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2016年7月

2016年7月12日 (火)

土曜日に東大の本郷で、九世紀の肥後地震について講演します。

今週土曜日に東大の本郷で講演します。15時から18時です。法文1号館215教室

詳細はhttp://www.sus-humanities.l.u-tokyo.ac.jp/etc/20160716_leaflet.pdf
下記に貼り付けましたが、見えるかどうか。

 「地震古記録にサステナビリティを学ぶ」というテーマで、私は「八・九世紀の肥後地震と大地動乱の時代」というテーマです。

 都司嘉宣先生は(前東京大学地震研究所)は「過去の大地震のたびごとに現れた機転の英雄たちに学ぶ」というテーマです。

 参加無料。どなたでもご参加いただけます。ということです。

Photo

2


2016年7月 9日 (土)

サンダースと連邦銀行議長グリーンスパンとの論争

 サンダースは、連邦議会議員となったときから、その鋭く熱い質問や演説は有名で、「民主的社会主義者」を自称していたこともあって、一種の名物議員であった。

 もっとも有名なのは、連邦銀行(Federal Reserve Bank, FRB)理事会の議長アラン・グリーンスパンとの論争であった(下記に引用したユーチューブは聞き物である)。

 二〇〇七年、M・レイボヴィヒは『ニューヨークタイムズ・マガジン』(JAN. 21)にサンダースの活動を追った記事を書いているが、グリーンスパンが委員会にくるたびに繰り返された、激しいやりとりは有名でいつも傍聴者が増えたという。グリーンスパンは一九八七年にレーガンによって連邦銀行(Federal Reserve Bank, FRB)理事会議長に選任されて以降、ブッシュ(父)、B・クリントン、ブッシュ(子)の四人の大統領の下で、二八年のあいだ連任し、「金融の神様」などといわれた人物である。民主党からも共和党からも議会で正面から批判を受けることはなかった。躊躇しなかったのは、唯一、サンダースだけで、サンダースは、一九九九年以降、議会で何度もグリーンスパンを追求し、「あなたは我々の国の中流や働く人びとの方をむかず、強大な企業の利害を代表してばかりいる。億万長者のカクテルパーティの方ばかり見るな。あなたは数千万の労働者が侮辱している。中流階級の崩壊、巨大な格差、普通の家庭からは大学にもいけない。これはあなたの時代に起きたことだ。それにも関わらず経済はよくなっているというのか。最低賃金を抑え、飢餓賃金を強制し、億万長者には減税、一体何をやっているのか」と激しい口調で論難した。その様子をビデオでみていると、サンダースがずっと同じことを主張しつづけていたことがよくわかる。「あなたが正直な人間であることは知っているが、現実世界で何が起きているかを知らない」という口調はほとんど叱責に近いものである(https://www.youtube.com/watch?v=WJaW32ZTyKE)。

 グリーンスパンが長く連邦銀行の議長をつとめたのは、実際には金融状況の判断力が正しいというのではなく、その篤実な人柄と常識判断によるところが多かったとはいえ、一時「マエストロ」の域にあると神秘化されたグリーンスパンを正面から批判するサンダースの政治家としての資質は相当のものである。

 サンダースの批判にもかかわらず、グリーンスパンはそのウォール街優遇や最低賃金の抑圧方針をかえず、金融緩和の単調な方針をとり続けた。しかし、結局、住宅不良債権の焦げ付きに発する二〇〇八年のリーマンショックの後、自己の誤りを認めるところに追い込まれた。議会で「あなたのイデオロギーがまずかったのではないか」と詰められ、「私のイデオロギーに欠陥があった。それがどの程度の意味をもち取り戻せないものかはまだわからないとしても、非常に苦しんでいる」といったのである。そして、当時、これはサンダースの勝利を意味するという見方がささやかれた。


 さて、グリーンスパンは、いわゆるマネタリストの立場を象徴する人物であった。彼の権威が地に落ちたのは、マネタリズム学説の象徴となったのであるが、マネタリズム(貨幣至上主義)とはミルトン・フリードマンを中心とする学派で、一二二九年の世界大恐慌の後にアメリカ経済学界を支配したケインズ派経済学を批判する立場をとって、一九六〇年代ごろから徐々に影響力を強めていた。それが、レーガン(在位一九八一~八八)の大統領府において全面的に採用されたのである。

 この時期のアメリカは自信にあふれていた。レーガンの下で、アメリカとソ連の軍拡競争はアメリカの勝利におわり、グローバル資本主義は、ソ連の社会全体主義の凋落とともに世界市場を制覇した。それとともに、労働力も商品の買い方・売り方は資本の「自由」、どのようなものであろうとその規制は「悪」であって、すべて自己責任にゆだねるべきだという「新自由主義」イデオロギーが猛威を振るった。その主張は、公共の福祉の立場から行われる公営企業を民営化し、経済への行政的関与を「規制」と称して排除し、さらには医療・教育などをふくむ人びとの生活に関わる公共財も市場化し、労働力契約においてまでもも正規雇用や最低賃金制を崩そうというものであった。

 「市場は自由な競争が行われるべき場である」ということ自体は、市場経済にとっての当然の常識である。しかし、これが「新自由主義」といわれたのは、その主張が市場原理主義ともいうべき立場に突き抜けているからであった(最初は貶称であった。中岡)。そして、この「新自由主義」を経済学の側で推進したのがマネタリスト学派(貨幣至上主義)であった。この学派は一九世紀末期のヨーロッパ、オーストリアのメンガー、スイスのワルラスなどにさかのぼる。メンガーらの学説は「新古典派」などとと呼ばれるが、ようするにアダム・スミスやマルクスの生産価値説に対して「主観的価値説」を主張して、人間の側のある財への欲求の増大・減少の量的変化を数学的に仮定すれば財の「効用」を決めることができ、そこから経済の動きを予測できるというものであった。
 この「新古典派」はヨーロッパよりもアメリカでもてはやされた。それを代表するのが、アーヴィング・フィッシャーであって、彼は「新古典派」の見解を前提として、得意な数学を生かして貨幣数量説を発展させ、貨幣の流通速度は制度的・行政的条件のみに依存して決めることができ、それは実態的な経済諸条件とは切れた関係にあると論じた。逆にいうと、社会に流通している貨幣の総量を規制することによって物価の水準の安定をはかることが可能であるという訳で、このような議論をマネタリズムというのである。

 結局、マネタリストの学説とは、政府の経済政策は原則として貨幣供給量の操作と金融政策だけに限定されるべきだという貨幣至上主義、金融至上主義である。経済学の仕事を貨幣・金融操作だけに限定するというのは、端的にいえば実体経済の動きを追認し、資本の要求通りに「規制緩和」をすれば経済はまわっていくというイデオロギーに過ぎなかったというほかない。
 ユーチューブをみていると、リーマンショック後のグリーンスパンは真面目な人だけにショックは強かったようだ。 しかし、個人はどうあれ、客観的には、ようするにマネタリズムとは無能と不作為の弁明、あるいは金融業の実務を合理化し、自己納得するための説明者にすぎない。アメリカ特有の実務学問である。

2016年7月 7日 (木)

最近の九州地方、朝鮮半島の地震とトカラ列島の小カルデラ

 7月1日に伊予灘でM4,3地震、7月4日にトカラ諸島近海で最大M4,3の連続地震が発生し、7月5日に朝鮮半島南部でM4.9の地震が発生した。

 色々なことを考えた。これまで歴史地震学では東北・関東・東海・信越、紀伊・高知に注目することは多かったが、九州への注目が不足であったように思う。歴史家には、地震の発生について具体的な予測をすることは任ではないが、しかし、一般的な意味での「予知」、歴史的知識の提供のレヴェルでの「予知」は一つの役割であろうと思う。今のアメリカ論の仕事を早くおえて、地震研究にもどらねばならない。

 足利時代までしか、私の知識はないが、伊予灘については、1180年、高倉院が参詣した時に、厳島で大地震が感知されている。これも伊予灘の地震であったのではないかと考えた。厳島の神は祇園の親戚の地震神なので高倉院にとっては大きな脅威であったろう。1180年代内戦(源平合戦)の時代も地震が多く、政治史に大きな影響をあたえたが(「平安時代末期の地震と龍神信仰」『歴史評論』750)、これは1180年代合戦の不吉な成り行きを示唆するものであったことになるだろう。

 朝鮮半島南部の地震については、9世紀と15世紀に起きた東北沖海溝大地震・大津波の後、どちらの場合も韓半島で地震や火山噴火が活発になっていることが知られる(拙著『歴史のなかの大地動乱』)。また神戸大学の大内徹氏の論文「Korea地域の地震・火山活動と東アジアのテクトニクス」( https://twitter.com/tabisaki/statu/750295474091859969…2002年)では、日本の敗戦のころに起きた東南海地震の前も韓国での地震が活発であったといいます(この大内論文は神戸大学のデータベースから落とせます)。現在が9世紀と15世紀につづく地震活動の活発期であるとすると、朝鮮半島の地震は注目すべきことだと思う。

 歴史地震学からみると、韓国の地震は日本の地震が南海トラフ地震を中心にした活動期に入ったことの証拠であると考えています。これは現在における日本と韓国の関係を考えていく上でも重要なことである。ようするに、地震には国境はないということがよくわかるように思う。


 これらは、これまで考えたことのある範囲の問題であったが、7月4日のトカラ諸島近海の連続地震には驚いた。海上保安庁は平成25年4月から5月にかけて鹿児島県奄美大島北方海域において海底地形調査を実施し、海底火山の詳細な地形データを得たという(「トカラ列島で発見された海底火山について」(http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/CCPVE/Report/115/kaiho_115_37.pdf)(図は同論文から)
Tokarakarudera


 それによれば、そこに小規模なカルデラ地形が発見できたということであって、このカルデラ地形が、まさに今回の地震の中心部にあたるのである。

 4月の熊本地震が昨年11月の沖縄トラフ北端の海底地震以降の、この地域のプレートの動きに関わる地震であるというのは、新妻信明氏のページで指摘されているが(http://www.niitsuma-geolab.net/)に記録されているが、このトカラ小カルデラの地震は、その一部であろう。

 別府島原構造線から沖縄トラフ、そして日向までの全体の変化がいつかは地震学・火山学の力でみれるようになるのだと思うし、それは国民の共通的な常識にならねばならないと思うが、想起したのは、9世紀、869年の肥後地震の5年後に薩摩開聞岳の噴火があったことである。肥後地震については、最近、このブログで記した(ただし869年肥後地震の規模は私は大きかったと思うが、地震学からはI先生をふくめ賛同が得られていない)。5年後の開聞岳の噴火については、2011年の下記の記事を採録しておく。


地震火山40「火山ガスの飛散と放射能」2011年8月7日
 火山学の早川由起夫氏が、火山灰の飛散ルートの予測の技法を使って、放射能マップを作ってオープンしている。火山灰の拡散と放射能粒の拡散は同じ流体力学の法則にしたがうから、火山学の知識を応用可能であるというのに驚く。早川さんには八・九世紀の「大地動乱」をどう考えるかについて今村明恒の見解に疑義を提示した、私の見解からすると十分に検討せざるをえない重要な論文があって、それでお名前を知っていた。
 八・九世紀の噴火によって発生した火山灰の飛散を示す史料のうち、興味深いわりに、これまで注目されてないように思うのは、八八五年(仁和一)の薩摩国開聞岳の噴火と、翌八八六年(仁和二)の伊豆新島の噴火であろう。
 まず前者は、七月一二日夜と八月一一日、二回にわたっておきたもので、七月の噴火では、肥前国まで「粉土・屑砂」交じりの雨が降下し、水田・陸田の苗や草木に降り積もって、植物がいっせいに枯死直前にまでいったという。幸いに、大雨が降って、「塵砂」を洗い流したために、枯苗が再生したというが、薩摩と肥前の間の肥後国をふくめれば、相当の被害がでたことは確実であろう。とくに薩摩国では、火山灰降下が続き、八月には、砂や石が地面に五六寸から一尺ほどの厚さで降り積もり、田野が埋没して大騒ぎとなったという。七月・八月は、水田稲作にとって重要な季節であるだけでなく、養蚕や麻の収穫の季節でもあるから、「蚕・麻・穀」の損耗はきわめて大きかったという。
 翌年、八八六年(仁和二)五月二四日の伊豆新島の噴火では、噴火の翌々日、五月二六日に、安房國から「砂石・粉土」が広範囲にふり、ある場所では「二三寸」も積もり、水での苗や、山野の草木が一斉にかれてしまったという。これは伊豆から西風にのって房総半島に降下する火山灰が顕著であったということであろう。注目すべきなのは、それらの草をたべた馬や牛が多数、ばたばたと倒れ死んだということで、これは降下した火山灰、「粉土」に、火山ガスの有毒成分に共通する物質がふくまれていたということを示す珍しい史料であるといえる。地質学的には、これをどういう成分と考えることができるだろう。江戸時代などには、同様の史料があるのだろうか。

 さて、長い目でみれば、噴火は日本の自然の中では避けることができないから、こういう記録も、その地域に住む人にとっては重要な知識になるのかもしれない。小学校・中学校の頃から教えてよいことだと思う。火山についての概説をするよりも、教材として実際的だろう。
 興味があるのは、このように噴火は甚大な被害をもたらすものとして恐れられたのであるが、それが、被害不可思議な現象として「恠異」としてとらえられたことである。
 火山灰降下が「恠異」である事情は、神祗官が、右にふれた八八五年(仁和一)の開聞岳噴火を「粉土の恠、明春、彼国に、まさに災疫あるべし」と占ったということに現れている。これは広汎な火山灰の降下は疫病の直接的な原因となるという判断を前提にしているのではないだろうか。そして、翌年の伊豆諸島噴火でも、火山灰が苗・草木を枯らし、それらにおおわれた草を食べた馬牛が中毒死したことを、陰陽寮が「鬼気の御靈、忿怒して祟りをなす」、つまり悪霊が怒って祟りをしたのだと解釈し、疫病の流行を予言しているのも同じことであろう。
 これは、噴火が「奇怪」「恠異」であるという場合には、農業被害をはじめとするさまざまな生産活動に対する被害のみでなく、人畜の身体に対する直接の被害の位置への恐れが内在していたということを示している。
 永原慶二『富士山宝永大爆発』(三〇頁)が紹介しているように、新井白石の『折りたく柴の記』には一七〇七年(宝永四)富士の大噴火が、江戸の人々の間に咳病をはやらせたという記録が残っている。これは、江戸時代のみではなく、つねに起こる可能性のあることであったということができるだろう。
 火山噴火への恐れは、単に物質的な被害というだけではなく、神秘的な恐れ、「祟」への恐れがふくまれている理由は、ここら辺にあるのかもしれない。「祟り」という観念は、火山ガスや火山灰の有毒性が目に見えないことによって倍加されたに違いない。これは占いや呪術という形式をとった知識がともかくも「見えないものをみえるようにした」のである。

 私などの立場からすると、原発に「安全神話」があったというのは、言葉の使い方として、とても了解できない。神話というのは、神話の時代には、知識と経験の形式である。もちろん、神話は呪術と迷信を内部にふくんでいるが、それは一つの世界観であり、知識体系をなしている。そしてそれによって、ともかくも「みえないものがみえるようになる」のである。
 しかし、原発の「安全神話」というのは、「見えているものを見えなくする」ためのさまざまな操作である。そういうものは神話とはいわない。見えているものを見えなくするのは詐偽であって、神話ではない。「安全宣伝」というべきもの。多額な広告料によるマスコミの買収、危険を指摘する研究者への抑圧、「公共事業」の名のもとでの税金から詐取その他その他。実際にそういうことがあったことが多くの人々の目にふれてしまった。ようするにこれは、社会の中枢で権限を握っている人々による半意識的な詐欺行為である。それがなかば虚偽であることを心の片隅では知りながら自己呪縛する。これがシステムとしてあるのが怖い。

 詐欺罪を詐欺罪としてあつかえないのは、現代の日本社会には、「罪」という価値基準がないためである。日本社会は、「中枢の人々が失敗するのをみている社会」、それによって社会をイノヴェートするという戦術で庶民がやってきた社会であるというのは、内田樹『武道的思考』(284頁)の至言であるが、これは今回は、ことがことだけに通用しない困った戦術である。
 あまりに当然のことであるが、「罪」を正面からとらえる目がなければ「倫理」もない。

 「神話」というものは本質的には作ることができるものではないと思う。大学時代には羽仁五郎の神話論を正しいものとして読んだが、あれはやはりまずいと思う。ただ、神話も、その時代の社会的な利害対立を反映していることは確実である。そして、歴史学にとっては、そういう大塚先生がいう意味での「利害状況」を神話の中に読み込むのがもっとも困難な課題である。こういうものをどのようにして教育の素材としたらよいのであろう。昨年から、時間ができたら、益田勝実氏の神話教育論を読んで点検しようとしているが、時間がないままに過ぎている。この夏も駄目だろう。

2016年7月 5日 (火)

アメリカにおける労働の変容、ロバート・ライシュと中谷巌ーーネグリの『帝国』をどうよむか(2)

シンボル労働・ルーティン労働・インパースン(対人)労働

  一九八〇年代、アメリカとソ連の軍拡競争はアメリカ大統領レーガンの勝利におわり、グローバル資本主義は、ソ連の社会全体主義の凋落とともに世界市場を制覇した。問題は、それとともに、労働力も商品の買い方・売り方は資本の「自由」、どのようなものであろうとその規制は「悪」であって、すべて自己責任にゆだねるべきだというイデオロギーが猛威を振るったことである。それが「市場は自由な競争が行われるべき場である」という市場経済にとっての当然の常識を越える市場原理主義であった。そのためこのイデオロギーは「新自由主義」と呼ばれたのであるが、その主張は、公共の福祉の立場から行われる公営企業を民営化し、経済への行政的関与を「規制」と称して排除し、さらには医療・教育などをふくむ人びとの生活に関わる公共財も市場化し、労働力契約においてまでもも正規雇用や最低賃金制を崩そうというものであった。

 これを推進したミルトン・フリードマンなどのマネタリスト学派(貨幣至上主義)は一九六〇年代ごろから徐々に影響力を強めていたが、それが、この時期、レーガン(在位一九八一~八八)の大統領府において全面的に採用されたのである。マネタリスト学派というのはようするに市場原理主義をさらにつきつめたもので、政府のやることは貨幣供給量の操作だけに限定すべきだという貨幣至上主義である。そもそもケインズ経済学は恐慌と失業への対処を中心に組み立てられたものであるが、この時期のアメリカは恐慌も失業も恐れるに足らないという自信にあふれていた。

 しかし、経済学の仕事を貨幣供給量の操作だけに限定するというのはようするに無能の証明である。批判は急速で、そのようななかで二〇〇〇年に出版されたマルクシアンであるネグリの『帝国』がよく読まれるという現象が発生した。興味深いのは、日本では、日本の経済学者のなかで、新自由主義の旗を振った中心であった一橋大学の中谷巌が、二〇〇六年、それまでの主張を撤回して『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)という著作を出したことであった。そもそも中谷はハーバードに学び、日本政府の経済政策立案でもっとも大きな役割を果たした人物である。それだけに中谷が本書を「懺悔の書」と銘打ち、グローバル資本主義は「モンスター」であり、人間同士の社会的つながりやかけがえのないお自然環境を利潤のためには犠牲にして恥じない「危険思想」であるとまで述べたのだから、これは大きな衝撃をよんだ。

 世界の経済学の動向は、この時を前後して完全に潮目が変わったということができるが、経済学の内側でそのような転換のもっとも大きな前提を作ったのは、おそらくアメリカの歴史経済学者ロバート・ライシュであったろう。彼は一九九〇年に出版した『諸国民の労働』という著作で、グローバル資本主義に突進したアメリカのなかで「労働」の全システムが、どのように変容しているかということを詳細に明らかにした。本書執筆後、彼がビル・クリントン政権で労働長官をつとめたこともあって、その影響は大きかった。実は右の中谷は『諸国民の労働』の日本語版の訳者であって、中谷は、その懺悔の書でもライシュの仕事に依拠してグローバル資本主義を批判する立場に進み出ているのである。

 グローバル資本主義が資本主義の新しい段階である以上、その根底に労働の在り方の変化があることは明らかであった。ライシュは、その基本に注目して、グローバル資本主義のモンスターのような在り方に対応してアメリカでうまれた象徴アナリスト(symbolic anarysist)というべき労働の類型を抽出したのである。

 それによれば、彼らは「株式市場の相場からハリウッドやマディソン・アーヴェニューから生み出される視覚イメージにいたる広範囲な抽象的な概念とシンボルの世界に生き、シンボル情報の解釈を専門にする人びと」であるという。つまり研究科学者、設計技術者、ソフトウェア工学者などから、公共関係専門家、法律家、銀行家や様々なコンサルタント、ヘッド・ハンター、マーケティング戦略家からジャーナリスト・映像プロデューサー、さらには大学教授まで、そこには実に多様な職種が含まれるが、彼らは必ずしも専門家であることを要しない。彼らは知的資本を売る人々であって、知識や専門性は高所得を得るために必要なことではなくなった。価値があるのは臨機のアイデアと執拗さであって、そのキャリアや収入は多様で安定しないが、偶然のきっかけからブレークすることがあり、成功者は世界的な組織網を作り出す。もっとも儲かるのは金融関係と法律事務所であり、彼らは多くの場合、一人または少人数のチームで働き、ディスプレイの向こう側の半透明の舞台に意識と感覚をとぎすませている。ライシュの計算では彼らの人口はアメリカの労働人口の二〇パーセント近くを占めるという。

 複雑に発達した世界的な経済過程を俯瞰して戦略をたて、問題を発見し、それを解いていくためには、こういう一見関係ないような分野の大量の人びとの個性を組み上げて、柔軟な発想と執拗な思考を準備しておくことが決定的である。それによって資源の有効な活用、金融資産の移動、時間やエネルギーの節約、そして新しい発見――新技術、革新的法律解釈、斬新な広告手法などがもたらされるのであって、そうして始めて言語から音・映像を動員して人びとの心身を虜にすることが可能になる。彼らはシンボル記号(データ、言語、音声、さらには映像)を操作するのであるが、それが人びとの心身を捉えるためには、自分自身のシンボルへの感性を高め、ある意味では自分自身をシンボルとしなければならない。ライシュのいうシンボリックな労働、シンボルワークとは、シンボルを操作すると同時に、新しいシンボル記号を作り出しあふれ出させるような創造的で劇的な労働である。

 以下、象徴アナリストというのは表記として熟さないので、シンボルワーク(記号仕事)、シンボルワーカーなどの用語を使うこととするが、ここにあるのは新しい労働の体系なのであって、ライシュは「アメリカ人の職業に何が起こっているか」という問題意識のもとに調査・研究と面談を重ね、このような記号仕事の肥大化によって、他の労働が単調なルーティン労働か、インパースン労働(対人労働)分類されるようになったことを明らかにした。

 それによると、現代のルーティン労働の大きな特徴は多くの情報処理労役が入り込んでいることである。右にいう象徴的な労働は自分自身を演者とするのに対して、このルーティン労働はそれとはまったく逆に機械に埋め込まれたプログラムに意識を支配される労働であり、あるいは記号や象徴をマニュアル通りに単純処理する労働である。シンボル労働は個室でゆっくり働くのに対して、ルーティン労働は大部屋の中での孤独な労働である。なによりも象徴的労働の視点からは創造的な仕事にみえる情報で結ばれた世界経済は、実際には、単純作業にしたがう歩兵部隊が、アカウントの管理、クレジット・カードの購入や支払い、顧客への通信、苦情処理などなど、膨大なデータの入力・校正・管理とそれにともなう事務仕事をこなすことなくして存在しないのである。このような象徴と記号に使われるルーティン労働はアメリカの労働人口の四分の一に達するという。

 それに対して、もう一つのインパースン・サービス(接人労働)とは、銀行の窓口係、店員、スチュワーデスやタクシー運転手などの接客サービス、商品の設置・修理・整備やアフターサービスに関わる人びと、守衛、病人や老人ホームや託児所の労働者などの様々な対人サーヴィスに従事する人びとである。インパースン(imperson)のim-は否定の接頭辞だからパーソナルでない、非個人的、非人称的という意味だが、そこから転じて多数の人と個人としてでなく付き合う、つまり仮面・扮装というニュアンスになる。マクドナルドのマニュアルによる接客のイメージである。これによってアメリカではチップなしの愛想というものが広がった。それも労賃の一部であるという訳である。もちろん、いま急増している私的な警察要員や私設刑務所職員などの場合は非個人的な脅威こそがインパースン・サービスということになる。ライシュの調査では、この分野で働く人はアメリカの労働人口の三〇パーセントにあたり、なお増加傾向にあるという。

 英語では、WorkとLabourは明瞭に区別された言葉である*2。一人の個人をとってもWORKは「労働」のうちの「働く」という側面、つまり目的を立てて心身を働かせる仕事=WORKの側面(目的意識的な有用労働の側面)を示し、Labourは「労働」のうちのPainstakingな「労」の側面、心身の力の没入と消耗の側面(抽象的な生理的労働、筋肉労働・神経労働の側面)を示している。かって内田義彦は「マルクスは、目的定立をし、自分の目的に従って労働の過程を指揮する営みを精神労働、それに従って神経や筋肉を動かす仕事を肉体労働と名づけています」(『資本論の世界』岩波新書)と述べたが、前者の自分で労働過程を指揮する精神労働的な面がWorkであって、それに従って神経や筋肉を動かす面がLabourはであるということができる。この観点からいうと、この三つの労働分類のうち、シンボルワーカーの記号仕事はWORKを代表し、それに対してルーティン労働と対人労働はLabourの側面を示すということになるだろう。本来は、個人の労働のなかで一緒に動いているWorkとLabourが、別々の集団の労働の特徴として現れている訳である。しかも、このような労働の区別が、一九六〇年代から一九八〇年代というきわめて短い時間の間にアメリカ資本主義の情報化のなかで急速に形成されたことに注意しなければならない。ここでは象徴労働が巨大な情報ネットワークとコンピュータの力にささえられて、労働の目的意識性や精神性を集中してしまい、他の労働からそれを剥奪して、狭い意味でのLabourに追い込んでしまったのである。アメリカ社会の現状では、それはすでになかば社会的な身分であるかのようになっている。

2016年7月 1日 (金)

グローバル経済と超帝国主義ーネグリの『帝国』をどう読むか

 ネグリの『帝国』をどう読むかを先週から考えている。ハーバートからでた『帝国』はさすがに私などには面白い。アメリカの学界が歓迎し、一時非常にはやった理由もわかるような気がする。

 例によって時季はずれだが、私自身の仕事との関係では、私は8世紀までは日本列島上の国家は「民族複合国家」であると考えているので、帝国が人種的区分を重要な要素としているという『帝国』の議論が面白いのである。訳本の247頁は歴史理論でつかえると思う。

 しかし、木畑洋一氏の『20世紀の歴史』(岩波新書)はネグリへの評価が低い。また柄谷行人氏の『世界史の構造』でも評価が低い。私も、下記のように批判はあるのだが、ネグリの議論の開拓者としての位置はあるのではないかと思う。

 下記が一応の総論のようなもので、批判が表にでるが使えるところは他にもあると思う。

 アメリカは民族複合国家であって、国民国家であったことはない。アメリカ帝国は「国民国家」として帝国であったことはないのである。アメリカが世界の帝国的な構造の中枢にいることは明らかだが、その帝国的な構造それ自体はアメリカをふくめた個別の国家を超えて、むしろ国家と国家の隙間の時空に広がっているもので、それは二〇世紀前半までの帝国主義とは異なるもの、いわば超帝国主義というべき実態をもっている。

 経済のグローバル化ということは、たとえばアメリカ・ヨーロッパ・日本などの経済が世界経済をグローバルに動かしているということではない。そこではすでに個別の国家が単位ではなく、経済活動を動かす主体自身が国際資本そのものとなっている。多国籍企業というのは、国籍を前提とした表現だが、資本はそれ自身は国籍を意識しておらず、それを超越する場、「国」と「国」の境界領域を自分たちの棲処にしている。

 こういうグローバル経済の在り方を超帝国主義と名づけるのは、それが個々の国の「帝国主義」を超える存在だからである。それはよく知られた二〇世紀後半の資本主義の情報化にともなって成立したものであって、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』が指摘したように、アメリカのように巨大な国家も、国家として現代の「帝国」=「超帝国主義」を統御している訳ではない。ネグリの言い方では、「帝国」は「権力の領域的な中心」をもたない。「帝国」はグローバルな領域の全体、その隅々にまで宿っている。「帝国」の主権の空間はグローバルに均質で滑らかであって、そういう平滑空間のなかには「権力の場所」は存在しないということになる。

 私は、このような世界資本主義の状況を「超帝国主義」という言葉で表現することができると考える。ネグリの「帝国」論には、以下に述べるような色々な問題がはらまれているが、しかし、それは超帝国主義の特徴をよく捉えたものとして画期的な意味をもっていると思う。しかし、問題は、だからといって、アメリカのような個別の国家が「帝国主義」でなくなったと結論していいのかどうかということである。私はそんなことはないと思う。ネグリのいう「帝国」=私のいう「超帝国主義」と個別の国家世界は別のレヴェルの存在なのであって、ネグリのようにすべてを「帝国」という言葉で一括してしまえば、その「帝国」が実際には複雑な構造をもっていることが見逃されてしまう。

 「帝国」=超帝国主義の側からみれば、たしかにその空間はグローバルに均質で滑らかにみえて、外側をもたずに閉じているようにみえる。しかし、その空間は透明ではあっても無色であるという訳ではない。「帝国」が国家の境界領域から発生した以上、そこには異なる出所を示す各国の国旗の青・赤・白・黄色など色の母斑が残っており、それが混じり合い、急速に動き回っているために無色・透明にみえるにすぎない。たしかに超帝国主義こそが世界的主体=主権を掌握していることはネグリのいう通りの事実であって、その前提となった個別の国家の帝国主義は表面から退いている。しかし、注意すべきことは決してそれ自身が消滅した訳ではないことである。それは論理的な筋を通すということを重視するあまり、ネグリの目から外れてしまったことだが、ネグリ自身もグローバル経済の主体=主権の位置にある「帝国」を「一つの筋に貫かれ統合された国家的であると同時に超国家的な支配組織」と説明しているように、「帝国」は、その下部に存在する複数の帝国主義的あるいは軍国主義的な国家を動かす筋を確保しているのである。そういう複数の帝国主義が実際にはいまだに実態としては強固に生き延びているという側面からいえば、「帝国」の下位空間には歴史家の栗田禎子がサミール・アミーンの提言にもとづいて議論を進めている「集団的帝国主義」というべきもの実在しているのである。歴史学としては帝国主義的なシステムが、世界的な資本主義の情報化のなかで、現在、ネグリのいう「帝国」が主権を握る方向に展開しているのだとみた方が、歴史の現実には適合的であると考えるのである。

 なお、ここでいう「超帝国主義」という概念は、二〇世紀初頭、ドイツ社会民主主義の代表であったカール・カウッキーが展開した「超帝国主義」論とは用語は同じでも内容はまったく異なっていることである。カウッキーの「超帝国主義」論は「一九世紀末期における世界全体の植民地分割の終了によって個別の帝国主義は眠り込んで、消滅して国際的な政治経済的な組織体に変身した。そこに「平和」の条件を期待することができる」というものである。それはレーニンの厳しい批判をうけたように、第一次大戦が帝国主義戦争として展開されたことを隠し、「祖国擁護」という名のもとにドイツ社会民主党が戦争協力の道に入っていく上で決定的な役割を果たした。私のいう超帝国主義とは、現代に戦争状況を惹起する根本に位置するものであって、その点でカウッキーとはまったく異なった見地である。この点で、歴史家からいえば信じられないのは、ネグリが、このカウッキーの「超帝国主義」を批判する作業をしていないことであって、それはカウッキー批判は常識だということではすまない問題であろう。ネグリの発想は、「帝国」の成立によって個別国家の帝国主義の持続を無視する点ではカウッキーと類似してくるのである。

 以上、現在の世界資本主義は、グローバルな超帝国主義と強固に生き延びていると数の帝国主義、そしてそれが超帝国主義の主権の下で統合されている国家的であると同時に超国家的な支配組織という複合的な構造をとっているのである。

 グローバル資本主義、超帝国主義の運動する空間は均質、透明・無色にみえて、外側をもたずに閉じているようにみえる。普通の生活者にはみえない世界である。そもそも生活者には経済の動きそれ自身はいざという時にならないと感知できない。たとえば日本の年金は二〇一四年より積立金の株式運用の率を倍にあげて五〇%としたため、二〇一五年には五兆以上の損失となり、イギリスのEU離脱問題もあって円高株安が予測されるなか、その損失の巨大化が恐れられている。生活者はそれによって年金財政が破綻したとき気がつくが、その時に放漫な方針を決めた政府に責任を取らせたとしても損失は取り戻せない。恐慌も同じことである。
 これに対して、グローバル資本主義に吸着している人びと、国家や民族的な経済の境界領域に棲んでいる特殊な人間は超帝国主義の均質、透明な空間を感知する能力をもっている。彼らはグローバル資本主義という透明な妖怪のような存在に吸着して、この世ならぬ「富」を吸う仕方を心得ている。

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