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2017年1月 3日 (火)

ファシズムという言葉の意味をどう考えるか。

ファシズムという言葉

 ドナルド・トランプは「偉大なアメリカよ。再び」というスローガンで大統領になった。この主張は、しばしば「ファシズム」的であるといわれる。たしかに、アメリカの最近の動きをみていると、アメリカに、初めて、それらしいファシズム運動が生まれ、実現の道を歩んでいるようにみえる。しかし、ファシズムという言葉は歴史学においてもはっきりとした定義がない言葉であり、また欧米語としてもきわめて曖昧な言葉である。

 ファシズムの語義から調べていくと、まずこの言葉の語幹、ファッショは、もともとラテン語の「束」という意味の言葉、ファスケースFascesに由来するものである。左にファシズムという言葉を初めて使ったムッソリーニのファシスト党の標章を掲げた。この真ん中に描かれたものがファスケースである。斧に木の棒の束を革紐で結びつけている模様である。このデザインは当時のイタリア国王の紋章などにも描かれているが、ムッソリーニはイタリアの多くの建造物のレリーフなどに、このファスケースの模様をあふれさせた。ファシスト党は、立党のしばらく後、一九二二年、この党章を旗印として、ローマに進軍し、それを背景として政権を奪い、ファシスト大評議会を基礎とする一党独裁制を固め、ユーゴスラビアに進出し、アルバニアを保護国とするなど一挙に勢力を高めた。

 ヒットラーが、ムッソリーニのローマ進軍の翌年、ミュンヘン一揆を起こし、ベルリン進軍を呼びかけたが、それは失敗に終わった。それゆえに、当時は、ナチスのハーケンクロイツ(鉤十字)よりも、このファスケースの方が有名だったのであり、そこからファシズムという言葉が生まれたのである。

 もちろん、ファシスト党もナチスも、議会・憲法を停止して、軍事行動や謀略で独裁を行うという点では同じである。ドイツは、イタリアに一〇年遅れたものの、一九三二年の総選挙でナチスが第一党となり(ナチス二三〇、社会民主党一三三、共産党八九)、翌年首相に指名されるや、国会議事堂放火事件をでっち上げ、ワイマール憲法を停止する全権委任法を押し通してナチス一党独裁を実現したのである。それ故に、イタリアのファシスト党もナチスも同じようにファシズムといわれたことに不思議はなかった。

 ファスケースがラテン語の「束」という意味であることは右に述べた通りであるが、斧に木の棒の束を革紐で結びつけたファスケースという物、それ自体は、古代ローマの王あるいは執政官に付き従った護衛が、権威の標章として肩に担いでいたもので、日本語では儀式のための斧、つまり儀鉞(ぎえつ)とか、木の棒を束ねているという意味で束桿(そっかん)などと訳される。これはローマの王あるいは執政官の権限、命令権を象徴するものなのである。この命令権はインペリウムと呼ばれ、それがインペリアリズム(帝国主義)の語源となったのであるが、ようするにファスケースの模様は、国家の至高の命令権(インペリウム)の周りに結集せよという意味を含むわけである。

 ムッソリーニは、そこから「我々は束だ、ファッショだ」と呼びかけた訳である。ファッシネート(fascinate)というと「魅惑する」「魔法で人を縛り付ける」という意味であるが、その語源もファスケースと同じであるらしい。そして、そもそも、このファスケースの模様は国家を象徴するシンボルとして決してめずらしいものではなかった。アメリカでもワシントンが初代大統領に選出された年、一七八九年に連邦議会下院は、議会の衛視の標章として、このファスケスを採用している。アメリカ「独立革命」の指導者たちは、フランス革命にならって共和制の象徴としてローマの古典主義を尊重していたが、これはローマの儀礼をそのまま真似したものである。アメリカにはそのほかにもファスケースFascesのデザインは多く、ホワイトハウスの大統領執務室(オーバルオフィス)のドアの上や、下院本会議場の演壇の国旗の両側にあり、さらにリンカーン記念館のリンカーン像のイスの前面にも彫り込まれているという。そもそも、棒を束ねるということ自体は、イソップ物語に「一本の木の棒は折れやすいが束にすれば折れない」という話があるのと関係するらしい。毛利元就の「三本の矢」と同じ話である。

 七〇年ほど前、ジョージ・オーウェルは、「ファシズムとは何か」というエッセイで、ファシズムという言葉は、非常に定義しにくい。実際の使われ方からするとほとんど無意味な言葉だといっているが、しかし、そうはいっても、欧米では、ファシズムといえば、上記のような語義、語感、ニュアンスは伝わるのだろう。
 しかし、日本語でファシズムといった場合は、カタカナの外来語であって、その意味はオーウェルのいう以上に曖昧になる。それ故に、「トランプはアメリカに初めてファシズムを実現するかもしれない」といっても、学者、政治家、ジャーナリストでない人には正確なところは伝わらないことになるだろう。というよりも学者も、ファシズムの定義とナルトほとんど曖昧なのが実際なのである。

 私の専門領域をまったく外れるが、ファシズムという言葉について考えている。上が、その経過的な報告。

 それでは、このファシズムというのを日本語にどう訳すかだが、やはり、超国家主義という言葉に翻訳して使うことになるのではないかと思う。ただ、それは英語で言えば、ウルトラ・スタティズム(ultra-statism)である。丸山真男のいうようなウルトラ・ナショナリズムではないのではないかと思う。
 それは明日考えたい。

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