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2016年6月

2016年6月29日 (水)

日本史の時代名と時代区分

 以下は友人との勉強会でくばったもの。

 私は、『平安時代』(岩波ジュニア新書)という高校生向けの本を書いた時、たとえば、薬子の乱とせず、実態に近い平城上皇クーデター事件とした。また『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)を書いたときも貞観津波とせず、九世紀陸奥沖海溝地震とした。政治史上の事件について元号を使用することも余計な記憶負荷をかけるのでやめた方がよいと思う。

 たとえば保元の乱は崇徳天皇クーデター事件でよいし、平治の乱は『平家物語』のいうとおりに二条天皇重婚事件でよいと思う。そもそも歴史教育にとって、不要な固有名詞を削ることは死活問題であろう。遠山茂樹氏の「共有財産論」は、民族の歴史的な知識の現実をどうみるか、人が生きていくための知識体系のなかで歴史意識の位置はどこにあるかを明らかにすることを要求している。それはたんに学者と教師と子どもの関係のなかで処理できる問題ではなく、より広く歴史知識の社会的な用語法、ターミノロジーをどうするかという知識社会学的な問題に関わってくる。

 ここでは、時代名について考えてみたいが、私はかって「時代区分論の現在――世界史上の中世と諸社会構成」(『史海』五二号、学芸大学歴史研究室、二〇〇五年)で、「古代・中世・近世・近代」という用語は、現状では定義も不明瞭な通俗概念にすぎないので使用をやめた方がよいとしたことがある。ただ、その上で、各時代の名称というものはやはり知識として必要だろう。そこで、ここでは「古墳時代、大和時代、山城時代、北条時代、足利時代、織豊時代、徳川時代」という時代名称を提案してみたい。

 順次に説明すると、まず古墳時代は三世紀初頭の卑弥呼の擁立が箸墓古墳に結果したという意味で卑弥呼期から始まり (四世紀半ばまで) 、大和の北に墳墓がうつる佐紀王朝期を挟んで広い意味での河内王朝期(五~六世紀)までである。河内王朝論には議論があるが、白石太一郎『古墳とヤマト政権』にそって再評価することが「万世一系の天皇」というイメージを支える大和中心史観をやぶるために必要だと考えている。前方後円墳が火山神話を表現している(「日本の国の形と地震史・火山史」『震災学』七号)ことからすると神話時代といってもよい。

 次の大和時代という用語は、だいたい七世紀から八世紀まで、飛鳥時代と奈良時代をあわせた時代をいう。六世紀末に前方後円墳の築造が終了して、西国を中心とする部族連合国家(「西国国家」)が文明化の道を歩み出し、上宮王家や舒明王統が大和を直接掌握する時代である。七世紀はおおざっぱにいって舒明(在位は六二九~六四一)、その妻皇極(六四二年踐祚。六五五年に重祚して斉明) の王統が安定した時代であって、その二人の息子天智(在位六六一~六七一)・天武(在位六七二~六八九)の時代が続く。そこでは皇極=斉明の位置は大きく、この時代はいわば天智がそのマザーコンプレクスを解消すると同時に兄弟喧嘩の種をまく母子王朝の時代と考えている(その趣旨の一部は「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」『アリーナ』十八号、中部大学編で書いた)。それは天武・大友の近江戦争(壬申の乱)を引き起こし、八世紀も激しい王家内紛が続く。その内紛は天武と持統(天智の娘)の血を引く嫡系王子(つまり天武の血と持統を通じた天智の血をひく王子)にのみ王位を継がせ、他を排除したことに根ざしたものである。

 「飛鳥時代→奈良時代」という図式は、この時代の連続性を分断してしまう。とくに一〇〇年にたらぬ平城京の時期を「奈良時代」というのは、 「古代」 に特権的な位置をあたえる手あかのついた日本史イデオロギーの表現であって賛成できない。

 次の山城時代は天武王統の自壊の後、桓武の長岡京遷都に始まる時代であって、それはすぐに「平安遷都」に連続する。時代呼称としては長岡京遷都以降を「山城時代」とした方がすっきりする。私は、この時代の国家形態を都市王権と呼んでいるが、そこでいう「都市域」は平安京には一致せずむしろ山城首都圏というべきものである。そもそも平安時代という用語は実態と無関係で無意味な用語である。この時代は九世紀から十世紀半ばは桓武の弟の早良の怨霊化に始まる王権内部の激しい対立に特徴づけられる怨霊期、その次ぎは冷泉・円融の二回の兄弟間の王統の迭立期(道長の時代はそれを解消する過渡期)、そして後三条以降の王家内部で激しい親子間の対立(後三条―白川、白川―鳥羽―崇徳、後白川―高倉など)がおこる院政期にいたる。そのなかで国家の本格的な軍事化が進展し、源平合戦から後鳥羽クーデタ(承久の乱)でそれが完成するが、この清盛・頼朝期で山城時代は終わる (これは石井進「院政時代」 のとらえ方に近い)。四〇〇年以上にわたる長い時代となるのが扱いにくいが、それは「平安時代」でも同じである。

 大和・山城の二つの時代を教えるにあたっては、王家の内紛をきちんと教えるべきである。たとえばヨーロッパや中国などでは、歴史知識のなかに、王家の内紛や交替、いわばハムレット的な問題がかならず位置づけられている。それが歴史教育の中に位置づけられないことこそ異様な風景であって、そこには無意識に「万世一系」の論理が貫徹しているというほかない。

 なお、時代区分は政治史を中心にするべきだが、もちろん、それだけでよいというのではない。私は昨年出版した『中世の国土高権と天皇・武家』(校倉書房)の序論で、基本的には八世紀から十三世紀初頭(承久の乱まで)を王朝国家、それ以降を武臣国家とすると述べた。王朝国家は邪馬台国以来の「西国国家」の本質をもっているが、その末期の軍事化と内戦が強力な武装地域権力を各地に生み出した。これは一種の地域ブロック権力であるが、それらを統合した武臣が天皇=「旧王」の下で覇権を握り、身分的にも「覇王」としての実質を深めることになる。重要なのは、平清盛や源頼朝を特権化して語るのではなく、そういう覇王という観点から、ただの過渡的な存在として即物的に説明することである。

 以上、山城時代までは前近代の国家形態を強く規定する地域性に着目する時代名称となる。これに対して、以降の武臣国家段階は、覇王の氏族名で表記するのがよい。それを前提として、これまでの用語法の難点を指摘しておくと、まず鎌倉時代というのは武家権力が全国権力である実際を隠蔽する、一種の裏返しの朝廷史観である。北条氏の権力は明らかに全国的なものである。この時代にこそ全国的な経済が新たな形で制度化される。
また、室町時代については、子供たちに「室町」という言葉を覚えてもらう必要はどこにもない。たとえば原勝郎に『足利時代を論ず』という論文があるように、「足利時代」という言葉は明治大正のアカデミーではよく使われた言葉である。それなのに、なぜ「室町時代」が一般化したかといえば、これは「足利尊氏」が逆賊イメージとされた皇国史観の時期の慣習が残ったのではないかというのが私の疑いである。

  「室町」という語には「都」は京都を中心とするという俗物的な中央意識がかいまみえる。これは井上章一氏との対談(「歴史対談、東と西――やはり日本に古代はなかった」『HUMAN』八号、二〇一六年一月、人間文化研究機構)で考えたのだが、対談後、井上氏から、次の「安土桃山時代」という時代名称にも大阪城と大阪を無視する中央根性があるという意見をうかがった。「古代」の河内王朝論がなかなか進展しない状況をみていても、この国の支配的な歴史常識のなかには、畿内の中枢をしめる大阪平野を無視する伝統が流れているのではないかというのが、私の疑いである。

 「徳川時代」についても同じ理由で、徳川家を時代名称にもってくるのが適当であろうということになる。「江戸時代」という用語は東京バイアスがある言葉で、関西の歴史家には「徳川時代」という用語を使う人が多い。徳川が東海地方出自であることは、幕藩制社会の歴史像を考える上でも大きな意味があるので、私は実態論としてもこの呼称が適当であると考えている。

 さて駆け足で、おそらく容易に賛同をえられないであろう見解を述べてきたが、最後に強調しておきたいのは、こういう時代呼称をもし採用する場合には、時代の移行期となる源平内戦、南北朝内戦、戦国期内戦を十分に位置づけることが重要であろうことである。その場合、「内乱」という事大主義的な言葉を使用せず、内戦の悲惨さが徐々に増大してくる様子をザッハリッヒに語ることが必要なのは、藤木久志(『飢餓と戦争の戦国を行く』朝日選書)がいう通りである。

2016年6月16日 (木)

おかしなアメリカ大統領選挙の仕組み(2)

一次選挙(primary election)と二大政党制

 さらに問題なのは、大統領の間接選挙が二段階の間接選挙であることである。つまり、よく知られているように、アメリカでは、二大政党がおのおのが推薦する大統領候補を選出する政党内選挙が大々的に行われる。それは大統領選挙の行われる前年早くから走り出し、大統領選挙の年の二月に、アイオワ州で始まり、五月のスーパー・チューズデイで山場を迎え、さらに東へ、西へと北米大陸は大騒ぎの祝祭の時期に入り、7月に共和党・民主党の大会で候補者が決定される。そして秋に入って大統領選挙の本選が始まり、一一月の第一月曜の次の火曜が投票日となる。つまり政党内選挙二大政党の政党内選挙によってアメリカ大統領選挙は一年に近い、あるいは実際上、一年を超える長丁場の闘いとなる。

 この政党内選挙はアメリカに住んでいないものにはなかなか理解しにくいものである。だいたい、世界中のどの国でも、政党内の選挙が、これだけの注目を集めて本選の一部であるかのように大々的に行われることはない。本来は政党内の討議と党員の投票によってきめればいい問題である。ところが、実は、この共和党・民主党の党内選挙は、州や郡の政府機関である選挙管理委員会によって実施される(『アメリカ政治』80頁)。しかもこの選挙管理委員会の役職には共和党と民主党の代表者が就任し、彼らは税金によって給与をうけとっているのである。これは共和党と民主党に対してのみ、その党内選挙のための財政的支援をし、大規模な選挙を行う便宜を供与するということであって、普通の常識でいえば許されないような公私混同の極致である。しかも、そういう扱いをすることによって、共和党・民主党は大統領選挙にむけての有効な宣伝戦に取り組むことができる。近年の大統領選挙でも一九八〇年の選挙では無所属のジョン・アンダースンが大統領選挙の本選で五七〇万票(得票率6,8%)、二〇〇〇年の大統領選挙では緑の党のラルフ・ネーダーが二八八万票余(同2,7%)を獲得しているが、彼らは各州選挙管理委員会の二月からの二大政党の党内選挙には当然に参加できないから、選挙戦においてはるかに出遅れることになる。これは公平なものとはいえない。このプライマリー選挙といわれる二大政党の党内選挙は、いわば税金を使ったお手盛り談合の選挙なのである。

 このような政党内選挙が行われるようになったのは、一九世紀のアメリカにおいて各州や地域で選挙集会が市町村の集会や選挙の際に二大政党が支持を競う慣習の延長にあったという。つまり一九世紀後半には大統領選(本選)の投票率は八割を超えることも珍しくなく、二大政党が州や郡・市町村組織を呑み込んで選挙運動を展開した。松明行列やピクニックなどの御祭り騒ぎのなかで人びとは投票に動員され、しかも投票は各党が自党の候補者の名前を印刷し配付した色付きの投票用紙をもちいて、政党指導者が注視するなかで行われたという。投票の秘密もなにもない、いわば田舎のムラ的な選挙、一種の動員選挙である。とくに一九世紀の七〇年代以降には、全米各地に都市が増加し、政党ボスが行政と一体になって人びとを利益誘導し、その代わりに投票に動員する「都市政治マシーン」といわれる動きが拡大していた。彼らは、この時期にふえた移民を組織し、不案内な彼らに就職を世話したり、行政と半ば癒着して社会福祉的な救済を行って、アメリカ市民権を取得させ、その見返りにえた移民を投票に動員したのである。

 これは大統領選挙の本選のことであるが、そういう中で、汚職や買収が目に余るものとなり、それに対する批判として二大政党の大統領候補についても選挙で決定しようという改革運動が起きた。その一環として、二〇世紀初頭の頃から、州法が作られて政党内での候補決定の選挙が行われるようになったというのが、大統領候補決定の党内選挙が今のような形で行われるようになった起源であるという訳である。

 ようするに一九世紀に二大政党の選挙が州や郡・地方政府を呑み込んで組織される状態の「改革」として政党内選挙は行われたのだが、それは同じように州や郡・地方政府を呑み込んで組織されたという訳である。こうして二月頃から行われる共和党・民主党の大統領候補を決定する政党内選挙と秋からはじまる大統領選挙の本選は、元来、まったく性格の違う選挙であるにもかかわらず、二大政党制の下で、あたかも連続した一連の選挙であるかのように戦われるというアメリカ独特の選挙風景がうまれた。

 こういう事情をもっともよく象徴するのは、この政党内選挙をプライマリー・エレクション(primary election)ということかもしれない。そもそも、日本では、このプライマリー・エレクションを、普通、「予備選挙」と翻訳する。しかし、プライマリー・スクールといえば小学校のことであることが示すように、プライマリー(primary)とは「首位の、第一次の、主な、最初の」などという意味であって、つまり、これは最初の選挙、あるいは一次選挙と翻訳した方が語義的には正確な言葉である。もちろん、「初歩の、根本的な」というニュアンスを「予備」と理解する予知がない訳ではないが、明瞭に「予備」というのは、この「予備選挙(primary election)」という例以外にはないように思う。それはフランスの大統領選挙の完全な直接投票の第一次投票が「premier tour」といわれるのと同じことである。

 実際、相当数のアメリカ人は、この選挙をまったく大統領選挙の第一次投票そのものと考えているのではないだろうか。そこには単なる政党内選挙を公的な一次選挙と思いこませるのは二大政党制を支える一種の詐術ともいうべきものがあるのではないだろうか。この「予備選挙(primary election)」が共和党・民主党の政党組織への動員を強化し、政党の派閥ネットワークが社会の内側に入り込んでいく重要な手段となっていることは否定できない。しかも、その上に立って、第二次投票の詐術、つまり「州」間接選挙システムを直接投票のようにみせかけ、それによって二大政党制を支えるという詐術がうまく機能し、多くのアメリカ人を自分たちは「民主主義」のお手本となるような活発な選挙をやっているという幻想にからめとられているということになる。思えば単純なことである。

 こうして、二大政党は、各州の郡や自治体に税金をつかって組織された選挙管理委員会を、自分たちの政党内選挙のために使い、党員登録、選挙記録も公的に保存させることになったのである。大統領選から始まったこの動きが、州選出の下院議員選挙にも拡大されたことも特筆すべきであろう。そして決定的なのは、この選挙管理委員会が、それのみでなく、州や郡、市町村の多くの公職の選挙についてもすべて定数一を選ぶ小選挙区制の原則の下に管理することである。

 そして、上級の選挙に勝利するためには下級の選挙に勝利しておかねば成らず、下級の選挙に勝利するためには上級の選挙に勝利しなければならない。こうして、上は大統領から連邦政府、下は州知事・州議会から郡自治体までの公職のネットワークが二大政党によって左右される。その全体がみえる二大政党の幹部は別系統の神経をもって国家機構の中にすみついた寄生動物のようなものであるといえようか。もちろん、それは、アメリカの共和党・民主党という二大政党の政党組織がそれ自体として強力であるということではない。共和党・民主党には政党の執行部や日常的な行動組織のようなものは存在しない。そもそもアメリカの二大政党は他の国々の政党に普通な党費を払うなどして資格をうる正式な党員制度を建前としてももっていない。それは指導者のみによって構成される幹部政党であって、指導者は国家機構の中に寄生しているから政党自身の組織は必要としないのである。その代わりに派閥ネットワークやヴォランティアをもっていれば十分であるという訳である。そもそも一九世紀には党の経費は党を通して官職をえたものから給与の一部をおさめさせるという極端なスタイルが普通であったという。政党幹部は党を通じて国家に寄生し、外からはみえない派閥ネットワークを張り巡らし、表の公職を割き取っていくという構造は、現在でも基本的には同じことである(参照、岡山裕「二大政党」『シリーズ、アメリカ研究の越境』④、ミネルヴァ書房)。

 ようするに、アメリカ大統領選挙の本選は「州間接選挙制」を中心とした「多数」を作り出す仕掛けをもち、その「一次選挙」は不公平極まる公私混同の制度であって、その二つをあわせたアメリカ大統領選挙とんでもない制度なのである。何よりも、それは大統領制、二大政党制、小選挙区制という三位一体のシステムを作り出す上で決定的な役割を果たしていることが重大である。このシステムが一体となって作り出したものであるだけに、その中でアメリカ社会がもつ独特の「多数の専制」「多数決民主主義」はきわめて強力なものである。

2016年6月15日 (水)

おかしなアメリカ大統領選挙の仕組み(1)


アメリカ大統領選挙それ自身が決して民主主義的な選挙システムとして評価できるものではないことを説明しておきたい。そもそもアメリカの選挙システムはすべて定数一を選ぶ小選挙区制である。それは大統領のみでなく、連邦議員から、州の議員、司法長官・郡検事・判事、郡・市レヴェルの議員から会計監査者などにいたるまでに及ぶ。

 これこそが「多数決民主主義majoritarian democracy)」といわれるものをアメリカ社会に作り出していった制度的仕組みである。それはトクヴィルが「アメリカ人にあっては多数者が社会を絶対的に支配するように政治の仕組みができている」(トクヴィル2-1-2(30頁)といっているように、その時代、一九世紀前半にもすでに明瞭なアメリカ社会の特徴であったが、現在では、この「多数決」原理はアメリカ人の思考の癖、パターンであるようにさえみえる。たとえば、ディベートとよばれる討論ゲームなどをみていると、その感は深い。「あれか、これか」で割り切るという思考法である。

 もちろん、そのような思考法には評価すべき合理性があることはいうまでもないが、しかし、多数決が、現実には無限の多様性をもつ人びとの思想信条を「あれか、これか」によって単純化することは否定できないだろう。いわばアメリカ社会には「あれか、これか」を問う機会が蜘蛛の巣のように張り巡らされているといえようか。それによってトクヴィルのいう「多数者の専制」がアメリカ社会をおおっているのである。それは「多数」なるものを政治的に作り出すシステムである。それは日本にとっても決して他人事ではなく、第二次世界大戦後のアメリカによる占領を契機として、このアメリカ由来の「多数決民主主義」は社会に深い影響をあたえているように思う。

 しかし、アメリカの多数決民主主義はやはりアメリカに独特の性格をもっている。それはアメリカ社会が植民地国家として出発して以来の長い歴史によってい作り出されたものであって、実は、アメリカ大統領選挙はそういう意味での「多数決民主主義」を上から作り出していく中心的なキーとなったものなのである。その仕組みはどのようなものだったのか、そもそもアメリカ大統領選挙の実態はどのようなものなのか。そして、実は、この点こそ、アメリカ以外に住む人間の常識ではなかなか理解しづらい大統領選挙システムの特殊さに関わり、そしてアメリカ独特の強固な二大政党制の理解に関わってくる。

①「州」間接選挙システムと二大政党制
 まず確認するべきなのは、憲法の定めるアメリカ大統領選挙が憲法制定時から「大統領は間接的に人民から選出される」とされるもの、それはきわめて間接的な二段階委任であることである。つまり憲法第2条第1節は大統領を選任する選挙人(Electors)の選び方を「(各州は)その州議会の定める方法により、その州から連邦議会に送りうる上院および下院の議員の総数と同数の選挙人(Electors)を選任する」と決めている。憲法制定時の州の数は東海岸の一三州にすぎなかったから、憲法で各州から二人と決められている連邦上院議員(Senator)は二六人、下院議員(Representative)の総計は六九人で、それと同数となる選挙人は総計九五人という少数であった。もちろん、選挙人を選ぶ州議会は一般選挙で選出されているが、重要なのは、この規定では大統領選挙の主体が州であることであろう。州は人民の代表権をもつものと想定されており、各州と連邦との間での意思決定に近いのである。

 その意味では、厳密にいえばこれは間接選挙といいにくいような実態をもっているのである。ただし、ここでは、一応、これを大統領選挙における「州間接選挙制」と呼ぶこととするが、実際に、大統領選挙人になるのは各州の有力者・名望家である。憲法の起草者たち自体も同じような有力者・エリートであったことはいうまでもない。彼らの多くは、イギリスの中産階級に出身し、植民地における蓄財に成功した有力者であって、彼らはある意味ではアメリカにおける貴族なのである。彼らは、そのような立場から多くの民衆をふくむ一般選挙によって選出された議会から独立した場に大統領をおこうとした。大統領を連邦議会の選出とせず、州議会を間に挟んで、ワンクッションをおき、各州のエリートからなる大統領選挙人集団による選出としたのはそのためである。このような実態からいえば、この州間接選挙制は制限選挙という側面をもっているとさえいうことができる。

 こうして、憲法は大統領を議会とは異なる地盤から選出するという規定となったのである。ふたたびトクヴィルを引用すると、「民主政体は自然な傾向として、社会のあらゆる力を立法府に集中しがちである。立法府こそもっとも直接に人民に発する権力であるからである。連邦の立法者は勇敢にもつねにこれと闘った」という訳である。トクヴィルは、このような姿勢を賞賛する。私はそれを賞賛しようとは思わないが、トクヴィルの観察自体が正しいことは疑いをいれない。

 もちろん、第七代大統領のジャクソン(在位一八二九~三七)の頃から、各州の大統領選挙人は一般有権者の投票によって選ばれるようになった。これによって、大統領選挙は、憲法の規定とは異なって一般投票を前提として行われる間接選挙となった。前述のようにトクヴィルがアメリカを訪れたのは、ジャクソンの一期目の末期であったから、彼がみた大統領選挙期の雰囲気は、まさにこの時期であったということになる。現在では大統領選挙人の定数も多く、連邦上院議員は、全五〇州から各州二人で一〇〇人、下院議員の定数は四三五人、それに連邦議員を出していないワシントン特別州にも三人の選挙人が割り当てられており、総数五三八人に上る。

 普通、ここをとって、アメリカ大統領選挙は、形式上は間接選挙であるが、有権者が一般投票によって選挙人を選び、その選挙人が大統領を選ぶのだから、直接選挙と同じようなものだという理解が多い。問題は、それが学界の中でも「通説」であることで、たとえば岩波文庫の『世界憲法集』の解説(宮沢俊義)にも「(大統領の選挙人は)当初は州議会によって選出されるところもあったが、現在ではいずれの州においても一般投票によって選出される。政党制の発達によって、この間接選挙制が実質的には直接選挙と違わなくなった」などとある。

 しかし、このような見解は大統領選挙のなかで形成される「多数」というものがはらむ深刻な問題を無視している。たとえばまず、憲法は、大統領は選挙人の過半数を獲得する必要があるとするが、大統領選挙人の選出方式は各州が決めるが、ネバダなどを除く、ほとんどの州は多数を獲得した政党がその州の選挙人を総取りする規定(Winner Take All)である。これによって形成される「多数」はきわめて歪んだものとなる。

 実際、一九世紀に二回、二〇世紀に一回、一般投票では上回った候補が、大統領選挙人獲得数で及ばないという不正常な結果がもたらされたことはよく知られている。一九世紀の事例については一八七六年の大統領選挙を紹介すると、この選挙は、右のアメリカにおける政党制の展開の概略を示す図が示すように、現在まで続く二大政党制が形を整えた時期に行われた重大な選挙であった。つまり、奴隷制問題で妥協的な立場をとったホイッグ党が消滅し、共和党が設立されたのは一八五四年であり、そしてリンカーンが大統領選挙で勝利したのは一八六〇年。そして翌一八六一年に南北戦争が勃発し、ゲティスバーグの戦いが一八六三年、南軍敗北ののちに、すべての南部諸州が連邦に復帰したのは一八七〇年である。この選挙はその後に戦われ、北部を基盤とする共和党に対して、南部を地盤とする民主党がはじめて互角に戦った選挙として画期的な意味をもった。そして、ここで南部を地盤とする民主党から立候補したサミュエル・ティルデンが四二八万票を獲得し、四〇四万票にとどまった共和党候補のラザフォード・ヘイズを上回り、選挙人獲得数でも一人上回った。ただ、これに対して共和党の側が南部三州の選挙結果について異議が申し立てられ、結局、民主党側は連邦軍の南部からの完全撤退を条件として大統領をあきらめるという妥協に追い込まれた。この経過からみても、大統領選挙における一般投票と大統領選挙人獲得数の相違という問題が、二大政党制にとってはいわば骨絡みの問題であることがよくわかるであろう。

 二〇世紀の例というのは、二〇〇〇年の大統領選挙で、一般投票では、民主党のアル・ゴアが共和党のジョージ・W・ブッシュを五四万票も上回ったが、結局、獲得選挙人がブッシュの側に五人多く、ブッシュが勝利したという有名な事件である。それにもかかわらず、ブッシュが勝利しえたのは、南部のテキサスなどの配分選挙人数の多い州を総取りしたためである。この選挙では「多数」それ自体も作られた「多数」なのである。よく知られているように、この選挙でのブッシュの勝利が翌年の九・一一の世界貿易センターに対するブッシュの報復戦争、アフガン空爆とイラク戦争に結びついた。この二〇〇〇年大統領選挙において国民の多数意見が大統領選挙の結果に反映しなかったことはきわめて重大な政治的結果をもたらしたのであって、このことは、この選挙制度が本質的にあやしいものであることを世界中に示した。

 もう一点重要なのは、憲法の規定(二条第一節三項、修正箇条一二条)によって大統領選挙人の投票の結果、過半数のものがいない場合は最高点を得たもの三名以下の中から下院の投票によって決定するとされていることである。しかも、この決戦投票では「表決は州別による。すなわち各州の代表は一票を有」し、「全州の過半数をえたものをもって当選とする」という。これはようするに決選投票になった場合は、そのとき下院で多数を占めている政党から立候補した候補が大統領となるという規定である。これは世界各国でしばしば起きる複数の有力候補が第一次投票で過半数をとれないまま残った場合に、決選投票に持ち込まれるということをまったく不可能としている。

 以上、アメリカ合州国憲法の第2条第1節の定める「州間接選挙」システム、そして多くの州の定める選挙人総取規定(Winner Take All))、さらに憲法の規定第二条第一節三項(修正箇条一二条)の定める過半数不在の場合の下院による決定の規定によって作られる大統領選挙における「多数」がきわめて不透明なもので、人為的に作られたものであることは明らかである。

 しかもこの州間接選挙制は、当初の憲法の規定とはことなって、現在では一般投票によって大統領選挙人を選ぶ以上、実際上は直接選挙であるという見方があるが、これも半ばは作られた幻想である。つまり、この州間接選挙制のシステムでは、国家のトップあるいは元首を直接選挙によって選び出す時、どの国でも行われるような決定選挙にともなう多様な議論、そして結果が見えやすい投票選択という直接選挙の最大のメリットは最初から拒否されているのである。

 こういうアメリカ大統領選挙の問題性は一回一回の選挙のみに関わるものではなく本質的なものである。それは長期にわたる政治過程と歴史のなかで、既成勢力に有利な形で、政治的な意見分布と多数の在り方を歪めてきた。

 これは大統領選挙においても二大政党のあいだでの「あれか、これか」という以外の選択を不可能にしている。よく知られているように、二〇〇〇年のゴア・ブッシュの対決選挙で問題であったのは、このとき、グリーン・パーティから出馬していたラルフ・ネーダーに対して民主党の側が「“ネーダーへの投票”=“ブッシュへの投票”である」というキャンペーンを張ったことである。そして、焦点となっていたフロリダ州などでネーダーの得票がゴアとブッシュの得票差を若干上回る得票をとったために、ブッシュの当選はネーダーの行動の結果だというバッシングがおきた。こういうネーダーに対する非難は、州選挙人を総取りするという規定がなければ起こりえなかったことであるし、そもそも各州の選挙人を代議員がが大統領選挙が第一次投票と第二次決選投票で決まる普通の選挙のやり方では問題にもならないことである。

 ここには選択を「あれか、これか」に単純化して意見の多様性を排除した上で「多数」を作り出し強制するシステムが存在している。私は、これこそがアメリカ政治における「多数の専制」「多数決民主主義」なるものの最大の支柱であると思う。これがアメリカの政治勢力の配置の変化をさまたげ、たとえば第三の政党が進出することを不可能にする高い壁となっていることはいうまでもない。それにも関わらず、普通、アメリカの大統領選挙のシステムは、有権者が一般投票し、その信任をえた大統領選挙人が投票するのだから、直接選挙であるという意見は多い。そして、このような欠陥はアメリカが連邦制度をとり、「州権」が強固であることのやむをえない結果であるとしばしば合理化されることになる。

 しかし、こういう見解は、現代のアメリカ合州国の実際が憲法制定時におけるような植民地国家連合ではなく、国家連邦でもなく、明瞭に一つの国家であることを無視するものである。この国家の元首を選出する法が、その選出主体を州とする二〇〇年以上前の憲法の規定を維持していることを、連邦制の筋から理解すべきでないことは明らかである。これは憲法に残る州による間接選挙、州間接選挙という連邦制の遺制を利用して、二大政党制とそれに依拠した大統領制を維持しつづける国家擬制なのである。しかも、それを半ばは一般投票の直接選挙という様相を意図的に付け加えているのが、いよいよ欺瞞的であって、

 さて、以上に述べたことは日本の法学界の通説とは大きく異なっている。日本の法学界では、アメリカ大統領選挙は実質上、直接選挙に等しい。「州間接選挙」システムは「州権」が強固であるこというメリットによって埋め合わせされているなどという訳である。日本の法学界のなかではアメリカ法の分野は、どちらかといえば十分な学術性をもたない二流の分野であるが、それにしてもこれらは学術的分析としてはあまりにアメリカ政治に甘く、アメリカ崇拝に近いもののように思える。

2016年6月11日 (土)

地震火山113 「地震と大本教教祖、出口なお」

 熊本地震がなかなかおさまらず心配なことである。

 それに関わって、火山学の小山真人氏が、いろいろな自治体が「当地は地震がない」ということを企業誘致の理由として掲げているという問題を指摘している。熊本もそういう宣伝をしていたということである。

 これは小山氏がいうように、地震本部がきちんとチェックすべき問題であったのではないだろうか。地震本部は官庁なのである。官庁である以上、情報を正確に伝え、少なくとも官庁の間では矛盾のない情報に統一するべきである。それなしに、地震本部の公開している地図には事実がのっていると主張するのは、いわゆる最悪の「縦割り行政」というものだろう。官庁組織として学界も参加・協力した成果をきちんと社会還元することは義務的な仕事だ。
 
 私は地震本部の実際は知らないが、専門性をもった行政人が独自の権限をもって系統的に配置され、キャリアを保障されているのだろうか。専門理解力があるとはみえない大臣や事務次官が地震本部のトップでございというのはおかしい。専門行政人がトップになるのが当然だと思う。これも専門職を育てないという日本の官僚組織の通弊の一つである。

 地震の「予知・予測」には様々な問題があるが、熊本で8・9世紀や16・17世紀に大きな地震があったことは歴史地震学では議論はでていたことである。地震本部が文部科学省と相談し、過去の歴史地震について学校教育のなかで教えるようにしてほしいというのも、地震本部の役所としての仕事であろう。
 私見では、中学校では歴史資料を読ませて授業すること、そのカリキュラムを作ることがどうしても必要だと思う。そういう動きがまったくないのは、この国の政府が国を大事というのは口だけで、歴史を本格的考えず、問題を甘く見ている証拠ではないだろうか。

 専門職無視、縦割り行政ということでは防災行政はとても無理だ。
 
 さて、しかし、学術の側では、地震・災害の問題にはまずは学術的な内容において提起しなければならない。、最近なくなられた安丸良夫さんの仕事のなかに地震についての重要な情報があるのに気づいたので、ここで報告しておきた。

 それは大本教の教祖の出口なおが地震について、御筆先で再三述べているという問題である。名著の評判の高い『出口なお』(朝日新聞社、一九七七年)や、『日本ナショナリズムの前夜』(朝日選書)が詳しいが、岩波新書の『神々の明治維新』にも関係する記述があったと思う。


 以下、若干の紹介である。

 大本教の開祖、出口なおがはじめて神懸かりしたのは一八九二年(明治二五)のことであった。そして、一八九八年に王仁三郎を審神者として迎えたが、しかし、それを経て、一九〇〇・一九〇一年、彼女は自身のイニシアティヴで、居住地の丹波何鹿郡の綾部から遠行して「出修」といわれる行をおこなった。「出修」の場所は、一九〇〇年は、丹後の冠島・沓島、山城の鞍馬寺、そして翌一九〇一年は丹後加佐郡の元伊勢社、出雲の出雲大社、丹波何鹿郡の弥仙山、つまり王仁三郎が主導したという鞍馬寺をのぞくと出口なおの生活世界に近い場所への出修であることが注目されよう。彼女はそれによって自己の神秘経験を自己自身で体系化したのである。

 この過程は、安丸良夫『出口なお』(朝日新聞社、一九七七年)が生き生きと描き出したところであるが、ここでは、「神話と神道」を論ずる前提として、この出口なおの「出修」と神話世界の関わりについて確認するところから議論を開始したい。

 この「出修」において私が注目したいのは、第一には、最初になおが訪れた冠島・沓島である。なおが、この島に籠もったのは、そこが居住地の綾部からは東北の方角にあたり、なおに神懸かりした「艮の金神」が押し込められた場であったからだという。なおの筆先には冠島が海の竜宮、沓島がその入り口とみえる。つまり、この冠島は竜宮であったというのであるが、そこには当然に竜宮の乙姫様もいるのであるが、なおは、この竜宮に籠もった金神と乙姫という二柱の神に覚醒の時を告げて、彼らを解き放とういとしたのである。

 この女神こそが長女のよねに憑依して、よねの狂気に陥れたと幻想していたという。そもそもなおの神懸かりの契機となったのは長女のよねの狂気であったから、なおが、この冠島・沓島で「出修」をしたのは、長女のよねの狂気の治癒を願ったものに相違ない。

 このような幻想は、おそらく丹波から丹後に存在していた地誌伝説にもとづくものだったのではないだろうか。つまり、『丹後風土記残欠』には、この舞鶴の沖にあるの二つの離島は、昔は一体を成していてもっと大きく、それが八世紀、七〇一年(大宝一)の大地震によって沈降し、その高所のみが残った痕であるという伝説が記されている。この伝説はなおの大本教開教とその苦難の神義論を考える上で無視できない問題ではないだろうか。

 この八世紀丹後地震は『続日本紀』に記載があって事実であることが認められており、以前は、この所伝までが『理科年表』や宇佐美龍夫の『日本被害地震総覧』にも事実として載っていた。冠島・沓島は歴史地震の研究者の中では有名な島なのである。もちろん、現在では、地震学・地質学の研究の進展やその現地調査によって、それだけ大きな島の沈降をもたらす地震が存在したことは否定されており、それに協力した歴史学者によってこの『丹後風土記残欠』は徳川期の偽撰であるとされている(山本武夫、松田時彦ほか「大宝元年の地震の虚像」『古地震』東京大学出版会)。しかし、『丹後風土記残欠』はそれなりに筋の通った奥書をもっている以上、本書の書誌的な調査や史料批判を見直すことは必要であろう。また、それが八世紀の『風土記』成立の時点にまでさかのぼる伝承であるかどうかは別として、それが徳川時代に地域の民俗社会で伝承されていたのかを検討することも大事な仕事である。それがなおの神懸かりを考える上では決定的な意味をもつこともいうまでもない。

 そもそも丹後が浦島太郎の竜宮伝説の本場である以上、それと結びついて冠島・沓島の伝説についてもすでに研究があるのではないかとも思う。それらについて確認・調査する余裕がないまま、また安丸氏に意見を聞くことができない状態で、この原稿を書くことになってしまったが注意しておきたいのは地震の問題である。

 つまり、なおが神懸かった一八九二年の前年には七三〇〇人弱の死者行方不明者をだした濃尾地震が起きており、その前年には死者二〇人をだした熊本地震が起きている。そのほかにも、この時期、死者を出した地震、津波の例は多い。現在のところ確認できないが、このころ丹波でも有感地震があった可能性はないだろうか。その目でみると、なおの筆先に「地震の神様」が登場し、「日輪が三日もあがらぬ。人民三分になる。地震・雷・火の雨が降る」「戦争と天災、地震」などと繰り返されることは見逃せない。

 またその関係でもう一つ見逃せないのは、筆先には国土が「泥海」「泥水」になるという究極の幻想がしばしば登場することである。これは終末世界、あるいはその後に再生される初発世界のメージであるといってよいが、これも「地震・雷・火の雨」などの天災と深く関係するものであることは疑えない。とくに興味深いのは廃仏毀釈の中で、一八七二年(明治五)の頃、「天地一変して世界泥海となる」という流言が広まったといい、また翌年には、三重県阿拝郡で「神変大菩薩」を信奉する御岳権現の信者たちが「維新講」を称する村役人と争って「神変大菩薩」が世を去って「この土を泥海にせん」と威嚇したなどという事件がおきていることである(安丸『日本ナショナリズムの前夜』朝日選書、29頁)。出口なおの幻想は幕末からの価値観と世界観の変動のなかで展開した神話的イメージをうけたものであったに相違ない。

 私は、日本神話には地震噴火神話という側面があったと考えているが、これは幕末明治の民俗社会の基底から、それを逆照するものであった可能性があると思う。

 
 いろいろな時代の地震を通じて日本の文化・宗教・歴史を再点検する必要を痛感する。

 なお、平塚らいてうが大本教に関心を持っていたということを、らいてうの研究者の米田佐代子氏のブログで知った。

 それによれば、らいてうは「生長の家の初代教祖谷口雅春と親しかった」ということで、それとの関係で、「生長の家」が「日本会議」で生長の家の元信者が大きな役割を果たしていると報じられている声明についても紹介されている。
 そのトップに大本教についても紹介している。
 下記、その部分を引用させていただく。

 「らいてうが、自らの宗教的宇宙観により大本教に関心を持ったことは知られていますが、生長の家についても初代教祖谷口雅春と親しく、1936年に「『生長の家』の谷口雅春氏が常に万教帰一を説き(中略)我が意を得たりと喜んでいました」と書いています。それはらいてうにとっては「我が国の宗教者が、ようやく過去の狭隘な宗派的因襲から解放され、いっさいの宗教に帰通する、その本質、真髄に徹することによって、唯一絶対の生命の真理に帰入し、和協統一せられるものであることに気づいてきたことを思わせる」という趣旨だったのです。日本女子大学校の創始者成瀬仁蔵も世界宗教の統一をめざす「帰一協会」を組織したことにも触れています。(中略)らいてうが生きていたら、生長の家の今回の見解を歓迎しただろうと思い、紹介しました」

 らいてうと大本教や生長の家の関係はきわめて重要な問題と思う。

 とくに私は、松本竣介の絵が好きだが、若い時の竣介は生長の家の機関誌の前身になるものを編集していた(『松本竣介』朝日晃)。大正・昭和の生長の家には清新の気風があったのだと思う。

 生長の家の声明は次ぎ。くhttp://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.html。たいへんなことだが、日本の文化史と思想史に影響をもつ組織が、その筋を通されようとしている様子がわかる。

サンダースが民主党予備選に参加するにあたってした約束

 バーニー・サンダースはオバマと会った後にインタビューに応じた。それらをみていると、すでに民主党の内部に入って、選挙綱領に主要な国内政策を反映し、さらに秋の大統領選挙と同時に行われる上下両院選挙その他、各地の選挙で、インディペンデントあるいはプログレッシヴの候補を多く当選させるという方向に転換したようである。

 オバマのサンダースとの会見の直後に、オバマがクリントンを支持するというヴィデオがクリントンの集会で上映された。問題は、オバマが、同じ日にアフガン介入の姿勢を強め、「より先制的にアフガン政府軍に支援を行い、タリバン攻撃にドローン使用を拡大する」という指示を出したことである。

 サンダースが「平和」の要求を強く打ち出すのではないかという、私の希望的観測は外れた。

 サンダースは、トランプを大統領にしないためにクリントンとも会談するという。
 「民主党リベラル」にとっては、それだけでなく「共和党本流」にとってもトランプは嫌であろう。それはアメリカの国内問題としてはそうかもしれない。しかし、クリントンとトランプのどちらが、アメリカが遂行している戦争においてより攻撃的な立場をとるかはいちがいには決められない。町山智浩氏がいうようにトランプに孤立主義の傾向があることも事実だ。実際には危険にしても、ともかくクリントンは、すでに乱暴なリビア攻撃を主導し、中東問題をさらに複雑化させた実績がある。少しは「上品」そうにみえるかどうかは、現にアメリカの戦争行為によって厳しい状況におかれている中東の人びとにとって関係ない問題だ。

 アメリカ国外のものにとっては、まず7月の民主党大会では平和綱領と中東からの撤退方針を明示するという方向を追究するのが当然のことだ。もちろん、それはそもそもサンダースの選挙方針の中には明瞭な形では入っていなかった。またたしかに国内での格差の拡大、ブラックの男たちを民間刑務所に送り込む体制その他、その他、アメリカ国内の問題は耐えられない状況ではあろう。しかし、それより前に、アメリカは現在戦争を遂行している国家である。これを止めるということを中心の課題とするということでなければ国際的な共感をえることはできない。それを明示した後にならば、妥協も仕方がないだろうが、それを提示しないままで秋まで進むとすると、サンダースも二大政党制の呪縛にひっかかりながら進んでいくということになるのではないか。

 昨日の独立ネットテレビ放送、「デモクラシー・ナウ」に、サンダースが、昨年7月、民主党の指名を得られなかった場合に、第三党から立候補するのかと問われて、「ノー。私はそれをしないと約束したし、それを守る。その理由は共和党からでる極右の候補の当選に責任があるというような立場にたつことはできないからだ」といったというヴィデオが放映されている。これはサンダースが民主党の大統領候補となる際に、条件として、それを約束した訳である。

 アメリカの政治制度からいって、民主党を内部から変えていくほかないというのはその通りであろう。これも「デモクラシー・ナウ」にでてきたサンダースの上級アドヴァイザーのラリー・コーエンは民主党は内と外の両側で動くといっている。

 アメリカの二大政党システムは、アメリカ合州国憲法に規定された大統領選挙制度によって支えられているから、そう簡単に変えられない。いわゆる「多数決民主主義」の考え方に貫かれている憲法を変更しなければ、どうしても二大政党制は残る。それゆえに、外側から第三党で立候補するという方針は賛同をえるのはむずかしい。

 4年後をみて徐々に民主党と、その一次選挙(いわゆる予備選挙)を改革していくというサンダースの方向自身は当然のことであろう。ロバート・ライシュはすでに「2020年にむけて」といっている。

 しかし、7月の民主党大会では平和綱領と中東からの撤退方針を明示するという方向がとれなければ、議論は曖昧化し、先行きは不安定になる。

 私などの世代的な感じだと、60年代末から70年代にかけて、つまり公民権運動からベトナム戦争反対の運動の時期に、アメリカの社会運動のなかでは大きな内紛があった。なにしろ彼らはあまり筋の通った議論はしない。アメリカはきわめて複雑な国だから、それが繰り返される恐れは十分にある。もう一度それがあるとアメリカはまたさらに危険な火薬庫になる。サンダースのように民主党の内外両方で動くことができるという経歴や実績をもつ人びとと、第三党(たとえば緑の党)に動くような人びとが相互に合意し、了解できるような議論をしてほしいものだと思う。

 これは他国のことであるが、アメリカの対岸にいる私たちにとっても他人事ではない。寛容と合同の精神で競争ということだろう。

2016年6月 9日 (木)

サンダースは今日、オバマ大統領と会って何をいうか。

 バーニー・サンダースは今日9日(木曜日)の夕方にオバマ大統領と会う。サンダースは今週早い時期にも行うという報道があったクリントン支持宣言をやめよとオバマに対して要請するのであろう。大統領が民主党党大会前に一方の候補を支持するというのはアメリカ大統領の性格からいってもふさわしくない。これを原則問題として主張するのは当然だろう。

 同時に私はサンダースがオバマに対してクリントンが侵略と戦争に積極的な政治家であることを明瞭に指摘するだろうと思う。もしオバマが「党内融和のために」クリントンを支持せよなどという要請をしたら、そういう候補を支持せよと言うのかと反論するだろう。

 7月のフィラデルフィアでの民主党大会での選挙綱領の議論の中心も戦争と平和の問題になる可能性が大きい。今日の独立派のヴィデオニュース「デモクラシー・ナウ(http://www.democracynow.org/)」にでてきたサンダース支持でカリフォルニアから下院議員に立候補しているノマン・サルマンがおもに主張していたのも、クリントンが、リビアへの介入をはじめ、オバマのキャビネットのなかでももっとも軍国主義的な行動をとった人物であり、彼女を支持することはむずかしいということであった。

 サンダースの選挙運動においてもっとも注目すべきなのは、サンダースがイスラエルとイスラエルロビーを明瞭に批判し、イスラエル一辺倒の立場をとらないと述べたことである。これがアメリカの大統領選挙で正面から発言され、サンダースのが支持を集めたことの意味はきわめて大きい。イスラエルの人口は約400万人、アメリカのユダヤ人口は500万人といわれるから、この動きは中東の平和にとって決定的な意味をもつ。

 ともかく、最低、明瞭な平和綱領がでなければクリントンは危険である。アメリカの女性たちの反戦運動団体、コードピンクのツイッターは「ヒラリーは CA で13%のマージンで勝った。いま、我々は、歴史上はじめて、女の鷹が上空を旋回して国家安全の名目に急降下する準備をしているのを見ているのだ(We can now watch the first female hawk pivot right on national security.)」「ヒラリー・クリントンの外交政策は、戦争、軍国主義と侵略の推進である。私たちの平和のための大統領はどこにいる?」と述べている。たしかに、これが現在のアメリカにとっても世界にとってももっとも根本的な問題だろう。

 先のノマン・サルマンの発言からしても、民主党大会での選挙綱領の議論の中心議論は戦争と平和の問題になるだろう。中東からの撤兵プランである。国内問題は選挙政策にかいてあっても、弁解と変更が可能な部分がある。しかし、平和綱領はもう少し確実な保障となりうる。

 逆にいえば、もし明瞭な平和と撤兵の計画を民主党の選挙綱領に書き込めないまま、大統領選挙決定戦でクリントン支持を呼びかける、あるいは否定しないというような態度をとらざるをえないなどということになれば、それは結果としてアメリカの戦争体制を容認することになる。それではサンダースを支持した人びとからも大きな失望を呼ぶはずである。サンダースはそれは十分に分かっているはずだ。

 しかし、私が心配なのは、サンダースが「戦争は最後の手段」というアメリカでよく聞くの口調を、そのまま繰り返していることである。アメリカ史の研究を一見すれば明瞭なように、19世紀からアメリカは「戦争は最後の手段」といって戦争の道を歩み続けてきた。サンダースはその歴史を知らないはずはない。

 サンダースは月曜のカリフォルニアの集会で、「アメリカの経済的正義、社会正義、人種的正義、環境的正義」を追究し続けるといった。しかし、アメリカの抱えている問題の根本原因はアメリカの戦争体制にある。この問題に正面から答えなければならない。これはけっしてアメリカの国内問題ではないのだ。

 サンダースの今日のツイッターには「私たちの使命はただトランプを破るということではない。それは私たちの国を変えることだ。人びとはただ反対するということでなく、投票にあたいすることを必要としている」とあった。

 先の動きは分からない。サンダースが秋の大統領選挙に第三党の立場から立候補することは危険が多い。過半数をとれなければ、共和党多数の下院での決選投票にもちこまれることになる。アメリカの大統領選挙は徹底的に二大政党に有利にできている。

 こういう状態のなかで、サンダースにとって、もっとも分かりやすいのは60年代以来のベトナム戦争に反対するという初心を明瞭に打ち出すことだと思う。


Sen. Sanders is meeting President Obama today, July 9th Thu.

It is anticipated that he is going to request the President to cease the declaration on endorsement for Clinton that he was reported to conduct earlier on this week.

From the characteristics of the President of the United States, it is unsuitable for the President of the United States to endorse one candidate before Democratic National Convention.

Therefore It is natural for Sen. Sanders to advocate it as a principal issue.

At the same time, I believe Sen. Sanders should clearly point out Obama that Clinton is a militarist and chauvinist.

This means Sen. Sanders should hit back that he would not support a candidate with such policies if the President ask Sen. Sanders to support Clinton in order to maintain harmony within the party .

I sincerely hope that the main issue of the campaign platform discussed in Democratic National Convention that is going to be held in Philadelphia on July to be the claim of withdrawal from the Middle East. Issue of Peace or War.

If the request to support Clinton in the presidential election is made without filling in the obvious withdrawal plan from the Middle East on Democrat's campaign platform, it means the same with the tolerance of the War Regime of the United States.

If he have done such a thing, it would be very disappointing for those who have supported him.

What I have worried most is that Sen. Sanders has told that "The war must be the last resort".

When you look at the researches of American history, it is clear that the American Empire has walked through the path of wars while officially stating "The war must be the last resort"

And I am sure that Sanders is aware of it.

In a session held in California on last Monday, Sanders stated that he would keep on pursuing "The economical, social, racial and environmental justice of America"

However, the problems of the United States are rooted on the war system of the country.

What the rest of the world should focus on is that Sanders criticized Israel and Israel lobby and stated that his stance would not be based on a commitment to Israel.

CODEPINK on twitter says "Hillary wins CA by a margin of 56 to 43 %. We can now watch the first female hawk pivot right on national security." and "Hillary Clinton's foreign policy promotes war, militarization & aggression. Where is our President for Peace?"

This may be the most essential issue for the United States and the rest of the world.

From his background, Sanders must be aware of it and he has to show his answer squarely.

As it is not the domestic issue of America.

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