トランプのシリア攻撃とサンダースの姿勢
トランプのシリア攻撃について、民主党の一部は、実質上、それを支持する態度を出している。ニューヨーク・タイムズによれば、民主党の下院院内総務のナンシー・ペロシの態度表明は下記のようなもの。これが民主党のだいたいの路線であろう。
「今夜のシリアに対する攻撃は、その政権の化学兵器使用に照応する反応であるように見えます。もし、大統領がシリアへの米軍の関与を拡大するつもりであるならば、彼は議会に来て、中東において、脅威に対処し、また終わりなき戦争をさけることに適合するような、米軍の行動についての承認を求めなければなりません」。
ニューヨーク・タイムズは、これを「監視したい」という態度表明としている。しかし、このペロシの態度表明の前提となっているのは、これが一時的な攻撃でなく、一定期間は続くという判断を背景にしているようにみえることである。
問題は、ニューヨーク・タイムズがサンダースのシリア攻撃についての態度表明を「懐疑的」という見出しで紹介していることである。それは次のようなもの。
「私は、この攻撃がアメリカ連邦を、もう一度、中東における長期の軍事的関与の泥沼に引きずり込むのではないかと深く憂慮している」。
これはペロシのものよりは反対というに近いが、反対という明瞭な態度表明ではない。サンダースは、しばしばストレートに反対をいわずに、最初は疑問にとどめ事態をみながら反対の態度を明示するというやり方をとる。今回もその可能性はある。イラク戦争の時にもそれに似た態度をとった上で、明瞭な反対演説を行った。
しかし、サンダースは、前回のオバマのシリア攻撃の際も、「私は、オバマ大統領から、なぜ彼がシリアの血なまぐさくて複雑な内戦に介入することがなぜアメリカ合衆国の最大の利益であると信じているのかについてもっと十分な説明を聞く必要がある」という程度の態度表明ですませている。
サンダースは、このトランプの攻撃がまったく国際法上の根拠がないということを明瞭にいうべきである。これはアメリカの利害がどうかという問題ではない。
今回のアメリカのシリア空軍基地に対する攻撃は、国際法上、何の根拠もないものである。ヨーロッパ列強、日本が賛同し、中国が理解を示したからといって許されるものではない。アメリカとイギリス・フランスは五日に安保理決議案を提示し、化学兵器の使用事実について国連による調査を求めていた。その結果をみることもなく、こういう行動にでたことは国連無視であり、ようするに一晩・二晩のトランプの判断で独走したということである。これは国連に問題を移さねばならないというのが当然のことである。
アメリカにおいても、この攻撃は緊急の自衛的なものではない。しかも、憲法では、本来、議会による宣戦が必要であって、それも、一切、手続きをとらない突然の攻撃である。ただ、憲法において大統領が「総司令官コマンド・イン・チーフ」とあることのみを根拠にしたものである。
もちろん、アメリカ大統領は、一九世紀からほとんどの戦争をこのようにして開始してきた。これはアメリカ大統領制が戦争大統領制といわれる理由であって、19世紀の大統領は相当数がインディアンファイターの軍人経験をもっていた。そして20世紀も世界戦争大統領である(油井大三郎『好戦の共和国アメリカ』岩波新書を参照)。彼らはほとんど連邦憲法に規定された議会による宣戦を守らずに戦争を泥沼化させてきた。
これがまたまた繰り返されたのである。
トランプの行動に対して議会で正面から反撃がないと、状況は心配である。アメリカの国民は相当部分が戦争の状況に入ると攻撃的な心理を強める可能性がある。たしかにアサドの行動はひどいものである。トランプは化学兵器でやられた子供のことを攻撃の理由としている。しかし、だからといってこのような軍事攻撃によって解決する状況ではない。まずはなぜ、この「内戦」が起きているのか、そこへの列強諸国家への責任は何か、とくにアメリカがどういう責任をもっているかから問題を出発させなければならないのは明らかである。
トランプが国内世論の動き方の目先を変えるために戦争という手段を利用することは予想されていたことである。ここでどういう動きがアメリカで展開するかは、しばらくの間の情勢を決めるだろう。
基本的な判断は、サンダースの正式な態度表明が何らかの形ででるときを待ちたいが、現在のところ(日本四月九日、七時三〇分現在)、サンダースのツイートや、サンダースの組織アウワ・レヴォリューション(Our Revolution)にも態度表面がでていないのが心配である。
他国のことを心配しても仕方がないことである。しかし、サンダースは本来は第三党の形成をめざしている。そして、政党であるならば、時々刻々の対応はしないとならないはずだ。Our Revolutionが政党となっていくかどうかは、このような問題について即時に機敏に反応できるかどうか、しかもそれを政党組織としてできるかどうかにかかっている。現在のところやはりサンダース個人の力量に依存しているところがあるのではないか。それがアメリカでのいわゆる第三党形成にとってはつねに大きな制約になってきたのではないかと感じる。こういう戦争問題がアメリカ政治のもっとも困難なところであることが明らかな以上、シリア問題はサンダースにとっても大きな試練であろう。
もちろん、サンダースは、ユダヤ系でありながら、イスラエルに対する批判を明瞭にもっており、中東問題の理解の基本はあると考えている。イスラエルロビーに対して明瞭な態度をとるアメリカの有力政治家はサンダースのみしか知らない(これは私の視野の狭さ)。
しかし、オバマに対する発言で、「シリアの血なまぐさくて複雑な内戦」といっていることも気になるところである。このような状況はサンダースも激しい反戦演説をしたアメリカのイラク戦争から生まれたことである。サンダースの視野はどうしてもヨーロッパからの視点、西側からの視点で、中東・インドそして東アジアへの歴史的視野が狭いようにみえる。アメリカの政治家としては、アメリカを中心にしてみるというのは、ある意味では自然なことかもしれない。しかし、サンダースは公民権運動についてしばしば語るが、やはりその青春の時代に関わったはずのベトナム戦争についての言及がほとんどないことが気になるのである。
環太平洋世界のなかで東アジアをみて、そこからさらに西に向かっていくという、東から西にむかう歴史的視座が、もう少し、ほしいように思う。もちろん、それを作り出すのは、今後の日本・東アジアとアメリカの民間レヴェルの交流かもしれないが。