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2016年2月23日 (火)

紀元前後から4回目の大地動乱の時代がくるのかどうか。

 火山学・地震学の人には怒られるのではないかと思いますが、私は、大地動乱の時代が日本列島にはだいたい700年周期で起こるのではないかと考えています。

 それは3,11のような東北地方(奥州)巨大地震、そして南海トラフ巨大地震、さらに富士の噴火が200年ほどの間に連続するということによって特徴づけられる大地動乱の時代です。

 これは紀元前の富士の噴火、分厚い津波痕跡を残した南海トラフ巨大地震と奥州津波、次ぎに8世紀から10世紀の、南海トラフ巨大地震、869年奥州大津波、そして、富士五湖を形成した富士噴火に続きました。

 その約700年後にも戦国時代から徳川初期にかけての大地動乱の時代が続きました。享徳の奥州津波、宝永の南海トラフ巨大地震と富士噴火です。

 2011年の3,11は869年の奥州津波とほぼ同規模といわれており、今後30年で相当の確度で発生するといわれている南海トラフ巨大地震は大きくなるのではないかという予測もあります。そして、その前後に富士噴火があるのではないかというのは、大げさないわゆる「世を騒がせる」発言のようですが、まだまだ先のことではありますが、一つの可能性としてありえないことではないと考えるに至りました。
 
 紀元前後から4回目の大地動乱の時代ということになります。

 それを考える上で、示唆的なのは、最後にも引用しますが、1985年に『正論』175号に乗った下記の益田勝美氏の警告です。

 「時を定めず断続的に火を燌く山々をもつわたくしたちの国は、その各地のマグ マの神とどうつきあって生きるかが、歴史的大課題である。ひたすら忌み恐れて祀った昔とかわり、現代的に科学的なつつしみ深い対し方が必要ではなかろうか、と思う。こんど大島でもあわてて観測機器を追加配置したが、全国の火山地帯にはもっと大規模な観測網を敷く必要があろう。火山国だから、これは不可欠・不可避のことだ。それと、気がかりなのは、現在の 大島を見ても、機器の 針が描く波線ばかりに頼りすぎていること。火山地帯には、常時、パトロール隊を置き、人間の五官を総動員して歩き回って見張るべきだ。たとえ物入りでも、手は抜けない。科学の力と人間の力を組み合わせて、全体的に見るべきだろう」(『正論』175号)。

 この益田の提言を考える上で、重要な著作が、最近、二冊、刊行されました。一冊は、これまでほとんどの人が知らなかった上記の文章を、青土社の編集者の榎本周平氏が確認して、そのほかにも知られなかった文章をふくめて、編集した、益田のアンソロジー『日本列島人の思想』です。

 そしてもう一冊が、このアレクサンドル・ワノフスキー『火山と日本の神話』です。
Wanofskicci20160222

 この本は私も出版に関わっていますので、こちらから紹介しますが、丁寧につくられていて良い本だと思います。

 これに関わった最初は、急に社主の方からメールが入って、ワノフスキーの本について読んでほしいということでしたので、本書に収録されている1955年に出版された『火山と太陽』のコピーを送ってもらって、読みました。そして自宅近くまで来てくれたので会って、感想を伝えたことでした。

 あとがきに「無名の亡命者による古事記研究を紹介したところで読んでくれる人がいるのだろうかという疑問は、この企画の初めから消えることはなかったのですが、各分野の一線で活躍しておられる専門家に現代的異議を認めていただいたことで、こうした形での出版が実現できました」とあるように、最初にお会いしたときは、この本の価値を評価できるかという質問でしたので、価値があること、そして出版するのならば『火山と太陽』は全文を入れた方がよいと伝えました。全文が第一部としておさめられています。

 第二部は、宗教哲学の鎌田東二氏(京都大学)、地質学の野村律夫氏(島根大学)、そして私の解説で、私は、「歴史学からみる火山神話」という文章を書いています。小見出しをあげますと「すべてを火山から考える、天孫降臨についての独自の主張、ワノフスキー古事記論の限界と問題点、歴史学にとっていま必要なこと」ということになります。

 最初の「すべてを火山から考える」という節の最初の部分だけを引用しておきますと、次のようになります。
 ワノフスキーの論文「火山と太陽」は興味深いものである。それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった。同じような主張を最初に明瞭に述べたのは、おそらく寺田寅彦が一九三三年に書いた論文「神話と地球物理学」であろう。寺田という と「天災は忘れた頃に」という名言が有名であるが、私は、この寺田の論文の価値はきわめて高いと思う。寺田の論文は素戔嗚尊についての記述が 詳しいとはいえ、「国生神話」「出雲神話」その他の論点についてもふれており、ワノフスキーはこの寺田の論文をうけて、その議論を展開しているといってよい。両者を並べて読むことによって、私たちは、この国の神話研究の問題点を探り、それを発展させていくための示唆をえることができると思う。

 とはいえ、ワノフスキーの視点は、寺田の地球物理学的な視座とはまったく異なっていた。それは若い日にみたという何処か異国の火山噴火らしきものの夢に発した詩人的な直観によるものである。しかし、神話の世界を知るためには直観なるものも有効であろう。その意味ではワノフスキーが日本神話を火山的モチーフの観点から再検討しようとしたことは価値あるものであると思う。

 「倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えよう」という立場は益田勝美も似たような立場をとっています。それは本書の日経新聞での紹介(2月7日)にもある通りですが、ただ、益田の見解はおもにオオナムチ(=大国主命)が火山神であるということを中心としています。

 それに対して、ワノフスキーは「国生神話」は大地の女神イザナミ(伊邪那美) が子どもを産むようにして、列島を噴火によって生みだしたということであり、スサノヲ神話は(素戔嗚)はスサノヲが火山神であり、同時に地震の神であることを示している。また、天孫降臨は天上の神話世界と火山神話世界の相互作用を描いたものであり、その舞台は九州の火山地帯にある。そして、出雲がもう一つの神話の主要な舞台として、それに対置されるのは、出雲火山帯の存在に理由があるということになる。

 つまり、実際上、倭国神話のすべての物語に火山神話が深く関わっているという想定を述べています。右の文章の冒頭で「それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった」ということになります。

 ただ、これは「想定」であって、十分に倭国神話のテキストを分析したものではありません。率直にいって、そこで述べられているのは発想であって、学術的な作業ではないと思います。しかし、右にまとめたように、倭国神話の多くの側面について、これを全面的に述べたという点で、ワノフスキーの仕事が独創的であったことは否定してはならないと思います。学者は、おうおうにして証拠を細かく具体的、専門的に論じないと評価しようとしませんが、発想と議論の方向を示すことには独自の意味があると思います。今後の研究にとっては、かならず参照の対象として読んでおくべきものであると思います。

 なお、そういう記述のよいところは、ペースに乗ってしまえば読みやすいということで、このワノフスキーの文章も読みやすいものです。ただ、どこに意味があって、どこが思いこみによるものかを明瞭に区別しにくいことに注意しておく必要があります。ですから、読み方としては、興味をもった方は、右の拙文「歴史学からみる火山神話」でふれた松村武雄・益田勝美などの仕事とあわせて点検することが必要だと思います。学術的な分析としては不十分なものであることをふまえた上で読むべきものです。

 なお、第三部のワノフスキーの評伝は興味深いものです。この部分は、出版社社主の蒲池氏が早稲田の滝波秀子氏への取材をもとに執筆したもので、ワノフスキーがロシアにおける革命運動に参加していて、レニンとも面識があったこと、日本に亡命してきてからは北一輝・大川周明などの右翼関係者との関係が強かったことなどが、これも分かりやすく書かれています。

 とくに興味深いのは、北一輝が強い火山幻想をもっていたこととワノフスキーの仕事の関係が示唆されていることで、これは一九世紀世紀末から二〇世紀にかけての非合理主義と神秘主義をめぐる思想史にとってはきわめて興味深い問題だと思う。(史料的に可能ならば)さらに詳細な研究が望まれるところだが、北一輝の火山幻想が法華経に登場する火山幻想にベースがあったというのが興味深い。これについてはシン東風「仏典に見られる『大地震動』」があって、仏典の世界観の特徴であることがわかるが、北一輝の法華経は、宮沢賢治の法華経信仰にもつらなり、宮沢の火山幻想にもつらなっていく。

 ただ本書で最大の読み物はやはり第二部の鎌田氏と野村氏の文章であろう。

 野村氏の文章は、出雲の地質学的な分析にふれたもので、これはさらに本格的な分析が望まれるところである。私見は「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」『アリーナ』18号で述べたが、私も、出雲神話の分析にはこれが必須なのではないかと思う。


 そして、鎌田氏の文章はインタビューであるが、本書は、ここから読むことをお薦めする。インタビューであるだけに分かりやすく、倭国神話を火山神話を中軸にとらえるべきであるとしたワノフスキーの仕事にプライオリティを認めるべきであることなど明解な指摘がある。

 私はこのインタビユーを読んで、鎌田と中上健次の対談『言霊の大地』に進み、強いショックをうけた。この間の研究は、火山神話から神道論へという益田の議論にそって進めてきたが、その道を鎌田氏がすでに早くから歩んでいたことを知らなかった。宗教学・歴史学・人文学の世界というものは広く深いものだと思う。ここで底を打つことができたかどうか、私には分からないが、ともかく大きなショックであった。

 さて、鎌田氏のインタビューで、とくに共感したのは、先行する学説として益田勝美氏の仕事をあげ、結局、益田の仕事を折口信夫の仕事より高く評価すると述べているところである。私もそう思う。折口は「恐るべき神」の存在を示唆していはいるが、具体的な言及はなく、火山を中心とする「自然神」については、基本的に益田に依拠して考えていくほかない、それ故に神道についてもそうだと思う。これについては、拙著『日本史学、基本の30冊』(人文書院)で、安藤礼二氏の『場所と産霊』を紹介するなかで、「折口が「産霊」という神名を本居宣長の見解にしたがって「物を生成すことの霊異なる神霊」と理解し、さらに「結び」「縁結び」に引きつけて敷衍した自体は、ムスヒのヒは清音であることが論証されており、すでに学術的にはなりたたない見解である(溝口睦子『王権神話の二元構造』)。安藤はこのことにふれていないが、まず本居の見解自体も錯誤であって、ムスヒとは「蒸す火光=熱光」、つまり雷電の光りを意味すると述べた。

 折口信夫の「ムスヒ=結び=愛」という議論は折口の神道論の中枢をなす議論であるが、むしろ「ムスヒ=蒸す火光=熱光=雷電光=火山雷」というのが事実なのである(保立『歴史のなかの大地動乱』)。

 以上、簡単な紹介となったが、本書の次には、益田勝美の『火山列島の思想』と、さらに益田勝美『日本列島人の思想』(青土社)に進まれるのがよいと思う。前者は著名なものであるが、入手しがたかったものが、最近、講談社学術文庫で新刊された。しかし、とくに注意しておきたいのは、冒頭でふれた『日本列島人の思想』である。『火山列島の思想』の続きとして重大なもので、これまで知られていなかった文章を含み、益田の仕事を追っていく上で必須の著作である。

 『日本列島人の思想』の冒頭に入れられた、益田の著作集(全仕事)にも収録されていなかった文章の冒頭を、以下、引用しておく。

 「時を定めず断続的に火を燌く山々をもつわたくしたちの国は、その各地のマグ マの神とどうつきあって生きるかが、歴史的大課題である。ひたすら忌み恐れて祀った昔とかわり、現代的に科学的なつつしみ深い対し方が必要ではなかろうか、と思う。こんど大島でもあわてて観測機器を追加配置したが、全国の火山地帯にはもっと大規模な観測網を敷く必要があろう。火山国だから、これは不可欠・不可避のことだ。それと、気がかりなのは、現在の 大島を見ても、機器の 針が描く波線ばかりに頼りすぎていること。火山地帯には、常時、パトロール隊を置き、人間の五官を総動員して歩き回って見張るべきだ。たとえ物入りでも、手は抜けない。科学の力と人間の力を組み合わせて、全体的に見るべきだろう」(『正論』175号)。

 この益田の提言は1985年のものだが、これはいまこそ熟読の価値があると思う。私は、益田の仕事は「古代を対象とする歴史学が学ぶべき、文学史研究においてほとんど唯一といって良いほど屹立した仕事である」と考えているが、ここにはともかくも筋道を通そうという体系的で、強靱な思索がある。体系というと、なにか自己から離れたもののように思うが、しかし、そうではなく、思考の筋であり、樹木のようなものだ。根っこであり、幹であり、そこから枝に通っていく樹液のようなものである。

  ワノフスキーの本書から、益田の『日本列島人の思想』『火山列島の思想』へ進んでいくことは、人文科学にも体系性があるのだ、そして体系があるということは、それがたんなる教養ではなく、現代の実践的な問題に連なるということなのだということを実感していただく上で重要だろうと思う。

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