大国主神話と西宮越木岩神社
兵庫ラジオカレッジで話し。予告
なお、越木岩神社の磐座の様子は、磐座学会を参照。http://iwakura.main.jp/news/20150419_news/newst_20150419.htmlを参照。そのページには越木岩神社の磐座の様子がくわしく書いてあります。たいへんに興味深い物です。
大国主神話と西宮越木岩神社
私は東京大学で歴史の教師をしておりましたが、4年ほど前に定年になりまして高齢者の仲間入りをいたしました。ともかくこれで責任が軽くなりましたので、定年後は少し日本の神話と地震の関係について自由な勉強をしております。今日は、その中で気づきました、西宮市にあります甑岩神社と大国主命について御話しをしたいと思います。
芦屋の東を流れる夙川をさかのぼっていき、山地に入ろうとするところにある越木岩神社は、社殿の背後に高さ約一〇メートル、周囲が約三〇メートルもあるという巨岩があって、徳川時代にも「祭神、巨岩にして倚畳甑のごとし」(「摂津名所図会」)といわれて有名でした。山崎宗鑑の詠句に「照る日かな蒸すほど暑き甑岩」とありますから、この巨石は足利時代の後期からすでに広く知られていたわけです。甑というのは米を蒸す道具だから、「蒸すほどに暑き」というシャレが通用する訳だが、古くから、そういう形をした巨岩と考えられていたということです。
私は、この神社こそ、『延喜式』神名帳の摂津兔原郡の項にみえる「大国主西神社」だと思います。莵原郡は明治時代に東の武庫郡に吸収されてしまって消滅しましたが、本来、夙川の西側で、芦屋市と神戸市東半分をふくむ地域でした。そこにはほかに「大国主西神社」と呼べそうな神社はない。越木岩神社の文書に明治五年に「西神社」、明治六年に「大国主西神社」とあるのは、少なくとも、当時、そう考えられていたことを示すと思います。
さて今日お話ししようと思うのは、この大国主命という神がどういう神であったか、そして、それとの関係で、大国主西神社という神社の性格をどう考えたらいいかということですが、年輩の方は大国主命の物語を覚えておられると思います。兄たちにいじめられた大国主命、その頃の本来の名前はオホナムチですが、彼は出雲国の地下に広がる根の国に逃げ込むのですが、そこには素戔嗚尊がいます。それが逆にいい結果となって、スサノヲの娘のスセリ姫と恋愛をする訳です。そして二人は気脈を通じて、父のスサノヲをだまして逃げ出そうとした。その時、彼らはスサノヲの三つの宝物、「生太刀・生弓矢・天の沼琴」を盗み出すのですが、この時、スセリ姫をオンブしたオオナムチの担いだ「天の沼琴」が「樹に払れて地(つち)動鳴(とよ)みき」(木にさわって大地がゆれた)といいます。このジャックと豆の木の童話でジャックが竪琴を盗んで逃げ出したときに、竪琴が鳴り響いたことを想起させる物語は、「天の沼琴」が地震を発する呪具であったことを示しています。これはようするに、大国主命が地震の神となったということでしょう。
詳しくは番組で御話しますが、こういう地震の神を祭る神社が、なぜここにあるのか、番組では、それについての私の意見をいおうと思います。
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