地震火山113 「地震と大本教教祖、出口なお」
熊本地震がなかなかおさまらず心配なことである。
それに関わって、火山学の小山真人氏が、いろいろな自治体が「当地は地震がない」ということを企業誘致の理由として掲げているという問題を指摘している。熊本もそういう宣伝をしていたということである。
これは小山氏がいうように、地震本部がきちんとチェックすべき問題であったのではないだろうか。地震本部は官庁なのである。官庁である以上、情報を正確に伝え、少なくとも官庁の間では矛盾のない情報に統一するべきである。それなしに、地震本部の公開している地図には事実がのっていると主張するのは、いわゆる最悪の「縦割り行政」というものだろう。官庁組織として学界も参加・協力した成果をきちんと社会還元することは義務的な仕事だ。
私は地震本部の実際は知らないが、専門性をもった行政人が独自の権限をもって系統的に配置され、キャリアを保障されているのだろうか。専門理解力があるとはみえない大臣や事務次官が地震本部のトップでございというのはおかしい。専門行政人がトップになるのが当然だと思う。これも専門職を育てないという日本の官僚組織の通弊の一つである。
地震の「予知・予測」には様々な問題があるが、熊本で8・9世紀や16・17世紀に大きな地震があったことは歴史地震学では議論はでていたことである。地震本部が文部科学省と相談し、過去の歴史地震について学校教育のなかで教えるようにしてほしいというのも、地震本部の役所としての仕事であろう。
私見では、中学校では歴史資料を読ませて授業すること、そのカリキュラムを作ることがどうしても必要だと思う。そういう動きがまったくないのは、この国の政府が国を大事というのは口だけで、歴史を本格的考えず、問題を甘く見ている証拠ではないだろうか。
専門職無視、縦割り行政ということでは防災行政はとても無理だ。
さて、しかし、学術の側では、地震・災害の問題にはまずは学術的な内容において提起しなければならない。、最近なくなられた安丸良夫さんの仕事のなかに地震についての重要な情報があるのに気づいたので、ここで報告しておきた。
それは大本教の教祖の出口なおが地震について、御筆先で再三述べているという問題である。名著の評判の高い『出口なお』(朝日新聞社、一九七七年)や、『日本ナショナリズムの前夜』(朝日選書)が詳しいが、岩波新書の『神々の明治維新』にも関係する記述があったと思う。
以下、若干の紹介である。
大本教の開祖、出口なおがはじめて神懸かりしたのは一八九二年(明治二五)のことであった。そして、一八九八年に王仁三郎を審神者として迎えたが、しかし、それを経て、一九〇〇・一九〇一年、彼女は自身のイニシアティヴで、居住地の丹波何鹿郡の綾部から遠行して「出修」といわれる行をおこなった。「出修」の場所は、一九〇〇年は、丹後の冠島・沓島、山城の鞍馬寺、そして翌一九〇一年は丹後加佐郡の元伊勢社、出雲の出雲大社、丹波何鹿郡の弥仙山、つまり王仁三郎が主導したという鞍馬寺をのぞくと出口なおの生活世界に近い場所への出修であることが注目されよう。彼女はそれによって自己の神秘経験を自己自身で体系化したのである。
この過程は、安丸良夫『出口なお』(朝日新聞社、一九七七年)が生き生きと描き出したところであるが、ここでは、「神話と神道」を論ずる前提として、この出口なおの「出修」と神話世界の関わりについて確認するところから議論を開始したい。
この「出修」において私が注目したいのは、第一には、最初になおが訪れた冠島・沓島である。なおが、この島に籠もったのは、そこが居住地の綾部からは東北の方角にあたり、なおに神懸かりした「艮の金神」が押し込められた場であったからだという。なおの筆先には冠島が海の竜宮、沓島がその入り口とみえる。つまり、この冠島は竜宮であったというのであるが、そこには当然に竜宮の乙姫様もいるのであるが、なおは、この竜宮に籠もった金神と乙姫という二柱の神に覚醒の時を告げて、彼らを解き放とういとしたのである。
この女神こそが長女のよねに憑依して、よねの狂気に陥れたと幻想していたという。そもそもなおの神懸かりの契機となったのは長女のよねの狂気であったから、なおが、この冠島・沓島で「出修」をしたのは、長女のよねの狂気の治癒を願ったものに相違ない。
このような幻想は、おそらく丹波から丹後に存在していた地誌伝説にもとづくものだったのではないだろうか。つまり、『丹後風土記残欠』には、この舞鶴の沖にあるの二つの離島は、昔は一体を成していてもっと大きく、それが八世紀、七〇一年(大宝一)の大地震によって沈降し、その高所のみが残った痕であるという伝説が記されている。この伝説はなおの大本教開教とその苦難の神義論を考える上で無視できない問題ではないだろうか。
この八世紀丹後地震は『続日本紀』に記載があって事実であることが認められており、以前は、この所伝までが『理科年表』や宇佐美龍夫の『日本被害地震総覧』にも事実として載っていた。冠島・沓島は歴史地震の研究者の中では有名な島なのである。もちろん、現在では、地震学・地質学の研究の進展やその現地調査によって、それだけ大きな島の沈降をもたらす地震が存在したことは否定されており、それに協力した歴史学者によってこの『丹後風土記残欠』は徳川期の偽撰であるとされている(山本武夫、松田時彦ほか「大宝元年の地震の虚像」『古地震』東京大学出版会)。しかし、『丹後風土記残欠』はそれなりに筋の通った奥書をもっている以上、本書の書誌的な調査や史料批判を見直すことは必要であろう。また、それが八世紀の『風土記』成立の時点にまでさかのぼる伝承であるかどうかは別として、それが徳川時代に地域の民俗社会で伝承されていたのかを検討することも大事な仕事である。それがなおの神懸かりを考える上では決定的な意味をもつこともいうまでもない。
そもそも丹後が浦島太郎の竜宮伝説の本場である以上、それと結びついて冠島・沓島の伝説についてもすでに研究があるのではないかとも思う。それらについて確認・調査する余裕がないまま、また安丸氏に意見を聞くことができない状態で、この原稿を書くことになってしまったが注意しておきたいのは地震の問題である。
つまり、なおが神懸かった一八九二年の前年には七三〇〇人弱の死者行方不明者をだした濃尾地震が起きており、その前年には死者二〇人をだした熊本地震が起きている。そのほかにも、この時期、死者を出した地震、津波の例は多い。現在のところ確認できないが、このころ丹波でも有感地震があった可能性はないだろうか。その目でみると、なおの筆先に「地震の神様」が登場し、「日輪が三日もあがらぬ。人民三分になる。地震・雷・火の雨が降る」「戦争と天災、地震」などと繰り返されることは見逃せない。
またその関係でもう一つ見逃せないのは、筆先には国土が「泥海」「泥水」になるという究極の幻想がしばしば登場することである。これは終末世界、あるいはその後に再生される初発世界のメージであるといってよいが、これも「地震・雷・火の雨」などの天災と深く関係するものであることは疑えない。とくに興味深いのは廃仏毀釈の中で、一八七二年(明治五)の頃、「天地一変して世界泥海となる」という流言が広まったといい、また翌年には、三重県阿拝郡で「神変大菩薩」を信奉する御岳権現の信者たちが「維新講」を称する村役人と争って「神変大菩薩」が世を去って「この土を泥海にせん」と威嚇したなどという事件がおきていることである(安丸『日本ナショナリズムの前夜』朝日選書、29頁)。出口なおの幻想は幕末からの価値観と世界観の変動のなかで展開した神話的イメージをうけたものであったに相違ない。
私は、日本神話には地震噴火神話という側面があったと考えているが、これは幕末明治の民俗社会の基底から、それを逆照するものであった可能性があると思う。
いろいろな時代の地震を通じて日本の文化・宗教・歴史を再点検する必要を痛感する。
なお、平塚らいてうが大本教に関心を持っていたということを、らいてうの研究者の米田佐代子氏のブログで知った。
それによれば、らいてうは「生長の家の初代教祖谷口雅春と親しかった」ということで、それとの関係で、「生長の家」が「日本会議」で生長の家の元信者が大きな役割を果たしていると報じられている声明についても紹介されている。
そのトップに大本教についても紹介している。
下記、その部分を引用させていただく。
「らいてうが、自らの宗教的宇宙観により大本教に関心を持ったことは知られていますが、生長の家についても初代教祖谷口雅春と親しく、1936年に「『生長の家』の谷口雅春氏が常に万教帰一を説き(中略)我が意を得たりと喜んでいました」と書いています。それはらいてうにとっては「我が国の宗教者が、ようやく過去の狭隘な宗派的因襲から解放され、いっさいの宗教に帰通する、その本質、真髄に徹することによって、唯一絶対の生命の真理に帰入し、和協統一せられるものであることに気づいてきたことを思わせる」という趣旨だったのです。日本女子大学校の創始者成瀬仁蔵も世界宗教の統一をめざす「帰一協会」を組織したことにも触れています。(中略)らいてうが生きていたら、生長の家の今回の見解を歓迎しただろうと思い、紹介しました」
らいてうと大本教や生長の家の関係はきわめて重要な問題と思う。
とくに私は、松本竣介の絵が好きだが、若い時の竣介は生長の家の機関誌の前身になるものを編集していた(『松本竣介』朝日晃)。大正・昭和の生長の家には清新の気風があったのだと思う。
生長の家の声明は次ぎ。くhttp://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.html。たいへんなことだが、日本の文化史と思想史に影響をもつ組織が、その筋を通されようとしている様子がわかる。
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