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2017年4月30日 (日)

日本史の30冊。石橋克彦『南海トラフ巨大地震――歴史・科学・社会

石橋克彦『南海トラフ巨大地震――歴史・科学・社会』(岩波書店、2014年、叢書、震災と社会)

 本書は21世紀に相当の確度で発生する南海トラフ巨大地震についての、現在、もっとも明解な解説であって、そして歴史地震学の最良の入門書でもある。その構成は第一章「南海トラフ巨大地震の歴史」、第二章「南海トラフ巨大地震の科学」、第三章「南海トラフ巨大地震と社会」となっている。

 以下、専門分野の違いもあって、要約がどこまで正確かについて躊躇もあるが、順次に紹介していくと、まず第一章では、昭和(1946、1944年)、幕末(1854年)、江戸期(1707、1605、1614年)、室町期(1498、1361年)、平安期およびそれ以前(1096、1099、887、684年)の各時期の南海トラフ巨大地震について、歴史をさかのぼるようにして、説明されている。史料の多い新しい時代の地震で南海トラフ地震の説明をして、史料の少ない古い時代にさかのぼっていくという叙述がわかりやすい。これによって、これらの大地震のもつ(1)伊豆から九州までの強震動、(2)静岡県御前崎などの隆起と伊勢湾沿岸などの沈降という地殻変動、(3)海底の上下にともなう大津波、(4)和歌山県熊野の湯峯温泉、四国の道後温泉の湧出停止などの特徴的な現象が過不足なく解説されている。

 このような南海トラフ巨大地震の系統的な分析は、「14世紀前半までのまとめ」という副題をもつ著者の論文(1999年)によって手がつけられたものであるが、本書で通史の枠組みが完成したことになる。歴史学者としては、このような研究が地震学研究者のほどんど独力によって遂行されたことに驚嘆する。私などは新参者だが、著者とほぼ同時期に歴史地震学の構築を開始した矢田俊文氏(参照、矢田『中世の巨大地震』2009年、吉川弘文館)を初めとする歴史学者がよく知っているように、著者の史料収集と分析の力は、地震学的な視野と直感に支えられているだけに、プロの歴史学者も容易には追尾できないレベルにある。歴史学徒は、本書を読んで、それを実感することが必要だと思う。

 第二章は、南海トラフ巨大地震の発生機構がプレートテクトニクスの概論、地震・津波現象それ自体の理解、現在政府が想定している南海トラフ巨大地震の地震像などを素材として、最先端の研究視野から説明されている。その説明は自然科学にとくに詳しくなくても理解可能なもので、たいへん興味深い。本章によって南海トラフ大地震の全体像をどう予知するかという地震学の最新の到達点を知ることができると思う。

私などにとっても興味深いのは、著者が主張して有名になった駿河湾地震説を始め、七〇年代以来の地震学の研究史が概括されていることで、そのなかで著者の旧説が、いわゆる「アムールプレート東縁変動帯仮説」に新らしい形で統合されていることである。アムールプレート(以下AMプレート)とは、中国の南部地塊を中心とするユーラシアプレートの部分プレートであるというが、これが毎年一定のスピードで東進していることが明らかになっている。AMプレート南東端が、太平洋プレートと押し合うようにして、静岡の遠州ブロックまで伸びており、南海トラフ巨大地震によってプレート間の固着が剥がれると、それを条件としてAMプレートが一挙に東進し、糸静線断層帯周辺が破壊されるというのが、著者の主張する「駿河湾地震」の発生機構である。さらに著者によれば、この仮説によって、南海トラフ巨大地震前後に、北海道沖から下ってくる日本海東縁変動帯からフォッサマグナ、中央構造体沿いに発生する地震・続発地震などが理解可能になるという。またプレート間地震と内陸地震の関連の基礎理解の道が開かれるともいう。

 この「アムールプレート東縁変動帯仮説」は地震学界のなかでも論争は続いているようで、もとより、私には、この仮説の地震学的な評価はできないし、また正しく要約しているかどうか自体にも自信はない。しかし、第一章の歴史地震の様相をみても、この仮説には説得力があるように感じる。ともかくインド亜大陸の北上衝突によって中国大陸が東へ押し出されることを原動力とするというAMプレートの東進の観察を基礎に構築された雄大な仮説である。これが学説として具体性をましていけば、日本列島の自然史を現在と関係させて理解するうえで大きな意味をもつことは明らかであろう。地球科学の側での論争を期待したいももである。

 第三章は、地震学の目からみた巨大な危険施設として原発とリニア中央新幹線をあげ、南海トラフ巨大地震が超広域複合大震災のトリガーとなることを警告している。著者は一・二章がふくれあがったために、三章が短く不十分なものとなったとしているが、これについては著者の『原発震災』(七つ森書館2012年)が参照されるべきである。著者が「自然災害は輸出も移転もできない地域固有のもので、自然の恵みと表裏一体だから、それと賢く共存していくこと(自然との共生)こそが大事なろう」「いまの日本の社会経済システムが被災者を一人も切り捨てることなく試練を乗り越えることができるかどうか、見きわめる必要がある」などと述べるのは学者としての自然な発想であろうと思う。

 さて、私は、二〇一二年から二〇一三年にかけて、科学技術・学術審議会の地震火山部会におかれた次期計画検討委員会に専門委員として参加して、2014年度から5ヶ年間の観測研究計画の審議に参加した。そこでは従来の地震学研究において歴史地震データの注目が不足していたことへの反省がなされ、今後のことを考えると歴史地震を研究する研究機関がどうしても必要であることが文部科学大臣への「建議」の形で決定された。研究機関といっても、地震学・火山学・地質学などの理学系計四人、歴史文献・考古で四人からなるセンターを、たとえば自然科学研究機構・人間文化研究機構の学際領域として設定するというような小規模なもので出発すればよいのだと思う。現在のアカデミーの実力ではこれを政策として実現させることはなかなかむずかしいが、社会的に訴え、遅くない時期に実現するべきものであると思う。それは防災行政に責任をもつ政府の責任であろう。

 そして、日本のような火山列島・地震列島で国民の税金から給料をうけている学者にとっては、どのような分野であれ、噴火と地震に関わる災害科学の仕事に参加することは、その職能的責務である。災害科学とは、必然的に発生する自然的な災異natural hazardsが社会的な災害に転化するのを抑制し、自然的な災害誘因trigerがどのような災害disastersの複合を結果するかを理学的・社会学的に予知し、それを防止するための巨大な科学分野である。そこでは地球科学の第一線から、経済学・法学などの社会科学の実働部隊から歴史学などの人文社会系の基礎学術分野にいたるまで、すべての学術分野がおのおの独自の役割を果たさなければならない。

 この科学分野を体系的で有効なものに育て上げ、かつそれについての社会的・国際的な理解を深めていき、それを担えるような政府機構を各国に形成することは、二一世紀の人類にとっての最大の課題であるということができるだろう。これについては、発展途上国における社会的災害の研究から出発して災害科学の大系をはじめて創成したBen Wisnerの、"At Risk: Natural hazards,people's vulnerability and disasters"(邦訳『防災学原論』築地書院)を参照することができる。

 社会的な災害は一般に生態災害(Biological Hazards)、気象災害(Meteorogical Hazards)、地殻災害(Geological Hazards)に区分できるといわれる。生態災害とは虫害・鳥獣害から広域流行病(パンデミック)にいたるまでの生態系の災異を誘因として発生する災害をいい、気象災害とは落雷・竜巻・台風から温暖化や冷涼化にいたるまで大気の運動にかかわって発生する災害をいい、最後の地殻災害とは山崩れあるいは土壌の深層崩壊から地震・噴火にいたる地殻の変異を誘因として発生する災害をいう。

 歴史学には、このような災害科学を、その基礎から支える役割があるのである。そして、その試金石は明らかに地殻災害であろう。そもそも、歴史学が全面的に関わることなしに、国民に地震・噴火というものの実態を伝えることができるとは考えられないのである。

『日本史学』(基本の三〇冊、人文書院)に所収のものです。新学期ですので、公開します。ただし本になったものの下稿ですので、正確なところ、引用参考文献その他は本をみてください。

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