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2016年7月 9日 (土)

サンダースと連邦銀行議長グリーンスパンとの論争

 サンダースは、連邦議会議員となったときから、その鋭く熱い質問や演説は有名で、「民主的社会主義者」を自称していたこともあって、一種の名物議員であった。

 もっとも有名なのは、連邦銀行(Federal Reserve Bank, FRB)理事会の議長アラン・グリーンスパンとの論争であった(下記に引用したユーチューブは聞き物である)。

 二〇〇七年、M・レイボヴィヒは『ニューヨークタイムズ・マガジン』(JAN. 21)にサンダースの活動を追った記事を書いているが、グリーンスパンが委員会にくるたびに繰り返された、激しいやりとりは有名でいつも傍聴者が増えたという。グリーンスパンは一九八七年にレーガンによって連邦銀行(Federal Reserve Bank, FRB)理事会議長に選任されて以降、ブッシュ(父)、B・クリントン、ブッシュ(子)の四人の大統領の下で、二八年のあいだ連任し、「金融の神様」などといわれた人物である。民主党からも共和党からも議会で正面から批判を受けることはなかった。躊躇しなかったのは、唯一、サンダースだけで、サンダースは、一九九九年以降、議会で何度もグリーンスパンを追求し、「あなたは我々の国の中流や働く人びとの方をむかず、強大な企業の利害を代表してばかりいる。億万長者のカクテルパーティの方ばかり見るな。あなたは数千万の労働者が侮辱している。中流階級の崩壊、巨大な格差、普通の家庭からは大学にもいけない。これはあなたの時代に起きたことだ。それにも関わらず経済はよくなっているというのか。最低賃金を抑え、飢餓賃金を強制し、億万長者には減税、一体何をやっているのか」と激しい口調で論難した。その様子をビデオでみていると、サンダースがずっと同じことを主張しつづけていたことがよくわかる。「あなたが正直な人間であることは知っているが、現実世界で何が起きているかを知らない」という口調はほとんど叱責に近いものである(https://www.youtube.com/watch?v=WJaW32ZTyKE)。

 グリーンスパンが長く連邦銀行の議長をつとめたのは、実際には金融状況の判断力が正しいというのではなく、その篤実な人柄と常識判断によるところが多かったとはいえ、一時「マエストロ」の域にあると神秘化されたグリーンスパンを正面から批判するサンダースの政治家としての資質は相当のものである。

 サンダースの批判にもかかわらず、グリーンスパンはそのウォール街優遇や最低賃金の抑圧方針をかえず、金融緩和の単調な方針をとり続けた。しかし、結局、住宅不良債権の焦げ付きに発する二〇〇八年のリーマンショックの後、自己の誤りを認めるところに追い込まれた。議会で「あなたのイデオロギーがまずかったのではないか」と詰められ、「私のイデオロギーに欠陥があった。それがどの程度の意味をもち取り戻せないものかはまだわからないとしても、非常に苦しんでいる」といったのである。そして、当時、これはサンダースの勝利を意味するという見方がささやかれた。


 さて、グリーンスパンは、いわゆるマネタリストの立場を象徴する人物であった。彼の権威が地に落ちたのは、マネタリズム学説の象徴となったのであるが、マネタリズム(貨幣至上主義)とはミルトン・フリードマンを中心とする学派で、一二二九年の世界大恐慌の後にアメリカ経済学界を支配したケインズ派経済学を批判する立場をとって、一九六〇年代ごろから徐々に影響力を強めていた。それが、レーガン(在位一九八一~八八)の大統領府において全面的に採用されたのである。

 この時期のアメリカは自信にあふれていた。レーガンの下で、アメリカとソ連の軍拡競争はアメリカの勝利におわり、グローバル資本主義は、ソ連の社会全体主義の凋落とともに世界市場を制覇した。それとともに、労働力も商品の買い方・売り方は資本の「自由」、どのようなものであろうとその規制は「悪」であって、すべて自己責任にゆだねるべきだという「新自由主義」イデオロギーが猛威を振るった。その主張は、公共の福祉の立場から行われる公営企業を民営化し、経済への行政的関与を「規制」と称して排除し、さらには医療・教育などをふくむ人びとの生活に関わる公共財も市場化し、労働力契約においてまでもも正規雇用や最低賃金制を崩そうというものであった。

 「市場は自由な競争が行われるべき場である」ということ自体は、市場経済にとっての当然の常識である。しかし、これが「新自由主義」といわれたのは、その主張が市場原理主義ともいうべき立場に突き抜けているからであった(最初は貶称であった。中岡)。そして、この「新自由主義」を経済学の側で推進したのがマネタリスト学派(貨幣至上主義)であった。この学派は一九世紀末期のヨーロッパ、オーストリアのメンガー、スイスのワルラスなどにさかのぼる。メンガーらの学説は「新古典派」などとと呼ばれるが、ようするにアダム・スミスやマルクスの生産価値説に対して「主観的価値説」を主張して、人間の側のある財への欲求の増大・減少の量的変化を数学的に仮定すれば財の「効用」を決めることができ、そこから経済の動きを予測できるというものであった。
 この「新古典派」はヨーロッパよりもアメリカでもてはやされた。それを代表するのが、アーヴィング・フィッシャーであって、彼は「新古典派」の見解を前提として、得意な数学を生かして貨幣数量説を発展させ、貨幣の流通速度は制度的・行政的条件のみに依存して決めることができ、それは実態的な経済諸条件とは切れた関係にあると論じた。逆にいうと、社会に流通している貨幣の総量を規制することによって物価の水準の安定をはかることが可能であるという訳で、このような議論をマネタリズムというのである。

 結局、マネタリストの学説とは、政府の経済政策は原則として貨幣供給量の操作と金融政策だけに限定されるべきだという貨幣至上主義、金融至上主義である。経済学の仕事を貨幣・金融操作だけに限定するというのは、端的にいえば実体経済の動きを追認し、資本の要求通りに「規制緩和」をすれば経済はまわっていくというイデオロギーに過ぎなかったというほかない。
 ユーチューブをみていると、リーマンショック後のグリーンスパンは真面目な人だけにショックは強かったようだ。 しかし、個人はどうあれ、客観的には、ようするにマネタリズムとは無能と不作為の弁明、あるいは金融業の実務を合理化し、自己納得するための説明者にすぎない。アメリカ特有の実務学問である。

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