BLOGOS

著書

twitter

講演・取材依頼

  • アドレスmihotateあっとまーくkk.alumni.u-tokyo.ac.jp

公開・ダウンロード可能論文

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« アメリカにおける労働の変容、ロバート・ライシュと中谷巌ーーネグリの『帝国』をどうよむか(2) | トップページ | サンダースと連邦銀行議長グリーンスパンとの論争 »

2016年7月 7日 (木)

最近の九州地方、朝鮮半島の地震とトカラ列島の小カルデラ

 7月1日に伊予灘でM4,3地震、7月4日にトカラ諸島近海で最大M4,3の連続地震が発生し、7月5日に朝鮮半島南部でM4.9の地震が発生した。

 色々なことを考えた。これまで歴史地震学では東北・関東・東海・信越、紀伊・高知に注目することは多かったが、九州への注目が不足であったように思う。歴史家には、地震の発生について具体的な予測をすることは任ではないが、しかし、一般的な意味での「予知」、歴史的知識の提供のレヴェルでの「予知」は一つの役割であろうと思う。今のアメリカ論の仕事を早くおえて、地震研究にもどらねばならない。

 足利時代までしか、私の知識はないが、伊予灘については、1180年、高倉院が参詣した時に、厳島で大地震が感知されている。これも伊予灘の地震であったのではないかと考えた。厳島の神は祇園の親戚の地震神なので高倉院にとっては大きな脅威であったろう。1180年代内戦(源平合戦)の時代も地震が多く、政治史に大きな影響をあたえたが(「平安時代末期の地震と龍神信仰」『歴史評論』750)、これは1180年代合戦の不吉な成り行きを示唆するものであったことになるだろう。

 朝鮮半島南部の地震については、9世紀と15世紀に起きた東北沖海溝大地震・大津波の後、どちらの場合も韓半島で地震や火山噴火が活発になっていることが知られる(拙著『歴史のなかの大地動乱』)。また神戸大学の大内徹氏の論文「Korea地域の地震・火山活動と東アジアのテクトニクス」( https://twitter.com/tabisaki/statu/750295474091859969…2002年)では、日本の敗戦のころに起きた東南海地震の前も韓国での地震が活発であったといいます(この大内論文は神戸大学のデータベースから落とせます)。現在が9世紀と15世紀につづく地震活動の活発期であるとすると、朝鮮半島の地震は注目すべきことだと思う。

 歴史地震学からみると、韓国の地震は日本の地震が南海トラフ地震を中心にした活動期に入ったことの証拠であると考えています。これは現在における日本と韓国の関係を考えていく上でも重要なことである。ようするに、地震には国境はないということがよくわかるように思う。


 これらは、これまで考えたことのある範囲の問題であったが、7月4日のトカラ諸島近海の連続地震には驚いた。海上保安庁は平成25年4月から5月にかけて鹿児島県奄美大島北方海域において海底地形調査を実施し、海底火山の詳細な地形データを得たという(「トカラ列島で発見された海底火山について」(http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/CCPVE/Report/115/kaiho_115_37.pdf)(図は同論文から)
Tokarakarudera


 それによれば、そこに小規模なカルデラ地形が発見できたということであって、このカルデラ地形が、まさに今回の地震の中心部にあたるのである。

 4月の熊本地震が昨年11月の沖縄トラフ北端の海底地震以降の、この地域のプレートの動きに関わる地震であるというのは、新妻信明氏のページで指摘されているが(http://www.niitsuma-geolab.net/)に記録されているが、このトカラ小カルデラの地震は、その一部であろう。

 別府島原構造線から沖縄トラフ、そして日向までの全体の変化がいつかは地震学・火山学の力でみれるようになるのだと思うし、それは国民の共通的な常識にならねばならないと思うが、想起したのは、9世紀、869年の肥後地震の5年後に薩摩開聞岳の噴火があったことである。肥後地震については、最近、このブログで記した(ただし869年肥後地震の規模は私は大きかったと思うが、地震学からはI先生をふくめ賛同が得られていない)。5年後の開聞岳の噴火については、2011年の下記の記事を採録しておく。


地震火山40「火山ガスの飛散と放射能」2011年8月7日
 火山学の早川由起夫氏が、火山灰の飛散ルートの予測の技法を使って、放射能マップを作ってオープンしている。火山灰の拡散と放射能粒の拡散は同じ流体力学の法則にしたがうから、火山学の知識を応用可能であるというのに驚く。早川さんには八・九世紀の「大地動乱」をどう考えるかについて今村明恒の見解に疑義を提示した、私の見解からすると十分に検討せざるをえない重要な論文があって、それでお名前を知っていた。
 八・九世紀の噴火によって発生した火山灰の飛散を示す史料のうち、興味深いわりに、これまで注目されてないように思うのは、八八五年(仁和一)の薩摩国開聞岳の噴火と、翌八八六年(仁和二)の伊豆新島の噴火であろう。
 まず前者は、七月一二日夜と八月一一日、二回にわたっておきたもので、七月の噴火では、肥前国まで「粉土・屑砂」交じりの雨が降下し、水田・陸田の苗や草木に降り積もって、植物がいっせいに枯死直前にまでいったという。幸いに、大雨が降って、「塵砂」を洗い流したために、枯苗が再生したというが、薩摩と肥前の間の肥後国をふくめれば、相当の被害がでたことは確実であろう。とくに薩摩国では、火山灰降下が続き、八月には、砂や石が地面に五六寸から一尺ほどの厚さで降り積もり、田野が埋没して大騒ぎとなったという。七月・八月は、水田稲作にとって重要な季節であるだけでなく、養蚕や麻の収穫の季節でもあるから、「蚕・麻・穀」の損耗はきわめて大きかったという。
 翌年、八八六年(仁和二)五月二四日の伊豆新島の噴火では、噴火の翌々日、五月二六日に、安房國から「砂石・粉土」が広範囲にふり、ある場所では「二三寸」も積もり、水での苗や、山野の草木が一斉にかれてしまったという。これは伊豆から西風にのって房総半島に降下する火山灰が顕著であったということであろう。注目すべきなのは、それらの草をたべた馬や牛が多数、ばたばたと倒れ死んだということで、これは降下した火山灰、「粉土」に、火山ガスの有毒成分に共通する物質がふくまれていたということを示す珍しい史料であるといえる。地質学的には、これをどういう成分と考えることができるだろう。江戸時代などには、同様の史料があるのだろうか。

 さて、長い目でみれば、噴火は日本の自然の中では避けることができないから、こういう記録も、その地域に住む人にとっては重要な知識になるのかもしれない。小学校・中学校の頃から教えてよいことだと思う。火山についての概説をするよりも、教材として実際的だろう。
 興味があるのは、このように噴火は甚大な被害をもたらすものとして恐れられたのであるが、それが、被害不可思議な現象として「恠異」としてとらえられたことである。
 火山灰降下が「恠異」である事情は、神祗官が、右にふれた八八五年(仁和一)の開聞岳噴火を「粉土の恠、明春、彼国に、まさに災疫あるべし」と占ったということに現れている。これは広汎な火山灰の降下は疫病の直接的な原因となるという判断を前提にしているのではないだろうか。そして、翌年の伊豆諸島噴火でも、火山灰が苗・草木を枯らし、それらにおおわれた草を食べた馬牛が中毒死したことを、陰陽寮が「鬼気の御靈、忿怒して祟りをなす」、つまり悪霊が怒って祟りをしたのだと解釈し、疫病の流行を予言しているのも同じことであろう。
 これは、噴火が「奇怪」「恠異」であるという場合には、農業被害をはじめとするさまざまな生産活動に対する被害のみでなく、人畜の身体に対する直接の被害の位置への恐れが内在していたということを示している。
 永原慶二『富士山宝永大爆発』(三〇頁)が紹介しているように、新井白石の『折りたく柴の記』には一七〇七年(宝永四)富士の大噴火が、江戸の人々の間に咳病をはやらせたという記録が残っている。これは、江戸時代のみではなく、つねに起こる可能性のあることであったということができるだろう。
 火山噴火への恐れは、単に物質的な被害というだけではなく、神秘的な恐れ、「祟」への恐れがふくまれている理由は、ここら辺にあるのかもしれない。「祟り」という観念は、火山ガスや火山灰の有毒性が目に見えないことによって倍加されたに違いない。これは占いや呪術という形式をとった知識がともかくも「見えないものをみえるようにした」のである。

 私などの立場からすると、原発に「安全神話」があったというのは、言葉の使い方として、とても了解できない。神話というのは、神話の時代には、知識と経験の形式である。もちろん、神話は呪術と迷信を内部にふくんでいるが、それは一つの世界観であり、知識体系をなしている。そしてそれによって、ともかくも「みえないものがみえるようになる」のである。
 しかし、原発の「安全神話」というのは、「見えているものを見えなくする」ためのさまざまな操作である。そういうものは神話とはいわない。見えているものを見えなくするのは詐偽であって、神話ではない。「安全宣伝」というべきもの。多額な広告料によるマスコミの買収、危険を指摘する研究者への抑圧、「公共事業」の名のもとでの税金から詐取その他その他。実際にそういうことがあったことが多くの人々の目にふれてしまった。ようするにこれは、社会の中枢で権限を握っている人々による半意識的な詐欺行為である。それがなかば虚偽であることを心の片隅では知りながら自己呪縛する。これがシステムとしてあるのが怖い。

 詐欺罪を詐欺罪としてあつかえないのは、現代の日本社会には、「罪」という価値基準がないためである。日本社会は、「中枢の人々が失敗するのをみている社会」、それによって社会をイノヴェートするという戦術で庶民がやってきた社会であるというのは、内田樹『武道的思考』(284頁)の至言であるが、これは今回は、ことがことだけに通用しない困った戦術である。
 あまりに当然のことであるが、「罪」を正面からとらえる目がなければ「倫理」もない。

 「神話」というものは本質的には作ることができるものではないと思う。大学時代には羽仁五郎の神話論を正しいものとして読んだが、あれはやはりまずいと思う。ただ、神話も、その時代の社会的な利害対立を反映していることは確実である。そして、歴史学にとっては、そういう大塚先生がいう意味での「利害状況」を神話の中に読み込むのがもっとも困難な課題である。こういうものをどのようにして教育の素材としたらよいのであろう。昨年から、時間ができたら、益田勝実氏の神話教育論を読んで点検しようとしているが、時間がないままに過ぎている。この夏も駄目だろう。

« アメリカにおける労働の変容、ロバート・ライシュと中谷巌ーーネグリの『帝国』をどうよむか(2) | トップページ | サンダースと連邦銀行議長グリーンスパンとの論争 »

火山・地震」カテゴリの記事