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2016年3月26日 (土)

サンダースの追い上げとアメリカ選挙制度の非文明性

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 3月22日のアリゾナ・ユタ・アイダホの民主党予備選挙は、クリントンがアリゾナ州で勝利し、サンダースはユタとアイダホの2州を制し、首の皮一枚を残してぎりぎりに勝利の可能性に踏みとどまったという形である。代議員数でいえば、サンダースは18ほど差を詰めた。

 注目すべきなのは、まずユタとアイダホではサンダースが圧勝したことである。投票率で行くとユタはサンダースが79.3%、クリントンが20.3。アイダホはサンダースが78.0% 、クリントンが21.2という差である。ここまでの差がつくかどうかは別として、今後、まず今日土曜日にワシントン州(シアトル)に行き、来週は東にウィスコンシンに戻って、4月19日に大票田のニューヨークへ行くという流れが、世論調査などで全体としてはサンダース有利といわれている。

 問題はアリゾナ、ここではクリントンが57.6%、サンダースが39.9という20%近い大差となった。しかし、これについては、まず、ユタ、ソルトレークの前市長、ロッキー・アンダーソンが次のように述べたことに留意する必要がある(デモクラシー・ナウより、http://www.democracynow.org/2016/3/23/who_is_the_best_democrat_to)。

 「ユタとアイダホでの約80%という圧倒的な勝利の理由は、ユタとアイダホでは民主党がインディペンデント(無党派)に集会での投票を許したのに、アリゾナではそれが閉じられた。アリゾナのやり方は、まったく民主的でなく、また大統領選本選挙で起こることを顧慮せずに行われたものといわざるをえません。なぜなら、もしサンダースが候補者になれば、インディペンデントがバーニー・サンダーズを圧倒的に支えることは明らかだからです。これはヒラリー・クリントンが候補となったらありえないことです。ユタは本来最も共和党よりの州です。ジョージ・ブッシュはその2回の大統領選挙のどちらでも、ユタでは大きな差で勝利しています。現在の世論調査では、バーニー・サンダーズが民主党の候補となれば、彼はトランプに対し、48パーセント対37パーセント、つまり11パーセントの差で勝つという予測です。ところが、ヒラリー・クリントンはかろうじて勝つかもしれないという程度です。サンダースの方が当選の可能性が圧倒的に高い。ヒラリー・クリントンよりはるかにトランプに対して強いのです。我々に現在見えてきたことは、インディペンデントはヒラリー・クリントンを信用していないということです。彼女の正直さと信頼性はインディペンデントのなかでは下の下で、好感度についても同じです。私たちは、トランプが共和制の候補者となった場合、バーニー・サンダーズこそがトランプを破れるというメッセージを強調するべきだと思います」。

 後半のサンダースとクリントンの対比は別として、アリゾナにおける大差の理由はたしかにアンダーソン氏のいうところはあたっているのであろう。

 さらに問題なのは、アメリカの選挙ではつねに発生する選挙の投票管理の不明瞭の情報が、今回のアリゾナでは大規模に流れていることである。

 つまり、アリゾナのフェニックスでは数千の市民が三から五時間も投票のために待たされ、さらに多数の時間の余裕のない人は相当部分が家にかえらざるをえなかったという。フェニックスの市長は米司法省に対して予備選挙投票に何時間もの遅延をもたらした地域の選挙管理の不当性を調査するように、要請し、こんなことがフェニックスで起こるのは許せないと述べている。ネットには、その他の地域でも相当数の人びとが暑い中で苦行を強制され、また投票しようとしても、投票用紙が大量に不足している。何も問題がないにもかかわらず事前登録の不備を指摘されて投票できなかったなどという情報があふれている。そういう人びとの数は不分明だが、ネットでは10万を超える数字がみえる。これは結局、時間に余裕のない人びととマイノリティグループを排除する結果をもたらしているというのがフェニックスの市長の見解である。

 以上のような凄まじい実態は、いずれ詳しく明らかになるであろうが、こういう選挙をやっているる国が、他国における公正選挙を要求するというのは冗談に等しい。

 これについてサンダースのツイッターが、「It is a national disgrace that people have to wait hours to cast a vote in any election」(人々はどの選挙でも投票するのに何時間もまたなければならない。これは国民的な恥さらしだ)と述べたのは注目されるところである。


 アメリカの投票制度はヨーロッパや日本・韓国などの水準からいくと、ほとんど非文明的といえる問題をはらんでいる。よく知られているように、アメリカの選挙では自己申告による有権者登録なる手続きが必要とされている。これは文明国には例をみない異常なものであって、本質的に前近代的なものである。

 つまり合衆国憲法は「自由人の総数をとり、納税の義務のないインディアンを除外し、それに自由人以外のすべての人数の五分の三を加える」(第一条二節)という形で、投票の基礎となる各州人口を定義している。「すべての人数の五分の三」というのはアフリカ系アメリカンの人口は五分の三としか数えないという人種差別条項である。もちろん、これは奴隷制の拡大に反対する共和党の創設とリンカーンの大統領選出、それに続く南北戦争(一八六一~一八六五)における北軍の勝利、そして奴隷解放宣言(一八六三年)をうけて決定された憲法修正箇条一三条、一四条で修正された。しかし、現実には、南部白人民主党のクー・クラックス・クランなどのテロ組織を利用することも辞さない反転攻勢によって、この時期以降、社会生活における人種分離と黒人参政権の剥奪が二〇世紀にむけてむしろ本格的に進展したのである。これは実際上は、五分の三条項がよりきびしい形で生き残ったものというほかない。

 そもそも合衆国憲法の「自由人」という規定が問題である。「自由人」とは、歴史的な由来からいえばヨーロッパのゲルマンの部族時代にさかのぼる、独立自営の家父長が政治参加の生得的な権利をもつというイデオロギーである。私には、「野蛮な」の大陸に移住したヨーロッパ系アメリカ人の中には、ヨーロッパになだれ込んだ未開のゲルマン民族の血と記憶がよみがえったかとさえみえる。もちろん、この「自由」の観念はジョン・ロックの近代的な個人の人格権という理念の洗礼を受けてはいるが、しかし、ヨーロッパからの移住者にとって、その居住地の占拠がネーティヴ・アメリカンからの「野蛮な」土地奪取であったことは否定できない。少なくともこの憲法の「自由人」規定には、自立した強者が自由を謳歌し、公共の主人となるのだというアメリカ的な「共和主義」の観念がふくまれている。このようなイデオロギーはリバタリアン・イデオロギー(私人自由主義)そのものであって、それが憲法解釈として生き続けているのである。

 選挙人登録をしなければ選挙権をもたないというのは行政的な住民登録によって自動的に選挙入場券が配付される日本や、選挙をサボタージュした場合は罰金がかかってくるというようなヨーロッパの一部の国の方式とはまったく違う。アメリカの行政機関が選挙人登録を促進しないことを、アメリカ的な個人の自由にもとづく政治参加の風習であるなどということで美化することはできない。

 そういう状態のなかで、有権者登録において、白人の有権者登録率が圧倒的に高く、7割を越え、アフリカ系アメリカ人やヒスパニック系は6割以下にとどまるという格差がでている(数値は過去データ)。それは少なくとも歴史的には、彼らには公共的な参加の資格はないという差別意識に裏打ちされて存続してきたのである。

 以上をふまえて考えれば、「自由人の総数ーーインディアンを除外ーー自由人以外のすべての人数の五分の三」(第一条二節)などという憲法の条項が(少なくとも)文面の上で残っていることは、このような投票権の民主主義的な平等という原則がアメリカ社会に真の意味では根付いていないことの象徴であるということができる。

 アメリカの選挙において投票数や投票管理をめぐるスキャンダルがきわめて多いことは、ここに根本的な原因があるのである。
 
 率直にいって、私はアメリカ合衆国憲法は、私どもは差別国家でありましたということを憲法の文面に残している憲法であると思う。もちろん、アメリカ合衆国憲法はもっとも古く寿命の長い憲法であって、とくにその修正箇条といわれる「権利の章典」部分には歴史的な価値がある。しかし、この憲法それ自体は18世紀の文書としてたいへんに問題の多い部分に満ちている。私は、この憲法をもっていることをリベラルの証拠とのみ考えて、「歴史的恥辱」の証拠であると考えているアメリカ人にあったことがない。その神経は私には信じがたいのである。

 サンダースはアリゾナでの選挙演説で、ネーティヴアメリカンの権利について、「この集会に来ている人々に明瞭なことは最初の移住者がこの国に来たときから、彼らはネーティヴの人びとをだまし嘘をついてきたのだ」といった。これが大統領選挙でいわれるのは画期的なことだと思う。それに続いてのツイッターが、前述の「It is a national disgrace that people have to wait hours to cast a vote in any election」というものである。

 私は、このような歴史的な見直しが行われることを通じて、アメリカ合衆国憲法のdisgraceなところ、「恥さらし」なところが自覚されていくに違いないと思う。

サンダーズは今日、土曜日のアラスカ、ハワイとワシントン州の集会での勝利を予想している。そして、クリントンと共和党が強い南部は(アリゾナをふくめて)すべて終わり、おそらく今後は、勝ち続けであろう。

 問題は、どこまで詰められるかであるが、これは流動的で、誰にも予測はできない。

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