基本の30冊。安田浩『天皇の政治史』(青木書店、1998年)
日本の天皇家は20世紀をこえて珍しく残存した王家の一つであるが、憲法第一条が規定するように、その地位は、主権者としての国民の総意に依存している。そして憲法の規定では、実際のところ、天皇は内閣の通告のもとに10項目の国事行為のみを行う国家の儀礼要員である。ここに現憲法の天皇規定の最大の特徴がある。
つまり現在の天皇は厳密にいえば、「王」ではあっても「王権」はもたず、「君」ではあっても君「主」ではない。天皇に残っているのは、その王としての身分のみである。その身分は「法の下の平等、貴族制度、身分または門地による差別の禁止」(14条)の唯一の例外的存在として、宮内庁などの儀礼部局や特権的な財産などによって支えられているが、しかし、さらに根本的に考えると、その身分は、そこに付着する文化によってできあがっている。そしてその文化的あるいはイデオロギー的な性格は、ほとんどその過去に関わっている。過去の王についての記憶、歴史意識が現在の王を支えているのである。
明治・大正・昭和ーー三代の天皇
最近の歴史学は、このような現代天皇制のあり方を前にして王権論を組み直す努力を重ねてきた。安田浩の本書は、その動きを代表する位置にある。対象は、明治・大正・昭和の三代の天皇。安田は、彼らの言動を詳細に追跡しており、このような通史的な分析の試みは現在でも本書のほかにはない。
まず明治天皇については、明治維新のときの17歳の青年が君主として作られていく経過が語られる。西郷・岩倉らの維新首脳部の感化と演出によって、洋風の扮装の下に政務、軍務などに取り組みつつ、祖霊と神慮を信じる王者となっていく様相が興味深い。彼はそのような王として、欧州から帰国した岩倉使節団と留守政府のあいだでの不調和、政変のなかで、それなりの聖断の役割を果たし始め、有名な儒学者、元田永孚などの側近をえて政治主体としても自立していく。
明治憲法は天皇大権と国務大臣による多元的な輔弼を規定するだけで、政府・行政・内閣についての規定を一切もたない異様に短文の憲法である。そこまで削りこんだ意図と経過が、維新首脳の内紛への天皇の介入と伊藤博文の役割を焦点にして解明されている。憲法公布から日清戦争をへて天皇大権が議会を通じて作動するシステムが形成され、そこに軍隊権威と国家神道の確立をともなって専制君主制が成立する過程の記述もわかりやすい。
大正天皇の心身は不調であったが、逆に明治憲法を前提として君主のあるべき姿が強調され、枢密院の強化などの王権の構造強化が起きる。心身不調の王の代に王権が強化されるのは、王権がイデオロギー的な存在である以上、珍しいことではない。原敬内閣も君主不調のなかでの元老と議会の状況的統合という本質をもっていたのであって、いわゆる「政党内閣」も天皇親政の名目化ではあっても天皇制機構の名目化では決してなかった。
こうして天皇大権は、多様な形態を取りながらも一貫して強化され、その上に昭和天皇が行動する。安田の記述で印象的なのは、まず満州事変における関東軍の行動への追認の素早さであろう。英米との合意によるアジア分割を一貫して重視する天皇とその周辺の姿勢は中国の抵抗力への蔑視ともいえる過小評価と表裏の関係にあったことがよくわかる。また、天皇の君主としてのプライドが御前会議への執着となり、それが結局内閣制を破綻させ、大本営政府連絡会議に権力中心が移動し、大元帥天皇が打ち出されるという筋道の描写も見事である。
明治憲法成立前後に専制君主制が確立した以上、政治史の主語が天皇であるのは当然のことであるが、これが本書以前には明瞭でなかった。私もほぼ同時期に『平安王朝』という新書で同じ問題意識にたって王権の通史を叙述したが、安田は現代史家として、三代の天皇の言動を論理的に見通すことは、たとえば昭和天皇の戦争責任を論ずるためにも必須なことを痛感していたに相違ない。
丸山真男を引証する必要はあるのか
私のような前近代の研究者からみて興味深いのは、国家中枢部のやりとりが「謀議、輔弼、元老は関白」などの古代以来の政治語彙に満ちていることである。これは安田が基軸史料を丁寧に引用しながら論じているためわかるのであるが、これらの語彙を体系的に読み込んでいけば、さらに明瞭な王権身分論も可能になるのではないかと感じる。
つまり、安田は天皇の行動形態を受動的君主、能動的君主、委任君主、統帥権的天皇などなどと分類することによって、君主の多様な行動を跡づけていく。それは当初作業としては不可欠であろうが、多様な君主の言動が一つの人格において可視的となっていることこそが王権の構造であろう。実際、君主の受動性には、つねに「よきに計らえ、下手をやれば俺は知らん、叱責するぞ」という能動的要素が含まれるのであって、安田が近代天皇の行動様式を基本的には「受動的君主」であり、状況におうじて「能動的君主」となるとするのはやや形式的に過ぎる。君主身分は国家機構の人格的反映として君主の主観を離れた客観的な存在である以上、政治責任はそのレヴェルで問われるべきものであろう。
これは君主の多様な諸側面に対する多元的輔弼なるものの理解にも関わってくる。つまり、一般に制度的に整えられた君主制、とくに立憲君主制においては憲法が君主権限を制約する代わりに君主権は無答責原則によって守られる。安田もいうように、そこでは、君主の無答責と輔弼者の有限責任によって政治決定の無責任体系が形成される。ただ、安田が、この無責任体系を直接に丸山真男の評論的エッセイを追認するかのように説明することは不適当であろう。つまり、安田こそ、無責任体制の政治的創出という事実、そしてその本質が君主の擁護と責任の回避のための意識的な政治にあることをはじめて論証したのである。法的に無答責という虚偽を作っても、非人道的行為などの歴史的責任、行為責任は絶対的なものであって、それを明示することこそが歴史学その他の学術の役割であることはいうまでもない。
またそもそも日本近代の専制的な天皇制は立憲君主制と比べて特殊に歴史的・日本的なものであって、天皇大権の下に、国家権力の枢密部の巨大な領域が独立して憲法規定の外側に存在する。明治憲法は、実際には近代憲法ともいえないような特異な構造をもち、しかも天皇の告文などが明示するように神権制によって支えられていた。このような構造を、丸山流の印象批評で論ずることは学術的にはほとんど無意味である。
明治天皇は個人では統御できないような巨大な非法的部分を君主身分において統合することを自身の制度身分として選択し、昭和天皇はそれをファナティックな神権的軍事支配という巨大な非法領域にまで拡大した。彼らは広大な法外領域=「密室」のなかに設置した「密室」をその身分生活としていた。この二重の「密室性」は一般の国家秘密と本質的に異なるものであって、王とは最高の身分的な生活様式である以上、そこには王家に骨絡みの責任が宿る。
絶対主義範疇の放棄は必要か
安田は2011年に死去してしまったが、本書を実証編とすれば、その死去直前に校正を終えた『近代天皇制国家の歴史的位置』は理論編というべきものであって、二冊あわせて検討しなければならない。そしてその焦点は、安田が近代天皇制に対する「絶対主義規定」を放棄する立場を明らかにしたことにある。
私は、この点には賛成できない。私は大学院に進学しようとしたとき以来、なんども著者に会い、一緒に仕事もしたが、結局、研究内容に立ち入った議論をすることもなくすぎた。それにもかかわらず、議論のできない今になって意見をいうことは申し訳ないように思うが、しかし、学問は永遠のものであることに免じて御許し願いたいと思う。
もちろん、安田が資本主義に変容していく最末期の封建社会の権力を絶対主義と規定し、いわゆる日清戦後経営後に日本資本主義が確立して以降も、その権力の本質は封建制にあるという議論、戦前の「日本資本主義論争」における講座派の絶対主義論にそのまま従えないのは当然であろう。安田のいうように近代天皇制はまずは20世紀にも諸国に登場した後発資本主義国の権威主義秩序の初例の一つというべき側面があることは明らかである。また、安田が、講座派が、絶対主義の社会的基盤をもっぱら封建制あるいは半封建的な寄生地主制におくことを批判するのにも賛成である。『近代天皇制国家の歴史的位置』の第四論文は、近代天皇制に対応する基礎的社会関係は、財界を別とすれば、むしろ中小地主を名望家として重層的に組織する地主国家的関係にあり、この疑似共同体的な名望秩序を「帝国議会」によって動員するシステムこそが重要だとしており、これは学界の強い支持をうけている。
私は、これらの点に批判がある訳ではない。しかし、すでに述べたように(■■■)、そもそも徳川幕藩制を封建制とは考えない立場からすると、絶対主義という範疇は封建制論という呪縛から切り離した上で、なお活かすべきものではないかと思う。近代天皇制が立憲君主制というべきものではなく専制君主制であることは、最晩年の安田がむしろ積極的に強調したところである。そして絶対君主も専制君主も英語にすれば同じようにAbsolute Monarchyなのである。
そもそも講座派は天皇制をドイツのカイザートゥム、ロシアのツァーリズムとの比較のなかで論じようとした。絶対主義を封建制の最終段階と固定的に捉える考え方は別として、この問題設定の正統性は承認すべきであろう。安田のいうように、日本の近代天皇制が後発資本主義国の権威主義秩序の一類型であることは疑えないが、問題は、このような国際比較をふくめて日本天皇制の歴史的な特殊性をどう考えるかにこそあるはずである。それは大石嘉一郎がいうように、「近代絶対主義」というほかないものであると思う。
私は、世界の資本主義化のなかで、ロシア・ドイツそして日本のように「帝国」としての伝統をもつ諸国家が、資本主義的な社会変化をも条件としてその国家システムと君主制を強力化し、資本主義的帝国を構築していった場合、古典的な定式化を尊重して、それを絶対主義と呼び続けたい。
『日本史学』(基本の三〇冊、人文書院)に所収のものです。新学期ですので、公開します。ただし本になったものの下稿ですので、正確なところ、引用参考文献その他は本をみてください。
参考文献
大石嘉一郎「第一次大戦後の国家と諸階級の変容」(同『日本資本主義史論』東京大学出版会、1999年)
安田浩『近代天皇制国家の歴史的位置』(大月書店、2011年)
山田朗『大元帥 昭和天皇』(新日本出版社。1994年)
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