BLOGOS

著書

twitter

講演・取材依頼

  • アドレスmihotateあっとまーくkk.alumni.u-tokyo.ac.jp

公開・ダウンロード可能論文

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 土曜日に東大の本郷で、九世紀の肥後地震について講演します。 | トップページ | アメリカの大統領制について、そもそも大統領という訳語はよくない »

2016年8月12日 (金)

左翼と右翼ということについて

 私は「保守と革新」ではなく、「保守と進歩」という枠組で物ごとを考えたい。「革新」という用語は曖昧な性格をもっていて(『平安時代』で書いた)、できれば使いたくない。そして「保守と進歩(あるはもっと端的に前進というのがいいかもしれない)」の双方が必要であることは、conservativeとprogressiveと言い直せば明瞭である。歴史家は、現実の仕事としては、どちらかといえば直接には保守conservativeの仕事であるというほかない」と考えている。

 これは「左翼・右翼」という言葉の見直しにも関わってくる。この言葉は、フランス革命の時代の議場の座席から来た言葉であることはよく知られている。この「左翼・右翼」という用語も曖昧な言葉であって、そろそろ退場させた方がよいのではないだろうか。

 もちろん、一般には、左翼が進歩に結びつき、右翼が保守に結びつくということではある。しかし、現実には、問題はそんなに単純ではない。左翼・右翼というのは、ようするに「現在」に対する態度であって、「過去と未来」をふくむ「時間」には関わらない言葉である。それが「左翼・右翼」という空間に関わる表現をもっていることは、それが現在への態度を強く問う姿勢の位置を示す言葉である事情をよく示している。それはいわば「空間」に関わる言葉、自己の場所取りに関わる言葉なのである。そして左翼と右翼というのは、相互の論争を中心に組み立てられた言葉である。それは直接には現在の捉え方の論争であって、その場合、両者とも、自己を「現在」の支配的価値感情からは離れた位置に場所をとる。そういう位置からは過去も未来も直線的なものにみえてくる。よくいわゆるマルクス主義は単調な発展史観であるというが、マルクスの歴史学はそのようなものではないと思うが、しかし、「近代的な歴史観」というものがあるとすれば、たしかにそれは単調な発展史観であって、その典型がロストーなどのアメリカ流の近代化論であることは歴史学者にはよく知られていることである。

 そして、このような現在に集中する意識は19世紀・20世紀に特徴的なものではないかと思う。その意味で、左翼・右翼というのはもっとも「近代的」な言葉であって、私は安易な近代拒否には賛成しないが、しかし、この「左翼・右翼」というのは、一種の近代主義であって使用を止めたいと考えている。

 つまり左翼も右翼も社会の現状に対して突出した位置取りをする。そこには社会の現状に対する強い批判(あるいは憤懣)がかならず含まれる。その憤懣の方向が違うために、左翼・右翼の感情的な対立が生まれる。

 「左翼」は、この社会の現状批判において「知性中心主義」をとる。その知性の中身が本当に客観的なものかどうかは別として、「左翼」というものは、とかく理屈が先行するもの、「角がたつ」ものである。これに対して「右翼」の論理は「分かったようなことをいうな」という経験主義であって、熟知した共同的感情をなによりも重視する心意に立つ。その極点がナショナリズムにいく訳である。

 私は、こういう左翼・右翼という心理は、それ自体としては双方にそれなりの社会的根拠があるのではないかという考え方である。もちろん、私は学者なので、第一に知性を重視することを隠そうとは思わない。知性というのが気取っているというなら、いなおった言い方をすると、どうせ角が立つ人間であって、角を立てることを職能にしているという意味では「左翼」的心情に近いということができるだろう。学者は知性の立場に立って、社会から自立し、それに対して批判を貫き、「理屈」で「角をたてる」のがその職能的な役割である。

 批判を第一にしない学問などというのは、(それ自体の価値は別として)社会的な意味は極小になる。しかし、だからといって、共同的感情と了解可能な感覚というものをやはり重視することには変わりない。しばしば「右翼」は「左翼」的なエスタブリッシュメントに対する反感を基盤として生まれる感情であって、これは私は十分に理由があると思う。

 しかし問題は、日本のような社会で歴史学者をやっていると「右翼」であるというのはむずかしいということにある。つまり寺山修司ではないが、「身捨つるほどの祖国はありや」というのが、日本の「民族」の状況である。アジア太平洋戦争の経過からしても、また日本の戦後の支配政党(自民党)がアメリカべったりで「買弁」的、「売国」的な姿勢をとっている関係からいっても、日本には普通の右翼というものが成立する条件がほとんどといっていいほど存在しない。安倍政権の動きなどは、その矛盾に突き動かされているのだろう。それにも関わらず、アメリカ一辺倒なところはまったく変わらないから、歴史家からみると無知の骨頂で喜劇的なものにみえる。

 こういうなかで、歴史学者は、いわば「保守的左翼」という立場をとるのが普通になっていくのではないかと思う。問題は、その場合に共同的な感情性というものが、実際には取りにくくなることである。感情がゼクテ、セクト的な感情でしかなくなってしまう危険である。そうであってはならないだろう。

 そもそも、右にふれた「現在の支配的価値感情」が二重底になっている状況、つまり現状の社会意識のきわめて複雑な状況そのものを相対化することこそが第一であって、古い言い方をすれば「右も左も我が祖国」というのが歴史家としては必要な心がまえだろうと思う。ようするに左翼・右翼という二項対立的な図式で、自分の立場を表現することはできないのである。「左翼・右翼」という19世紀的な分類法は意味を失っているのではないだろうか。少なくともそういう風に問題をみたくないと思う。

« 土曜日に東大の本郷で、九世紀の肥後地震について講演します。 | トップページ | アメリカの大統領制について、そもそも大統領という訳語はよくない »