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2016年4月16日 (土)

火山地震104熊本地震と16世紀末の中央構造線連鎖地震


 4月14日~16日の熊本地震が大分に及んだということは、地震学者・火山学者の一部でも、中央構造線が何らかの形で動いて誘発されているのではないかという意見があるようである。ここでは3,11東北沖海溝大地震との関係で、歴史地震学を少し学んだものとして、情報提供をしてみたい。

 3,11東北沖海溝大地震に続く地殻変動は数十年は続くといわれ、列島北半の弓状弧は東にずれていっている(地震時に牡鹿半島は一挙に5,3メートル東に移動したといいい、その後も一年に10センチほどずれているといわれる)。

 首都直下地震において警戒するべきは、この地殻変動によってM7に及ぶ地震が誘発されるのではないかということである。首都圏は3,11の直接的な影響の下で地震が誘発される可能性が強い地域であるという(平田直『首都直下地震』岩波新書)。関東は世界的にみてもきわめて地震が多いところであるが、そこに3,11の影響の下に発生する地震が加わることが怖いというのである。

 しかし、熊本地震は3,11の直接的な影響の下で誘発されたものではない。そこではいくつものプレートの複合した動きとプレート運動それ自体とは区別される列島の地殻の重みと運動が関わってくる。広い意味で誘発地震であるといっても、そこで考えるべき要素はさらに複雑になり、多くなる。

 列島を成り立たせるプレートとしては、西から押してくるアムールプレートと南から押してくるフィリピン海プレート、そしてそれらの下に沈み込む太平洋プレートの複合的なプレート運動があることはいうまでもない。そして列島の地殻の重みと運動を象徴するのが列島の中央を貫通する中央構造線である。

 もし、今回の熊本地震が中央構造線の動きに関係しているとすると、素人考えであるが、そこには列島北半の弓状弧が東北沖海溝大地震によって東に引かれたことが、列島の中央の緊張を強め、中央構造線の動きを誘発したというようなことが考えられるのではないかだろうか。列島には弓を垂直にそらせる方向に巨大な力が働いており、それが列島の軸説である中央構造線を緊張させているのではないかということになる。
 
 これに関連して、歴史地震学の側で想起するのは、寒川旭氏が「日本列島最大の地震活動期」として注目した1586年の中央構造線添いの一連の大地震である。寒川『日本人はどんな大地震を経験してきたか』(平凡社新書)で説明すると、まず1586年1月18日に中部地方の養老ー桑名ー四日市断層帯などの三つの大断層が動いた。これは745年に聖武の紫香楽宮をおそった地震と同構造のものである。

 そして、翌年1596年9月1日に別符湾で大地震が発生し(M7.0 )、続いて四国の中央構造線断層帯、さらに9月5日に有名な京都の伏見地震(M7.0)が発生した。これらは、すべて中央構造線沿いの断層帯に震源が動いた地震である。とくに後者は連続的に九州から京都までが地震に襲われるという怖いもので、これが秀吉の政治に大きな影響をあたえたことはいうまでもない。

 以上が、熊本地震の状況について、とりあえず点検したことであるが、今回の場合に怖いのは、(16世紀末と違って)九州の西から東に阿蘇をこえて震源が動いていることで、熊本から大分へ震源が動き連鎖するという規模は半端でない。

 もちろん、678年の久留米の東の水縄断層を震源とした筑紫大地震では地震は大分の日田に及んだ。この断層は水縄山地とその北の筑紫平野を作り出した大断層であり、その全長は二〇㌔はあるが、このとき長さ九㌔の断裂が地上を走ったことが『日本書紀』に記録されており、実際、この地域には、七世紀後半の地震によって噴出した砂層が何カ所も確認されている。『豊後国風土記』によると、日田郡五馬山(現在の栄村五馬市付近 の山)の稜線が崩れて温泉が噴きだし、その内の一つは直径三㍍ほどの湯口をもつ間歇泉で「慍湯」(いかりゆ)と呼ばれたというのが、それを示す記事である。
 
 ただ、熊本から阿蘇をこえて大分に震源が動くというのは、これまで例がないのではないか。九州内部で熊本から大分というのは、間に阿蘇があるだけに心配なことである。また、これが16世紀末期のように四国にまで及ぶと、伊方原発の問題がクローズアップされる。また南へ影響が広がれば川内原発である。最悪の場合には、進退きわまるということであろう。

 東北沖海溝大地震についての地震学界の警告を無視し、多大な人命をうしなわせた、この間の政治に対して怒るのは当然のことである。彼らは、敗戦後、高度成長期にかけてつづいた「大地の平和」に依存して、ものをしらずに原発を設置してきた「平和ボケ」そのものである。

 政治は先を読めない無知な人間が行ってはならないことであり、安全を旨として進むべきものである。もちろん、事態は相当の確率で無事に収まることを期待したいが、しかし、政治は、人にこういう危ない橋を渡らせる権利はないものである。

 以下、昨日のブログの最後に書いたことを再度引用しておきます。

 政治家の一部には、3,11を忘れているかのような言動がありますが、地殻の運動は目に見えない場所で、厳しく続いていることを忘れることはできません。残念なことに、国家の内部にもそれを忘れたかのような動きがあります。3,11の被災地の窮状を放置したまま党利党略に走る様子には怒りがこみあげます。そのような国家や政府は無用の長物ですが、私は、それとは区別された民族、その大地と、そこに居住する人びとに対する祖国愛は歴史家にとって必須のものであると考えています。

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