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« 【B・サンダース】2月10日のツイート | トップページ | サンダースで心配なのは国際政策+2月12日のツイート、 »

2016年2月12日 (金)

サンダースの非暴力主義の喚起力。そして2月11日のツイート

 サンダースは決してセンセーショナルなポピュリストではなく、その人柄も極端な人物ではない。彼が常識人、良識人であるというのは、民主党でも共和党でもないという立場に立ちながら、もっとも長く議会で活動してきており、選挙でも強い支持を受け続けてきたということでわかる。(なおサンダースについて、現在、もっとも明解な日本語による論考に宮前ゆかり「バーニー・サンダースの台頭:99%からの異議申し立てが始まっている」岩波書店『世界』2015年12月号がある)

 サンダースが常識人、良識人であるというのは、具体的にいえば、第一にサンダースが宗教的な寛容を体現していること、第二にその非暴力主義が説得的なものであるということだろうと思う。

 第一の宗教的寛容は、サンダースがユダヤ民族の出自をもつことに関係している。アメリカ大統領がユダヤ系からでるとすれば、それははじめてのこととなるが、サンダースのユダヤ系の系譜は、アメリカでもっとも受け入れられやすいそれである。彼はナチスに家族を虐殺されたポーランドのユダヤ人移民の子で、豊かではない家庭の子としてニューヨーク、ブルックリンで育った。そしてニューヨークなまりで話す。アメリカの人々のナチスへの感情はきわめて厳しいものがあり、反ナチスというのはアメリカの民族的感情の中核をなしている。ナチスに家族を殺されたニューヨーカーというのは、いかにも受け入れられやすいユダヤ系の人々の典型だと思う。

 サンダースは1959年にユダヤの成人式(Bar Mitzvah)をしていてユダヤであることを誇りにしているという。同時に奥さんはローマンカソリックであって、サンダース自身、カソリックのフランシス教皇への親近感をかくさない。

 彼は自分をとくに宗教的な人間ではないというが、それは宗教的な寛容が身についているということである。これはアメリカ社会では大事なことである。

 ニューヨークのマディソン・ハイスクールでは、陸上部のキャプテンで、学生会の代表に立候補して最後まで選挙で残った。若いころの写真をみても、いかにもアメリカの好青年のイメージで、以上を全部合わせて寛容で、感じがよい、いわゆるdecent であるということだろう。そういう男がグラスルーツ、草の根の活動家としてやってきて、年をとっても熱血だというのが歓迎されている理由だろうと思う。政治家にとって個人イメージというのはきわめて大切なものだ。

 それが第二の「非暴力」に結びついているというのが絶好である。サンダースはマーチン・ルーサー・キングの指導した、1963年のワシントン大行進に参加しており、だから、彼はキング牧師の「I have a dream」という有名な演説の、その場にいた。その運動のスローガンが「非暴力」であったことはいうまでもない。キング牧師Rev.Martin Luther King,Jrは、アメリカでリンカーンと並んで尊敬され記念されている宗教者である。キング牧師と一緒に行進したというのは、サンダースに圧倒的な歴史的正統性をあたえる。

 そして、サンダースは、その意味では筋金入りである。サンダースは1960年代のアメリカ学生運動の中心であったSNCC(学生非暴力調整委員会。Student Nonviolent Coordinating Committee)の活動家である。彼らは、アメリカの黒人差別に抗議する公民権運動をにない、そしてベトナム戦争反対の運動を担った。サンダースは、アメリカの人びとにとって、その時代からの歴史の動きを実感させる人物なのだろうと思う。

 問題は「非暴力」である。アメリカの第二次世界大戦後の歴史は、1960年のJ・Fケネディー(民主党)の大統領選出、1963年8月の公民権運動ワシントン大行進、同年11月のケネディ暗殺、そして1968年のキング牧師暗殺を大きな波としている。それは血塗られていた。アメリカは、リンカーン暗殺からキング牧師暗殺まで、基本的には暴力的な社会であって、アメリカにとって、キング牧師は、その暗殺社会の終了を象徴する存在であったはずである。そして、SNCC(学生非暴力調整委員会。Student Nonviolent Coordinating Committee)は、それを担った組織として何といっても重要な位置があるのである。

 この1963年の「非暴力」の理念については、そのときちょうどアメリカにいた東京大学社会科学研究所の石田雄氏の証言がある。その夏、石田はクエーカー(フレンド派のクリスチャン)の人たちの運営する講座で授業をする機会があり、そこでSNCC(学生非暴力調整委員会)のメンバーが実際の行動内容について報告するのを聞いた。石田は次のように述べている。

 「その時に若者たちから聞いて強い印象を受けたのは、非暴力直接行動についての訓練が大変に手間をかけて丁寧にやられていることでした。実際に誰かが警官の役をして暴力を振るうのに対して、どのように非暴力で立ち向かうかを詳しく、くりかえし訓練しているので、その結果として統制のとれた有効な運動が展開されてきたことがよくわかりました」(石田雄『ふたたびの<戦前> 軍隊体験者の反省とこれから』青灯社)

 ワシントン大行進でもネオナチの攻撃による事故があり、ケネディの暗殺が続くという時代である。

 アメリカの人びとにとってきついのは、おそらく、今でも、実際には、アメリカ社会の暴力的な性格が強く残っていることだろう(なお冒頭に紹介した宮前ゆかり氏に、アメリカで彼女が実際に遭遇した空港における暴力についての報告がある。TUP(Translater United for Peace)速報927号 権利章典の崩壊―わたしはなぜ逮捕されたのか http://www.tup-bulletin.org/?p=959 )。サンダースが強調するアメリカ社会の格差と腐敗と非道徳が、社会のそこここに巣くっている暴力によって支えられているというのが、怖いところである。大統領選挙で暴力の行使があるとは思えないが、アメリカの銃社会の状況のなかで「非暴力」を貫くのは、相当の筋金入りでないとできない。その緊張をみていないとアメリカ大統領選挙の見方を誤るだろう。キング牧師と一緒に行進したことが、サンダースに圧倒的な歴史的正統性をあたえるというのはそういうことである。


 私は60代後半ですが、私のアメリカイメージは何といってもケネディです。代々木ゼミで小田実さんの授業で、ケネディの就任演説inauguration addressをテープで聞かされ聞き取るという授業をうけた世代です。甘いといわれるでしょうが、その演説はやはり感動的なもので、ケネディのイメージは基本的に明るいものでした。

 世界史、世界ということを考えるためには、ともかく最初は何らかのプラスイメージがないと、思想と経験を作っていくイメージの核そのものが作れないのではないでしょうか。歴史学に進んで、ケネディーライシャワー路線は駄目と習いましたが、やはりアメリカは世界の帝国的中枢ですから、良かれ悪しかれ、そこに想像力が働かないと世界史のイメージを作れないのではないかというのが歴史家としての考え方です。そして、少しでも明るいものがないと私たちの歴史的思考は動き始めないのではないでしょうか。

 バーニー・サンダースの動きがそのようなものになることを期待するものですが、アメリカは、いま第二次大戦後の歴史のすべてを走馬燈を早送りするように一挙に想起しているのだと思います。

 
 私はサンダースより7歳ほど下だが、彼の「追っかけ」をしていると、つくづく同世代だと思う。しかし、その実感は苦いものを含む。日本は、ソ連のチェコ侵略、アフガン侵略、中国の文化大革命、北朝鮮の狂気。韓国の軍事政権。ベトナム戦争。沖縄の「施政権」返還問題、日本自身の戦争責任などなど、実に多事であった。それはアメリカのような帝国本国よりも多事な面があったのではないだろうか。そこではさらに独創的な論理と見通しを必要としていた。しかし、日本では、70年前後の社会運動は全共闘のために分裂した。彼らがすべて駄目だというのではないが、彼らは非暴力の思想がなかった。私は、ゼミの仲間などとともに母校でアヒンサ(ガンジーの殺すな)を標語にしたグループにも参加したが、暴力のせいで、本当に大変だった。

 これについても石田氏は次のようにいっている。
 「アメリカでは、武器を持つ権利が憲法上認められているから、非暴力であるということは特別な決意を必要とすることになります。これに対して日本では、自衛隊と警官およびヤクザが武器をもっているだけで、一般人は武器を持っていないので、非暴力の必要をあらためて意識することが少ないという違いがあります。(中略)その結果、60年代後半の全共闘運動では、抵抗のシンボルとして『ゲバ棒』(角材などを使った棒状の武器)をもつことになるのです。それは現実には人を傷つける。場合によっては死なせるようなものであるにもかかわらず、そのことが意識されにくい。60年安保のときもでも、全学連は国会突入という実力行使にこだわったために死者をだすことになったのに、そのことに対して指導者は反省するおころがなかった」(石田雄『ふたたびの<戦前>』。なお、60年安保のときの「全学連指導部」には極右から金がだされていたのは有名な話であるー筆者注)。
 
 長くなりましたが、以下、【B・サンダース】2月11日のツイートです。その後ろにはさらに「非暴力の思想」について考えていることを書きました。

Older workers are worried about what will happen when they retire. We have to ensure they retire with dignity by expanding Social Security.
働き続けてきたものが、仕事をやめたあとにどうなるかを心配せざるをえないというのはおかしい。私たちは誰でも退職後に文化的な生活ができるように社会保障を拡充しなければならない。

It's unacceptable that in the richest countries in the world millions of young people are unable to find work and begin their careers.
もっとも豊かなといわれる国で、何百万もの若者に仕事がなく、経験をつむことができないというのは受け入れてはいけない話しだ。


In 2009, Exxon Mobil made $19 billion in profits and actually received a $156 million rebate from the IRS. That's corporate welfare.
2009 年、エクソン ・ モービルは $ 190 億の利潤をあげ、 IRS(国税庁) から $ 1 億 5600 万の割り戻しを受け取っている。こういうのは企業福祉というのだ。 https://

We need trade policies that are designed for the American worker, not for the multinational corporations who are richer than ever before.
私たちの通商政策はアメリカの労働者のためにデザインされなければならない。未曾有の利益をあげている多国籍企業のためにデザインするというのはありえない。

Sanders Supports Strengthened Sanctions on North Korea
ニュース: サンダース は北朝鮮へのサンクションの強化を支持する

Change does not take place easily. Anyone who’s read history understands that.
変革は簡単には実現しない。歴史書を読んだことのある人は、それは分かっているはずだ。


 非暴力というものは何か。それは「ーーーでない」ということを意味するが、「ーーである」ということを表現しない。その意味でそれは不十分な言葉である。しかし、言葉は不十分であることによって豊かな内容をあらわすことができる。「非暴力」という言葉は、その事情をもっともよく示す言葉であろうと思う。それは子どもの言葉が豊かであるのと同じことである。子どもの言葉の豊かさを知るということが成熟の最低の条件である。我々の世代のなかには、かって非暴力という思想を一つの思想として認めないという考え方があった。それは成熟していないことの表現であったと思う。

 あるいはまた、それはカタカナの言葉、外国語が不十分であることによって豊かな内容をあらわすことがあるのと同じことである。外国語による概念や感覚の表現を嫌う人々、それを不十分であるという人々は、この事情を知らないのである。「アヒンサ」という言葉がある。これは非暴力というガンジーの思想をもっともよく象徴するといわれるヒンドゥー教などのインド宗教思想の言葉である。仏教でいえば「不殺生戒」である。この言葉によって我々はガンジーを想起し、インドを想起し、それによって「不」あるいは「非」という接頭辞を理解する。言語はその不十分性、何かを表現しきれていないという表示によって、さまざまな記憶と感情を含むことができる。

 非暴力というのはそのなかでももっとも重要な言葉の一つであると思う。それはすでに非暴力ということに歴史があるからである。二〇世紀の反植民地運動の中に位置づけられ、「非暴力・不服従」という言葉として歴史的な運動を表示しうる言葉となっている。「非」という接頭辞が豊かでありうるのは、そこに歴史があるからである。
 
 しかし、非暴力というものの積極的な内容は何か。それを探ることは現代においてもっとも重要な思想的営為の一つである。思想というものを協同して深めていく上でのキーとなる問題であろうと思う。

 端的にいえば非暴力は怒りの姿である。非暴力が怒りであるというのは矛盾であるように思えるが、怒りのない非暴力という思想はありえない。「非」において認識されるのは、怒りなのである。怒りはあるが暴力ではないという認識である。それは怒りを怒りとして見つめる意識であって、怒りの内面性ということではないだろうか。

 怒りを避けるべきものであるかのようにいうのが今日の通念である。私は、この通念を、この世で実際に組織している人々がいるのではないかと疑う。怒る権利というものがあるとしたら、彼らは、それを人々の目にふれないところにおこうとしているのではないか。人々の目にふれるべきでないのは、怒りではなく憎しみである。怒りと憎しみは本質的に異なっている。憎しみは個的なものであるが、怒りはより深いものである。我々は「思想・信条の自由」をもつといわれるが、怒りは思想に属するとともに固有に信条に属する。

 三木清の『人生論ノート』「怒りについて」の断章は怒りについて語って余すことがない。三木は怒りの超越性をいい、瞑想性を語ってやまない。神の怒りを語り、「切に義人を思う。義人とは何か、――怒ることを知れるものである」と語った三木が牢獄で身体を掻きむしりながら死んだことを思うと、気持ちが暗くなる。怒りには時があったのであろうと思う。

 怒りの内面性の共有としての非暴力思想はどう可能になるか。社会科学の思想と論理としてどう可能になるのか。日本国憲法に関わってそれを考えてきた。石田がいうように、それをアメリカの憲法。世界の憲法との比較のなかで考えていくべきなのであろう。


 夜、目が覚めて考えていて、しかし、結局のところ、怒りとは何か。非暴力ということの内容をなす怒りとは何なのかを考える。

 現代において、それは「神の怒り」ではありえない。それは人類史そのもののなかからでてくるものでなくてはならない。それは歴史の怒りとでもいうべきものであるほかないのだと思う。

 歴史学が豊かになったのは疑いをいれない。しかし、歴史学というものは何を伝える学問であるのか。歴史学は自己の豊かさに自足しているわけにはいかない。歴史学というものは歴史の怒りを伝える学問であるはずであったのではないか。

 このユーラシア東端につらなる列島の歴史的怒りは、沖縄に噴出している。そして沖縄の人びとはつねに非暴力であった。

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