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2016年2月19日 (金)

岡本太郎記念館 が「企画展、「生きる尊厳 -岡本太郎の縄文-」を開催する

Kyoko Nakanishiさんのツイッターで岡本太郎記念館 が「企画展、「生きる尊厳 -岡本太郎の縄文-」を開催するのを知った。これは見に行こう。
 2016年3月2日(水)〜7月3日(日)。國學院大學博物館の協力のもと開催致します!」ということ。
 
 石母田さんと岡本太郎はどこかで接点があったらしい。
 岡本の『日本再発見ー芸術風土記』出雲の項の一節に次のようにある。

 先日、石母田正に会ったら、大国主命は土着の神ではないという新説をたて、いずれ発表して定説をくつがえすと言っていた。出雲大社は伊勢神宮や鹿島神宮と同じように、政治的な意味で中央から派遣された神社であり、大国主命の伝説も、むしろ近畿、ハリマあたりの方が本場だというのだが。

 「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」(『アリーナ』18号で次のように書いた。
岡本太郎と石母田正の交友の経過は知らないが、気の合う仲間だったのであろうか。この文章がのった『芸術新潮』は一九五七年七月号だから、岡本が出雲を訪れたのは、その年の初夏らしい。だから、石母田が岡本に右のようなことを語ったのは、それ以前である。
 石母田が出雲神話を論じた第一論文「国作りの物語についての覚書」は、同じ年、一九五七年の四月に刊行された『古事記大成(二)』(平凡社)に載り、第二論文「古代文学成立の一過程(上・下)は、同じ四月・五月に発行された『文学』(二五−四・五)に載っている。つまり、石母田はおそらくこれらの論文を書いている途中か、書き終えた頃に岡本と話したのであろう。これは、この時期の石母田の研究関心を示す重要な情報である。
 岡本の文章に注意されたい。「出雲大社は伊勢神宮や鹿島神宮と同じように、政治的な意味で中央から派遣された神社であり」という部分である。石母田は右の論文では、まだそこまでは踏み込んでいない。これらの論文に目途をつけた段階で、その先の抱負を岡に語ったのであろう。この出雲大社論が実際に論文「日本神話と歴史
──出雲系神話の背景」に発表されたのは、二年後の一九五九年六月となった(『日本文学史三』(岩波書店)。

 岡本はフランス留学では最初人類学を学び、ジョルジュ・バタイユとも強い友人関係にあったという人物で、その縄文文化論は面白い。
 石母田さんの記念のためにだけでも見に行きたい。どういう関係だったかも知りたいものだ。
 右の論文の出だしは、下記。


 一九四八年に発表された石母田正の「古代貴族の英雄時代」という著名な論文は、まだしかるべき研究史的な評価をえていない。この論文達成と限界、そして誤りを確認することはきわめて重要である。私には、それが曖昧になっていることは、この国の「古代史」研究における戦後派歴史学の初心に関わる問題であるように思える。
 この論文のことを考えるためには、まずその時代に戻って考えてみる必要がある。そこで、最近、たまたま目に触れた、岡本太郎の証言を紹介するところから始めたい。

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