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2016年2月18日 (木)

日本の北方領土問題と歴史学ーとくに明治国家の愚行の評価について

 外交にとって最低の必要条件は、国際法上の不法をただすことであって、それがないような外交は外交といわないが、歴史学からいわせると、日本外交はつねにそういう種類の外交であった。それを論じて、最後には徳川幕府が結んだ1855年(安政元年)の日魯通好条約と、明治国家が結んだ1875年(明治8年)樺太・千島交換条約の評価に及びたい。

 さて、現在、国際法上、どのような立場からしても不法であることが明瞭なのは、ロシアによる北方領土の占領である(アメリカによる沖縄の基地占領については最後に述べる)。これに対する国際法的な法理を正面にすえた異議をとなえない日本の外務省は決定的な職責違反を行っている。また私見では法学界、国際法学界も、この問題についてよるべき十分な仕事をし、必要な主張をしていないように思える。

 私は、以下の国際法的な事実は、歴史学界共通の見解である以上、小学校・中学校・高等学校で、社会科学・歴史学のカリキュラムのなかで、順次、学ぶべきものであると考えるが、それができないのは、それをやると外務省の行動が職責を果たしていないことが明々白々になるからであろうか。

 まず第二次世界大戦における日本の降伏条件を構成する1943年の「カイロ宣言」には"The Three Great Allies are fighting this war to restrain and punish the aggression of Japan. They covet no gain for themselves and have no thought of territorial expans"、つまり「三大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するため、今次の戦争を行っている。同盟国は自国のために利得をむさぼろうとするものではなく、また領土拡張の念も有しない」という「領土不拡張」原則が記されている。そして続けて、" It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914"(以下は中国との関係、省略), つまり、「同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪する」という形で日本の領土をどの範囲に限定するかを明らかにした。

 しかし、アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳、ようするにルーズヴェルト・チャーチル・スターリンは、1945年2月、ソ連のヤルタで会談を開き、そこでスターリンがソ連の対日参戦の条件として千島列島の引き渡しを要求し、ルーズヴェルト・チャーチルがこれを認めて、ヤルタ秘密協定に盛り込まれた。そこには「三大国の指導者は、ドイツが降伏し、かつヨーロッパの戦争が終結して二・三ヶ月後、ソ連が左の条件にしたがい、連合国に与して日本に対する戦争に参加することについて合意した」として、(1)外蒙古の現状の維持、(2)1904年の日本の裏切りの攻撃(the treacherous attack)によって侵害されたロシア国の旧権利(樺太南部など)をあげ、さらに「(3)千島列島はソ連に引き渡される(shall be handed over)」という項目を付け加えた。

 第二項目はポーツマス条約(日露講和条約、1905年)における樺太の獲得にふれたものである。それはカイロ宣言における「1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または占領したる島嶼」という条項と異なるが、樺太は日露戦争の敗戦処理のなかでの領土獲得という側面をもつために、国際法上、一定の根拠をもつことになる(ただし、ポーツマス条約の問題性については後述)。

 しかし、千島についての第三項目は、明らかにカイロ宣言に対する違反である。このヤルタ協定は密約として日本国には伝えられていない以上、これを降伏条件として日本国に要求することはできない。もちろん、日本の戦争が侵略戦争であったことは明らかであるが、しかし、その責任を問うことと、戦後処理が降伏条件との関係で法的な正当性をもつかどうかは別問題であって、このような秘密協定を潜り込ませたスターリン、そしてそれを容認したルーズベルト、チャーチルの行動は不当なものである。勝った側、さらに戦争において大局的な正当性をもったものが何をやってもよいということではないのである。ルーズヴェルトは原爆投下に消極的であったといわれ、ルーズヴェルトの死が原爆投下の促進要件になったといわれる。それは事実であろうが、ルーズヴェルトをむやみに誉めることはできない。彼にとってもアメリカの狭い国益が第一であったことはいうまでもない。ヤルタ密約に同意したルーズヴェルトの判断自体から問題にされなければならないことも明らかであろう(参照、武田清子『天皇観の相剋』)。

 「カイロ宣言」が第二次世界大戦における日本の降伏条件を構成するというのは、ポツダム宣言において"The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine"、つまり「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州ならびに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」と確認されているからである。もちろん、明らかなように、この条文の後半は実質上、ヤルタ秘密協定をうけた側面がある。わざわざ「本州、北海道、九州ならびに吾等の決定する諸小島」という用語をいれたことはスターリンの主張に対する曖昧な妥協であった。ポツダム宣言に「(アメリカ・イギリス・中国の)巨大な陸海空軍は西方より(中略)数倍の増強を受け日本国に対し最後的打撃を加へる態勢を整えた」とあるのは、ソ連の参戦を前提にしたものであるから、ルーズヴェルトとチャーチルはさかんにスターリンに媚びを売ったのである。

 藤村信は「ヤルタ体制を結晶させたものは、あいまいな妥協であり、いかようにも解釈できる不明瞭な協定の文字である」と述べているが、ポツダム宣言の上記の条項は、その曖昧さを継承していたということになる(藤村信『ヤルター戦後史の起点』)。たしかに日本はポツダム宣言を受諾したが、右の曖昧な条文によって、カイロ宣言の領土不拡大原則と国際法上の原則をこえて、千島を放棄させられたことは容認すべきことではない。

 このヤルタ密約が前提となってサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)が締結されたのはいうまでもない。その第二章 領域、第二条、(c)項に「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある通りである。ヤルタ密約とそれを追認したサンフランシスコ条約の該当部分は、国際法上の不法行為であって、これの見直し・訂正を求めることは敗戦国とはいっても、日本国民の国際法上の権利であることは明瞭であろう。

 もちろん、外務省は、北方四島の返還を要求はするが、それをヤルタ協定が国際法に反するという形では主張しない。ようするに、彼らには、ヤルタ→ポツダム→サンフランシスコという国際密約・協定などの全体を問い直そうという、外交官ならば当然にあるべき覇気と専門職としての自覚がないのである。

 ポツダム宣言は原稿用紙4枚ほどにすぎない。それをその歴史的背景をふくめて「つまびらかに」読むことが国家理性の中枢にいる人間の最低の知的レヴェルというべきものであることはいうまでもない。昨年、本当に驚愕したのは「ポツダム宣言の内容をつまびらかにしない」という人を国家中枢にもっていることが明らかになったことであった。そして、最近、「歯舞、これ何だっけ」という人物が沖縄北方担当相であるという、悲しいあきらめをもったが、これらの発言は、職責的知識の欠如が中枢に存在することを示すのみでなく、そのような欠如が、政治的な立場の如何をとわず、きわめて一般的であることを期せずして明らかにしたといえるのかもしれない。

 こういう現状を前提とすると、上記のような外務官僚への要求は過大なものということになるのかも知れないが、しかし、さすがに20年前まではいくら対米従属といってもそんなことはなかったのだから、外務官僚が職務怠慢の責めを受けることはやはり否定できないだろう。

 これがアメリカによる沖縄の基地占領が国際法上の不法行為であるという問題提起をしないことと共通する問題であることはいうまでもない。戦争行為を直接に無法な土地占取・基地設置に連続させ居住者を追い出す、という沖縄におけるような行為は、国際法上認められていない。沖縄の基地は、サンフランシスコ条約第三条に根拠があることはいうまでもないが、これも違法なものでり、その違法性は沖縄の施政権返還協定によっても完全に解消された訳ではない。

 サ条約の改定は、締結諸国全体との外交交渉を必要とし、それは日本側のアジア太平洋戦争に対する総括をふくめて全面的で根本的な態度を必要とする。その方向をとる決意なしには、サ条約第二条の千島放棄の規定の再検討はありえない。そもそも当時の自民党佐藤政府とアメリカがサ条約の改訂という道を取らなかったのは基地を確保するとともに、安保条約を日本全土に拡張するためであった。

 たとえば荒井信一氏の仕事が示すように、これらは歴史学においては周知の問題であって、いわずもがなのことであるが、最後に二点を述べたい。

 第一に、沖縄の状況であるが、戦後に続いてきたすべての政権がサ条約の不法性を主張せず、それを容認し、沖縄を日本の国家意思として「引き渡し(handed over)」続けてきた。しかし、ともかくも施政権の返還によって、沖縄における不法行為は、国際法上の違反の形式をもつのは基地の占拠に極限されるに至ったということができよう。不法に占拠された基地までも法的な基礎をもつという形式をとっているのは不適法であることはいうまでもないが、しかし、日本の沖縄に対する国家意思が変わらないままでは、国際法上の異議提起は現実には成立しえない状況であり、その意味で施政権の返還の意味は重い。ここで国際法上の不法性が縮減されたことは否定できない。

 これに対して、千島のソ連・ロシアによる奪取は、戦後処理のドサクサにおける奪取であって、これについては、日本の国民意思を代表すべき政治は、左翼であろうと右翼であろうと、保守であろうと革新であろうと、「敗戦国」としての正当な戦後処理を受ける国際法上の権利の問題として、サンフランシスコ条約の該当条項の削除を要求すべきものである。日本の戦後における政府は、それができない、それをする意思がない政府であり続けたのである。

 そのなかで、第二次大戦については、「せいぜい」、内向きの発言をするか、韓国・中国の歴史認識に異議をいうだけという姿勢である。「歯舞、これなんだっけ」という閣僚の発言は、そのなかでもたらされたものである。こういう口の裏まで透けて見えるということでは、領土問題に関する外交的な発言に説得力をもたせるのは無理というほかない。

 むしろ千島の返還のためには、韓国と日本の関係はきわめて重大であって、しばしばいわれるように、両国を核として東アジア共同体を形成し、さらに中国・アメリカの賛同をえて、それらをバックとしてロシアに対して戦後処理の不法性を主張することこそが、日本外交にとっての本来の正道である。ロシアが北朝鮮の背後にいて利害優先の態度をとっていることも明瞭な事実であって、日本にとってロシア批判は、国内的な立場を越えて優先的な問題なのである。現在のプーチンのロシアが世界とユーラシアの平和にとってきわめて危険な存在であることはいうまでもない。ロシア批判を第一にせずに、中国・韓国の対日態度を論ずるというのは、少なくとも当面の外交上、国益上、真の実効のないことである。

 第二の問題は、千島、そして樺太は、本来、日本民族ではない諸民族の領土であったという問題である。日本の「領土」問題において、北方においても、「琉球処分」と同じ種類の問題の検討が必要であることを示している。これは私の専攻する日本の前近代の歴史にも関わってくる。

 まず千島については、最近の考古学的な研究によって、ウルップ島より北の北千島には「コロホウンクル(コロポックル)」と呼ばれた北海道アイヌとは言語を異にする民族が分布していた可能性が指摘され、それに対して択捉島以南は北海道アイヌのテリトリーのなかにあったといわれる(瀬川拓郎『アイヌ学入門』、講談社現代新書)。また樺太については、ギリヤーク(オホーツク人)の人びとの強い地であり、そこに北海道アイヌの人びとも古くから進出していたことは以前から明らかになっている。ユーカラが12世紀頃以降のアイヌとギリヤークの戦いを反映しているという金田一京助の盟友、知里真志保の説は有名であって、最近では支持者が多い(榎森進『アイヌ民族の歴史』、草風館。本書については保立『日本史学』人文書院を参照)。

 私は、その意味で、徳川幕府が幕末・1855年(安政元年)に結んだ日魯通好条約は、北海道地方における実情を正確に反映していた可能性が高いと考える。つまり同条約は、択捉(えとろふ)島以南を日本領とし、また、カムチャッカ半島につらなる得撫(うるっぷ)島以北をロシア領としたこと、また樺太(サハリン)を民族混住の地とした。これは実情をふまえた賢い判断であった可能性が高い。

 これに対して決定的な誤りを犯したのが、明治政府であって、明治政府は、せっかくの日魯通好条約を、北海道開発をロシアとの矛盾なく展開することを主目的として改訂し、1875年(明治8年)に樺太・千島交換条約を結んだ。これによって樺太全体がロシア領となり、ロシア領だった得撫島以北の千島が日本領となったのである。これは結果からいって、北海道開発による初期利益という衝動に動かされた愚策であったことは明らかである。明治国家は巨額の戦費を費やして日露戦争に「勝利」し、ポーツマス条約(日露講和条約、1905年)によって樺太を獲得したが、前記のように、これは戦争による領土獲得であると判断され、ヤルタ→ポツダムの経過のなかで、樺太南半部を放棄させられ、さらに全千島を、本来、北海道アイヌ民族のテリトリーとして北海道の一部であった、エトロフ・クナシリ・シコタン・歯舞(はぼまい)までをふくめて奪取されることになったのである。

 これはようするに国家の資本主義化のなかで、アイヌ民族の大地(アイヌ・モシリ)を奪い、明治国家の中央集権化・軍事化の資金としようという動きであって、この乱暴な政策が、結局、この列島の北への視野と活動を大きく狭める結果となったのである。他民族を抑圧するものは、いつかしっぺ返しを受けることの好例である。この明治国家のアイヌ民族に対する罪過は、さまざまな意味で、つぐないきれない種類の罪過であったと思う。

 以上は、サンダースの外交政策がどうなっていくかということを考えるなかで、世界戦略上、ロシアをどう位置づけるかがキーになるというところから、従来の知見をいちおう整理してみたものであるが、歴史学の側から「領土問題」、北方領土問題を考える基本はここにあることになる。この種の問題は、本源的に、単純な自民族中心のナショナリズムではすまないのである。

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