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2016年3月

2016年3月26日 (土)

サンダースの追い上げとアメリカ選挙制度の非文明性

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 3月22日のアリゾナ・ユタ・アイダホの民主党予備選挙は、クリントンがアリゾナ州で勝利し、サンダースはユタとアイダホの2州を制し、首の皮一枚を残してぎりぎりに勝利の可能性に踏みとどまったという形である。代議員数でいえば、サンダースは18ほど差を詰めた。

 注目すべきなのは、まずユタとアイダホではサンダースが圧勝したことである。投票率で行くとユタはサンダースが79.3%、クリントンが20.3。アイダホはサンダースが78.0% 、クリントンが21.2という差である。ここまでの差がつくかどうかは別として、今後、まず今日土曜日にワシントン州(シアトル)に行き、来週は東にウィスコンシンに戻って、4月19日に大票田のニューヨークへ行くという流れが、世論調査などで全体としてはサンダース有利といわれている。

 問題はアリゾナ、ここではクリントンが57.6%、サンダースが39.9という20%近い大差となった。しかし、これについては、まず、ユタ、ソルトレークの前市長、ロッキー・アンダーソンが次のように述べたことに留意する必要がある(デモクラシー・ナウより、http://www.democracynow.org/2016/3/23/who_is_the_best_democrat_to)。

 「ユタとアイダホでの約80%という圧倒的な勝利の理由は、ユタとアイダホでは民主党がインディペンデント(無党派)に集会での投票を許したのに、アリゾナではそれが閉じられた。アリゾナのやり方は、まったく民主的でなく、また大統領選本選挙で起こることを顧慮せずに行われたものといわざるをえません。なぜなら、もしサンダースが候補者になれば、インディペンデントがバーニー・サンダーズを圧倒的に支えることは明らかだからです。これはヒラリー・クリントンが候補となったらありえないことです。ユタは本来最も共和党よりの州です。ジョージ・ブッシュはその2回の大統領選挙のどちらでも、ユタでは大きな差で勝利しています。現在の世論調査では、バーニー・サンダーズが民主党の候補となれば、彼はトランプに対し、48パーセント対37パーセント、つまり11パーセントの差で勝つという予測です。ところが、ヒラリー・クリントンはかろうじて勝つかもしれないという程度です。サンダースの方が当選の可能性が圧倒的に高い。ヒラリー・クリントンよりはるかにトランプに対して強いのです。我々に現在見えてきたことは、インディペンデントはヒラリー・クリントンを信用していないということです。彼女の正直さと信頼性はインディペンデントのなかでは下の下で、好感度についても同じです。私たちは、トランプが共和制の候補者となった場合、バーニー・サンダーズこそがトランプを破れるというメッセージを強調するべきだと思います」。

 後半のサンダースとクリントンの対比は別として、アリゾナにおける大差の理由はたしかにアンダーソン氏のいうところはあたっているのであろう。

 さらに問題なのは、アメリカの選挙ではつねに発生する選挙の投票管理の不明瞭の情報が、今回のアリゾナでは大規模に流れていることである。

 つまり、アリゾナのフェニックスでは数千の市民が三から五時間も投票のために待たされ、さらに多数の時間の余裕のない人は相当部分が家にかえらざるをえなかったという。フェニックスの市長は米司法省に対して予備選挙投票に何時間もの遅延をもたらした地域の選挙管理の不当性を調査するように、要請し、こんなことがフェニックスで起こるのは許せないと述べている。ネットには、その他の地域でも相当数の人びとが暑い中で苦行を強制され、また投票しようとしても、投票用紙が大量に不足している。何も問題がないにもかかわらず事前登録の不備を指摘されて投票できなかったなどという情報があふれている。そういう人びとの数は不分明だが、ネットでは10万を超える数字がみえる。これは結局、時間に余裕のない人びととマイノリティグループを排除する結果をもたらしているというのがフェニックスの市長の見解である。

 以上のような凄まじい実態は、いずれ詳しく明らかになるであろうが、こういう選挙をやっているる国が、他国における公正選挙を要求するというのは冗談に等しい。

 これについてサンダースのツイッターが、「It is a national disgrace that people have to wait hours to cast a vote in any election」(人々はどの選挙でも投票するのに何時間もまたなければならない。これは国民的な恥さらしだ)と述べたのは注目されるところである。


 アメリカの投票制度はヨーロッパや日本・韓国などの水準からいくと、ほとんど非文明的といえる問題をはらんでいる。よく知られているように、アメリカの選挙では自己申告による有権者登録なる手続きが必要とされている。これは文明国には例をみない異常なものであって、本質的に前近代的なものである。

 つまり合衆国憲法は「自由人の総数をとり、納税の義務のないインディアンを除外し、それに自由人以外のすべての人数の五分の三を加える」(第一条二節)という形で、投票の基礎となる各州人口を定義している。「すべての人数の五分の三」というのはアフリカ系アメリカンの人口は五分の三としか数えないという人種差別条項である。もちろん、これは奴隷制の拡大に反対する共和党の創設とリンカーンの大統領選出、それに続く南北戦争(一八六一~一八六五)における北軍の勝利、そして奴隷解放宣言(一八六三年)をうけて決定された憲法修正箇条一三条、一四条で修正された。しかし、現実には、南部白人民主党のクー・クラックス・クランなどのテロ組織を利用することも辞さない反転攻勢によって、この時期以降、社会生活における人種分離と黒人参政権の剥奪が二〇世紀にむけてむしろ本格的に進展したのである。これは実際上は、五分の三条項がよりきびしい形で生き残ったものというほかない。

 そもそも合衆国憲法の「自由人」という規定が問題である。「自由人」とは、歴史的な由来からいえばヨーロッパのゲルマンの部族時代にさかのぼる、独立自営の家父長が政治参加の生得的な権利をもつというイデオロギーである。私には、「野蛮な」の大陸に移住したヨーロッパ系アメリカ人の中には、ヨーロッパになだれ込んだ未開のゲルマン民族の血と記憶がよみがえったかとさえみえる。もちろん、この「自由」の観念はジョン・ロックの近代的な個人の人格権という理念の洗礼を受けてはいるが、しかし、ヨーロッパからの移住者にとって、その居住地の占拠がネーティヴ・アメリカンからの「野蛮な」土地奪取であったことは否定できない。少なくともこの憲法の「自由人」規定には、自立した強者が自由を謳歌し、公共の主人となるのだというアメリカ的な「共和主義」の観念がふくまれている。このようなイデオロギーはリバタリアン・イデオロギー(私人自由主義)そのものであって、それが憲法解釈として生き続けているのである。

 選挙人登録をしなければ選挙権をもたないというのは行政的な住民登録によって自動的に選挙入場券が配付される日本や、選挙をサボタージュした場合は罰金がかかってくるというようなヨーロッパの一部の国の方式とはまったく違う。アメリカの行政機関が選挙人登録を促進しないことを、アメリカ的な個人の自由にもとづく政治参加の風習であるなどということで美化することはできない。

 そういう状態のなかで、有権者登録において、白人の有権者登録率が圧倒的に高く、7割を越え、アフリカ系アメリカ人やヒスパニック系は6割以下にとどまるという格差がでている(数値は過去データ)。それは少なくとも歴史的には、彼らには公共的な参加の資格はないという差別意識に裏打ちされて存続してきたのである。

 以上をふまえて考えれば、「自由人の総数ーーインディアンを除外ーー自由人以外のすべての人数の五分の三」(第一条二節)などという憲法の条項が(少なくとも)文面の上で残っていることは、このような投票権の民主主義的な平等という原則がアメリカ社会に真の意味では根付いていないことの象徴であるということができる。

 アメリカの選挙において投票数や投票管理をめぐるスキャンダルがきわめて多いことは、ここに根本的な原因があるのである。
 
 率直にいって、私はアメリカ合衆国憲法は、私どもは差別国家でありましたということを憲法の文面に残している憲法であると思う。もちろん、アメリカ合衆国憲法はもっとも古く寿命の長い憲法であって、とくにその修正箇条といわれる「権利の章典」部分には歴史的な価値がある。しかし、この憲法それ自体は18世紀の文書としてたいへんに問題の多い部分に満ちている。私は、この憲法をもっていることをリベラルの証拠とのみ考えて、「歴史的恥辱」の証拠であると考えているアメリカ人にあったことがない。その神経は私には信じがたいのである。

 サンダースはアリゾナでの選挙演説で、ネーティヴアメリカンの権利について、「この集会に来ている人々に明瞭なことは最初の移住者がこの国に来たときから、彼らはネーティヴの人びとをだまし嘘をついてきたのだ」といった。これが大統領選挙でいわれるのは画期的なことだと思う。それに続いてのツイッターが、前述の「It is a national disgrace that people have to wait hours to cast a vote in any election」というものである。

 私は、このような歴史的な見直しが行われることを通じて、アメリカ合衆国憲法のdisgraceなところ、「恥さらし」なところが自覚されていくに違いないと思う。

サンダーズは今日、土曜日のアラスカ、ハワイとワシントン州の集会での勝利を予想している。そして、クリントンと共和党が強い南部は(アリゾナをふくめて)すべて終わり、おそらく今後は、勝ち続けであろう。

 問題は、どこまで詰められるかであるが、これは流動的で、誰にも予測はできない。

2016年3月17日 (木)

長期戦にもつれこんだ大統領選挙予備選とシェールガス問題

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 フロリダ・イリノイ・ミズーリ・ノースカロライナ・オハイオで行われた3月15日、(小)スーパーチューズデイの民主党予備選は、州の数でいえばクリントンが5勝となった。特別代議員(党大会で最終的に態度をきめなくてよい非宣誓代議員)を除く、州選出の代議員数も、さらに100の差が開いて、約300の差になっている。

 ただし、ミズーリが代議員数はともに32で実際上引き分けで、クリントン310,602票、49.6%、サンダース309,071票、49.4%という結果。わずか0,2%差である。イリノイは2%差で代議員数は1人違いという微妙な結果である。3月8日の予備選で、サンダースがミシガンで逆転勝利を収めただけに、サンダースの側としてはもう一歩ということで、残念な結果だったろう。

 3月15日の結果について、サンダーズがアリゾナ・フェニックスで発した声明は「クリントン長官をお祝いする。また私たちのキャンペーンを支持してくれた何百万の全国の有権者、ともにフィラデルフィアの民主党全国大会への道を歩んでいる代議員の方々に感謝を表明する。まだ半分以上の代議員の選出がまっており、数週間、数ヶ月のあいだ私たちが有利な選挙区のカレンダーがひかえているなかで、私たちは確信をもってキャンペーンを続け、指名を獲得するための道を進む」というもの。意気軒昂である。

 実際、これまでの選出代議員は、約1950人。これから約2400人が残っている。そして、今後は「有利な選挙区のカレンダーがひかえている」、つまりサンダース有利の選挙区が多くなる。サンダースへの募金が多い、シアトル、サンフランシスコなどはすべてこれからだ。

 トランプは今後、6割をとれば過半数にいくというが、それはサンダースにとっても同じで、6割をとれば指名に必要な過半数の2,383に近くなる。特別代議員も現在のところクリントン側が467人に対して、サンダース側は26人だけだが、しかし、まだ200人強が態度をはっきりさせていない。なにしろ母数が大きいから、マイケル・ムーアがいうように、予備選はマラソンである。六月半ばのカリフォルニアでの投票にまでもつれ込む可能性は残っている。そして、そこまでもつれ込むと、いろいろなことが起こるだろう。前回のエントリで書いたように、ことはアメリカの二大政党制がゆらぐかもしれないという大事である。今日の東京新聞(夕刊)では、トランプは指名されなかったら暴動を起こすという物騒なことをいっている。

 サンダースは人柄としては穏和で、闊達な人で、5州を失った15日の翌日、アリゾナのホテルでの朝食で、にこにこテーブルを囲んでいる様子が流れている。民主党に属さず、唯一のインディペンデント・プログレッシヴの立場を貫いてきた人物であり、自伝『Outsider in the Whitehouse』を読んでいると相当な古強者である。ぎりぎりの選挙戦で市長、下院議員、上院議員と狭い隙間を通ってきたから、さすがにものに動じない。候補者としては、たいへんに強い人物である。活発に流れてくるブログ・ツイッターをみていると、陣営も、支持者も、これからが勝利の道だという意思統一をしているようである。
【画像はObjects In Mirror Are Closer Than They Appear.というもの。Feel the Bernから。】
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 もちろん、どうなるかはわからないし、基本的には他人の国のことである。

 しかし、森本あんり氏の『反知性主義ーーアメリカが生んだ熱病の正体』(新潮選書)に「アメリカの大統領選挙が政治の動きのしくみからだけでは理解できない。候補者は、予備選挙から本選までの長い期間、全国を駆けめぐり、巨大なスタジアムで熱気にみちた集会をもつ。その圧倒的な雰囲気は、社会の上層から下層のすべての人びとの精神と響きあうのである」とあることがよくわかって、アメリカという現在の世界史にとって、ある意味でもっとも重要な国の様子を知る勉強になる。

 最近読んだ内藤正典『イスラム戦争』が強調しているように、一昔前の日本の「左翼」に多かったいわゆる「反米主義」という感じ方は国際関係の現実のなかでは無用な思いこみである。日本の国家がアメリカへの従属構造をもっていて、独立と自立の課題があるということと、世界中の現実のすべてを「反米主義」という色眼鏡でみることはまったく違うことである。アメリカ史の紀平英作氏がいうように、「アメリカを、ライバルか、敵か、あるいは保護者としてしかみれない」ような観点ではどうしようもないというのが歴史家の考え方である(『アメリカ史』山川各国史)。極力しなやかで現実的な見方をせねばならず、その訓練と思って、アメリカの選挙情勢を勉強している。そういうところに、今日、『歴史評論』4月号の特集「越境空間から読み解くアメリカ」が配送されてきた。これは本格的なもの。冒頭論文の多数の注記がすべて英文論文であるというのにまいる。

 最近、アメリカ史の歴史学のなかでの位置が高くなってきているのは、なんといってもヨーロッパ史が中心であった戦後派歴史学の世界史研究の状況とくらべると圧倒的な進化であると思う。

 なお、サンダースがミシガンで逆転勝利を収めたのは、デトロイトのそばのフリントの町で水道管の付け替え、腐朽のなかで深刻な水質汚染、茶色水事件が起き、しかも州内でフラッキングにともなう環境問題が起こっているのが大きかったように見える。競争資本主義そのもののアメリカのインフラストラクチャはいいかげんなところがあって、「この町の上下水道は戦争のあとに整備したもので古すぎる」というが、その戦争は南北戦争のことであるというのが冗談になるような状況であるという。

 さらに問題なのは、フラッキングで、これは地下の岩床破壊、頁岩を破壊する行為をいい、日本では新たなエネルギー源、シェールガス採掘として脚光を浴びているものである。しかし、これが甚大な環境破壊をもたらすことは日本ではまったくといっていいほど報道されていない。おそらく早い時期の状況報告としては、エリザベス・ロイト「食糧供給システムを脅かすフラッキング──シェールガス・ブームの影で」(訳=宮前ゆかり、荒井雅子 (TUP)、『世界』13年3月号)だろう。これが報道されないのは、例によってどうしようもないマスコミということではないだろうか。

 問題は、フラッキングに反対の姿勢をとっているのはサンダースだけという状態で、これが今後の予備選、大統領選のテーマの一つとなる可能性があることである。気候環境問題が大統領選挙の重大問題となっていることはよく知られているが、原発反対の態度をとっているのもサンダースだけなので、この要素がどう動くかは、来年一月の新大統領宣誓まで目が離せないだろ。

 宮前ゆかり氏の教示によると、ナオミ・クラインがこのまま行くとフラッキングへの投下資本も焦げ付く可能性を指摘しており、これは重大問題であるという。実際、アメリカ各州でフラッキングが問題となっており、これは状況によって十分にありうる展開だろう。よく知られているように、2008年、大統領選挙の秋9月、住宅ローンが不良資産化している状態が引き金となってリーマンショックが起きたが、これがオバマの選出に大きな影響があったのではないかと思う。シェールガス開発は、資源問題というより深刻な問題であるだけに、同じようなことが起きることが危惧される。「恐慌」の話題がアメリカで連続するというようなことになれば、その影響は甚大である。

 
 心配なのは、大統領選挙の関係でアメリカの学者・研究者・文化人の動きがよくわからないことである。

 これは、日本では、昨年の安保法制問題以来、「学者の会」がはっきりとした行動をとって市民運動に伴走して下支えしているのとは大きな違いである。ヨーロッパの政治・学術・思想世界がおかしな状態になっているのは内藤正典氏や中田考氏がいっている通りだから、日本の学者の動きは世界的にみても先進的なものであると思う。

 それにしてもトランプの乱暴な言動をみていると、アメリカの学者・研究者・文化人の動きが日本にまでよくみえるほど伝わってこないのはどうしたことかと思う。私に情報がないからなのかもしれないが、アメリカの学術・思想世界、アカデミーの動きが鈍いのではないだろうか。

2016年3月15日 (火)

国家は抽象物であることについてーー天皇機関説についても考えた

「保育園落ちた 日本死ね!!!」と題したブログ記事について、次のようにツイートしたところ、急に「何をいっているんだ」という意見が集中して驚いた。

「日本」というのは実態ではなくて抽象物なので、それを中傷することは人を傷つけない。抽象物を中傷されたということで傷つくのは傷ついた側が間違いなのだと思う。保育園という実態が背後にあり、怒る愛がみえるのが、このフレーズの天才的なところ 。

 いうまでもなく、国家とは抽象物である。国家が人格性をもつかどうかというのは、国家論にとって本質的な問題である。国家は人格性をもたない、法人格と具体人格は違うという見解をベースにして美濃部達吉の「天皇機関説」があるのはよく知られた話しである。天皇は国家を代表する人格として存在しているが、それは国家の機関の一部として、機関の象徴として存在しているものであって、王として実際の人格とは区別されるものであるという訳である。

 日本が抽象物であるとは、日本国民が国籍をもつという形で形成された存在であることである。私は、歴史家のなかでも「民族」ということをもっとも突き詰めて考えた一人、網野善彦さんが、民族というのは、結局、国籍などの国家との関係だといったことは正しいと思うようになった。

 国家の構成員が国家を自己自身の構成物(哲学用語でいえば抽象物)として扱う権利をもつのは当然である。国家は構成された公共圏である。国家の主権者であるとは、構成物たる国家から自由に、それを批判する権利をもつということである。そこでは国民はたとえば、戦争犯罪など、カント的にいえば国家の非人倫的性格や行為を糺断する権利をもつ。また国家に対する革命権・抵抗権をもつというのも、近代法、近代憲法の基本原則である。これらの糺断、抵抗、革命などの権限の根本には、国家に対する諸個人の優越、国家に対する倫理的糺断の精神的自由がある。それ故にこそ、その表現の自由、言論の自由が主権者の権利の基礎にすわるのであって、その自由の範囲はきわめて大きい。

 国家というものが抽象物であるからこそ、それに対する糺断、批判、罵倒は、表現・言論の自由となるのである。こうして、「日本死ね」という表現は表現の自由の一部を構成する。最低の人間的常識さえもたない国家は社会的に存在する意味はないという糺断である。近代法原則の下では、それが表現の自由であることは認めなければならない。「抽象物を中傷されたということで傷つくのは傷ついた側が間違い」というのはそういうことである。
 
「保育園落ちた 日本死ね!!!」
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が子供産ませないでどうすんだよ。
金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
まじいい加減にしろ日本。

 このブログの文章は、無能・無責任で余計なことばかりをやっている国家に対する怒りの表現である。実際、保育所に入れない乳幼児がたくさんいて、いったいどういうことだ。「保育に欠ける」という状態は許されないというのが法律ではないか。それを守らない自治体や政府はいったい何をやっているのだ、「馬鹿め、ボケ」という批判と母親の行動は、2・3年前から存在し、東京の各区で不服審査請求が行われたのはよく知られたことである。

 そういう状態が存在することは、最近、国会で内閣が検討の必要を認めていることに明らかである。全国で何万もの乳幼児が保育所に入れないでいるというのは、客観的な事実であり、それが放置され、実態に変化がないことについて、怒りを表明するのは、タックスペイヤーとして当然のことである。

 個人に対して「死ね」といっているのではない。「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ」と抽象物を罵倒しているのである。抽象物を罵倒することで、強い意思と感情を表現するというやり方を承認する。それによって問題が抵抗権・革命権にまで無用に拡大することがないようにし、それによって、できる限り社会の安穏を保証するというのが国家と言論の自由の関係の知恵なのである。そのためには国家を抽象物として捉える法的態度が必須となる。

 もちろん、これは国家の内部的関係に関わることであって、国際的関係になれば、国家と国家のあいだ、国民と国民の間は実態的な関係となる。それ故に、我々は、たとえばアメリカ・韓国・中国の国家・国民を抽象物としてあつかうことはできない。日本国民が「アメリカ死ね。韓国死ね」などという権利は存在しない。それは我々の構成物ではなく外からは一つの実態だからである。それは歴史のなかで相互的な関係として実態として存在している。しかし私たちは日本に対してはそれを構成物として扱う憲法的権利をもつである。

 なおもう一つ付け加えて置かねばならないのは「国土」は構成物ではないことである。国土は自然であって、我々の前提である。国土は我々の前提であり、それへの「骨肉の愛」は、この国土を嫌いだ、もう見たくないという感情はふくむが、我々は、そこから、結局、逃れることはできない。それは身体から逃れることはできないのと同じことである。国土の前では怒りは無意味であって、そこでは怒りは国土を壊す者、たとえば原発をつくって国土を毀損した無知・無責任な人間に対する怒りとなるほかはない。現在、我々がもつ怒りは、自然を破壊したものへの怒りと、無知・無責任な姿をさらしている構成物としての国家の現状に対する倫理的糺断の双方をふくまざるをえないものとなっている。原発事故に対する国会事故調査委員会の委員長の怒りをみれば、その事情がよくわかると思う(福島原発「国会事故調」元委員長の告発!「日本の中枢は、いまなおメルトダウンを続けている」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48136)。

 最近いただいた小路田泰直・住友陽文氏など編の『核の世紀ーー日本原子力開発史』(東京堂出版)の小路田論文を読んでもそう思うが、あらためて美濃部達吉の「天皇機関説」の意味を考えなければならないと思う。

 歴史家として、社会科学者としては、美濃部の議論の全体に賛成できる訳ではない。しかし、大正デモクラシーの時期に、この考え方が、いわゆる明治憲法についての基準的な解釈となったことはよく知られている。それに対して、天皇機関説を論難するということで日本の無謀な軍国主義と「天皇主義」は始まった。それは「日本を抽象物として扱う」ことへの軍部・極右による攻撃から始まった。右のブログに対する攻撃は論理的には同じことをやっているのである。

 この天皇機関説攻撃に社会がなびいてしまった状況が、無能・無謀・無責任な人間が戦争犯罪を遂行する基礎となったのであって、これは天皇家自身が批判と反省を表明したところである。

 この経験が、日本国憲法の天皇条項に反映していることはいうまでもない。そこには連続性がある。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」などの条項である。

 私は、歴史家として、王権というものが未来永劫に持続するものであるとは考えない。しかし、ともかく、これらの天皇条項を見るたびに、その背景に美濃部の天皇機関説をみる、そして国家を、「日本」を抽象物として扱う歴史的な省察が当然の法的態度となるための知的諸条件を蓄積し、伝えていくことの憲法的義務を感じる。

2016年3月10日 (木)

アメリカ二大政党制の崩壊と人種問題ーーサンダース、ミシガンの勝利とミシシッピの敗北

 サンダースの動きは、アメリカの二大政党制をくずす結果をもたらすだろう。具体的にどういう形になるかはまだわからないが、サンダース支持の運動は拡大の一途をたどっている。民主党本流に対する強い不満がサンダースの動きのバネになっているから、これが民主党とは区別された勢力を構成することになる可能性は高い。とくにもし、クリントンが州レヴェルではサンダースに競り負け、スーパーデレゲートの数によってどうにか民主党大統領候補となるというような状況が起こると、状況は一挙に流動化するだろう。

 いずれにせよ、来年の今頃には、その方向は明らかになっているだろうが、第二次世界大戦後の世界の政治史は、アメリカの二大政党制の奇妙な安定によって支えられていた。これが崩れることは、必然的に世界の状況の、これまでとは異なる流動化をもたらすことになる。

 ただ、アメリカの二大政党制は興味深いものだと思う。私は日本前近代史の研究者なので、アメリカ史は若い頃を除いてほとんど読んだことはないが、はじめて実感的にわかったことが多い。

 ともかく、二大政党制の下で行われる。アメリカの大統領選挙は「みもの」である。これは討論によって支持が大きく動くというディスカッション文化、ディベート文化が面白いのだと思う。追っかけていると、アメリカの二大政党制は、ともかくディベート文化にのったもので、それなりの機能はするのだというのがよく分かる。各候補の予備選を行い、それにつづけて本選が行われるという、実際上は1年以上かかる長期戦になるというのが、アメリカ的二大政党制の特徴である。

 二大政党制をくずす役割をおったサンダースが、この二大政党制のアメリカ的な特徴を利して闘っているというのが逆説的なところである。サンダースの行動原理は、きわめて明解で強固だから、別に討論がうまいだとか、派手だとかということではないが、信頼を呼ぶところがある。8日のミシガンでもディベートでは肝心なところでクリントンに差をつけたようだ。ただ、サンダースは喉を手術したことがある。完治したらしいが、ミシガン勝利をうけた電話インタビユーを聞いていると相当に声がしゃがれている。長丁場になることが確実になった今、これが心配である。

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 ミシガンの民主党予備選の結果は、直前の世論調査でも30%近く、サンダースは差をつけられているということだった。昨年の段階ではクリントン60、サンダース30。直前でもNBCが57対40、FOXが61対34など、右の図表に明らかなように相当の開きであった。新聞やテレビの予想でもサンダース不利がもっぱらであった。

 しかし、ミシガンではサンダースが勝利した。東京新聞の見出しでも「サンダース氏 重要州で金星」がトップである。

 実際の得票率は、クリントン48、2%、サンダース49、9%。そして獲得代議員数ではサンダース65に対して、クリントンは58。勝利確定直後のサンダースのツイッタが「企業メディアは私たちを場外と扱いました。世論調査は、私たちはずっと後ろだといったのです。しかし、勝ったのは私たちです。Thank you,ミシガン。The corporate media counted us out. The pollsters said we were way behind. But we won. Thank you, Michigan)」といった通りである。

 マイケル・ムーアは、開票が92%の段階で「30000票サンダースが先行している。うその物語を押しつけてきた人たちは、今、話の紡ぎ方をかえつつある。企業メディアの世論調査は意図的なものだ」といい、「新聞・ テレビのエディターとプロデューサーは、作ってしまった間違った物語をどうしようと考えて必死だ。評論家と企業ジャーナリズムはエスタブリッシュメントのために動いている」という意見が目立った。世論調査の信頼性が問われるというのはジャーナリズムという職業にとっては決定的なことだから、この批判は意味が大きい。

 サンダースにとっては、これは相当に大きい勝利である。州の数では9対10と、あと一つまで追いついた。本選挙もふくめて州の位置が大きいのもアメリカの大統領選挙の特徴で、これは影響を広げるだろう。来週の3月15日のフロリダ(代議員214人選出)、オハイオ(143)、ノースカロライナ(107)、イリノイ(156)、ミズーリ(71)の結果によっては、たしかにこれがターニングポイントになるかもしれない。オハイオ、イリノイはミシガンと同じ投票行動になる可能性が高い。

 ミシガンの具体的な状況では、アラブ系への人びとのなかで、サンダースが意外な強さを示したのが注目される。サンダースのユダヤの出自は大統領選挙にふかく関わってくる。アメリカでたくさんできているツイッターグループに「Jew for Sanders」(サンダースのためのユダヤ)というグループがあって驚いたが、アラブ系の人にとっては、これはすぐにイスラエル・パレスティナ問題を想起させる。

 しかし、サンダースはミシガンのディアボーン、アラブ人イスラム教徒がもっとも集住している都市で、60%強の支持をえて、これが勝利の一要因となったという。サンダースに対するアフリカ系アメリカ人から支持率は逆に30%であったから、これは特記される(なお、アフリカ系アメリカ人から支持も南部と比べれば10%ほど高い)。

 昨年10月、ヴァージニアのフェアファックスで開かれた学生集会で、サンダースはムスリムの女性学生からがアメリカに広がる「イスラムフォビア(イスラム嫌悪)」についてどう考えるかと質問を受けた。サンダースは、会場から彼女を演壇に呼び上げて、握手し、彼女と並んで、ムスリムに対する偏見とは徹底的に闘う。人種的差別は許されない。私の父の家族はドイツの強制収容所で殺された」と発言した。会場中が総立ちになって歓声をあげている。そして一二月にはワシントンDCのモスクで開かれたラウンドテーブルに出席して、イスラムフォビアをあおるトランプを代表とする共和党の一部を批判している。

 ディアボーンでも、選挙の前週にムスリムとの懇談をもち、出席者は「我々のコミュニティでは、クリントンがイスラエル問題になると極右の主張をすること、彼女の献金者にハイム・サバンがいること(イスラエル擁護勢力の中心、FOX会長)をよく知っている。バーニーはまったく違う。彼にパレスティナ・イスラエル問題についての意見をたずねたが、彼は他の政治家とは異なって両方を対等のものとしてみると明言した。彼の主張はアラブ系アメリカンのコミュニティに浸透している」と述べている(以上、(theintercept.com、"Bernie Sanders Won America’s Largest Arab Community by Being Open to Them")

 サンダースはイスラエルとパレスティナの対等性(いわゆる二国家解決案)は主張するものの、(私がみた限りでは)イスラエルの国際法的な不法を述べようとしていない。これは気になる問題であり、実際に、「左翼」の運動家からは批判を呼んでいる。しかし、ディアボーンの人々は別の反応をしたことになる。これは大きいだろう。

 しかし、最大の問題はアフリカ系の人々とサンダースの関係であろう。

 ミシガンと同日に行われたミシシッピの民主党予備選では、クリントンが82%で、獲得代議員数29、サンダースが16%で獲得代議員数4という結果であった。南部でのクリントンの強さは続いている。これは3月5日のルイジアナのクリントンが71%で、獲得代議員数37、サンダースが23%で獲得代議員数14よりも悪い。獲得代議員数ではクリントンとの間で、また差が開いたのである。

 私は、サンダースが相当の勢力であることを明瞭に示したスーパーチューズデイの後にも、これだけの差が続くとは予想していなかった。アメリカにおける地域間の経済状況、意識状況の相違、そして人種問題、「初の女性大統領を」というクリントンのスローガンにからむ女性の地位の問題の複合した状況は、相当のものであることを再認識した。

 私は、ここで示されたクリントンに対するアフリカ系アメリカンの支持は安定的なものとは考えない。私はアメリカの二大政党制というものは、基本的にはヨーロッパを故国とする人びとが、他の地域を新旧の故郷とする人びとに優越するという体制であったと思う。この二大政党制が、冒頭に述べたように崩壊していくのが政治史の方向であるとすれば、クリントンとアフリカ系アメリカンの関係が安定的なものとは考えられないのである。
 しかし、今回の大統領選の行方は、「南部に強いクリントン」に直接に左右される。ミシガンでのサンダースの勝利の一つの条件として、アフリカ系アメリカ人からの支持がともかく3割に達した(出口調査)ことがあることからもそれは明らかであろう。しかし、ミシガンでそうであったからといって南部で30%に行くのはむずかしいようである。

 アメリカ大統領選と人種・エスニックグループの関係の問題は複雑である。

 しばらく前のエントリー「B・サンダースがアフリカ系の支持を集める条件」で書いたように、サンダースがユダヤ系のニューヨーカーであることはアフリカ系の人々にとって一定の違和感があるらしい。「ユダヤ系の知識人とアフリカ系アメリカンの政治的融合と連携が、どこまで深いところで可能かという問題は単純な問題ではない。これはアメリカの政治、さらには文化それ自体において大きな試金石である。サンダースはユダヤ系のニューヨーカーである。ユダヤ系の知識人とアフリカ系アメリカンの政治的融合と連携が、どこまで深いところで可能かという問題は、アメリカの政治、さらには文化それ自体において大きな試金石であると思う。サンダースの若い時期は、マーチン・ルーサー・キング牧師の公民権運動への参加から始まった。その歩みが政治的な果実をもたらすことを期待し、それがアメリカにおいて歴史的な必然であるのは明らかだと思う。しかし、それが、どのようなテンポで進むかが問題である」ということになる。

 ルイジアナからミシシッピへの経過は、そのテンポは遅いということが明らかにした。キング牧師と一緒に行動したというだけでは、南部のアフリカ系アメリカンに強いインパクトがあるという訳ではないらしい。

 時代は変わっているから、過去の世代のもっているキング牧師への感じ方を前提にして問題を考えることはできないのは明らかである。この国にいると日常感覚ではわからない問題だが、これは結局、アメリカのような移民国家、民族複合国家というものをどう考えるかという基礎の基礎から捉え返さねばならないのだろう。

 私は『黄金国家』という自著で、5世紀から8世紀に日本列島の上に存在していた国家が「民族複合性」をもっていると論じたことがある。そこに戻って国家と民族・エスニックグループについて、もう一度考えてみたいと思う。

2016年3月 7日 (月)

サンダースは三勝一敗、善戦を続けている。

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 サンダースは善戦を続けている。3月5日は、カンザス・ネブラスカでサンダースが勝ち、ルイジアナでクリントンが勝ち、サンダースが州の数では2勝1敗で勝ち越し。ただ、獲得代議員の数では、ルイジアナが大きいので、クリントン47対サンダース55で若干開いてしまった。クリントンの方が8多く獲得したのである。

 しかし続く6日は、サンダースはメイン州でも勝利し、州の数でいうと、クリントン11対サンダース8にまで追い上げている。これは勝ち続け、州の数だと早晩、サンダースがリードすることになるだろう。これは予備選全体のムードを変える上で大きい効果がある。このパターンは、2008年のクリントン対オバマの時と同じで、オバマは小さい州で確実に勝っていって勝利を治めた。勝ちパターンである。

 サンダースのツイッタが、メイン州の勝利の後、「今夜、昨日につづいてもう一度、我々が民主党予備選の勝利の道をうまく進んでいることが証明された。Thank you,メーン!」といっているのには十分な理由がある。

 前回のエントリーでは、私は、「サンダースには勝利の可能性が残っている」としたが、マスコミ・ジャーナリズムには、そういう論調はなく、専門家をふくめてクリントン勝利は動かないという観測がもっぱらであった。たしかに、現在の状況から考えて、サンダースの勝利は難しい道であることは事実だが、一つの勝ちパターンに乗っていることをきちんと報道し、論評するべきだろう。そういうことができないのは、自分で状況をみないで、「客観的に」報道しようとするからである。その「客観」は世俗の世評にしたがって考えるという態度にすぎない。サンダースは「いいおじいさんにみえる」が、自伝を読んでみると、政治家として筋金入りの古強者、相当の海千山千である。彼が、この先をどう考えているかが注目だと思う。

 ジャーナリズムで奇妙なのは、左に載せたような表を載せないことだ。アメリカの政治の基本が決まる事態について、毎回、こういう表を載せるようにしてほしい。その上で、今後の日程と予想代議員数について報道するのが当然だろう。読者は安易な「観測」を聞きたいのではなく、確実な事実を知りたいのだ。もちろん、プロである以上、予測をするのは当然だが、それは事実を過不足なく伝えた上でしてほしいことだ。

 問題は、代議員数で、3月5日には差が開いたが、サンダースがその差を6日に完全に取り返したことだ。これからは、今後は確実に差を詰めていくことになるだろう。問題は6月7日のカリフォルニアまでサンダースがどこまで差を詰めるかだ。

 現在、クリントンは1130代議員。そのうち特別代議員が458。そして民主党の大統領候補決定に必要な半数は2383だから、クリントンがそこに到達した時点で、一応の勝負がつくことになる。

 サンダースの側に投票する特別代議員は現在のところ22といわれるから、この差は大きい。この差を利してクリントンが半数を確保してしまえば、そこで確定してしまう。ここのところの予測は専門家がアメリカではやっているだろうが、クリントンの側は必死であろう。クリントン・オバマのときの悪夢がよみがえるという訳だ。


 クリントンは、いろいろなボロがでてくる。最近、アメリカで大問題になったのは、ウィキリークスの暴露によって、リビアへの軍事介入にクリントンが積極的に動いたことがはっきりとしたことだ。しかも、軍事介入は混乱を呼ぶとしてCIAが反対したのに、それを無視してクリントンが介入を決定したという。CIAを押し切ったというのは相当の話だ。このおかげで難民問題がさらに複雑化したことは確実である。しかし、私もみてショックだったのは、リビアで飛行機から降りたクリントンと、クリントンが笑いながら、「We came, we saw, he died」(我々は来た。そしてみた。彼は死んだ)とカダフィのことをいっている場面である。これは相当に怖い。


 さて、状況は後になればなるほど大統領選はサンダースのような人物に有利になる。私は重要な要素として、キリスト教会の動きがあると思う。教皇フランシスコは2月17日、メキシコ訪問の帰途、機内でトランプについての質問に「それがどこであろうと、壁を作ることしか考えず、橋を架けることを考えない人は、キリスト教徒ではありません」と述べたという。

 教皇は、昨年9月にアメリカ議会を訪問し、演説したが、その内容は日本では大きく報道はされなかったが、日本のカトリック中央協議会のホームページに載っている(http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0250.htm)。そこですでに南から北に向かう移民問題について述べ、寛容の精神を強くうったえ、しかもネイティヴアメリカンの権利を強く主張し、難民問題についても明瞭に述べている。下記に引用しておく。

 「ここ数百年の間に、莫大な数の人々が、自由に未来を築くという夢をかなえるためにこの地にやってきました。わたしたち、この大陸出身者は外国人に恐れを感じません。なぜならわたしたちのほとんどが、以前は外国人だったからです。わたしは移住者の子孫として、このことを皆さんに申し上げます。皆さんの中の多くの方々も移住者の子孫であるかと思います。わたしたちよりもずっと前にここに住んでいた人々の権利は、残念なことに、つねに尊重されていたわけではありませんでした。わたしは、アメリカの民主主義の精神のうちに、それらの人々や国々に対する尊敬の念を確認したいと思います。過去の出来事は現在の基準では評価しがたいものではありますが、最初に移住者と先住民が出会ったときには、混乱が起こり暴力が行われました。それでも、わたしたちの中にいる外国人が何かを求めてきたら、過去の罪や過ちを繰り返してはなりません。わたしたちは今、「隣人」や周囲のすべてのことがらに背を向けないよう新世代に教えるにあたり、出来るかぎり気高く公正に生きるよう努めなければなりません。一つの国を築くためには、互いにかかわり合わなければなりません。互いに支え合う心を持つために、最善を尽くして敵意を退けるのです。皆さんにはそれができると、わたしは確信しています」。

 現代社会は、第二次世界大戦以来、空前の規模の難民の危機にさらされています。それにより、わたしたちは深刻な課題と多くの難しい決断に迫られています。この大陸でも、何万人もの人々が自分や自分が愛する人々のために、より良い機会を求めて北に向かっています。わたしたちも、自分の子どもたちのために同じことを望むのではないでしょうか。難民の数だけにとらわれてはなりません。彼らを人として見て、彼らの顔を見つめ、彼らの話を聞き、彼らのために出来るだけのことをしようと努めてください。つねに優しく、正しく、兄弟愛にあふれる態度で彼らに接してください。問題になりそうなことはすべて避けようとする共通の誘惑を退ける必要があります。黄金律を思い起こしましょう。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7・12)。
  
 平和と平等、弱者への十分な配慮などに満ちた社会を作ろうという教皇の呼びかけは相当に明瞭なものである。こういう呼びかけに一致する主張をしている大統領候補が社会主義者、サンダースだけであるというのが、相当な話だ。ともかく、「We came, we saw, he died」と高笑いするクリントンは、とても枠から外れている。

2016年3月 3日 (木)

サンダースはまだ勝利の可能性も。

 スーパーチューズデイの結果は下記の表の通り(washingtonpost.comのThe race to the Democratic nomination のデータから作成した)。全体としてクリントンは1052、サンダースは427と半分の開きがあるが、実はクリントン支持の代議員のうち特別代議員(党員大会で選出されないインナーメンバー。Unpledged delegates。誓約していない自由判断権をもつ代議員)が457人であるから、党員大会レヴェルでいえば、595対405(特別代議員22を除く)という数値で、まだ引き離されては居ない。サンダースは健闘した。
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 世論調査の示すサンダースの全国的支持率はクリントンと並んでおり、それは維持されるだろう。もちろん、獲得した代議員の数は(スーパーデレゲート問題もいれて)少ないが、しかし、マサチューセッツで投票率でタイにもっていったのは大きい。私には確定できない情報だがビル・クリントン自身がマサチューセッツで投票妨害に似た行為をしたというが、クリントン側も実は必死だろう。

 マサチューセッツで勝っていれば、州の数ではタイに近くなったことになる。アメリカは合衆国という性格を維持しており、州の数のもつ政治的な意味は大きい。これはサンダースが大統領選挙という政治的局面で完全に生き残ったことを示している。


 サンダースの大統領を目指した全国的運動は、昨年初夏に始まったものに過ぎない。それがここまで来たことについて、クリントン政権の下で労働省の長官(1993 to 1997)をつとめたロバート・ライヒが次のように述べている(Democracy Now,2016,3,1。ロバート・ライヒは、現在、カリフォルニアのバークレーの教授)。

 「私はクリントンの政府の中にいた。キャビネットの中にいたが、ワシントンの外側にいる人こそが、変革をおこし、動員し、組織し、エネルギーを発揮することができる。内側は特別な利益に支配されていて、そこでは何も起こらない」「議会を抜本的に変革しなければならない、アメリカの権力構造を根本的に変化させなければならない。サンダースはその運動を始めた」「彼は、自分をこの運動に乗っかっているに過ぎないことを自覚している。このキャンペーンはサンダースのものでも、サンダースのためのものでもない。アメリカの寡頭制による政治の金権支配を破るための運動であって、まだどうなるかは分からないが、民主党大会は、この反エスタブリッシュメントの運動に巻き込まれるだろう」「未来にとっての意味は大きい。多くのアメリカ人が、政治的なエスタブリッシュメントが駄目になっているといっているのだ」。

 ロバート・ライヒがサンダース支持の立場を明らかにしたことは驚きを呼んだというが、私は彼が、ようするに「ともかく運動が始まった。ここに賭けるほかない」といったことの意味は大きいと思う。

 重要なのは、サンダースの支持の動きは、民主党の内側のみでなく、外側に大きな支持基盤があることで、スーパーチューズデイの結果は、この運動基盤が相当の分厚さをもち、今後も確実に継続することを示した。これはサンダースにとっては段階を画する勝利である。サンダース陣営はトランプに勝てる候補はサンダースだという主張を繰り返しているが、そこには相当の説得力がある。これがアメリカの現代政治史においてきわめて大きな変化であることは否定できない。

 いわば、これで蓋が取れたのだろう。もちろん、民主党内ではまだ蓋が残っている。それはスーパーデレゲートの存在であって、ライヒも「彼らはインサイダーの人間であって、彼らがいるということ自体が、民主党が時代の変化がわかっていない証拠だ」と強調している。

 民主党が党員集会における得票数に比例して代議員数をわりあてるようになったのは、J・ジャクソンの要求によったものである。そのとき、ジャクソンはスーパーデレゲーツの人数を減らすことをも要求したが、それは部分的にしか実現しなかった。現在のところ、クリントンのスーパーデレゲーツは453人(全体の代議員数の一割、過半数の五分の一を越える)、サンダースは、22人であるという。いま、この蓋の存在が問題になっている。

 この蓋を維持したまま、民主党が進むと、これは長く続いたアメリカの民主党・共和党の二大政党制それ自体に明瞭な亀裂が生ずることになるだろう。サンダースの動き自体が状況によっては、第三党の形成に進む可能性も高い。サンダースの主張はそもそも民主党の枠内には収まらないのである。

 問題は、いくつかに絞られていくが、もっとも重大なのは、アメリカにおける人種問題をどう考えるかである。南部、テキサス、ジョージア、サウスカロライナでのアフリカ系アメリカンのサンダースに対する支持は期待ほど伸びなかった。ここがどうなるかが決定的である。

 これはまずはアメリカ南部のアフリカ系アメリカンの人びとの意識と生活の現状から
考えて行かねばならないが、それは次ぎにゆずって、ここではアメリカの対外政策との関係で考えてみたいと思う。

 というのは、これもDemocracy Nowで聞いた公民権運動の活動家、ブラックコミュニティの組織者、ケビン・アレクサンダー・グレイの発言が印象的であったからである。彼はジェシー・ジャクソンのそばにいた活動家で、アミー・グッドマンのインタビューに対して、「サンダースはキング牧師と一緒に歩いたことを強調するが、ブラックのコミュニティに入ってきていない。そもそもキングは人類の普遍的な価値についての発言をベースに行動しているのに、サンダースはそうでない。サンダースのパレスティナへの立場も不明瞭だ」という。

 このDemocracy Nowのインタビュー記事の題は「バーニー・サンダースは北部白人のリベラルくさい選挙運動をサウスカロライナでやっているのか?」というもので、グレイはようするに、サンダースはアメリカの白人の知識人リベラルの運動の枠内にあって信頼できないというのである。サンダースがブラックのコミュニティに入ってきていないということをふくめて、そこには十分な理由があるに相違ないが、しかし、グレイのいうのは、端的にいえば、サンダースがキング牧師のI have a dreamの演説の場に自分が参加していたと宣伝するのを聞くのは愉快でないというのである。

 私は、サンダースとアフリカ系アメリカンの公民権運動の指導者が一緒に進んでいってほしいと思う。公民権運動が、マーチン・ルーサー・キング牧師と非暴力学生調整委員会(SNCC)を中心にして進んだことを前提として、その歩みが政治的な果実をもたらすことを期待したいと思う。

 しかし、これは難しい問題である。しばらく前のエントリー「B・サンダースがアフリカ系の支持を集める条件」で書いたように、サンダースはユダヤ系のニューヨーカーである。ユダヤ系の知識人とアフリカ系アメリカンの政治的融合と連携が、どこまで深いところで可能かという問題は単純な問題ではない。これはアメリカの政治、さらには文化それ自体において大きな試金石である。

 私は、サンダースより少し下の世代だが、それを考えるときに想起するのは、公民権運動の時期のブラックパワーの運動、典型的にはブラック・パンサーとマルコムX師の運動のことである。あの時期、キング牧師は大きな尊敬を集めていた。私はキリスト教系の大学にいたので、その雰囲気がよくわかる。

 しかし、キング牧師は、その晩年にはブラックパワーの運動の側からの強い批判を受けていた。ブラックパワーの運動は、端的にいえばアメリカに対する拒否、自己の祖先がアメリカに奴隷として売られてきて、そのシステムに乗ってアメリカが発展してきたこと事態への全面拒否の運動であった。それはアフリカ復帰の運動でもあった。奴隷制と奴隷制からの解放運動の記憶は、まだまだ強くアメリカのなかに生きていたし、人種差別は公然たる事実であった。その中でのブラック・パンサーとマルコムX師の主張には強い説得力があったのを覚えている。

 サンダース、そして彼に象徴される私などと同世代の人びとが、このブラックパワーの問題について、いまどう考えているのかを聞きたいと思う。少なくとも問題は、そこから解きほぐされねばならないと思う。

 端的に言えば、サンダースは、そろそろアメリカという国家が「移民国家」であるという根本問題にふれる形で自己の対外政策を発表しなければならないはずである。

 移民国家アメリカでは人種差別構造とアメリカの対外政策は深く関係しており、サンダースはそこに踏み込まずに説得力を確保できない。

 そして、私見では、その基本は、アフリカがアメリカ合衆国の「古い故国」( Old Homeland)であることをみとめることである。「移民国家」アメリカ合衆国にとっての故国はヨーロッパだけではないということを明瞭に認め、それを基準にしてアフリカとの新しい関係を政策構想として打ち出すことである。

 ヨーロッパは、16世紀以降、アフリカを収奪し、多くの人びとを殺害し、人びとを奴隷にしてアフリカから引き離した。その中心になったのは、海賊・人売りたちだったが、近年の歴史学は、当時のヨーロッパ自体が世界史的に見てもっとも野蛮な帝国であったことを確証する成果をあげてきた。これは大陸に対する犯罪として南アメリカにあおけるスペインの悪魔的所行にならぶものである。このヨーロッパ批判の歴史意識をアメリカ人が常識としてもつことが決定的な意味をもっている。

 それを移民国家アメリカに住む人種のすべてが共有することからアメリカの対外政策は構築される必要がある。ヨーロッパから、アフリカ系アメリカ人を購入した合衆国の建国者たちもほめられたものではない。しかし、すでにアフリカ系アメリカ人にとってアメリカは故国である。アメリカにとって、アフリカ系アメリカ人は歴史によって迎え入れられたもっとも重要で力強い構成員である。その観点から、キング牧師の展開した公民権運動がアメリカの歴史のもっとも誇るべき一章であることを明瞭にすることだ。

 それを正面からみとめ、歴史の負債を歴史の促進要因に転化するほかに道はないということを確認するべき時期だ。ヨーロッパは19世紀以来、第二次大戦後にいたるまでもアフリカで多くの人を殺害し、アフリカの富を奪ってきた。現在のアフリカ諸国がかかえる問題や紛争は、歴史的にみれば、ほとんどすべてが、そのときの大規模な戦争被害と環境破壊に根をひいている。イギリス・オランダ・ベルギー・フランス・ドイツなどの国々とアフリカとの関係は深い闇をかかえており、彼らがアフリカにかかわる際には、必然的にその歴史的責任が問われることになる。もちろん、アメリカもアフリカとの関係でさまざまな問題を抱えているが、しかし、国家としての関わりはヨーロッパほど深く長い闇を抱えているのではない。アメリカは、国内の人種差別を徹底的に解消した上でという留保がつくとしても、アフリカとの関係で、もっとも主要なプレーヤーとして行動する「権利」をもっている。

 その意味で、サンダースは、まずブッシュ政権が開始したアフリカへの軍事的関与(それが現在のアフリカの軍事枠組みの基本をなしている)を徹底的に再検討するところから出発しなければならない。現在のアメリカの政治的・経済的な力の総力をあげて、アフリカの安定と復興に貢献し、アフリカとの経済的・文化的な交流を平和のなかで強化するという政策を明瞭に打ち出すことだ。

 アメリカの世界政策、外交政策の揺れ方の常道からいって、サンダースあるいはその運動を表現する第三政党は、一種の「新しいモンロー主義」、平和のためのアメリカ大陸主義ともいうべきものを打ち出さざるをえないだろうが、その時には、アメリカの「Old Home Land」はヨーロッパだけではないということを宣言することがどうしても必要だろう。

 そして、その際に忘れてはならないのは、ユダヤ系アメリカ人にとっての故国は決してイスラエルではないということをあわせて宣言することだ。これをサンダースができるかどうか。私のような学者(しかも専攻は日本史の奈良・平安時代という学者)には政治の具体的な動きは予測不能であるが、その余裕が、これからの選挙戦のなかでできるかどうかは、ある意味で非常に大事だと思う。

 アメリカはイスラエルよりも多くのユダヤ系の人びとを構成員の一つとする国家である。彼らの故国はヨーロッパ大陸そのものなのであって、ナチス、ヒトラーと、ソビエト全体主義、スターリンが、そのヨーロッパにおけるユダヤ系の住民組織を破壊したのである。

 アメリカのユダヤ人社会がそこを振り返って、イスラエルは決して「Our Old Home Land」ではないということが決定的な意味をもっている。ヨーロッパは、まずパレスティナの人びとの故国であった中東アラブ地域の全域を破壊し、その歴史的しっぺ返しであるかのようにして、第一次大戦、第二次大戦という戦禍のなかに突入していった。おの全体を歴史的に総括するべき時期が来ているのである。

 なおDemocracy Now(http://www.democracynow.org/)は面白い。英語の勉強になる。インタビューの起こしもついている。日本語版もできて、大学生たちが翻訳に参加しているらしい。一見をおすすめします。

2016年3月 1日 (火)

8世紀末に南海トラフ巨大地震があった

 地震・噴火の研究を続けているが、なかなか最後の神話論のところに到達しない。まずは本来の仕事である8世紀以降の地震火山についての調査を優先するということでやってきたためであるが、仕事を急がなければならないことを実感している。
 現実の歴史と、この列島の地殻の動きに遅れながらついていくというのが、歴史学にとってはやむをえないことなのだと思う。ついていくことを意識しながら、遅れているのを自覚することである。それは歴史家にとっては歴史の重々しい動きというものを実感する基礎的な感覚なのであろうと思う。
 しかし、それにしても遅すぎる。
 下記は、現在の仕事の一端。最近発表したもの。南海トラフ巨大地震の歴史を確定していくことが、歴史地震学にとっては、最初の根本的な手続きであることは、石橋克彦『南海トラフ巨大地震』(岩波書店)に明らかであり、すべてはそこから出発しなければならない。
 下記の論文は、この本で石橋さんから批判をうけて、『歴史のなかの大地動乱』で述べた8世紀南海トラフ巨大地震の推定について4年ほど時期を遅らせたもの。これは建設期「平安京」の坊門の遺構がでてくれば詳細な考古学的・地質学的調査によって、もしかしたら確定するかもしれない議論である。
 いちおう、これで8世紀と13世紀については南海トラフ巨大地震の存在推定をしたことになる。残る問題は10世紀、11世紀だが、これが難しい。
 


八世紀末の南海トラフ大地震と最澄
          『CROSS TandT』52号。2016.2に掲載

よく知られているように、南海トラフ地震は、だいたい100年から150年の周期で発生するといわれている。14世紀南海トラフ地震(1361年)以降については、それを語る資料が明らかになっているが、しかし、それ以前については、その可能性のある地震は、まず265年の間をおいて11世紀(1096年)、209年の間をおいて9世紀(887年)、203年の間をおいて7世紀(684年)という間隔になってしまう。これはおもに、それらの時代では正確な文献史料が少ないことによるのであろう。しかし文献史料の読み方によっては、さらに若干の推測が可能となる。
 ここで述べるのは、八世紀末期にも南海トラフ地震があったのではないかという推定である。それは797年(延暦16)の地震であって、もし、この推定が成立するとすると、九世紀南海トラフ地震(887年)と七世紀南海トラフ地震(684年)の間で、現状、203年の間隔があるものが、90年と113年という間隔に分割されることになる。
 さて、この、地震は、菅原道真が「六国史」などを主題ごとに整理して編纂した『類聚国史』(巻171、地震)に記録されているもので、この年、8月14日に「地震暴風」があったという記録である。これによってでた被害は「左右京の坊門および百姓屋舍の倒仆するもの多し」という相当のものであった。これはいわゆる平安遷都の直後の時期で、この時期は六国史でいえば『日本後紀』という記録があるべき時期なのであるが、この時期、『日本後紀』の伝本はなく、抄録本の『日本紀略』の同日条に「地震暴風」とあるのみである。
 問題は『日本紀略』によれば、この地震の三ヶ月前、五月一三日に「雉あり、禁中正殿に群集す」(『日本紀略』同日条)という事件があったことである。雉は雷電や地震を察知してなくという観念があって、その種本は「説文」に「雷の始動するや、雉すなわち鳴きてその頸を句げる」とあるように中国にあったが、拙著『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)で論じたように日本でも、そういう史料は多い。さらに問題となるのは、この雉事件の六日後、『日本紀略』五月十九日条に「禁中并に東宮において金剛般若経を転読す、恠異あるをもってなり」と金剛般若波羅蜜経の転読が行われたことが記され、さらにその翌日、二〇日条に二人の僧侶を淡路国に派遣し、仏経を転読させて、「崇道天皇」の霊に陳謝したという記事があることである。
 この崇道天皇とは時の天皇、桓武の同母の弟で皇太子の地位にあった早良親王のことである。早良親王は、785年、大伴家持などの教唆によって、桓武の近臣、造長岡京使、藤原種継を暗殺し、謀反を起こそうとした廉で処断された。しかし、彼は最後まで罪を認めず、しばらく後になって桓武も冤罪であったとして、その霊に陳謝したのである。
 問題の「恠異」は、この崇道天皇の怨霊が起こしたものであったということになるが、その中身については、これまで「どんな恠異があったのかわからない」(村山修一『変貌する神と仏たち』人文書院、八九頁)、「宮中での不思議な出来事」(大江篤「早良親王の霊」(『史園』1号、二〇〇〇年、園田学園女子大学)などとされるのみであった。それらは右のような雉のもっている意味を見逃していたのである。そもそもこの時代、地震の怨霊は大問題であった。桓武の父、光仁天皇は、妻の井上内親王と(桓武の前の皇太子)他戸親王を迫害し死に追い込んだが、775年、彼らが幽閉された場所で死去した直後に地震が連続した。恐怖にかられた光仁は内裏に僧侶二百人を集めて大般若経の転読を行い、「風雨と地震」の「恠異」を払う大祓を行ったという。桓武もその恐怖の記憶にとらわれていたはずである。これまで早良親王の怨霊はもっぱら雷神としての性格をいわれるのみであったが、ここに早良親王の怨霊が地震を起こす霊威とも考えられていた可能性が生まれる。
 早良親王が「崇道天皇」という追号をあたえられるのは、この地震より少し後のことであるが、私は、こういう文脈で、この地震を「崇道天皇地震」と呼んでおきたいと思う。重大なのは、この地震が「左右京の坊門および百姓屋舍の倒仆するもの多し」という、相当の大きさをもつ地震であったことである。もちろん、史料に余震がみえないのは南海トラフ地震ではしばしば余震が続くとされることからすると問題があるが、『日本紀略』も『類聚国史』も抄出にすぎないから、余震についての記載が省略されることは十分に考えられるであろう。それよりも問題なのは、「地震暴風」とあることで、そこから、被害は地震被害ではなく、実際は暴風被害であったのではないかという意見もあるかもしれない。しかし、この頃、坊門はまだ新築であった。それが左右の両京で倒壊したというのをすべて暴風とするのはむずかしい。
 もちろん、この地震の規模は、将来、考古学が葛野遷都直後、いわゆる「平安京」の最初期における坊門の発掘調査に何カ所かで成功した後になるかもしれないが、しかし、以上のような文脈のなかで考えれば、この地震を恐怖の対象となるような相当の規模のものであったと考えることは許されるだろう。私は、ここから、この地震がまさに南海トラフ大地震であったのではないかと推定したい。
 このような経過は桓武の王廷に長く続く恐怖をもたらしたらしい。800年(延暦一九)年六月には富士が噴火し、火口の光が天を照らし、雷声が轟く様子が都に伝えられるが、おそらくこれも早良の祟りと考えられたものと思われる。翌月23日に、早良に対して崇道天皇の号を追称し、淡路の墓を「山陵」と呼ぶということになったのは、おそらくそれを契機としたものではないだろうか。
 私は、この崇道天皇の怨霊から都を守るために羅城門の上に置かれたのが、現在、羅城門の近くの東寺におかれている兜跋毘沙門であったと思う。松浦正昭「毘沙門天法の請来と羅城門安置像」(『美術研究』370号、1998年)によれば、この毘沙門天像は、崇道天皇号追贈の4年後、804年(延暦三)8月に遣唐僧、最澄が持ち帰って桓武に献上したものである。興味深いのは、当時、唐で大きな権威をもっていた不空(アモーガヴァジュラ、鳩摩羅什や玄奘とならぶ三大訳経家の一人。七〇五~七四)の訳した毘沙門天王経の偈の冒頭部分には、「假使日月の、空より地に墮ち、あるいは大地傾き覆ることあるとも、寧らかに是くのごとくある事、應に少しの疑いも生ずべからず、此法は成就すること易きなり」とあることで、つまり、「大地傾き覆る」ような地震があっても、毘沙門天の経の功徳によって安らかにすごすことができるというのである。
 結局、この年末に桓武は身体の調子を崩し、翌年にかけて淡路の崇道天皇陵のそばに寺院を建てたり、「怨霊に謝す」ため、諸国に郡別に倉を作って崇道に捧げるなどの措置をとったが、3月に死去してしまう。しかし、最晩年の桓武が怨霊からの守護を求めて最澄に帰依したことの影響はきわめて大きかった。最澄が八一二・八一三年(弘仁三・四)にまとめた「長講法華経先分発願文」は、「崇道天王」を筆頭として、井上内親王、他戸親王、伊予親王・同夫人などの怨霊を数え上げている(櫻木潤「最澄撰「三部長講会式」にみえる御霊」(『史泉』九六号、二〇〇二年)。
 最澄の『顕戒論』(巻中)の一節「災を除き国を護るの明拠を開示す、三十三」が、護国仁王経の力によって、「天地の變怪、日月衆星、時を失い、度を失う」などの「疾疫厄難」を起こす「鬼神」を除き愈やすことができるとし、その天変地異の例として「日の晝に現われず、月の夜に現れず」「地に種種の災ありて、崩裂震動す」などを上げたのは、まさにこれに対応していると思う。
 さて、私は3・11の直後に東京大学地震研究所で開催された研究集会に出席したことが縁となって、2012年12月より科学技術学術審議会地震火山部会次期研究計画検討委員会に歴史学関係の専門委員として参加した。参加して驚いたのは、地震噴火の研究予算が年に4億しかなく、研究体制と人員の手当もきわめて不十分であることであった。しかも、地震学の研究をサーヴェイしてみて、3・11のような巨大な地震が起こりうることは、たとえば産総研の行った地質学・地震学の調査によって以前からはっきりしていたことを知った。
 もちろん、現在の所、何時、どこでどの程度の規模の地震が起きるということを、つねに確実に予測することは不可能である。しかし、「予め知る」という意味での「予知」は相当の確度でだされており、それに対応する警告もされていたのである。ここでは、その証拠として、日本地震学会の出版した『地震予知の科学』(東京大学出版会、2007年)に「東北から北海道の太平洋側のプレート境界では、過去の津波堆積物の調査によって、五〇〇年に一度程度の割合で、いくつかのアスペリティをまとめて破壊する超巨大地震が起きることもわかってきた」とあることをあげておきたい(前回の奥州大津波は1454年であるから、これはそろそろという予知であった)。
 政府や責任諸官庁あるいは東京電力などは、それらの警告を無視し、マスコミも、地震学の研究者を「予知」できないものを「予知」できるといって攻撃し、地震学界を一種のスケープゴードのように扱ったのである。これはとても科学先進国とはいえない事態であったというほかない。


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 右の地震火山部会の建議「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画の推進について」が、大略、「地震・火山観測研究計画を地震学・火山学などの自然科学としてでなく、災害科学の一部として推進する。災害誘因(自然現象)のみではなく、災害素因(社会現象)も見通して学融合的に災害を予知する」という趣旨のものとなったのは、それを踏まえたものであった。この建議については2月刊行の『地殻災害の軽減と学術・教育』(日本学術叢書22、日本学術会議編)に詳しく解説される予定で、私も、そこに歴史学からの意見を書いたので、そちらを参照していただければと思う。
 こうして、私は、東日本大震災も東京電力の原発事故も人災であったことを詳しく知って一種の義憤にかられざるをえなかった。これを忘れずに、歴史学者として、命のある間は、歴史上の地震の問題についての研究に取り組みたいと考えている。ともかく、地震の経験と、それへの畏怖は、以上に述べたような政治史や宗教史のみならず、日本の歴史において根本的な意味をもっていることは明らかだからである。
 

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