると思う。

 「倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えよう」という立場は益田勝美も似たような立場をとっています。それは本書の日経新聞での紹介(2月7日)にもある通りですが、ただ、益田の見解はおもにオオナムチ(=大国主命)が火山神であるということを中心としています。

 それに対して、ワノフスキーは「国生神話」は大地の女神イザナミ(伊邪那美) が子どもを産むようにして、列島を噴火によって生みだしたということであり、スサノヲ神話は(素戔嗚)はスサノヲが火山神であり、同時に地震の神であることを示している。また、天孫降臨は天上の神話世界と火山神話世界の相互作用を描いたものであり、その舞台は九州の火山地帯にある。そして、出雲がもう一つの神話の主要な舞台として、それに対置されるのは、出雲火山帯の存在に理由があるということになる。

 つまり、実際上、倭国神話のすべての物語に火山神話が深く関わっているという想定を述べています。右の文章の冒頭で「それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった」ということになります。

 ただ、これは「想定」であって、十分に倭国神話のテキストを分析したものではありません。率直にいって、そこで述べられているのは発想であって、学術的な作業ではないと思います。しかし、右にまとめたように、倭国神話の多くの側面について、これを全面的に述べたという点で、ワノフスキーの仕事が独創的であったことは否定してはならないと思います。学者は、おうおうにして証拠を細かく具体的、専門的に論じないと評価しようとしませんが、発想と議論の方向を示すことには独自の意味があると思います。今後の研究にとっては、かならず参照の対象として読んでおくべきものであると思います。

 なお、そういう記述のよいところは、ペースに乗ってしまえば読みやすいということで、このワノフスキーの文章も読みやすいものです。ただ、どこに意味があって、どこが思いこみによるものかを明瞭に区別しにくいことに注意しておく必要があります。ですから、読み方としては、興味をもった方は、右の拙文「歴史学からみる火山神話」でふれた松村武雄・益田勝美などの仕事とあわせて点検することが必要だと思います。学術的な分析としては不十分なものであることをふまえた上で読むべきものです。

 なお、第三部のワノフスキーの評伝は興味深いものです。この部分は、出版社社主の蒲池氏が早稲田の滝波秀子氏への取材をもとに執筆したもので、ワノフスキーがロシアにおける革命運動に参加していて、レニンとも面識があったこと、日本に亡命してきてからは北一輝・大川周明などの右翼関係者との関係が強かったことなどが、これも分かりやすく書かれています。

 とくに興味深いのは、北一輝が強い火山幻想をもっていたこととワノフスキーの仕事の関係が示唆されていることで、これは一九世紀世紀末から二〇世紀にかけての非合理主義と神秘主義をめぐる思想史にとってはきわめて興味深い問題だと思う。(史料的に可能ならば)さらに詳細な研究が望まれるところだが、北一輝の火山幻想が法華経に登場する火山幻想にベースがあったというのが興味深い。これについてはシン東風「仏典に見られる『大地震動』」があって、仏典の世界観の特徴であることがわかるが、北一輝の法華経は、宮沢賢治の法華経信仰にもつらなり、宮沢の火山幻想にもつらなっていく。

 ただ本書で最大の読み物はやはり第二部の鎌田氏と野村氏の文章であろう。

 野村氏の文章は、出雲の地質学的な分析にふれたもので、これはさらに本格的な分析が望まれるところである。私見は「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」『アリーナ』18号で述べたが、私も、出雲神話の分析にはこれが必須なのではないかと思う。


 そして、鎌田氏の文章はインタビューであるが、本書は、ここから読むことをお薦めする。インタビューであるだけに分かりやすく、倭国神話を火山神話を中軸にとらえるべきであるとしたワノフスキーの仕事にプライオリティを認めるべきであることなど明解な指摘がある。

 私はこのインタビユーを読んで、鎌田と中上健次の対談『言霊の大地』に進み、強いショックをうけた。この間の研究は、火山神話から神道論へという益田の議論にそって進めてきたが、その道を鎌田氏がすでに早くから歩んでいたことを知らなかった。宗教学・歴史学・人文学の世界というものは広く深いものだと思う。ここで底を打つことができたかどうか、私には分からないが、ともかく大きなショックであった。

 さて、鎌田氏のインタビューで、とくに共感したのは、先行する学説として益田勝美氏の仕事をあげ、結局、益田の仕事を折口信夫の仕事より高く評価すると述べているところである。私もそう思う。折口は「恐るべき神」の存在を示唆していはいるが、具体的な言及はなく、火山を中心とする「自然神」については、基本的に益田に依拠して考えていくほかない、それ故に神道についてもそうだと思う。これについては、拙著『日本史学、基本の30冊』(人文書院)で、安藤礼二氏の『場所と産霊』を紹介するなかで、「折口が「産霊」という神名を本居宣長の見解にしたがって「物を生成すことの霊異なる神霊」と理解し、さらに「結び」「縁結び」に引きつけて敷衍した自体は、ムスヒのヒは清音であることが論証されており、すでに学術的にはなりたたない見解である(溝口睦子『王権神話の二元構造』)。安藤はこのことにふれていないが、まず本居の見解自体も錯誤であって、ムスヒとは「蒸す火光=熱光」、つまり雷電の光りを意味すると述べた。

 折口信夫の「ムスヒ=結び=愛」という議論は折口の神道論の中枢をなす議論であるが、むしろ「ムスヒ=蒸す火光=熱光=雷電光=火山雷」というのが事実なのである(保立『歴史のなかの大地動乱』)。

 以上、簡単な紹介となったが、本書の次には、益田勝美の『火山列島の思想』と、さらに益田勝美『日本列島人の思想』(青土社)に進まれるのがよいと思う。前者は著名なものであるが、入手しがたかったものが、最近、講談社学術文庫で新刊された。しかし、とくに注意しておきたいのは、冒頭でふれた『日本列島人の思想』である。『火山列島の思想』の続きとして重大なもので、これまで知られていなかった文章を含み、益田の仕事を追っていく上で必須の著作である。

 『日本列島人の思想』の冒頭に入れられた、益田の著作集(全仕事)にも収録されていなかった文章の冒頭を、以下、引用しておく。

 「時を定めず断続的に火を燌く山々をもつわたくしたちの国は、その各地のマグ マの神とどうつきあって生きるかが、歴史的大課題である。ひたすら忌み恐れて祀った昔とかわり、現代的に科学的なつつしみ深い対し方が必要ではなかろうか、と思う。こんど大島でもあわてて観測機器を追加配置したが、全国の火山地帯にはもっと大規模な観測網を敷く必要があろう。火山国だから、これは不可欠・不可避のことだ。それと、気がかりなのは、現在の 大島を見ても、機器の 針が描く波線ばかりに頼りすぎていること。火山地帯には、常時、パトロール隊を置き、人間の五官を総動員して歩き回って見張るべきだ。たとえ物入りでも、手は抜けない。科学の力と人間の力を組み合わせて、全体的に見るべきだろう」(『正論』175号)。

 この益田の提言は1985年のものだが、これはいまこそ熟読の価値があると思う。私は、益田の仕事は「古代を対象とする歴史学が学ぶべき、文学史研究においてほとんど唯一といって良いほど屹立した仕事である」と考えているが、ここにはともかくも筋道を通そうという体系的で、強靱な思索がある。体系というと、なにか自己から離れたもののように思うが、しかし、そうではなく、思考の筋であり、樹木のようなものだ。根っこであり、幹であり、そこから枝に通っていく樹液のようなものである。

  ワノフスキーの本書から、益田の『日本列島人の思想』『火山列島の思想』へ進んでいくことは、人文科学にも体系性があるのだ、そして体系があるということは、それがたんなる教養ではなく、現代の実践的な問題に連なるということなのだということを実感していただく上で重要だろうと思う。

2016年2月22日 (月)

B・サンダースがアフリカ系の支持を集める条件

 サンダースがアフリカ系アメリカンから、どこまでどういう支持を得られるかが民主党予備選の状況の少なくとも一部を決めることになりそうである。ネバダでは、出口調査では、クリントンがアフリカ系の76パーセントの支持をえていたという。

 サンダースはユダヤ系のニューヨーカーである。ユダヤ系の知識人とアフリカ系アメリカンの政治的融合と連携が、どこまで深いところで可能かという問題は、アメリカの政治、さらには文化それ自体において大きな試金石であると思う。

 サンダースの若い時期は、マーチン・ルーサー・キング牧師の公民権運動への参加から始まった。その歩みが政治的な果実をもたらすことを期待し、それがアメリカにおいて歴史的な必然であるのは明らかだと思う。

 しかし、それが、どのようなテンポで進むかが問題である。以下、ユダヤ系の人びとの立場から、それを考えてみる。

 アメリカのなかでのユダヤ系の人口は1%から2%で、500から600万。アフリカンの人口から比べると圧倒的に少ないが、移民国家としてのアメリカにおいては、ユダヤの人びとのもつ意味は大きい。一つは歴史であって、ユダヤの人びとは、その存在自身によってアメリカと中欧・東欧との関係を象徴している。ユダヤ系のアメリカンはナチズムによる迫害の記憶をもっとも純粋な形で記憶しているユダヤ系集団である。

 アメリカ在住のユダヤ民族の人口はイスラエルを凌駕しており、彼らの歴史意識はむしろユダヤ系の人びとの歴史意識を決定していく力をもっている。たとえば、ドイツから亡命してきた哲学のハンナ・アーレントが、アイヒマン裁判についてナチスの「人類に対する犯罪」が「凡庸で表層的な悪」によって媒介されていたと論じたとき、それはイスラエルユダヤ社会からの強い批判をうけた。しかし、結局、アーレントの思考の影響の強さこそが現在にまで残ったのである。ユダヤ系の人びとの影響はアメリカとヨーロッパの関係の基本に達するものであって、移民国家としてのアメリカにとって根本的な位置がある。

 そして、現代の世界政治の現実においても、アメリカーイスラエル関係がある意味では総体を決定するような意味をもっていることはいうまでもない。アメリカのエスタブリッシュメントの間では、イスラエル支持は強固なものがあり、これは決して直接に公的なものではなく背景であるとはいっても、イスラエルへの軍事的支持における最大の要因である。

 しかし、他方で、ユダヤ系アメリカ人の相当部分は、実際にはイスラエルに対して批判的である。彼らはイスラエルが完全に孤立し、欧米から見放されることは望まない。彼らはパレスティナとイスラエルの間で、いわゆる「二国家解決」が実現するのを望んでいる。それはしばしば中東問題全体に対する歴史的理解を欠いたヨーロッパ中心主義的な視線にとらわれたものであるかもしれない。

 それでも何よりも重要なのはユダヤ系アメリカンはイスラエルを故国・故郷とは思っていないことである。彼らの民族的・文化的故郷はヨーロッパなのである。ユダヤ系アメリカ人のもっているジレンマは、現代史におけるヨーロッパーイスラエルーアラブの動きが作り出したもので、歴史によって作り出されたコンプレクスである。

 アメリカにおいて、このイスラエル・コンプレックスが、どう解けていくかは、中東情勢にとっても決定的な意味をもっている。アラブパレスティナ系ののエドワード・W・サイードとユダヤ系のノーム・チョムスキーの思想的な対話と友情は、そのコンプレクスをどう解いていくかという中心問題にふれている。

 私は、そこに希望があり、それが可能であると考えるが、イラク戦争によって作り出された中東の惨禍が平和への恢復に向かっていく上で。これは現実的な意味をもっている。これによってアメリカのエスタブリッシュメントのイスラエルに対する軍事的支持を堀り崩されることが、中東問題解決の国際政治過程の基礎にあることは明らかである。その点で、サンダースがヴァーモント市長のときチョムスキーを市ホールでの講演に招いたことは象徴的である。

 移民国家アメリカではユダヤ系の人びとに対する視線はきわめて複雑である。まずは第一に、ユダヤ系の人びとの相当部分が家族や近親にナチによる迫害をうけた人びとをもっている。サンダース自身、ポーランドのユダヤ人移民の子で、父親の近親はナチスによる迫害をうけたという。ナチに対する憎悪はアメリカの民族的な記憶の枢要部分を構成しており、ユダヤ系の人びとは、そのような合衆国の民族意識のなかで独特の位置をもっているのである。

 それは第二に、ユダヤ系の人びとの集団が、その宗教的性格を中心に目立った存在であることに関わっている。それはいわゆる「さまよえるユダヤ」という文化的象徴性にも対応しており、ポーランド系、イタリア系、アイルランド系などのヨーロッパ由来の人びとが徐々に独自性を解消しつつある状況のなかで強い喚起力を持ち続けているのである。

 そして、さらに問題なのは、第三に、ユダヤ系の人びとがアメリカの一種の知性主義や都市性を代表していることである。アインシュタインのことを想起するまでもなく、アメリカの学術文化においてはユダヤ系知識人の位置はきわめて大きい。それはアメリカ知識人のなかに存在する知性主義的な左翼性の重要部分に位置するのである。

 これは必然的に知性主義・主知主義に対する反発を社会のなかに生み出す。アメリカの反知性主義を分析した、森本あんり『反知性主義』(新潮選書)は、この「反知性主義」は、知性が現実にはしばしば特権であるという状況に対する批判という側面をもっており、ある意味で生まれるのが当然であるという。私も、それは「知」に対する「身」の反発であって、根本的にいえば、それ自身は当然の健康なものであることをふまえることは社会論にとって基軸的な意味があると考える。

 森本の『反知性主義』(新潮選書)は、思想としての反知性主義は現代史においてアメリカが生み出したものであることを明らかにしている。森本によれば、それはアメリカのキリスト教会の大衆主義に根があるのだという。それは「ハーバード主義・イェール主義・プリンストン主義」に対する鬱勃たる反感として存在しており、きわめて根深いものであるという。心配なのは、サンダースが、こういう意味での反知性主義からの標的にならないかということである。
 
 私は、アメリカ文化のなかで、もっとも好ましいのは、マーク・トウェインの『トムソーヤー・ハックルベリーフィン』であり、ジーン・ウェブスターの『あしながオジサン』であり、モンゴメリの『赤毛のアン』であると思う。これは私のような世代の思いこみかも知れないが、これらの物語のなかにあるアメリカ的な身体性にみちた真面目さが好ましい。それこそが、反知性主義の正当な部分を救いとって前に進むことを可能にするのではないかと思う。これがアフリカ系アメリカンの人びとともっとも相性があうということも明瞭のように思う。サンダースがこのアメリカ的な文化の身体性を味方にし、それによって反知性主義を説得できるかどうかというのが問題なのであろう。

 もちろん、サンダースは、好感のもてるオジイサンであるから、この点でも善戦できると思うが、心配なのは、そもそもこのアメリカ文化のもつ素朴な身体性の真面目さが、アメリカ社会のなかで陰の方に行っているのではないか、そういうもっとも好感のもてるアメリカ文化が、どこか低調になっているのではないかということである。

 端的にいえば、そういう「古き良きアメリカ」自体が、アメリカ社会における現代世界では異常といってよい基層的な暴力性の持続、「西部劇」状態の継続のなかで、すり切れているのではないかという心配である。今日の新聞には、ミシガン州でも銃乱射によって6人死亡という記事があった。非暴力というサンダースの思想がはやく役割を発揮できるようになってほしいと思う。

2016年2月21日 (日)

ネバダの結果とスーパーチューズデイの予測

 ネバダの民主党の党員集会の結果は、クリントンとサンダースの差が4ポイントというところまで接近したことを示している。最後に幾つかの情報を私訳しておいた。

 とくに大きいのは、一部の報道とは違って、クリントンがヒスパニック系で強いという前評判が、はじめて覆ったことだ。ラテンアメリカ系の人びとへの出口調査で、サンダースは8ポイントの差をつけて、クリントンを追い抜いた。

 この傾向は全国的に拡大するものと思われる。全国の世論調査でも、クリントンとサンダースの支持率はほぼクロスするところまでいっている。
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 ヒスパニックとアフリカンの間での支持がサンダースに向かうのは必然的なことであろう。アフリカンの中では議員の支持は依然としてクリントンが強いが、著名な牧師さんたちの支持はサンダースに向かっている。

 こうなると、最初はとても予想できなかったことだが、スーパーチューズデイの後もサンダースが民主党の指名選挙のトップメンバーとして残る可能性が高くなったといえるだろう。
 
 全体の状況がどう展開するかは、共和党・民主党の関係の在り方、トランプの優位がどう反応するかなど、専門家ではない私にはわからない。

 しかし、重要なのは、3月に入ってもサンダースの強力なメッセージを発信しつづけた場合の、日本の状況への影響である。

 日本の政治はアメリカが風邪をひけば日本は肺炎になるというのは、よくいわれたことだが、逆にいうと、それは、よかれあしかれ、アメリカの熱気は、日本に伝染しやすいということである。

 実際、サンダースが加わった70年前後のアメリカの公民権運動、ベトナム反戦運動は、日本の政治に実に大きな影響をあたえた。これはネットワークの発達した今日ではさらに増幅した相互影響があるだろう。先日の五野党の選挙協定をふくむ合意は意味が大きくなるかもしれない。

 日本とアメリカの政治情勢が響きあう、政治の国内的契機と国際的契機が相互影響するということは、現代世界では、社会のなかに議論を引き起こすもっとも大きな条件になる。

 先日の自民・丸山和也議員の「奴隷がアメリカの大統領になるなんて...」などという発言が世界中に広がった事態は、今後も起こる可能性が高く、日本の政治局面は、そのような横波に対してきわめて無防備である。しかも、今回の場合はアメリカからの横波であって、日本の政治風土からすると、確実な影響をあたえるだろう。
 
 グローバル化の時代というのは、政治よりも経済、経済よりも情報の流れが速いという時代として始まったが、政治の動きもそれなりに早くなるとすると、日本の現在の支配的政治家には気が休まらない状態が続くだろう。

 しかも、その基礎に現在の日本の国家システムが経済を統括できないのではないかという世界の目があるから、なかなか厳しい時代になる。

 ジャーナリズムも現在の政府ではなく、日本の国家と国の過去と将来自身を中心にものを考えることを強制されるはずである。

 
 そういう観点からすると、現在の内閣と政府それ自身の違いさえもふまえないようなジャーナリズムが存在することは信じられない事態である。
 
 そもそも、学術の用語では、内閣と政府が違うものだというのは自明なことである。内閣は変わる。そして政府も国家それ自体ではない。さらに国家も国民とは違うというのは社会科学の常識である。

 そして、普通の歴史家の立場からすれば、さらに現在の国民と過去の国民は違い、現在の国民は将来の国民のみでなく過去の国民と歴史に責任をもたざるをえないというのが健全な歴史意識である。そして、第二次大戦後の歴史学は、こういう過去・現在・未来についての考え方を「国民」に限らず、世界史の上にまで拡張することを最終的な目標としてきた。

 私たちの世代の歴史家は、家永先生の教科書訴訟における杉本判決が「政府と国家は違う」と述べたことに教え、政府と国家を同じものであると感じるのは、異なる概念を同一視するものであるということを教えられた世代である。

 それにしても、「奴隷がアメリカの大統領になるなんて...」などという発言をし、それがどういう反応をもたらすかの実感と予測がない「国会議員」がいるというのは、驚愕の対象である。

 迂闊なことに、そこまでとは思っていなかった。この驚愕を前提にして学問をやっていかざるをえないということが幸せなことか。あるいは学問にとって不幸なことか。それは私にはよくわからない。、

ネバダの民主党のについてのバーニー自身のメール:【ネバダの結果】。(Democratic Undergroundから)

 ネバダの最終結果が入ってきた。私たちは若干少ないといってもクリントンとほとんど同数の代議員を確保して、他の州に向かうことになるようだ。

 私は、この結果が意味するものについて完全にはっきりとさせることが必要だと思う。:

 ネバダは、クリントンの選挙運動にとっては「おあつらえ」の州で、彼女は40ポイントのリードを確保していた。

 しかし、今日、私たちは、この国の政治経済を支配するエスタブリッシュメントを麻痺させるようなメッセージを送った。わたしたちのキャンペーンは、どこでも勝つことができるということだ。

 来月は、26の予備選挙と党員集会が幹部会がある。私たちの運動がもたらしたこの間の3つの明瞭な結果は、私たちの対立候補と彼女の政治資金組織に資金を供給している百万長者や億万長者から強硬な反応を呼び起こすでしょう。

 私たちは彼らのベストショットを迎える用意をしましょう。それはすぐそこです。

 今夜から我々のキャンペーンへの支援をお願いします。我々はこの民主党予備選とホワイトハウスを勝ち取り、億万長者の階級から、この国を取り戻すでしょう。
 
 私たちはまだ投票されていない州で、劇的な勢いで差を詰めています。私たちの政治革命が成功する道は確実に開きつつあります。
 
 一緒に立ち上がり続けるならば、私たちは勝ち続くことができます。
 連帯を、
               バーニー・サンダーズ

【B・サンダース】プレス・リリース。
ネバダにおいて、サンダーズはラテンアメリカ系投票で勝利した
2016年2月20日

 サンダーズ上院議員は、ネバダの党員集会で、クリントンに50ポイントも負けていたところから、4ポイントにまで迫った。
 サンダースがネバダでそこまでの支持をえた鍵は、彼がラテンアメリカ系有権者からの強い賛意をえたことにある。

 出口調査によると、サンダーズはラテンアメリカ系有権者の間で8ポイントの差をつけて勝っている。

 バーニーの副政治部長の一人、アーテューロ・カルモナは“私たちが、今日、知ったのは、ヒラリー・クリントンがラテンアメリカ系有権者を強く囲い込んでいるというのは一種の神話に過ぎなかったということだ”。

 “ラテンアメリカ系コミュニティは、移民制度を改革し、大多数の家族のための経済というバーニーサンダースのメッセージに強く反応した。

 これは、今後、コロラド、アリゾナ、テキサス、そしてカリフォルニアなどの諸州に進んでいく段階できわめて重要な達成となった“

2016年2月19日 (金)

岡本太郎記念館 が「企画展、「生きる尊厳 -岡本太郎の縄文-」を開催する

Kyoko Nakanishiさんのツイッターで岡本太郎記念館 が「企画展、「生きる尊厳 -岡本太郎の縄文-」を開催するのを知った。これは見に行こう。
 2016年3月2日(水)〜7月3日(日)。國學院大學博物館の協力のもと開催致します!」ということ。
 
 石母田さんと岡本太郎はどこかで接点があったらしい。
 岡本の『日本再発見ー芸術風土記』出雲の項の一節に次のようにある。

 先日、石母田正に会ったら、大国主命は土着の神ではないという新説をたて、いずれ発表して定説をくつがえすと言っていた。出雲大社は伊勢神宮や鹿島神宮と同じように、政治的な意味で中央から派遣された神社であり、大国主命の伝説も、むしろ近畿、ハリマあたりの方が本場だというのだが。

 「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」(『アリーナ』18号で次のように書いた。
岡本太郎と石母田正の交友の経過は知らないが、気の合う仲間だったのであろうか。この文章がのった『芸術新潮』は一九五七年七月号だから、岡本が出雲を訪れたのは、その年の初夏らしい。だから、石母田が岡本に右のようなことを語ったのは、それ以前である。
 石母田が出雲神話を論じた第一論文「国作りの物語についての覚書」は、同じ年、一九五七年の四月に刊行された『古事記大成(二)』(平凡社)に載り、第二論文「古代文学成立の一過程(上・下)は、同じ四月・五月に発行された『文学』(二五−四・五)に載っている。つまり、石母田はおそらくこれらの論文を書いている途中か、書き終えた頃に岡本と話したのであろう。これは、この時期の石母田の研究関心を示す重要な情報である。
 岡本の文章に注意されたい。「出雲大社は伊勢神宮や鹿島神宮と同じように、政治的な意味で中央から派遣された神社であり」という部分である。石母田は右の論文では、まだそこまでは踏み込んでいない。これらの論文に目途をつけた段階で、その先の抱負を岡に語ったのであろう。この出雲大社論が実際に論文「日本神話と歴史
──出雲系神話の背景」に発表されたのは、二年後の一九五九年六月となった(『日本文学史三』(岩波書店)。

 岡本はフランス留学では最初人類学を学び、ジョルジュ・バタイユとも強い友人関係にあったという人物で、その縄文文化論は面白い。
 石母田さんの記念のためにだけでも見に行きたい。どういう関係だったかも知りたいものだ。
 右の論文の出だしは、下記。


 一九四八年に発表された石母田正の「古代貴族の英雄時代」という著名な論文は、まだしかるべき研究史的な評価をえていない。この論文達成と限界、そして誤りを確認することはきわめて重要である。私には、それが曖昧になっていることは、この国の「古代史」研究における戦後派歴史学の初心に関わる問題であるように思える。
 この論文のことを考えるためには、まずその時代に戻って考えてみる必要がある。そこで、最近、たまたま目に触れた、岡本太郎の証言を紹介するところから始めたい。

サンダースの移民政策と2月16日のツイート

 サンダースの2月17日のツイートに下記のようにある。

 Our country is great because we are the sons and daughters of immigrants, and I think we should all be very proud of that.
 私たちの国は我々が移民の息子であり娘であるからこそ偉大なのであって、私たちは、そのことに誇りをもつべきだと思います。


 これは移民についての政策論のなかでの発言としてはその通りだが、「移民」によって抑圧されたネイティヴアメリカンの人びとには辛い発言である。これが「移民国家」アメリカの難しいところだろうと思う。

 サンダースがどのような外交政策を出してくるかに注目しているが、それは一種の「アメリカ大陸+アフリカ大陸」「モンロー主義」のようなものになるのではないかと思う。

 結局、外交政策というのは世界観である。それは合衆国が深い関係をもつ、アメリカ大陸とアフリカ大陸という二つの大地域の自立と平和の要求ということである。

 ヨーロッパをのぞけば、アメリカの人口の相当部分はこの二つの大地域に由来している。歴史学が共通して語るのは、16世紀における世界資本主義形成が、まず南アメリカにおけるインカ・マヤ文明の抑圧と大虐殺、アフリカにおける虐殺と奴隷購入によって支えられていたことである。ヨーロッパ文明は世界中でもっとも野蛮で暴力的な文明であって、他大陸の富の収奪によって支えられていた。やや後のことになるが、ジェームズ・ワットの蒸気機関の発明に融資された資金のことごとくが奴隷貿易からの収益であったという。ロビンソン・クルーソーと奴隷フライデーの話は、実際にはひどく残虐な話なのである。

 これはヨーロッパの罪過であるが、アメリカ合衆国は、このヨーロッパの罪過を条件として作られた国であり、合衆国はヨーロッパにかわって、その歴史的負債を返却しなければならない「移民国家」なのである。その自覚のもとに「アメリカ大陸+アフリカ大陸」の繁栄と平和をめざすというのが、彼らの世界観にならなければならない。

 サンダースのいうように、アメリカが相互に平等対等な諸民族の協働的な国家であるという場合、なによりも重要なのは、このことだ。アメリカは中東やヨーロッパよりも、まず南北アメリカ大陸とアフリカをむいてアメリカの未来を考えなければならない。その意味でアメリカはヨーロッパから自立するという形でアメリカのヨーロッパコンプレクスをいやさなければならない。

 まず、南北アメリカ大陸こそアメリカの故国である。たしかに合衆国を建設したのはヨーロッパからの移民が中心であった。しかし、現在のアメリカの人口は南北アメリカの諸民族の全体と融合している。三代・四代さかのぼってみれば、アメリカ人のなかで南北アメリカに広い意味での故郷をもつ人びとは多い。

 アメリカは、この条件を生かして、南北アメリカにおける経済的・文化的な共通性を増大させる方途を探らなければならない位置にいる。南アメリカにおける最近のアメリカの動きを相対化するような自律的政権の動きは、その条件となっている。

 ここではアメリカの現在の世論からいっても、軍事的プレゼンスを抜本的・圧倒的に切りつめることが可能だ。そして、その軍事費を可能な限り速やかに社会投資にむけることをベースとして諸国間の広範な討議と合意を追究することは可能である。もちろん、各地域に固有の文化を尊重するのは当然であるが、合衆国のもつ経済力・技術力をフルにいかして、諸国との経済的な協力関係を増大することは可能であろう。

 アメリカ大陸は、その北端から南端までの全体をみれば、地上でもっとも豊かな大陸だと思う。アメリカ大陸は、発達した情報技術に支えられながらも、自然エネルギーや農業・林業・漁業などの第一次産業をベースとする新しい豊かさを生み出す条件をもっている。そのなかで、アメリカへの移民の流入は、根本的には南北アメリカ諸国の発展によって解決するという展望を世界観として伝えられるかということが大きいように思う。


サンダース2月16日のツイート
If we are serious about rebuilding the middle class and creating millions of good jobs, we must fundamentally rewrite our trade policies.
ミドルクラスを再構築し、数百万のグッドジョブを作るということを本当に考えるなら、我々の貿易政策を根本的に書き換えなければならない。

I am very worried about the US Congress turning its back on science and those who tell us that we have got to cut back on carbon emissions.
 議会が科学に背を向け、炭素排出量を削減しなければならないという人々に背を向けているのが非常に心配だ。

By breaking up too-big-to-fail banks before they face a crisis, we can ensure a healthy financial system & prevent another taxpayer bailout.
 大きすぎてつぶせないような銀行を、それが危機に立ち至る前に分割しなければならない。それによって初めて、健全な金融システムを維持し、納税者による補填をするようなことをさけることができる。


We have to deal with the reality that 50% of young black kids are unemployed and that we have massive poverty in America.
アフリカ系アメリカンの若者の 50% に職がないという現実、そしてアメリカには膨大な貧困が存在するという現実をどうにかしなければならない。

2016年2月18日 (木)

日本の北方領土問題と歴史学ーとくに明治国家の愚行の評価について

 外交にとって最低の必要条件は、国際法上の不法をただすことであって、それがないような外交は外交といわないが、歴史学からいわせると、日本外交はつねにそういう種類の外交であった。それを論じて、最後には徳川幕府が結んだ1855年(安政元年)の日魯通好条約と、明治国家が結んだ1875年(明治8年)樺太・千島交換条約の評価に及びたい。

 さて、現在、国際法上、どのような立場からしても不法であることが明瞭なのは、ロシアによる北方領土の占領である(アメリカによる沖縄の基地占領については最後に述べる)。これに対する国際法的な法理を正面にすえた異議をとなえない日本の外務省は決定的な職責違反を行っている。また私見では法学界、国際法学界も、この問題についてよるべき十分な仕事をし、必要な主張をしていないように思える。

 私は、以下の国際法的な事実は、歴史学界共通の見解である以上、小学校・中学校・高等学校で、社会科学・歴史学のカリキュラムのなかで、順次、学ぶべきものであると考えるが、それができないのは、それをやると外務省の行動が職責を果たしていないことが明々白々になるからであろうか。

 まず第二次世界大戦における日本の降伏条件を構成する1943年の「カイロ宣言」には"The Three Great Allies are fighting this war to restrain and punish the aggression of Japan. They covet no gain for themselves and have no thought of territorial expans"、つまり「三大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するため、今次の戦争を行っている。同盟国は自国のために利得をむさぼろうとするものではなく、また領土拡張の念も有しない」という「領土不拡張」原則が記されている。そして続けて、" It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914"(以下は中国との関係、省略), つまり、「同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪する」という形で日本の領土をどの範囲に限定するかを明らかにした。

 しかし、アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳、ようするにルーズヴェルト・チャーチル・スターリンは、1945年2月、ソ連のヤルタで会談を開き、そこでスターリンがソ連の対日参戦の条件として千島列島の引き渡しを要求し、ルーズヴェルト・チャーチルがこれを認めて、ヤルタ秘密協定に盛り込まれた。そこには「三大国の指導者は、ドイツが降伏し、かつヨーロッパの戦争が終結して二・三ヶ月後、ソ連が左の条件にしたがい、連合国に与して日本に対する戦争に参加することについて合意した」として、(1)外蒙古の現状の維持、(2)1904年の日本の裏切りの攻撃(the treacherous attack)によって侵害されたロシア国の旧権利(樺太南部など)をあげ、さらに「(3)千島列島はソ連に引き渡される(shall be handed over)」という項目を付け加えた。

 第二項目はポーツマス条約(日露講和条約、1905年)における樺太の獲得にふれたものである。それはカイロ宣言における「1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または占領したる島嶼」という条項と異なるが、樺太は日露戦争の敗戦処理のなかでの領土獲得という側面をもつために、国際法上、一定の根拠をもつことになる(ただし、ポーツマス条約の問題性については後述)。

 しかし、千島についての第三項目は、明らかにカイロ宣言に対する違反である。このヤルタ協定は密約として日本国には伝えられていない以上、これを降伏条件として日本国に要求することはできない。もちろん、日本の戦争が侵略戦争であったことは明らかであるが、しかし、その責任を問うことと、戦後処理が降伏条件との関係で法的な正当性をもつかどうかは別問題であって、このような秘密協定を潜り込ませたスターリン、そしてそれを容認したルーズベルト、チャーチルの行動は不当なものである。勝った側、さらに戦争において大局的な正当性をもったものが何をやってもよいということではないのである。ルーズヴェルトは原爆投下に消極的であったといわれ、ルーズヴェルトの死が原爆投下の促進要件になったといわれる。それは事実であろうが、ルーズヴェルトをむやみに誉めることはできない。彼にとってもアメリカの狭い国益が第一であったことはいうまでもない。ヤルタ密約に同意したルーズヴェルトの判断自体から問題にされなければならないことも明らかであろう(参照、武田清子『天皇観の相剋』)。

 「カイロ宣言」が第二次世界大戦における日本の降伏条件を構成するというのは、ポツダム宣言において"The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine"、つまり「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州ならびに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」と確認されているからである。もちろん、明らかなように、この条文の後半は実質上、ヤルタ秘密協定をうけた側面がある。わざわざ「本州、北海道、九州ならびに吾等の決定する諸小島」という用語をいれたことはスターリンの主張に対する曖昧な妥協であった。ポツダム宣言に「(アメリカ・イギリス・中国の)巨大な陸海空軍は西方より(中略)数倍の増強を受け日本国に対し最後的打撃を加へる態勢を整えた」とあるのは、ソ連の参戦を前提にしたものであるから、ルーズヴェルトとチャーチルはさかんにスターリンに媚びを売ったのである。

 藤村信は「ヤルタ体制を結晶させたものは、あいまいな妥協であり、いかようにも解釈できる不明瞭な協定の文字である」と述べているが、ポツダム宣言の上記の条項は、その曖昧さを継承していたということになる(藤村信『ヤルター戦後史の起点』)。たしかに日本はポツダム宣言を受諾したが、右の曖昧な条文によって、カイロ宣言の領土不拡大原則と国際法上の原則をこえて、千島を放棄させられたことは容認すべきことではない。

 このヤルタ密約が前提となってサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)が締結されたのはいうまでもない。その第二章 領域、第二条、(c)項に「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある通りである。ヤルタ密約とそれを追認したサンフランシスコ条約の該当部分は、国際法上の不法行為であって、これの見直し・訂正を求めることは敗戦国とはいっても、日本国民の国際法上の権利であることは明瞭であろう。

 もちろん、外務省は、北方四島の返還を要求はするが、それをヤルタ協定が国際法に反するという形では主張しない。ようするに、彼らには、ヤルタ→ポツダム→サンフランシスコという国際密約・協定などの全体を問い直そうという、外交官ならば当然にあるべき覇気と専門職としての自覚がないのである。

 ポツダム宣言は原稿用紙4枚ほどにすぎない。それをその歴史的背景をふくめて「つまびらかに」読むことが国家理性の中枢にいる人間の最低の知的レヴェルというべきものであることはいうまでもない。昨年、本当に驚愕したのは「ポツダム宣言の内容をつまびらかにしない」という人を国家中枢にもっていることが明らかになったことであった。そして、最近、「歯舞、これ何だっけ」という人物が沖縄北方担当相であるという、悲しいあきらめをもったが、これらの発言は、職責的知識の欠如が中枢に存在することを示すのみでなく、そのような欠如が、政治的な立場の如何をとわず、きわめて一般的であることを期せずして明らかにしたといえるのかもしれない。

 こういう現状を前提とすると、上記のような外務官僚への要求は過大なものということになるのかも知れないが、しかし、さすがに20年前まではいくら対米従属といってもそんなことはなかったのだから、外務官僚が職務怠慢の責めを受けることはやはり否定できないだろう。

 これがアメリカによる沖縄の基地占領が国際法上の不法行為であるという問題提起をしないことと共通する問題であることはいうまでもない。戦争行為を直接に無法な土地占取・基地設置に連続させ居住者を追い出す、という沖縄におけるような行為は、国際法上認められていない。沖縄の基地は、サンフランシスコ条約第三条に根拠があることはいうまでもないが、これも違法なものでり、その違法性は沖縄の施政権返還協定によっても完全に解消された訳ではない。

 サ条約の改定は、締結諸国全体との外交交渉を必要とし、それは日本側のアジア太平洋戦争に対する総括をふくめて全面的で根本的な態度を必要とする。その方向をとる決意なしには、サ条約第二条の千島放棄の規定の再検討はありえない。そもそも当時の自民党佐藤政府とアメリカがサ条約の改訂という道を取らなかったのは基地を確保するとともに、安保条約を日本全土に拡張するためであった。

 たとえば荒井信一氏の仕事が示すように、これらは歴史学においては周知の問題であって、いわずもがなのことであるが、最後に二点を述べたい。

 第一に、沖縄の状況であるが、戦後に続いてきたすべての政権がサ条約の不法性を主張せず、それを容認し、沖縄を日本の国家意思として「引き渡し(handed over)」続けてきた。しかし、ともかくも施政権の返還によって、沖縄における不法行為は、国際法上の違反の形式をもつのは基地の占拠に極限されるに至ったということができよう。不法に占拠された基地までも法的な基礎をもつという形式をとっているのは不適法であることはいうまでもないが、しかし、日本の沖縄に対する国家意思が変わらないままでは、国際法上の異議提起は現実には成立しえない状況であり、その意味で施政権の返還の意味は重い。ここで国際法上の不法性が縮減されたことは否定できない。

 これに対して、千島のソ連・ロシアによる奪取は、戦後処理のドサクサにおける奪取であって、これについては、日本の国民意思を代表すべき政治は、左翼であろうと右翼であろうと、保守であろうと革新であろうと、「敗戦国」としての正当な戦後処理を受ける国際法上の権利の問題として、サンフランシスコ条約の該当条項の削除を要求すべきものである。日本の戦後における政府は、それができない、それをする意思がない政府であり続けたのである。

 そのなかで、第二次大戦については、「せいぜい」、内向きの発言をするか、韓国・中国の歴史認識に異議をいうだけという姿勢である。「歯舞、これなんだっけ」という閣僚の発言は、そのなかでもたらされたものである。こういう口の裏まで透けて見えるということでは、領土問題に関する外交的な発言に説得力をもたせるのは無理というほかない。

 むしろ千島の返還のためには、韓国と日本の関係はきわめて重大であって、しばしばいわれるように、両国を核として東アジア共同体を形成し、さらに中国・アメリカの賛同をえて、それらをバックとしてロシアに対して戦後処理の不法性を主張することこそが、日本外交にとっての本来の正道である。ロシアが北朝鮮の背後にいて利害優先の態度をとっていることも明瞭な事実であって、日本にとってロシア批判は、国内的な立場を越えて優先的な問題なのである。現在のプーチンのロシアが世界とユーラシアの平和にとってきわめて危険な存在であることはいうまでもない。ロシア批判を第一にせずに、中国・韓国の対日態度を論ずるというのは、少なくとも当面の外交上、国益上、真の実効のないことである。

 第二の問題は、千島、そして樺太は、本来、日本民族ではない諸民族の領土であったという問題である。日本の「領土」問題において、北方においても、「琉球処分」と同じ種類の問題の検討が必要であることを示している。これは私の専攻する日本の前近代の歴史にも関わってくる。

 まず千島については、最近の考古学的な研究によって、ウルップ島より北の北千島には「コロホウンクル(コロポックル)」と呼ばれた北海道アイヌとは言語を異にする民族が分布していた可能性が指摘され、それに対して択捉島以南は北海道アイヌのテリトリーのなかにあったといわれる(瀬川拓郎『アイヌ学入門』、講談社現代新書)。また樺太については、ギリヤーク(オホーツク人)の人びとの強い地であり、そこに北海道アイヌの人びとも古くから進出していたことは以前から明らかになっている。ユーカラが12世紀頃以降のアイヌとギリヤークの戦いを反映しているという金田一京助の盟友、知里真志保の説は有名であって、最近では支持者が多い(榎森進『アイヌ民族の歴史』、草風館。本書については保立『日本史学』人文書院を参照)。

 私は、その意味で、徳川幕府が幕末・1855年(安政元年)に結んだ日魯通好条約は、北海道地方における実情を正確に反映していた可能性が高いと考える。つまり同条約は、択捉(えとろふ)島以南を日本領とし、また、カムチャッカ半島につらなる得撫(うるっぷ)島以北をロシア領としたこと、また樺太(サハリン)を民族混住の地とした。これは実情をふまえた賢い判断であった可能性が高い。

 これに対して決定的な誤りを犯したのが、明治政府であって、明治政府は、せっかくの日魯通好条約を、北海道開発をロシアとの矛盾なく展開することを主目的として改訂し、1875年(明治8年)に樺太・千島交換条約を結んだ。これによって樺太全体がロシア領となり、ロシア領だった得撫島以北の千島が日本領となったのである。これは結果からいって、北海道開発による初期利益という衝動に動かされた愚策であったことは明らかである。明治国家は巨額の戦費を費やして日露戦争に「勝利」し、ポーツマス条約(日露講和条約、1905年)によって樺太を獲得したが、前記のように、これは戦争による領土獲得であると判断され、ヤルタ→ポツダムの経過のなかで、樺太南半部を放棄させられ、さらに全千島を、本来、北海道アイヌ民族のテリトリーとして北海道の一部であった、エトロフ・クナシリ・シコタン・歯舞(はぼまい)までをふくめて奪取されることになったのである。

 これはようするに国家の資本主義化のなかで、アイヌ民族の大地(アイヌ・モシリ)を奪い、明治国家の中央集権化・軍事化の資金としようという動きであって、この乱暴な政策が、結局、この列島の北への視野と活動を大きく狭める結果となったのである。他民族を抑圧するものは、いつかしっぺ返しを受けることの好例である。この明治国家のアイヌ民族に対する罪過は、さまざまな意味で、つぐないきれない種類の罪過であったと思う。

 以上は、サンダースの外交政策がどうなっていくかということを考えるなかで、世界戦略上、ロシアをどう位置づけるかがキーになるというところから、従来の知見をいちおう整理してみたものであるが、歴史学の側から「領土問題」、北方領土問題を考える基本はここにあることになる。この種の問題は、本源的に、単純な自民族中心のナショナリズムではすまないのである。

2016年2月17日 (水)

アメリカは「世界の警察」でなくてよいのか+サンダースのツイート2月15日

 アメリカ政治では、最近、アメリカは「世界の警察policeman」であろうとは思わないという意見が民主・共和を問わず一般的である。わざわざ奇矯なことをいおうというのではないが、私は、アメリカが「世界の警察policeman」であろうとすること自身は、ある意味でやむをえないと思う。固定的な「右翼・左翼」図式だとおかしいかもしれない。しかし、アメリカが「世界の軍隊troop」であることはまずいが、それと「世界の警察policeman」は違うだろう。

 逆にいえば、湾岸戦争以来の「世界の軍隊troop」を称するごとき行動によって悪魔を呼び出しながら、「もうやめた」というのは、魔法使いの弟子が、自分で呼び出した魔術から逃げだそうとしているのに似ている。最近の「アメリカは世界の警察policemanでない」という論調にはそういう感じがある。

 このままいけば悲劇はさらに続き、無差別テロも拡大する。歴史的経過はどうあれ、無差別テロは人類に対する犯罪であることはいうまでもない。それは抑止せざるをえないし、テロリズムに対しては情け容赦のない対応が必要であることは明らかである。しかし、それは軍事力と戦争ではなく、犯罪である以上、基本的に国際的な警察力の強化によって対応することが原則となる。アメリカには、これまでの間違いを反省してもらって、警察機能とその国際的な協力の強化については十分な責任をとってもらうほかない。今になって「アメリカは世界の警察policemanでない」というのは無責任だ。サンダースには、そう主張してほしいと思う。

 たしかにサンダースはアメリカによる軍事的な先制攻撃はもちろん、アメリカの軍事力行使と軍事力の増強それ自体について一貫して反対してきた。しかしそういうサンダースだからこそ、上のようなことがいえるはずだ。
 
 サンダースのいうように、何よりも長期にわたる軍事拡大路線こそが、アメリカ経済を疲弊させ、一部の億万長者のみを肥え太らせ、主権者を貧困に追いやった原因である。その根本にはアイゼンハワーのいう「軍産複合体」の肥大化があったことはいうまでもない。それを一挙に拡大したのは研究開発経費を一挙に600億$に引き上げたレーガンのスターウォーズ計画(SDI)の誇大妄想に始まった(軍事費総額5661億$)。

 クリントンは、「軍産複合体」を「軍産『学』複合体」にまで拡張し、レーガンの残した莫大な財政負担赤字を情報技術(インターネット)の民間化などで軍事費を節約することによって切り抜けようとして、それに成功したが、結果的には「軍産複合体」の巨大な寡占体制を作り出し、軍事企業の発言力を強化する結果になった。

 それに全面的に乗っかって情報軍事態勢を太平洋から中東に拡大したのがブッシュであったことはいうまでもない。いわゆる「新しい戦争」であって、日本に関わっていえば、アメリカと日本をむすぶ太平洋の上空と海中には目に見えない情報システムによって織り上げられた巨大な複合的軍事マシーンができている。これはレーガンの誇大妄想を引き継いだものであって、現在の中東の状況をみれば明らかなように、アメリカと世界にとって巨大な間違いであった。現在の世界は、この「新しい戦争」によって生み出された混乱の時期にある。

 ブッシュはイェール大学をでているが、寄付枠で入った人物であり、イェール大学にいた友人は、「イェールにもお馬鹿はおるんやで」といっていた。怖いことだが、レーガンからブッシュという、どちらかというと見通しのない人物が「軍産複合体」の動きに乗って、巨大な問題を生みだしたのだと思う。

 ここから根本的に抜けていくためには、アメリカが世界中に維持している軍事的なプレゼンスをやめなければならない。現在、どれだけ空論のようにみえるとしても、その基本が軍事的機能を文字通り国連に移行することにあることは疑問がないだろう。国連を改革し、国連総会の位置を強化し、国際公務員の権威を高めるなかで、その軍事機能を厳密に多数の国々の支持がある場合に極限するとともに、その権威を高めるということになるが、この点でアメリカが「世界の軍隊troop」であることから引いていくことは決定的な意味がある。しかし、そのとき、「世界の警察policeman」をどう位置づけるか、そしてPKOなどをどう位置づけるのかというのは逃げ出せない問題であろうと思う。「負の遺産」はひきついでもらうほかない。

サンダースのツイート2月15日
We need legislation which makes it possible for workers who want to join a union to do so. We must pass the Employee Free Choice Act.
組合に入ろうという労働者にはそれがすぐできるように保証する法律がいる。我々は働くものの自由結社の法を議会で通さなければならない。【たしかに、労働組合法は働くものの自由結社ということだと思う。翻訳はいろいろなことを考えさせる】

Our guiding principle in terms of immigration reform must be to unite families, not divide them up.
移民システムの改革についての私たちの基本的な方針は、ようするに家族のユニティを守り、それを分解しないということにある。【たしかにすべての法が家族法の側面をもつのだろう】

We will not tolerate calls to send back unaccompanied children and victims of crime and domestic violence to the countries they have fled.
孤立した子どもや犯罪や家庭内暴力の犠牲者を、彼らが逃げ出してきた国に送り返せという要求は容認できない。【英語力もなく、前後の文脈もわからないので正確かどうか。けれども何となくわかる】

“We can either have democracy in this country or we can have great wealth concentrated in the hands of a few.” - Louis Brandeis
「この国を民主主義の国にするか、あるいは巨万の富が少数の手に集中された国にするか。我々の選択に委ねられている」-ルイス・ブランダイス
【ウィキによると、「ルイス・ブランダイス(1856- 1941)は、アメリカの法律家。労働法の古典学者、ハーバード大学ロー・スクール教授。合衆国最高裁判所判事。1916年、ウィルソン大統領によって、ユダヤ教徒最初の合衆国最高裁判所陪席判事に任命される。アメリカ労働法学の理論的基礎をなすような、多くの判決を下した。リベラルな立場からニュー・ディール(New Deal) の主な立法を合憲としたことが知られる。1939年退職。1941年に死去した。シオニストとして、イスラエルの地にユダヤ教徒国家を再建しようとする運動を支持した」という人物。こういう人がシオニストであったというのが戦間期の特徴なのか】。

最後に
栗田禎子『中東革命のゆくえ』(大月書店、2200円)の紹介。必読。
『アラブ諸国体制』というのは中東史の歴史家の板垣雄三氏の提起した概念だが、やっと僕にもわかるようになった。これは現在の世界を理解する上で決定的な意味をもっている。イスラエルーパレスティナ問題は、ヨーロッパ―アラブ関係の関連方程式なのだ。

「中東地域の支配構造が『アラブ諸国』とイスラエルとの分業・共犯関係によって成り立っているということは、とりも直さずアラブ諸国内部における変革・民主化がパレスティナ問題の解決に寄与することを意味している(102頁)。

2016年2月15日 (月)

サンダース現象とアメリカ・日本関係。サンダースの2月13日のツイート

 サウスカロライナ(27日)でも、ネバダ(20日)でもサンダースがクリントンを追い上げている(CBSの世論調査)。
 サウスカロライナでは昨年11月段階の両者の差が半分に縮まった。クリントン58%。サンダース40%
 ネバダではタイ。クリントン45%。サンダース45%。
 

 アメリカと日本は鏡のようなものなのかもしれない。第二次大戦後の日本は、アメリカを鏡にして自分をみていた。アメリカという鏡に自分が映る姿によって自分を認識していた。東京のような都市に育った私などは、日本の民俗さえも、自分の目をアメリカの観光客の目に同一化させてみていたように思う。そこに映るのはアメリカの似姿としての日本。そして、何よりも問題なのは、東アジアもアメリカの鏡からみていたことであり、またその鏡では実像のアメリカはみえなかったことである。

 現在の状況は、その鏡がなくなってしまったということだろうか。そして鏡がなくなった状態でみてみると、アメリカにも日本と同じ状況があったということを発見することになる。鏡が透明化することによって向こう側がみえるようになってしまった。バーニー・サンダース現象というものがあるとしたら、それははそういうものなのかもしれない。

 紹介しているツイートは、バーニー・サンダースの演説からとったテキストであるようであるが、どれを読んでも、日本の現在の状況と似た部分を感じる。ガマガエルは鏡に映った自分の姿をみて脂汗をながすという訳であるが、そこまではいかないとしても、バーニーのツイートをみていると、そんな感じがする。

There was once a time when our nation's infrastructure - roads, bridges, rail - were the envy of the world. Sadly that's no longer the case.
かっては我々の国の道路・橋梁・線路などのインフラは世界の羨望の的だった。悲しいことに、いまや状況はまったく違う。
 【日本が地震火山列島であることを、ことあらためて知ると、なんとも不安なことである】

We must end the scandal in which millions of Americans, many earning less than $30K/year, work 50 or 60 hours a week without overtime.
私たちは 何百万人ものアメリカ人が年収3万ドル($30 K)以下の賃金で、残業を別として、1 週間、50から60 時間の労働をしているというスキャンダルに終止符をうつ必要がある。
 【これは日本円でいえば年収300万か。河上肇の『貧乏物語』のいう「貧困線」の一致ということなのだろうか。アメリカ経済と日本経済は貧困線の一致によって共通する性格をもつようになっているのだろうか。ここら辺のことを経済学の人はどう説明するのだろう。貧困線というのは衣食住と労働力の再生産費用に近接するというのが河上のいったこと】

It makes no sense that students and their parents are forced to pay interest rates for college loans that are higher than housing mortgages.
学生とその両親が住宅ローンより高いカレッジローンの金利を支払わせられるというのはどうしようもない。
 【これは本当に似た状況が生まれている。大学の位置・意味・進学率が違うということもあるが、ヨーロッパでは、基本的には大学の学費は無料かきわめて安い】。

One of the most serious crisis facing this country is the lack of decent-paying jobs for young Americans. We must defeat this crisis.
 この国が直面している最も深刻な危機の一つは、若者のためのまともに支払われる仕事の不足である。私たちは、この危機を破っていかなければならない。

It's imperative that the one-in-five Americans living with a mental health condition receive care in a timely manner.
5 人に1人のアメリカ人がメンタルヘルスに問題があって、ときどき治療を受けているというのはどうにかしなければならない問題だ。

Higher education is a strategic investment in our nation’s future. That is why education should be a right, not a privilege.
高等教育は、国の未来のための戦略的な投資として位置づけられる。教育が権利であって特権でない理由はここにある。

We must transform our energy system away from fossil fuels if we are interested in subsiding the irreversible effects of climate change.
気候変動の不可逆的な影響を抑え込む必要がある以上、エネルギーシステムを化石燃料から変えていかざるをえない。

The opioid epidemic claims 78 lives each day. We must ensure lifesaving drugs, such as naloxone, are accessible to those who need them.
ケシ(オピオイド)の流行は、毎日、78人の命を奪っている。ナロキソンなどの救命薬が必要な人にアクセスできるようにしなければならない。


2016年2月13日 (土)

サンダースで心配なのは国際政策+2月12日のツイート、

【B・サンダース】2月12日のツイート
In the 1950s large corporations contributed over 30% of federal tax revenue. Today it's less than 10 and they still ask for more tax breaks.
1950 年代に大企業は連邦政府の歳入に対して 30% 以上は貢献していた。今では 10㌫ 未満で、その上、もっと多くの税制優遇を求めている。

The American people understand that the federal minimum wage of $7.25 is a starvation wage. It is not a wage that anybody can live on.
アメリカの人びとは、7.25 ドルの連邦の最低賃金は飢餓レヴェルの賃金にすぎないことをよく分かっている。これは誰も生きていけない賃金だ。

The Koch brothers are spending hundreds of millions so they can have a Congress that works for the 1 percent. We can’t let that happen.
コッホ兄弟は、数百万$を費やして富んだ1% のために働く議会を作ろうとしている。そんなことを許すわけには行かない。

So proud that Vermont continues to be a national leader on solar energy. http://www.thesolarfoundation.
バーモント州がずっと太陽エネルギー導入のナショナルリーダーであることは本当に誇らしい。 https://twitter.com/SenSanders/staus/697839034610139138…


Must Read: Ex Treasury Secretary Tim Geithner is finally cashing in on Wall Street.
読んでおこう。(オバマの)前財務長官ティム ・ ガイトナー 、結局、ウォールストリートで大儲け。 https://twitter.com/SenSanders/staus/697833534778695681…

Victims of crime and domestic violence should not be afraid of being deported for calling the police.
犯罪の被害者が(もちろん家庭内暴力の被害者も)強圧的な処遇をおそれずに安心して警察に救援を求めることができるようにしないと。

NEWS: Sanders, Grijalva Demand Accountability for Immigration Enforcement Program
ニュース。サンダースとグリジャルヴァ(下院議員、アリゾナ)は連名で出入国管理の強化についての懸念を表明し、説明を要求した。

It is crazy that we have Republicans who not only will not raise the minimum wage, but want to do away with the concept of a minimum wage.
最低賃金の上昇を要求しないだけでなく、最低賃金という考え方それ自体をなしにしようという主張が共和党のなかにあるのはクレージーな話しだ。

【私見】サンダースで心配なのは国際政策
 アメリカ大統領選挙で未知数なのは外交政策についての議論がどう展開するかだろう。これは誰が候補者になるにせよ、民主党と共和党の争いに局面が移れば必然的に重大問題になる。

 サンダースの外交政策は基本的には良識的なものである。しかし、サンダースの議論は、彼のホームページをみると、どうしてもアメリカにとっての「War and Peace」という枠組みになっている。つまり、イラク・アフガニスタンという中東問題が中心になっている。これはアメリカがつねに戦争を行い続け、また現に戦争を遂行している国家である以上、やむをえないことであるが、逆にいえば、そこには戦争をも相対化するような平和のための世界戦略がないのである。

 これに対して、ケネディの時期のアメリカは、国家的にかかわる戦争はベトナムにおける局地戦を中心としており、いわゆる各個撃破戦略といわれるような時期のものであった。それ故に、ケネディは、実際には大きな批判をうけざるをえないような内実をもっていたとはいえ、平和のメッセージをふくむ世界戦略らしきものを提起し、第二次世界大戦の記憶が濃厚に存在していた当時のアメリカや世界において、それははそれなりの説得性をもっていたのである。しかし、現在のアメリカは中東を中心に世界中に巨大な軍事網を張っており、世界的な戦争センターとなっている。

 そこで平和の世界戦略を語ることは抽象論ではすまされない。これがサンダースにとってもっともきついことであろう。オバマは大統領選挙において核兵器廃絶の希望を語ったが、これは実行のともなわない「口ばっか」の人気取りであった。この手はもう使えない。

 とくにサンダースにとってきついことは、中東問題の基底に存在するイスラエル・パレスティナ問題であろう。サンダースはイスラエルの乱暴な軍事姿勢には明瞭に反対するという立場にたっている。この点でもサンダースの主張はアメリカ議会のなかで最左派であって、そのメッセージは明瞭である。しかし、イスラエルーパレスティナ問題の解決はきわめてむずかしい。

 サンダースは、解決の枠組みとしていわゆるイスラエル・パレスティナに「二つの民族国家を承認する」という路線、「二国家解決」の路線を提起している。これはそれとしては常識的なものではあるが、しかし、1993年のオスロ合意以降のパレスティナの地の状況はきわめて厳しいものがある。

 第一には、イスラエルの軍事体制強化、アパルトヘイトの強化、占領・入植の既成事実化であり、第二はアメリカの湾岸戦争以降に軍事介入と支配のツールとして宗教対立が徹底的にあおられ、それにアラブ社会がなかば覆われるにいたったという事実である(歴史学者の見方は、栗田禎子『中東革命のゆくえ』青木書店2014、を是非、御参照下さい)。
 この中では、「二国家解決」は、一面ではパレスティナ民族に半身不随のアパルトヘイト的な自治をおしつけるものとなりかねず、一面では、60~70年代のパレスティナ解放機構(PLO)が清算したアラブ宗派主義の再登場、さらにはイスラム原理主義国家の建設になりかねない構想となっている。これに対する対案として、エドワード・サイード(1935-2003)が晩年に必死に行動した「パレスティナの地に二民族共生国家を!」というバイナショナリズムの構想も、現在では一種の理想論としか受け止められないという情勢になっている。


 私は、ユダヤの出自をもつだけに、サンダースが、この問題で、右翼からも左翼からも厳しい批判を浴びる可能性があると思う。サンダースは、ユダヤ系の人びとの支持を集めるべき立場におり、それはパレスティナの人びとの支持をえることが一種の道義的責任であることも意味している。「二国家解決」は状況のなかでパレスティナの人びとの批判をあびるだろう。それはアフリカ系アメリカンの支持を最終的・確定的なものにしていく上でも潜在的にはきわめて大きな意味をもっていると思う。この議論にサンダースが失敗すると、それは「多民族国家」アメリカにとって民族的・国家的なトラウマにふれる可能性がある。

 冒頭にふれたように、この問題は民主党・共和党の争いに大統領選挙が移行した段階では論争の重要な焦点になる。それはなかなか厳しいものになるのではないかと思う。しかし、サンダースならば、このトラウマを解く展望を論争のなかで示唆することができるのではないだろうか。それが可能ならば、サンダースは第45代アメリカ大統領になることができるのではないかというのが、(人の国の大統領に希望をしてもしょうがないが)、私の希望である。

 それはおそらく中東問題についての歴史認識を明示し、それを前提にして平和の世界戦略を語ることによってしか突破できないのではないだろうか。ケネディともオバマとも違う、歴史認識に支えられた、ジャーナリズムからもアカデミズムからも賛同を獲得できるような世界戦略である。

 その場合の基本は、そもそも中東問題は19~20世紀のヨーロッパが作り出した問題であることの確認であろう。ヨーロッパ列強のオスマントルコへの侵略と領土要求、シオニズムの利用の上に、イスラエル入植国家の組織の方向が動き出し、ナチズムとスターリニズム(そして第二次世界大戦それ自体)によるヨーロッパにおけるユダヤ系社会の壊滅のうえにイスラエルは存立し、発展した。
 つまり、イスラエルーパレスティナ問題とは、ヨーロッパー中東問題の一つの領土的結果であり、その棘がみえる場の問題である。それ故に、それは一種の従属方程式なのであって、ヨーロッパー中東問題の枠組み全体の見直しのなかでしか解決できない種類の問題であることの確認が必要である。「二国家解決」もバイナショナリズムの構想もヨーロッパー中東(アラブ)問題の枠組みから切り離された独立方程式ではありえないことの確認である。


 それ故にまず必要なことは、以上のような歴史状況認識を前提にアメリカ大統領としてヨーロッパの関わりを問い返すというパフォーマンスをすることだろう。いまヨーロッパの政治世界も思想や学術に関わる世界も、中東への歴史的責任それ自体を問おうとはしていないようにみえる。彼らは16世紀の世界資本主義の形成期以降、世界の富を奪い取ってきた蓄積の上にたって安息し、退廃している。先日のテロに襲われたフランスの政界の動きをみていているとそう思わざるをえない。無差別テロは許さるものでなく、歴史によって正統化することはできないが、それに対する批判を実効的なものとするためには歴史的視野がどうしても必要である。いまのヨーロッパは鈍すぎるように思う。

 それを批判し、真剣な討論をヨーロッパに問いかけるという宣言がアメリカにとっては重要な出発点になりうると思う。そこをベースにして発言することはアメリカのヨーロッパコンプレクスとも関わって、十分に現実的意味をもちうると思う。ヨーロッパの代わりに、ヨーロッパの19~20世紀の愚行と歴史的錯誤の責任をとらされるのは「もういやだ」、アメリカでははやり言葉らしいが「Enough is enough」という宣言である。

 もちろん、さらにその先の世界戦略それ自体には多様な問題があろうが、何よりも重要なのは、現在のアメリカ大統領候補のなかで、イラク戦争に一貫して反対してきたサンダースにのみ、こういう議論とパフォーマンスをする権利があるということである。

2016年2月12日 (金)

サンダースの非暴力主義の喚起力。そして2月11日のツイート

 サンダースは決してセンセーショナルなポピュリストではなく、その人柄も極端な人物ではない。彼が常識人、良識人であるというのは、民主党でも共和党でもないという立場に立ちながら、もっとも長く議会で活動してきており、選挙でも強い支持を受け続けてきたということでわかる。(なおサンダースについて、現在、もっとも明解な日本語による論考に宮前ゆかり「バーニー・サンダースの台頭:99%からの異議申し立てが始まっている」岩波書店『世界』2015年12月号がある)

 サンダースが常識人、良識人であるというのは、具体的にいえば、第一にサンダースが宗教的な寛容を体現していること、第二にその非暴力主義が説得的なものであるということだろうと思う。

 第一の宗教的寛容は、サンダースがユダヤ民族の出自をもつことに関係している。アメリカ大統領がユダヤ系からでるとすれば、それははじめてのこととなるが、サンダースのユダヤ系の系譜は、アメリカでもっとも受け入れられやすいそれである。彼はナチスに家族を虐殺されたポーランドのユダヤ人移民の子で、豊かではない家庭の子としてニューヨーク、ブルックリンで育った。そしてニューヨークなまりで話す。アメリカの人々のナチスへの感情はきわめて厳しいものがあり、反ナチスというのはアメリカの民族的感情の中核をなしている。ナチスに家族を殺されたニューヨーカーというのは、いかにも受け入れられやすいユダヤ系の人々の典型だと思う。

 サンダースは1959年にユダヤの成人式(Bar Mitzvah)をしていてユダヤであることを誇りにしているという。同時に奥さんはローマンカソリックであって、サンダース自身、カソリックのフランシス教皇への親近感をかくさない。

 彼は自分をとくに宗教的な人間ではないというが、それは宗教的な寛容が身についているということである。これはアメリカ社会では大事なことである。

 ニューヨークのマディソン・ハイスクールでは、陸上部のキャプテンで、学生会の代表に立候補して最後まで選挙で残った。若いころの写真をみても、いかにもアメリカの好青年のイメージで、以上を全部合わせて寛容で、感じがよい、いわゆるdecent であるということだろう。そういう男がグラスルーツ、草の根の活動家としてやってきて、年をとっても熱血だというのが歓迎されている理由だろうと思う。政治家にとって個人イメージというのはきわめて大切なものだ。

 それが第二の「非暴力」に結びついているというのが絶好である。サンダースはマーチン・ルーサー・キングの指導した、1963年のワシントン大行進に参加しており、だから、彼はキング牧師の「I have a dream」という有名な演説の、その場にいた。その運動のスローガンが「非暴力」であったことはいうまでもない。キング牧師Rev.Martin Luther King,Jrは、アメリカでリンカーンと並んで尊敬され記念されている宗教者である。キング牧師と一緒に行進したというのは、サンダースに圧倒的な歴史的正統性をあたえる。

 そして、サンダースは、その意味では筋金入りである。サンダースは1960年代のアメリカ学生運動の中心であったSNCC(学生非暴力調整委員会。Student Nonviolent Coordinating Committee)の活動家である。彼らは、アメリカの黒人差別に抗議する公民権運動をにない、そしてベトナム戦争反対の運動を担った。サンダースは、アメリカの人びとにとって、その時代からの歴史の動きを実感させる人物なのだろうと思う。

 問題は「非暴力」である。アメリカの第二次世界大戦後の歴史は、1960年のJ・Fケネディー(民主党)の大統領選出、1963年8月の公民権運動ワシントン大行進、同年11月のケネディ暗殺、そして1968年のキング牧師暗殺を大きな波としている。それは血塗られていた。アメリカは、リンカーン暗殺からキング牧師暗殺まで、基本的には暴力的な社会であって、アメリカにとって、キング牧師は、その暗殺社会の終了を象徴する存在であったはずである。そして、SNCC(学生非暴力調整委員会。Student Nonviolent Coordinating Committee)は、それを担った組織として何といっても重要な位置があるのである。

 この1963年の「非暴力」の理念については、そのときちょうどアメリカにいた東京大学社会科学研究所の石田雄氏の証言がある。その夏、石田はクエーカー(フレンド派のクリスチャン)の人たちの運営する講座で授業をする機会があり、そこでSNCC(学生非暴力調整委員会)のメンバーが実際の行動内容について報告するのを聞いた。石田は次のように述べている。

 「その時に若者たちから聞いて強い印象を受けたのは、非暴力直接行動についての訓練が大変に手間をかけて丁寧にやられていることでした。実際に誰かが警官の役をして暴力を振るうのに対して、どのように非暴力で立ち向かうかを詳しく、くりかえし訓練しているので、その結果として統制のとれた有効な運動が展開されてきたことがよくわかりました」(石田雄『ふたたびの<戦前> 軍隊体験者の反省とこれから』青灯社)

 ワシントン大行進でもネオナチの攻撃による事故があり、ケネディの暗殺が続くという時代である。

 アメリカの人びとにとってきついのは、おそらく、今でも、実際には、アメリカ社会の暴力的な性格が強く残っていることだろう(なお冒頭に紹介した宮前ゆかり氏に、アメリカで彼女が実際に遭遇した空港における暴力についての報告がある。TUP(Translater United for Peace)速報927号 権利章典の崩壊―わたしはなぜ逮捕されたのか http://www.tup-bulletin.org/?p=959 )。サンダースが強調するアメリカ社会の格差と腐敗と非道徳が、社会のそこここに巣くっている暴力によって支えられているというのが、怖いところである。大統領選挙で暴力の行使があるとは思えないが、アメリカの銃社会の状況のなかで「非暴力」を貫くのは、相当の筋金入りでないとできない。その緊張をみていないとアメリカ大統領選挙の見方を誤るだろう。キング牧師と一緒に行進したことが、サンダースに圧倒的な歴史的正統性をあたえるというのはそういうことである。


 私は60代後半ですが、私のアメリカイメージは何といってもケネディです。代々木ゼミで小田実さんの授業で、ケネディの就任演説inauguration addressをテープで聞かされ聞き取るという授業をうけた世代です。甘いといわれるでしょうが、その演説はやはり感動的なもので、ケネディのイメージは基本的に明るいものでした。

 世界史、世界ということを考えるためには、ともかく最初は何らかのプラスイメージがないと、思想と経験を作っていくイメージの核そのものが作れないのではないでしょうか。歴史学に進んで、ケネディーライシャワー路線は駄目と習いましたが、やはりアメリカは世界の帝国的中枢ですから、良かれ悪しかれ、そこに想像力が働かないと世界史のイメージを作れないのではないかというのが歴史家としての考え方です。そして、少しでも明るいものがないと私たちの歴史的思考は動き始めないのではないでしょうか。

 バーニー・サンダースの動きがそのようなものになることを期待するものですが、アメリカは、いま第二次大戦後の歴史のすべてを走馬燈を早送りするように一挙に想起しているのだと思います。

 
 私はサンダースより7歳ほど下だが、彼の「追っかけ」をしていると、つくづく同世代だと思う。しかし、その実感は苦いものを含む。日本は、ソ連のチェコ侵略、アフガン侵略、中国の文化大革命、北朝鮮の狂気。韓国の軍事政権。ベトナム戦争。沖縄の「施政権」返還問題、日本自身の戦争責任などなど、実に多事であった。それはアメリカのような帝国本国よりも多事な面があったのではないだろうか。そこではさらに独創的な論理と見通しを必要としていた。しかし、日本では、70年前後の社会運動は全共闘のために分裂した。彼らがすべて駄目だというのではないが、彼らは非暴力の思想がなかった。私は、ゼミの仲間などとともに母校でアヒンサ(ガンジーの殺すな)を標語にしたグループにも参加したが、暴力のせいで、本当に大変だった。

 これについても石田氏は次のようにいっている。
 「アメリカでは、武器を持つ権利が憲法上認められているから、非暴力であるということは特別な決意を必要とすることになります。これに対して日本では、自衛隊と警官およびヤクザが武器をもっているだけで、一般人は武器を持っていないので、非暴力の必要をあらためて意識することが少ないという違いがあります。(中略)その結果、60年代後半の全共闘運動では、抵抗のシンボルとして『ゲバ棒』(角材などを使った棒状の武器)をもつことになるのです。それは現実には人を傷つける。場合によっては死なせるようなものであるにもかかわらず、そのことが意識されにくい。60年安保のときもでも、全学連は国会突入という実力行使にこだわったために死者をだすことになったのに、そのことに対して指導者は反省するおころがなかった」(石田雄『ふたたびの<戦前>』。なお、60年安保のときの「全学連指導部」には極右から金がだされていたのは有名な話であるー筆者注)。
 
 長くなりましたが、以下、【B・サンダース】2月11日のツイートです。その後ろにはさらに「非暴力の思想」について考えていることを書きました。

Older workers are worried about what will happen when they retire. We have to ensure they retire with dignity by expanding Social Security.
働き続けてきたものが、仕事をやめたあとにどうなるかを心配せざるをえないというのはおかしい。私たちは誰でも退職後に文化的な生活ができるように社会保障を拡充しなければならない。

It's unacceptable that in the richest countries in the world millions of young people are unable to find work and begin their careers.
もっとも豊かなといわれる国で、何百万もの若者に仕事がなく、経験をつむことができないというのは受け入れてはいけない話しだ。


In 2009, Exxon Mobil made $19 billion in profits and actually received a $156 million rebate from the IRS. That's corporate welfare.
2009 年、エクソン ・ モービルは $ 190 億の利潤をあげ、 IRS(国税庁) から $ 1 億 5600 万の割り戻しを受け取っている。こういうのは企業福祉というのだ。 https://

We need trade policies that are designed for the American worker, not for the multinational corporations who are richer than ever before.
私たちの通商政策はアメリカの労働者のためにデザインされなければならない。未曾有の利益をあげている多国籍企業のためにデザインするというのはありえない。

Sanders Supports Strengthened Sanctions on North Korea
ニュース: サンダース は北朝鮮へのサンクションの強化を支持する

Change does not take place easily. Anyone who’s read history understands that.
変革は簡単には実現しない。歴史書を読んだことのある人は、それは分かっているはずだ。


 非暴力というものは何か。それは「ーーーでない」ということを意味するが、「ーーである」ということを表現しない。その意味でそれは不十分な言葉である。しかし、言葉は不十分であることによって豊かな内容をあらわすことができる。「非暴力」という言葉は、その事情をもっともよく示す言葉であろうと思う。それは子どもの言葉が豊かであるのと同じことである。子どもの言葉の豊かさを知るということが成熟の最低の条件である。我々の世代のなかには、かって非暴力という思想を一つの思想として認めないという考え方があった。それは成熟していないことの表現であったと思う。

 あるいはまた、それはカタカナの言葉、外国語が不十分であることによって豊かな内容をあらわすことがあるのと同じことである。外国語による概念や感覚の表現を嫌う人々、それを不十分であるという人々は、この事情を知らないのである。「アヒンサ」という言葉がある。これは非暴力というガンジーの思想をもっともよく象徴するといわれるヒンドゥー教などのインド宗教思想の言葉である。仏教でいえば「不殺生戒」である。この言葉によって我々はガンジーを想起し、インドを想起し、それによって「不」あるいは「非」という接頭辞を理解する。言語はその不十分性、何かを表現しきれていないという表示によって、さまざまな記憶と感情を含むことができる。

 非暴力というのはそのなかでももっとも重要な言葉の一つであると思う。それはすでに非暴力ということに歴史があるからである。二〇世紀の反植民地運動の中に位置づけられ、「非暴力・不服従」という言葉として歴史的な運動を表示しうる言葉となっている。「非」という接頭辞が豊かでありうるのは、そこに歴史があるからである。
 
 しかし、非暴力というものの積極的な内容は何か。それを探ることは現代においてもっとも重要な思想的営為の一つである。思想というものを協同して深めていく上でのキーとなる問題であろうと思う。

 端的にいえば非暴力は怒りの姿である。非暴力が怒りであるというのは矛盾であるように思えるが、怒りのない非暴力という思想はありえない。「非」において認識されるのは、怒りなのである。怒りはあるが暴力ではないという認識である。それは怒りを怒りとして見つめる意識であって、怒りの内面性ということではないだろうか。

 怒りを避けるべきものであるかのようにいうのが今日の通念である。私は、この通念を、この世で実際に組織している人々がいるのではないかと疑う。怒る権利というものがあるとしたら、彼らは、それを人々の目にふれないところにおこうとしているのではないか。人々の目にふれるべきでないのは、怒りではなく憎しみである。怒りと憎しみは本質的に異なっている。憎しみは個的なものであるが、怒りはより深いものである。我々は「思想・信条の自由」をもつといわれるが、怒りは思想に属するとともに固有に信条に属する。

 三木清の『人生論ノート』「怒りについて」の断章は怒りについて語って余すことがない。三木は怒りの超越性をいい、瞑想性を語ってやまない。神の怒りを語り、「切に義人を思う。義人とは何か、――怒ることを知れるものである」と語った三木が牢獄で身体を掻きむしりながら死んだことを思うと、気持ちが暗くなる。怒りには時があったのであろうと思う。

 怒りの内面性の共有としての非暴力思想はどう可能になるか。社会科学の思想と論理としてどう可能になるのか。日本国憲法に関わってそれを考えてきた。石田がいうように、それをアメリカの憲法。世界の憲法との比較のなかで考えていくべきなのであろう。


 夜、目が覚めて考えていて、しかし、結局のところ、怒りとは何か。非暴力ということの内容をなす怒りとは何なのかを考える。

 現代において、それは「神の怒り」ではありえない。それは人類史そのもののなかからでてくるものでなくてはならない。それは歴史の怒りとでもいうべきものであるほかないのだと思う。

 歴史学が豊かになったのは疑いをいれない。しかし、歴史学というものは何を伝える学問であるのか。歴史学は自己の豊かさに自足しているわけにはいかない。歴史学というものは歴史の怒りを伝える学問であるはずであったのではないか。

 このユーラシア東端につらなる列島の歴史的怒りは、沖縄に噴出している。そして沖縄の人びとはつねに非暴力であった。

2016年2月10日 (水)

【B・サンダース】2月10日のツイート


What we need is a national health care system that puts people ahead of profits and health ahead of special interests.

利潤より前に国民を優先し、一部の利害でなく人びとの健康を優先するのは当然だ。だから国民健康保険制度がが必要なのだ。

When two-thirds of American seniors rely on Social Security benefits for most of their income, we must expand Social Security - not cut it!

アメリカの高齢者の 3 分の 2 が、その収入のほとんどを社会保障給付によっているときに、社会保障を拡張すべきことは明らかだ。それをカットしようなどということはありえない!

Bernie SandersさんがThe Associated Pressをリツイートして次のように述べました。

The Supreme Court's decision is deeply disappointing. There's no time to spare in the fight to combat climate change
最高裁判所の決定のあたえる失望は深い。気候変動と向き合う運動は時間との争いになっている。

The Associated Press @AP
BREAKING: Supreme Court agrees to halt enforcement of sweeping plan to address climate change until after legal challenges are resolved.
 最高裁判所は法的な問題のゆくえがはっきりするまで気候変動を焦点とする抜本的な方策の強化をストップすることを認めた。

バーニー・サンダースは極端な政治家ではない。

バーニー・サンダースは極端な政治家ではない。
 バーニー・サンダースは極端な政治家ではない。トランプはたしかに極端で変わった人間だが、サンダースは常識人だ。日本のメディアは例によってまっとうな報道をしない。彼らは政治家というと困ったチャンと思うのだ。日本の一部政治家を政治家の典型と思っているから、想像力が働かないのだろう。

 サンダースはヨーロッパでいえば普通の政治家である。なにしろアメリカというのは一面で、国民皆保険を「社会主義だ」という少しお馬鹿の大国だから、その標準から政治家を評価していてはまったくの誤りになる。

 サンダースの演説を読んでいると、アメリカ社会の格差拡大、インフラストラクチャの劣化、不当な選挙資金調達システム、不正な八百長経済などなど、これは進歩も保守もない問題だ。これを見過ごすのは不道徳だ、アメリカの現在の状態は異常だという主張は実にストレートで説得的だ。

 サンダースの「進歩も保守もない。右翼も左翼もない」という主張は、私には共感できる。歴史家は保守の立場をベースとして進歩の方向を見定めるのが役割であり、日本のように民族の基本を外国に押さえられている国では、右翼も左翼もないというのは常識的な話しだ。こういう日本のような国では極右・極左をやっているのはよっぽどの世間知らずか、お坊ちゃんだ。

 サンダースは、1970年代からヴァーモントで社会活動と政治活動をはじめ、1981年には、39歳で、ヴァーモントでもっとも大きく影響力のあるバーリングトンの市長となった。おもな支持者はヴァーモント大学などの教授連、社会福祉関係者と警官の組合で、民主党と共和党の候補をやぶって市長としてあわせて4回8年の任期をまっとうした。その段階から「社会主義者」を自称し、アメリカの南アメリカ政策に対して正面から批判的な立場をとり、シティーホールでノーム・チョムスキーを呼んで講演を組織するなど、その立場は一貫していたが、有能な市長として評価は高かった。

 1987年にはU.S,Newsがサンダースをバーリングトンをもっとも住みやすい町にしたアメリカ最良の市長であるとしたという。ヴァーモントでは非常に強い支持をうけている。

 しかし、1989年の市長選には立候補せず、その年はハーバートで教えている。サンダースは政治学専攻の研究者としての側面ももち、妻のオメラも後にバーリングトンカレッジの学長となっている。

 しかし、サンダースは1990年ヴァーモントの下院議員に民主党にも共和党にも属さないインディペンデントの立場で当選し、そののち16年間、一回を除いて圧倒的な勝利で下院議員を勤め続けた。これは独立無所属の下院議員としては40年ぶりのことであったという。その立場を20年近く維持していることになる。そして2006年に、その立場のまま上院議員に立候補し、圧倒的な勝利をおさめた。民主党に属さず、しかし、民主党のリベラルグループと会派を作り、その委員長として、イラク戦争に反対し、市民権利制限法に反対し、リベラル勢力の中枢にいたということである。

 以上は、『SENATOR BERNIE SANDERS』(Robert Shelley)によったが、サンダースの演説を読んでみると、ようするにサンダースは地域の社会活動のなかから徐々に全国政治に入り込んでいった普通の政治家であることがわかる。魅力的な人らしい。

  もちろん、相当にしっかりした人物で、筋金入りであることも明らかで、サンダースは1960年代のアメリカ学生運動の中心であったSNCC(学生非暴力委員会。Student Nonviolent Coordinating Committee)の活動家である。彼らは、アメリカの黒人差別に抗議する公民権運動をにない、そしてベトナム戦争反対の運動を担った。

 サンダースはマーチン・ルーサー・キングの指導した、1963年のワシントン大行進に参加しており、だから、彼はキング牧師の「I have a dream」という有名な演説をその場できいている。私より5歳ほど上だが、ようするにまったくの同世代である。イギリスのコービンも同じ。

 ヨーロッパ、アメリカで明瞭に対抗的な政治家が影響を広げている。私より年が少し上だが感じがよくわかる。同世代と思う。他国の政治家を同世代と感じるというのは初めてのこと。歴史が一巡り巡ったということか。

以下、【B・サンダース】2月9日のツイートである。
サンダースはニューハンプシャーで大差で勝てば勝利の可能性があるといっている。

Bernie Has a Message for New Hampshire
What this campaign is about is ending a corrupt campaign finance system, a rigged economy, and a broken criminal justice system. Join us.
If there is a high turnout tomorrow, in Hampshire ,I think we are going to win. I urge you all: come out and vote. Thanks.

バーニーサンダースのニューハンプシャーの人びとへのメッセージ
 私たちが訴えているのは、腐った選挙費用のシステム、不正な経済システム、そして壊れてしまった犯罪の捜査と審判のシステムなどの全てに片をつけることだ。もし、明日のハンプシャーで大きな前進があれば、私は勝てるだろうと思う。ぜひ、みんなで出てきて投票しよう。Thanks.


日本にとって重要なのはTPPである。現在の段階で、サンダースが「TPPを葬る to kill the TPP」と宣言していることの意味は重大である。

Vermont Sen. Bernie Sanders, who pledged Wednesday to kill the TPP agreement if he gets elected.

"As your president, not only will I make sure that the TPP does not get implemented, I will not send any trade deal to Congress that will make it easier for corporations to outsource American jobs overseas," he said. "Trade is a good thing. But trade has got to be fair. And the TPP is anything but fair."

【サンダース】2月3日(水)、サンダースは大統領になったら、TPPを葬ると宣言した。「TPPを発効させないだけでなく、企業が国民の仕事口を海外にアウトソースしやすくする通商協定はすべて議会に送らない。貿易はよいことだが、フェアなものでなければならない。TPPはその反対だ」

We must learn from other nations who say to their young people: You want to go to college? You can go to college, regardless of your income.

私たちは、他の国々に学ばなければならないところにいる。「大学に行きたいか。それならにいくべきだ。家族の収入とは関係ないだろう」。多くの国々では、大人たちは、そういうことを若者にいうのが普通なのだ。

While we tackle grotesque levels of income inequality in this country, we must simultaneously address the structural racism so many endure.

私たちは、この国におけるグロテスクな所得格差に取り組むと同時に、あまりに多くの人びとが人種差別に苦しんでいる現実を重視しなくてはならない。


In 2014, drug makers spent $250 million on lobbying and campaign contributions. Even in DC, that’s a lot of money.

2014 年に、医薬品メーカーは、ロビー活動や政治キャンペーンへの寄付で $ 2 億 5000 万を使った。これはワシントン・DC にとっても、さすがにでかい金だ。


We have a moral responsibility to reduce the growing gap between the very rich and everyone else.

ヴェリーリッチと普通の人びとのあいだでどんどん広がっている格差を縮めるのは、すでに一種の道徳的な責任の問題になっている。

The true greatness of a country does not lie in the number of millionaires and billionaires it has.

国というものの真の偉大さは、億万長者や百万長者の数には関係ない。

Drug industry launches ad campaign as it lobbies against any effort to rein in prescription costs -@joewalkerWSJ. http://1.usa.gov/1SZUQQk

不要な薬を処方せず、費用を抑えようという動きに対して、製薬業界はロビー活動をしながら、広告キャンペーンを打っている。

In the year 2016, a job must lift Americans out of poverty, not keep them in it. We have got to raise the minimum wage to a living wage.

2016 年は、貧困のなかにアメリカを停滞させるのではなく、そこから抜け出るための仕事をする年だ。我々は十分に生活できるレベルの最低賃金を獲得しなければならない。


毎日新聞のアメリカ大統領選挙の今日のツイートには「クリントン氏は、候補指名を争うサンダース上院議員が大手金融機関と関係する資金を受け取っていたと指摘。資金提供があっても、自分たちは考えを変えてないと強調しました。金融業界(ウォール街)との関係を指摘されてきたことへの反撃です」とある。しかし、これにはサンダースのHPに反論がある。$200,000をWall Streetから受けたというが、Democratic Senatorial Campaign Committee からのもので、これは個人や組合の少額献金の集合だ。虚偽宣伝だと反批判している。

“Today’s attack from Secretary Clinton, whose super PAC received $15 million from Wall Street, is even more absurd. Bernie Sanders, who has never accepted corporate PAC money in his life, is now accused by Secretary Clinton of taking ‘about $200,000 from Wall Street firms.’ How do they reach that false and absurd conclusion? They assume that every nickel Bernie Sanders received from the Democratic Senatorial Campaign Committee for his Senate campaign came from Wall Street. That is obviously preposterous.
“Bernie appreciates the help he has gotten from the DSCC, whose funds come from millions of Americans’ individual contributions, labor organizations, environmental groups, women’s organizations and others. To say that every nickel that Bernie received came from Wall Street is beyond preposterous. It is laughable and suggests the kind of disarray that the Clinton campaign finds itself in today.”

2016年2月 8日 (月)

【B・サンダース】2月8日のツイート。

【B・サンダース】9日のニューハンプシャーの民主党予備選挙集会がどうなるかは大きい。9世紀地震論をやりながら、しばらくサンダースを追っかける。サンダースがどういう外交政策をだしてくるか。目が離せない。

米大統領選指名争い、9日第2戦 民主サンダース氏が優勢(共同通信) #BLOGOS http://blogos.com/outline/159551/


【B・サンダース】2月8日のツイート。

In the United States, CEOs make 300 times what their workers make. This is simply immoral and must be dealt with.
 アメリカ合衆国では、Ceo は、普通、彼らの労働者の賃金の300 倍を確保する。これはまったく非道徳的なことでチャラにするほかない。

African-Americans are twice as likely to be arrested and almost four times as likely to experience use of force during police encounters.
 アフリカ系アメリカ人は、二倍、逮捕されやすく、警察と接触したときに、ほとんど四倍近く、暴力にさらされる。

Your ability to vote shouldn't depend on whether you have a car or how much money you have. It’s your right, plain and simple.
 一票のもっている力は、あなたが車を持っているか、どのくらいの金があるかなどということには関係ない。それが権利だというのは、簡単で分かりやすい話だ。

Attempts by elected officials to win elections by suppressing voter turnout isn't just political cowardice- it undermines our democracy.
 選挙によって選ばれたくせに、選挙に勝つために上から主権者を動かすようなやり方は、政治的に卑怯であるだけではなく、われわれの民主主義を損なう。

We must reform our campaign finance system so Congress' work reflects the needs of working families and not the billionaire class.
 私たちは、選挙キャンペーンの資金のあり方を変えなければならない。議会の仕事が億万長者の階級ではなく、普通の働く人びとの必要を反映するようにするためにはそれが必要だ。

 イギリスのコービンといい、サンダースといい、ヨーロッパ、アメリカで明瞭に対抗的な政治家が動き影響を広げている。サンダースは、1941年生まれ。私は60代半ばで、私よりも少し上だが、感じがよくわかる。同世代だと思う。

 サンダースは、シカゴ大学卒業ということだから、サラ・パレツキーの描くシカゴの私立探偵、ウヲーショースキ、VICの世界である。なんとなく好ましい。

 イスラエルのキブツで社会主義「的」な考え方をとるようになったというのも、私などの世代だとよくわかる話で、私の友人でキブツにいった人もいる。あのころのイスラエルには、今とは違う雰囲気があった(逆にいうとパレスティナのことを私はよく知らなかった)。

 他国の政治家について同世代だなと感じるというのは初めてのことのように思う。
 歴史が一巡り巡ったということなのかもしれない。

 バーニー・サンダースがチャールストン(サウスカロライナ)でデモのなかで演説しているVideoをみた。一見の価値がある(abcNEWS。Sun, 17 Jan 2016.VIDEO: Bernie Sanders Gets on Megaphone, Demands Higher Wages)。聞き取ってみた。

Thank you.
And let me thank you not only what you're doing here, but what your fellow workers are doing all over this country.
I've been pleased to march and struggle with all workers in this country. We're fighting for 15 dollars in a hour in a union.
We are the wealthiest country in the history of the world, people should not have to work with starvation wages.
So we're making progress, there are cities and states moving for the direction of 15 dollars in a hour.
That is my goal. If elected president, that's what I fight for. Keep up the great work, thank you very much.

 以下、私訳
「ありがとう。こっちからも、ありがとうを言いたいのは、あなたがここでやっていること、そして仲間がこの国のどこでも始めていることについてだ。この国ですべてのワーカーと一緒に行進をし、戦うという経験にであえて本当にうれしい。私たちは声をあわせ、一時間15ドルの最低賃金を勝ち取ろうとしている。私たちは世界の歴史上もっとも豊かな国にいるのではないのか。人びとはなぜ飢餓かつかつの賃金で働かねばならないのか。一時間15ドルの最低賃金にむけて多くの町と州が動き出した。それが私のゴールだ。私が大統領になったら、これこそが獲得目標だ。大仕事を続けよう。ありがとう、がんばろう」。
 


21世紀はテロの時代になるのかどうか。

 20世紀は「世界戦争の時代」といわれた。しかし、これと対比すると21世紀はテロの時代になるのではないかというのが最大の懸念である。もしそういうことだとすれば、ちょうど2001年におきた9,11テロによって、テロの世紀の開始が画されていることになる。

 これを考える場合には、二度の世界大戦はかってない破壊的なもので、しかもそれ以外にも20世紀の歴史はおそろしいものであることをもう一度くわしく記憶しなおさなければならない。それを前提としないでは、テロの時代というような時代の特徴付けが正しいかどうかを考えることはできない。

 木畑洋一『20世紀の歴史』(岩波新書) は、20世紀の歴史がジェノサイドと大量迫害殺人、戦争の歴史に満ちていることを示している。この本を読んでいると、これらの戦争・抑圧・内戦にともなう死者の数を数えることは歴史家にとってもっとも大事な作業なのだということを実感する。現代史家の視線は確実なもので、これは基礎的な歴史知識であり、歴史像の基礎であると思う。

 たとえば、私は、第二次大戦後に「二度目の植民地征服」といわれるイギリス・フランス・オランダなどのヨーロッパ列強を中心とした植民地体制の再建の動きがあったこと、その中で大量迫害死があったことを系統的な知識としてはもっていなかった。木畑によって紹介すると、インドネシア独立戦争では、オランダ側がインドネシアのナショナリストに極端な暴力をもってのぞみ、インドネシア側で戦闘員が4万5千から10万人、非戦闘員が2万5千から10万人死んだ。インドシナ独立戦争ではベトナム側の死者が20万人とも40万人ともいわれ、フランス側では、フランス人2万、外人部隊(アフリカ人をふくむ)1万5千、(ラオスなどをふくむ)現地召集が4万6千人の死者である。インド独立は平和的な権力移譲であったといわれるが(私もそう習った)、現実にはこの時のインド・パキスタン分離のなかで暴力事件が多発し、その過程での死者は50万から100万と推定されている。インパ分離がイギリスの植民地支配維持の思惑に一因があったことはよく知られている。アルジェリアでは、フランスのアルジェリア民族解放戦線の動きと悪名高いフランスのOASの攻撃によってアルジェリアの側の死者数は30万から40万に達したという。そして、アフリカのケニヤにおけるマウマウに対するイギリスの攻撃は10万から30万のキクユ族の死をもたらした。これに1948年のイスラエル建国にともなう「大破局・ナクバ」と第一次中東戦争による死者が加わるのである。

 もちろん、ソビエトによる東欧に対する社会帝国主義支配によっても多くの死がもたらされ、さらにスターリン・毛沢東の指示によって発生した朝鮮戦争も、第二次世界大戦後の戦後体制における陣地確保としては、同じ文脈で理解できる(シベリア抑留も同じ要素をもつ)。

 植民地体制からの開放と独立が、この「二度目の植民地征服」を乗り越えることによってようやく実現されたということを忘れることはできない。私は、1948年生まれで、いわゆるベビーブーム世代であって、第二次世界大戦、アジア太平洋戦争の実態的な記憶はないが、しかし、この「二度目の植民地征服」に関わる記憶は、自然に自分のなかに入っていることを確認した。インドシナのディエン・ビエンフーの戦いの写真や、映画『アルジェの戦い』の記憶は、やや遅れながらも、我々の世代の記憶のなかに根付いているのである。我々の世代は、その延長線上でベトナム戦争をうけとめたのであろうと思う。

 話がずれたが、この意味では、木畑が、20世紀がどれだけの犠牲をもって19世紀、1880年代からの「帝国主義の時代」を乗り越えたかを強調することの意味は重大である。木畑はホブズボームが1914年以降、ソビエトの崩壊までを「短い20世紀」=異様なる時代として総括するのに反対し、1880年代からの「長い20世紀」のもたらしたものを、ともかくも肯定的に考えなければならないという論調を展開する。ホブズモームの理解は端的にいってヨーロッパしかみていないという批判は正しい。世界全体をみて、巨大な犠牲と巨大な変化を確認したうえで議論を展開する木畑の意見を「楽観主義」であるということはできないと思う。私にはまだまだ20世紀におけるジェノサイドと大量迫害殺人、戦争の歴史の詳細を実感するだけの体系的な知識はないが、木畑のいう意味での帝国主義と植民地体制の時代を乗り越えたのだという指摘の意味は重いと思う。

 しかし、その上で、木畑の指摘をこえて考えなければならないことも多いと思う。

 それは第一に、歴史をみるスパンの長さに関わっている。つまり20世紀を人間の異様なる大量死の時代として考える場合には、それが16世紀の世界資本主義の原始的蓄積の時代におけるアンデスとアフリカにおける大量虐殺以来の歴史の到達点であったということを考えなければならないと思う。16世紀以降、人類の歴史は大量死という異常事態がいつ起こるかわからない。それが日常の風景である時代に入ったのである。そして、それは1945年における「核時代」の開始によって現在も続いているのである。

 第二は木畑のいうように本当に「帝国主義」の時代は終わったとまでいえるのだろうかという疑問である。私には、湾岸戦争とユーゴスラビア爆撃は欧米が集団的な帝国主義のイデオロギーと体制を再建したもののように思えるのである。それは古典的な領土分割をともなう帝国主義ではないが、資源独占という意味では、以前として膨脹主義的な未来予測をともなっている。将来を見越した地政学的な勢力圏を確保しようという点では相似した衝動がいまだに諸列強を支配しているようにみえる。それは科学技術と情報技術の知財化のネットワークの経済構造(情報資本主義・知識資本主義)に支えられているだけに不可視の部分が強くなっているが、現実には諸列強世界の帝国的な構造は継続しているというほかないのではないかと思う。

 第三は、それにかかわってそもそも帝国・帝国主義というものをどう考えるのかという問題があると思う。19世紀以来の帝国というものはレーニンの古典的な定義をどこまで維持すべきかは別として経済構造に基礎がある。その膨脹主義が資本主義的な事業拡大の無限の衝動に源由があり、それにもっとも適合的であるというハンナ・アーレントの理解は正しいと思う(『全体主義の起源』)。

 しかし、帝国主義には歴史的な基礎がある。前近代の帝国の基礎があるのではないだろうか。木畑は、帝国を「帝国意識」の問題として描くが、「帝国意識」の源由にあるのは、歴史である。

 こういう観点から言うと、アメリカには、ヤンキー帝国主義のニュアンスがある。ネイティブ・アメリカンズに対する抑圧、アフリカ人に対する奴隷化、南アメリカ支配とアンデス文明に対する虐殺行為の歴史的由来をひく帝国主義である。そして、ヨーロッパ(EC)にも「ヨーロッパ帝国」のニュアンスがあると私は思う。ブローデルやウォーラーステインは12世紀以降のヨーロッパに「帝国性」をみとめず、「世界=経済」構造とするが、しかし、現実には、相当の帝国性があるというのが、近年の歴史学の意見である。外部から客観的にみれば、キリスト教主義を背景とする集合的帝国ー「自由貿易帝国主義」(普通は19世紀についてのみいわれるが、むしろ帝国化がヨーロッパ内戦と外縁拡大によって固定しなかったという要素を重視したい)を考えて何の問題もないと思う。そしてこの帝国が、それに対応して生まれたイスラムの諸帝国の歴史的由来を主張するのが現在の中近東における支配システム(板垣雄三のいう「中東国家体制」。サウジアラビア・カタル・アラブ首長国連邦など)である。2012年の歴史学研究会大会全体会での長沢栄治報告は2011年の「アラブの春」が対峙した中近東の支配体制を欧米帝国主義諸国に従属的に同盟し、危機を自己培養し、腐朽しつつ展開している「アラブ諸国家システム(アラブ的全体主義)」を描き出した。残念ながら、長沢報告を聞いた後も十分な勉強をしておらず、確信をもっていうことはできないが、私は、このブロックも一種の帝国性をもっているのではないかと思う。彼らには世界をみる帝国的な視線と生活様式がある。そもそもイスラム帝国はヨーロッパと同じように一種の多元性をもっていたのではないか。ヨーロッパを「世界=経済」構造とするのは一種のヨーロッパ中心主義ではないかと思う。
 なお、日本については、江戸時代、早くからヨーロッパ(オランダ・ロシアその他)が日本を世界の「七帝国の一つ」(あるいは「六」「十一」とも)とみなしていたという問題がある。江戸期国家もそのような自己認識をもっていたことが明らかにされており(平川新『開国への道』小学館日本の歴史十二、2008年)、それが明治国家の帝国意識にかかわっていることも明らかである。

 十分な知識のないことを述べたが、「21世紀はテロの時代になるのかどうか」を歴史学的に考える場合には、こういう諸問題への見通しが必要なのではないかと考えている。ともかく、依然として持続している帝国の構造こそが、その内部に暴力とテロをやしなう実態であろうと思う。21世紀がテロの時代になるかどうかは、その帝国の構造がどうなるか、どこまで精算されるかにすべてかかっている。そしてそこでは16世紀以来の世界史を理解する歴史像を人びとがどうかたるかも大きい。

 長沢氏は「アラブの春の擁護、民主化支援を介入の正当化の根拠として、覇権主義的な秩序の再編が、現在試みられているのである。たとえばサウジアラビアに対するドイツ。メルケル政権による戦車供与や治安訓練などがその一例である」とし、さらに「社会的混乱を助長することによって、専制的権力の維持・強化をはかる旧体制側の伝統的戦術こそが宗派主義の扇動であった」「19世紀の東方問題以来、この地域における宗派主義の策動は、欧米の介入とたえずむすびついていた」と述べている。
 
 20世紀から残された「帝国主義」は、たしかに木畑がいうように大きく乗り越えられた。20世紀の巨大な犠牲と巨大な変化は、それだけの意味をもっていると思う。それ故にこそ、その実態と戦争の責任を世界的な記憶の構造のなかに定置することが必要なのである。南京大虐殺における殺害の数について、中国政府において30万という演説があったのに対して、日本政府の官房長官がもっと少ない、事態を誇張していると主張したという問題が最近報道された。歴史家から言わせれば、20世紀における大量殺害の歴史はもっとも慎重な議論が必要な問題であることを自覚できない政治家というのは語義矛盾である。少なくとも、このような主張は、南京大虐殺の人数を20世紀のなかで考えるという視野が必要だろうと思う。そのとき、世界各地でおきたジェノサイドと大量殺害の数とくらべて、結局、「それはどこでもあることだ」という姿勢に落ち着いてしまうのか、それとも20世紀という時代がどういう時代であったかを正面から考えるという姿勢をとるかが大きな岐路になるように思う。
 そして、そのような省察なしには、「21世紀はテロの時代になる。20世紀の血塗られた歴史が、その方向への呪縛としてはたらく」ということであろうと思う。
 
 それにしても、フランスにおけるテロに対するフランス国家の対応をみていて、ヨーロッパの時代の終わりを感じる。彼らはヨーロッパに内在する16世紀以来の歴史的責任という感覚が薄い。湾岸戦争に荷担した歴史的罪悪さえもわすれているようだ。その無知と厚顔は計り知れない。
 なにしろ木畑がいうように、2005年、フランスは「フランス人引き揚げ者のための、国民の感謝および国民的支援に関する法」なるものを公布し、アルジェリア戦争のフランス側軍人や引き揚げ者を顕彰したのである。これはさすがに世論の批判をあびて一部撤回されたが、ようするにアルジェリア問題は依然として続いている。彼らはサルトルの思想レヴェルさえ維持することに失敗しているのではないか。

 私たちの世代は、どうしてもヨーロッパの文化・学術・思想についての信頼が深かった。ともかくそれにどっぷりつかっていたのである。私は、ユーゴスラビア爆撃のときにちょうどベルギーにいたが、そのとき、ドイツのハバーマスが爆撃を支持する意見をだしているのを知って、ヨーロッパ思想の混迷状態の深さを知った。おそらくそれがまったく解決されないままなのであろうと思う。

 長沢氏は、報告で、アラブの春と東日本大震災(原発事故)をならべて、「これらの二つの出来事が日本とアラブにとってどのような意味をもつのか。それぞれの社会でどのようにして未来の起点と扱われるべきなのか。歴史学者は、重要な問いに答える責務を負っている。私たちには、この経験に根ざした未来への答えを世界に示す責任がある」としている。一部ではあれ、限られたものではあれ、ユーラシアの東端にいる私たちだからこそ見えてくるものがあるはずだと思う。

2016年2月 7日 (日)

バーニーサンダース、 2月7日のツイート

バーニーサンダース、https://twitter.com/SenSanders。 2月7日のツイート

もう十分だ。この偉大な国家は人民のものであって、一握りの億万長者や、そのキャンペーングループや、ロビイストのものではない。

Enough is enough! This great nation belongs to the people and not to a handful of billionaires, their super PACs and their lobbyists.


一方的な軍事行動に訴えるのは最後の手段であって、決して最初のオプションではないという最低線くらいは守らないでどうする。
The bottom line is that unilateral military action should be the last resort, not the first option.

アメリカは、世界でもっとも教養の高い人びとをもつ国であるべきであって、刑務所のなかにもっとも多い人口を持つ国であってはならない。
America should be known as the country with the best educated population in the world, not the country with the most people in jail!

アメリカの世帯の45%近くが、十分な交通手段・経費の不足にあえいでいるというのはとんでもない話だ。我々は崩壊しつつあるインフラストラクチャを作り直さなければならない!

It's outrageous that nearly 45% of American households lack any meaningful access to transit. We must rebuild our crumbling infrastructure!

毎年、連邦政府は学生ローンから数十億ドルの利益を上げている。我々は、このぞっとする実情を終らせる必要があります!!
Every year, the federal government makes billions of dollars in profits off of student loans. We must end this most revolting practice!

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