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2017年4月11日 (火)

大塚史学の方法と労働論・分業論・共同体論

以下、はじめにだけです。初めにはすぐ書けるのですが、ーーー。

大塚史学の方法と労働論・分業論・共同体論

 はじめにーー永原慶二の仕事との関係について

 戦後派歴史学は、その歴史理論の中核となる歴史経済学の方法を大塚久雄『共同体の基礎理論』に求めていた。もちろん、大塚の理論研究はマルクスやウェーバーの仕事による抽象度の高いもので、またヨーロッパ史研究を直接の対象としていたから、日本史の研究者が、直接に引用することは多くはなかった。しかし、歴史理論といえば多くの研究者がつねに『共同体の基礎理論』が意識していたのは、私などは、経験上、よく知っている。そして、日本史の研究者はいくつかの例外を除いて歴史の理論的考察を経済学理論として純粋に研究課題とすることは少なかったが、それはおそらく大塚の仕事以上のものを構想することが難しかったためではないかというのが、私の推測である。

 ここで紹介したいのは、日本史研究者の中でも経済史の理論的理解に意識的であった永原慶二への大塚理論の影響である。たとえば永原の名著として知られる『日本の中世社会』は、中世社会においては、王権と荘園制が共同体間に広がる社会的分業の世界を固有の支配領域として確保しており、それは共同体が自己の社会的諸機能のうちの賎視される部分を、外部の諸賎民身分に付着させることによって支えられていたとしている。この賎民層の社会的機能が非農業部門の下層に位置して社会的分業の階層制を強め、それによって王権の求心的支配構造が可能になっているという訳である。永原は、このような理解の理論的典拠を「M・ウェーバーの内部経済と外部経済の構造的二重性の理論や、それに依拠しつつ、大塚久雄が指摘した、共同体間に存在する真空地帯がいわゆる前期資本の成長と活動の本来の基盤であるという理論」に求めている(『永原慶二著作選集』第一巻、四一六頁)。これに対して、永原の盟友であった網野善彦は、この共同体間世界を「無縁の自由」に引きつけて捉えた。これは歴史的な評価や位置づけは大きく異なっているが、共同体間の世界に注目し、そこに王権の支配根拠を求めること自体は共通していた。

 ようするに、大塚の理論は、戦後派歴史学の中枢部においては一種の常識であったのである。とくに経済学部で教鞭をとり、日本経済史の通史を講じていた永原が大塚の議論から様々な影響をうけていたのは当然のことであった。ただ、永原にしても歴史経済学の理論そのものを論じた論文は少なく、その詳細は明らかでないが、ただ「経済史の課題と方法」(一九七一年)という論文は間接的ではあるが、永原と大塚理論の関係を示しているように思う(『永原慶二著作選集』第九巻)。

 この論文で、永原は前近代の経済史研究の課題について「奴隷制や封建制生産様式の論理体系と、その生成・発展の運動をも対象とし、それを解明することによって、資本主義経済の位置と特質に歴史的照明をあてる」と述べている。そして、ここで永原が「奴隷制や封建制生産様式の論理体系」というのは、明らかに高橋幸八郎が『資本論』における資本主義社会分析の論理体系、商品ー貨幣ー資本の論理序列にならって設定したフーフェーゲマインデーグルントヘルシャフトの論理構造、つまり、より一般的にいえば、小土地所有ー村落共同体ー領主制の論理序列という議論を受けたものである(『市民革命の構造』、お茶の水書房)。永原は、ここで大塚の議論を参照していないが、この高橋の議論が大塚の影響の下に構想されたものであることはいうまでもない。

 永原の経済史理論は、普通、レーニンの『ロシアにおける資本主義の発展』に依拠したウクラード論であるといわれる。永原が、これによって、いわゆる単一ウクラード論とそれにもとづく単系発展段階論とは異なる視座を獲得した。それ故に、永原は、この論文において自身の経済史理論をそのようなものとして説明している。しかし、注意されるのは、永原が「ウクラードとはロシア語であるが、英語のエレメントにあたるほどの意味である。経済史の理論問題としては、ウクラードの理解をめぐって論争があるが、私は経済構造(構成体)をかたちづくる諸エレメントであると考える」とし、さらに「封建的構成体を直接に規定するウクラードとしての封建的ウクラードとは封建的土地所有制下の小農民経営である」と述べていることである。これが高橋のいう「フーフェ=小土地所有」を意味していることは明らかであろう。それが『資本論』冒頭で「資本制社会における富の要素的形態」として提出された商品範疇、つまり資本制社会の分析の端緒範疇に対応するものであることもいうまでもない。

 なお、このような議論が、日本経済史研究において当然の理論的前提となっていたことについては、永原の次の世代の中世史研究者、大山喬平が、その『中世日本農村史の研究』(岩波書店、一九七八年)において高橋のフーフェーゲマインデーグルントヘルシャフトの論理序列の議論にそって領主制と村落研究の課題を設定していることに明らかである。

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