おかしなアメリカ大統領選挙の仕組み(1)
アメリカ大統領選挙それ自身が決して民主主義的な選挙システムとして評価できるものではないことを説明しておきたい。そもそもアメリカの選挙システムはすべて定数一を選ぶ小選挙区制である。それは大統領のみでなく、連邦議員から、州の議員、司法長官・郡検事・判事、郡・市レヴェルの議員から会計監査者などにいたるまでに及ぶ。
これこそが「多数決民主主義majoritarian democracy)」といわれるものをアメリカ社会に作り出していった制度的仕組みである。それはトクヴィルが「アメリカ人にあっては多数者が社会を絶対的に支配するように政治の仕組みができている」(トクヴィル2-1-2(30頁)といっているように、その時代、一九世紀前半にもすでに明瞭なアメリカ社会の特徴であったが、現在では、この「多数決」原理はアメリカ人の思考の癖、パターンであるようにさえみえる。たとえば、ディベートとよばれる討論ゲームなどをみていると、その感は深い。「あれか、これか」で割り切るという思考法である。
もちろん、そのような思考法には評価すべき合理性があることはいうまでもないが、しかし、多数決が、現実には無限の多様性をもつ人びとの思想信条を「あれか、これか」によって単純化することは否定できないだろう。いわばアメリカ社会には「あれか、これか」を問う機会が蜘蛛の巣のように張り巡らされているといえようか。それによってトクヴィルのいう「多数者の専制」がアメリカ社会をおおっているのである。それは「多数」なるものを政治的に作り出すシステムである。それは日本にとっても決して他人事ではなく、第二次世界大戦後のアメリカによる占領を契機として、このアメリカ由来の「多数決民主主義」は社会に深い影響をあたえているように思う。
しかし、アメリカの多数決民主主義はやはりアメリカに独特の性格をもっている。それはアメリカ社会が植民地国家として出発して以来の長い歴史によってい作り出されたものであって、実は、アメリカ大統領選挙はそういう意味での「多数決民主主義」を上から作り出していく中心的なキーとなったものなのである。その仕組みはどのようなものだったのか、そもそもアメリカ大統領選挙の実態はどのようなものなのか。そして、実は、この点こそ、アメリカ以外に住む人間の常識ではなかなか理解しづらい大統領選挙システムの特殊さに関わり、そしてアメリカ独特の強固な二大政党制の理解に関わってくる。
①「州」間接選挙システムと二大政党制
まず確認するべきなのは、憲法の定めるアメリカ大統領選挙が憲法制定時から「大統領は間接的に人民から選出される」とされるもの、それはきわめて間接的な二段階委任であることである。つまり憲法第2条第1節は大統領を選任する選挙人(Electors)の選び方を「(各州は)その州議会の定める方法により、その州から連邦議会に送りうる上院および下院の議員の総数と同数の選挙人(Electors)を選任する」と決めている。憲法制定時の州の数は東海岸の一三州にすぎなかったから、憲法で各州から二人と決められている連邦上院議員(Senator)は二六人、下院議員(Representative)の総計は六九人で、それと同数となる選挙人は総計九五人という少数であった。もちろん、選挙人を選ぶ州議会は一般選挙で選出されているが、重要なのは、この規定では大統領選挙の主体が州であることであろう。州は人民の代表権をもつものと想定されており、各州と連邦との間での意思決定に近いのである。
その意味では、厳密にいえばこれは間接選挙といいにくいような実態をもっているのである。ただし、ここでは、一応、これを大統領選挙における「州間接選挙制」と呼ぶこととするが、実際に、大統領選挙人になるのは各州の有力者・名望家である。憲法の起草者たち自体も同じような有力者・エリートであったことはいうまでもない。彼らの多くは、イギリスの中産階級に出身し、植民地における蓄財に成功した有力者であって、彼らはある意味ではアメリカにおける貴族なのである。彼らは、そのような立場から多くの民衆をふくむ一般選挙によって選出された議会から独立した場に大統領をおこうとした。大統領を連邦議会の選出とせず、州議会を間に挟んで、ワンクッションをおき、各州のエリートからなる大統領選挙人集団による選出としたのはそのためである。このような実態からいえば、この州間接選挙制は制限選挙という側面をもっているとさえいうことができる。
こうして、憲法は大統領を議会とは異なる地盤から選出するという規定となったのである。ふたたびトクヴィルを引用すると、「民主政体は自然な傾向として、社会のあらゆる力を立法府に集中しがちである。立法府こそもっとも直接に人民に発する権力であるからである。連邦の立法者は勇敢にもつねにこれと闘った」という訳である。トクヴィルは、このような姿勢を賞賛する。私はそれを賞賛しようとは思わないが、トクヴィルの観察自体が正しいことは疑いをいれない。
もちろん、第七代大統領のジャクソン(在位一八二九~三七)の頃から、各州の大統領選挙人は一般有権者の投票によって選ばれるようになった。これによって、大統領選挙は、憲法の規定とは異なって一般投票を前提として行われる間接選挙となった。前述のようにトクヴィルがアメリカを訪れたのは、ジャクソンの一期目の末期であったから、彼がみた大統領選挙期の雰囲気は、まさにこの時期であったということになる。現在では大統領選挙人の定数も多く、連邦上院議員は、全五〇州から各州二人で一〇〇人、下院議員の定数は四三五人、それに連邦議員を出していないワシントン特別州にも三人の選挙人が割り当てられており、総数五三八人に上る。
普通、ここをとって、アメリカ大統領選挙は、形式上は間接選挙であるが、有権者が一般投票によって選挙人を選び、その選挙人が大統領を選ぶのだから、直接選挙と同じようなものだという理解が多い。問題は、それが学界の中でも「通説」であることで、たとえば岩波文庫の『世界憲法集』の解説(宮沢俊義)にも「(大統領の選挙人は)当初は州議会によって選出されるところもあったが、現在ではいずれの州においても一般投票によって選出される。政党制の発達によって、この間接選挙制が実質的には直接選挙と違わなくなった」などとある。
しかし、このような見解は大統領選挙のなかで形成される「多数」というものがはらむ深刻な問題を無視している。たとえばまず、憲法は、大統領は選挙人の過半数を獲得する必要があるとするが、大統領選挙人の選出方式は各州が決めるが、ネバダなどを除く、ほとんどの州は多数を獲得した政党がその州の選挙人を総取りする規定(Winner Take All)である。これによって形成される「多数」はきわめて歪んだものとなる。
実際、一九世紀に二回、二〇世紀に一回、一般投票では上回った候補が、大統領選挙人獲得数で及ばないという不正常な結果がもたらされたことはよく知られている。一九世紀の事例については一八七六年の大統領選挙を紹介すると、この選挙は、右のアメリカにおける政党制の展開の概略を示す図が示すように、現在まで続く二大政党制が形を整えた時期に行われた重大な選挙であった。つまり、奴隷制問題で妥協的な立場をとったホイッグ党が消滅し、共和党が設立されたのは一八五四年であり、そしてリンカーンが大統領選挙で勝利したのは一八六〇年。そして翌一八六一年に南北戦争が勃発し、ゲティスバーグの戦いが一八六三年、南軍敗北ののちに、すべての南部諸州が連邦に復帰したのは一八七〇年である。この選挙はその後に戦われ、北部を基盤とする共和党に対して、南部を地盤とする民主党がはじめて互角に戦った選挙として画期的な意味をもった。そして、ここで南部を地盤とする民主党から立候補したサミュエル・ティルデンが四二八万票を獲得し、四〇四万票にとどまった共和党候補のラザフォード・ヘイズを上回り、選挙人獲得数でも一人上回った。ただ、これに対して共和党の側が南部三州の選挙結果について異議が申し立てられ、結局、民主党側は連邦軍の南部からの完全撤退を条件として大統領をあきらめるという妥協に追い込まれた。この経過からみても、大統領選挙における一般投票と大統領選挙人獲得数の相違という問題が、二大政党制にとってはいわば骨絡みの問題であることがよくわかるであろう。
二〇世紀の例というのは、二〇〇〇年の大統領選挙で、一般投票では、民主党のアル・ゴアが共和党のジョージ・W・ブッシュを五四万票も上回ったが、結局、獲得選挙人がブッシュの側に五人多く、ブッシュが勝利したという有名な事件である。それにもかかわらず、ブッシュが勝利しえたのは、南部のテキサスなどの配分選挙人数の多い州を総取りしたためである。この選挙では「多数」それ自体も作られた「多数」なのである。よく知られているように、この選挙でのブッシュの勝利が翌年の九・一一の世界貿易センターに対するブッシュの報復戦争、アフガン空爆とイラク戦争に結びついた。この二〇〇〇年大統領選挙において国民の多数意見が大統領選挙の結果に反映しなかったことはきわめて重大な政治的結果をもたらしたのであって、このことは、この選挙制度が本質的にあやしいものであることを世界中に示した。
もう一点重要なのは、憲法の規定(二条第一節三項、修正箇条一二条)によって大統領選挙人の投票の結果、過半数のものがいない場合は最高点を得たもの三名以下の中から下院の投票によって決定するとされていることである。しかも、この決戦投票では「表決は州別による。すなわち各州の代表は一票を有」し、「全州の過半数をえたものをもって当選とする」という。これはようするに決選投票になった場合は、そのとき下院で多数を占めている政党から立候補した候補が大統領となるという規定である。これは世界各国でしばしば起きる複数の有力候補が第一次投票で過半数をとれないまま残った場合に、決選投票に持ち込まれるということをまったく不可能としている。
以上、アメリカ合州国憲法の第2条第1節の定める「州間接選挙」システム、そして多くの州の定める選挙人総取規定(Winner Take All))、さらに憲法の規定第二条第一節三項(修正箇条一二条)の定める過半数不在の場合の下院による決定の規定によって作られる大統領選挙における「多数」がきわめて不透明なもので、人為的に作られたものであることは明らかである。
しかもこの州間接選挙制は、当初の憲法の規定とはことなって、現在では一般投票によって大統領選挙人を選ぶ以上、実際上は直接選挙であるという見方があるが、これも半ばは作られた幻想である。つまり、この州間接選挙制のシステムでは、国家のトップあるいは元首を直接選挙によって選び出す時、どの国でも行われるような決定選挙にともなう多様な議論、そして結果が見えやすい投票選択という直接選挙の最大のメリットは最初から拒否されているのである。
こういうアメリカ大統領選挙の問題性は一回一回の選挙のみに関わるものではなく本質的なものである。それは長期にわたる政治過程と歴史のなかで、既成勢力に有利な形で、政治的な意見分布と多数の在り方を歪めてきた。
これは大統領選挙においても二大政党のあいだでの「あれか、これか」という以外の選択を不可能にしている。よく知られているように、二〇〇〇年のゴア・ブッシュの対決選挙で問題であったのは、このとき、グリーン・パーティから出馬していたラルフ・ネーダーに対して民主党の側が「“ネーダーへの投票”=“ブッシュへの投票”である」というキャンペーンを張ったことである。そして、焦点となっていたフロリダ州などでネーダーの得票がゴアとブッシュの得票差を若干上回る得票をとったために、ブッシュの当選はネーダーの行動の結果だというバッシングがおきた。こういうネーダーに対する非難は、州選挙人を総取りするという規定がなければ起こりえなかったことであるし、そもそも各州の選挙人を代議員がが大統領選挙が第一次投票と第二次決選投票で決まる普通の選挙のやり方では問題にもならないことである。
ここには選択を「あれか、これか」に単純化して意見の多様性を排除した上で「多数」を作り出し強制するシステムが存在している。私は、これこそがアメリカ政治における「多数の専制」「多数決民主主義」なるものの最大の支柱であると思う。これがアメリカの政治勢力の配置の変化をさまたげ、たとえば第三の政党が進出することを不可能にする高い壁となっていることはいうまでもない。それにも関わらず、普通、アメリカの大統領選挙のシステムは、有権者が一般投票し、その信任をえた大統領選挙人が投票するのだから、直接選挙であるという意見は多い。そして、このような欠陥はアメリカが連邦制度をとり、「州権」が強固であることのやむをえない結果であるとしばしば合理化されることになる。
しかし、こういう見解は、現代のアメリカ合州国の実際が憲法制定時におけるような植民地国家連合ではなく、国家連邦でもなく、明瞭に一つの国家であることを無視するものである。この国家の元首を選出する法が、その選出主体を州とする二〇〇年以上前の憲法の規定を維持していることを、連邦制の筋から理解すべきでないことは明らかである。これは憲法に残る州による間接選挙、州間接選挙という連邦制の遺制を利用して、二大政党制とそれに依拠した大統領制を維持しつづける国家擬制なのである。しかも、それを半ばは一般投票の直接選挙という様相を意図的に付け加えているのが、いよいよ欺瞞的であって、
さて、以上に述べたことは日本の法学界の通説とは大きく異なっている。日本の法学界では、アメリカ大統領選挙は実質上、直接選挙に等しい。「州間接選挙」システムは「州権」が強固であるこというメリットによって埋め合わせされているなどという訳である。日本の法学界のなかではアメリカ法の分野は、どちらかといえば十分な学術性をもたない二流の分野であるが、それにしてもこれらは学術的分析としてはあまりにアメリカ政治に甘く、アメリカ崇拝に近いもののように思える。
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