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2016年10月29日 (土)

親鸞の「善人なおもて往生」は『老子』からきている

 やっと「日本文化論鵜「についての文章を書き終える。疲労。いまからチェックである。

 下記は、親鸞の「善人なおもて往生」のフレーズが、『老子』からきているという主張。

 『老子』の思想は中国における農民反乱をささえたが、日本でも親鸞の思想が足利時代の農民反乱をささえたのだろうと思う。

 

 このように「清浄」「和光同塵」などの『老子』の重要な章句に関するの誤解が日本における「仏教・儒教・道教」の関係を支えていたのであるが、そのような『老子』の定型的な読みを破ったのが親鸞であった。記録の残る限りでは親鸞の営為は老子の思想を本格的に日本語として日本の思想のなかに取り入れたものと位置づけることができるだろう。それは下記の『老子』第二七章の理解のことである。

善く行くものは轍迹なく、善く言うものは瑕讁なく、善く数うるものは籌策を用いず。善く閉ざすものは、関鍵なくして而も開くべからず。善く結ぶものは、縄約なくして而も解くべからず。是を以て聖人は、常に善く人を救い、故に人を棄つること無し。常に善く物を救い、故に物を棄つること無し。是れを襲明と謂う。故に善人は不善人の師、不善人は善人の資なり。其の師を貴ばす、其の資を愛せざれば、智ありと雖も大いに迷わん。是れを要妙と謂う。

善行無轍迹。善言無瑕讁。善數不用籌策。善閉無關鍵、而不可開。善結無縄約、而不可解。是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師、不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。

 いちおうの解釈をすると「旅するものは車馬の跡を残さず、善い話し手は他者を傷つけず、善く数えるものは計算棒は使わない。そして、善い門番は貫木を使わないのに戸を開けられないようにし、荷物を善みに結ぶものは縄に結び目がないのにゆるまないようにできる。神の声を聞く人は常に善く人を世話して、人に背を向けることがない。また物に対しても同じで、物を大事に世話して、それを棄てるようなことはしない。それらの善は襲された光によって照らされているのだ。そしてそもそも、善き人は不善の人の先生であるのみでなく、不善の人の資けによってこそ善人なのである。(そして師と資(師と弟子)の関係も同じように見えない光によって結ばれている)。師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師は、賢こいかもしれないが、かならず自分が迷うことになる。ここに人間というものの不思議さがある」ということであろうか。


 ここには「善い」ということの説明がある。老子は、「善」とは丁寧で善らかな気配りにあるが、それは人間関係を照らす見えない光と、その不思議さへの感性にもとづいたものであるというのである。これは孟子が「性善説、性悪説」などという場合の「善」ではない。老子は、人間が個体として「善」か「不善」かを問うのではなく、人間の「善」とは人間の関係にあるというのであり、人間の内面は見えないようだが、実は不思議な光の下で相互に直感できるというのである。それが人間が「類」的な存在といわれる理由なのであろうが、老子は、それを人類の「道」の基本には「善」があり、それを照らす「襲明(隠された光)」があるのだと表現する。「師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師」や「親を愛さない子、子を愛せない親」は、迷いの中でその光を失ったものだというのが老子のいうことである。

 ここから、「不善人は善人の資」という老子の思想が導かれた。つまり、善が関係に宿るのだとすれば、人が善であるのは、不善の人を資けるからであり、逆にいえば、善人は不善人の資けによってこそ善人であるということになる。私は、これは人間の倫理や宗教にとって決定的な立言であろうと思う。老子の立言は、福永光司『老子』(三八六頁)がいうように、少なくとも思想としては親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、況や悪人においておや」(『歎異抄』)という決定的な断言に相通ずるところがある。もちろん、親鸞が「況や悪人においておや」というのは老子の思想をさらに越えているところがあろう。福永が「親鸞の信仰が深い罪業意識に支えられ、鋭い宗教的な人間凝視をもつのに対して、老子には親鸞のような罪業意識がない」というのはうなずけるところがある(福永光司『老子』二〇〇頁)。しかし、「弥陀の光明」の下で、「あさましき罪人」が許されるということと、老子の「道は罪を許す」という思想が基本的には同じことであることを否定する必要はないということも明らかなように思う。とくに私には、「弥陀の光明」ということと、老子のいう「襲明(隠された光)」ということは詩的なイメージとして酷似しているように思う。

 私は福永の指摘を超えて、親鸞は老子の「善人は不善人の師、不善人は善人の資なり」という格言を知っていたのではないかと思う。親鸞の『教行信証』の化身土巻の末尾には「外道」についての書き抜きがあるが、孔子についての言及は少なく、ほとんどは老子についてのメモとなっている。『教行信証』に明らかなように、親鸞は一面でたいへんな学者であり、勉強家であった。もちろん『教行信証』の結論は老子を外道とするものではあるが、その筆致はけっして拒否的なものではない。親鸞は、『歎異抄』を述べた晩年までの間には老子「五千文」を熟読していた可能性はあると思う。

 もう一つ、老子の第六二章は次のようなものである。

道は万物の奥。善人の宝、不善人の保せらるる所なり。美言の以って尊を市うべくんば、行いの以て人に加わうべし。人の不善なる、何の棄つることか之れ有らん。故に、天子を立て、三公を置くに、璧を供めて以て駟馬に先だたしむること有りと雖も、此れを進むに坐すに如かず。古の此れ貴ぶ所以の者は何ぞや。求めて以て得られ、罪有るも以て免ると曰わずや。故に天下の貴ぶものたり。

道者万物之奥、善人之寶、不善人之所保。美言可以市尊、行可以加人。人之不善、何棄之有。故立天子、置三公、雖有共璧以先駟馬、不如坐進此。古之所以貴此者何。不曰以求得、有罪以免耶。故爲天下貴。

 これもいちおう解釈をしておくと、「道は万物の奥にある。善人の宝は、不善の人の保つものである。美言によって尊敬を得るのは、実行を人より加えなければならない。人の不善であるというのは棄ててはならない。そもそも天子を冊立し、三公を任命するときは、璧玉を先に立てた四頭だての馬車を前駆させることがある。そのときでも私たちは、この道を進むだけだ。古くから、この道が貴ばれているのは何故か。それはこの道によって求めれば与えられ、罪があっても許されるからだ。だから、この世界で貴ばれているのだ」ということになろうか。

 ここでは二七章のいう「不善人は善人の資」という考え方が、善人の宝は、不善の人の保つものであるという言い方で繰り返されている。老子は、天子即位や三公(大臣)任命はどうでもいいという。これは『老子』五章の「聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す」に並ぶ強烈な王侯観である。「老子の思想は、君主の存在や国家の行政機構そのものをも否定する無政府主義的な傾向をその根底に内包する」と述べたのは福永光司『老子』(三四四頁)であるが、その通りだと思う。

 上記の現代語訳では、それにそって直截な読みをしてみた。これで、文章の通りは非常によくなる。それに対して、これまでの現代語訳は、(福永のそれをふくめて)「王の即位式などに、見事な玉や四頭だての馬車を並べるのは虚飾なので道にもとづく進言を行う」と解釈する。しかしそれでは「人の不善なる、何の棄つることか之れ有らん」という前段と文脈が続かず羅列的な現代語訳になってしまう。昔日の中国には、老子の思想を徹底的な王権批判と受け止めた人びとは実際に相当数いた。中国の歴史において、老子を始祖とあおぐ道教が大反乱の旗印となった例はきわめて多いことはいうまでもない。もっともよく知られているのは、紀元一八四年に起きて後漢の王朝を崩壊に追い込んだ黄巾の大反乱であろうそれは張角という道士が起こした太平道と呼ばれた宗教運動にもとづいていたが、この反乱は数十万の信徒をえて各地に教団を組織したのである。張角の太平道の教典であった太平経には、天の命をうけた真人が有徳の君主に地上世界の救済を教えるという筋書きがあるが、それは『老子』の本章にいうような王侯への進言という考え方にもとづいて創出されたものではないだろうか。そもそも、道教は、この張角という道士が起こした太平道から始まったことは特記されるべきことである。

 以上を前提とすると、本章の後半部に「古くから、この道が貴ばれているのは何故か。それはこの道によって求めれば与えられ、罪があっても許されるからだ。だから、この世界で無上の価値をもっているのだ」とあることの意味も明瞭となる。これは前項二七章のいう「不善人は善人の資」(悪人と善人は相身互い)という考え方にもとづく赦しの思想である。福永『老子』は、これが老子の思想のなかでももっとも独自なもので、この赦しの思想こそが、老子の教説が宗教化していく基底にあったのではないかという。ここは決定的なところなので、福永の見解の中心部分を引用しておきたい。

「『汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり』というのはイエスの教えであるが、人間の犯した罪が天に対する告白によって許されるという(老子の)思想は、初期の道教のなかにも顕著に指摘される(いわゆる「首過」の思想)。これは告白という宗教的な有為によって人間が天(道)に帰ろうとする努力であり、老子の不善に対する考え方とはそのままでは同じくないが、道の前に不善が赦されるとする老子の思想は原理的に継承されているといえるであろう」(福永『老子』三八六頁)

 たしかに「求めて以て得られ、罪有るも以て免る」というのは、『マタイ福音書』の「求(もと)めよさらば与えられん」「汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり」と酷似しているのではないだろうか。それは是非善悪の区別を説く儒教や、義と律法の神であるユダヤ教のエホバの神とは大きく異なっている。老子の思想が宗教的な展開をみせたのは、たしかにそれが「罪の赦し」という側面をもっていたためではないだろうか。なお右の引用の中段にある「首過」の思想とは、太平道の教祖にして、実際上、宗教としての道教を作り出した、黄巾の乱の組織者、張角による罪の懺悔(「首過」)のことである。張角は、それによって苦難や病からの解放を説いたという。そのような思想として、老子の思想は「中国における宗教思想の展開のなかで一貫した底流として生命をもちつづけた」のである(福永『老子』)。

 『老子』の教義は、このように、早い時期から宗教的な救済と政治的な急進性の結合をもたらすような内実をもっていたのであるが、もし、前項の末尾で述べたように、老子の思想が親鸞の「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」の思想に影響していたとすれば、親鸞の「赦しの思想」が一向一揆を支えたことも、老子に共通するということになる。東アジアの精神史においてもっとも基底にすわるのは老子の思想であろうから、鈴木のいう「鎌倉時代における日本的霊性の目覚め」という図式を採用できないとしても、私は日本の精神史が親鸞段階で東アジアレヴェルの成熟に達したことは事実であろうと思う。

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