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2017年4月 8日 (土)

民族の定義についてーーアメリカ論の前提

 アメリカは多民族国家であるが、その実態を知るためには、国民・民族や「人種」というものの定義を正確にしておかなければならない。まず第一の国民とは「ナショナリティ」であって、具体的にいえば、国家の国籍、市民権によって法的に国家に所属し、政治的な関係を結んでいるということを意味する。そこでは「国家」と「国民」が一対一で面と向かい、国民一人一人が国家と契約し、国家にに属しているという法的な感覚と想像力が前提になっている。ベネディクト・アンダーソンの言い方を採用すれば、国民=ナショナリティとは「想像の共同体」あるいは「幻想的共同体」なのである。

 ここでは第二の「民族」について論ずる、

 もっとも古典的なものはジョン・スチュアート・ミル『代議制統治論』の定義で、ミルは、人種と血統、言語と宗教、さらに地理的境界などの共通性などを条件として歴史的な沿革によって生まれる協働と共感に結ばれた集団のことをいうと述べている。これはかってオーストリアの学者政治家オットー・バウアによりつつ述べた定義とほぼ同じものであって(阪東宏『歴史の方法と民族』1985)、基本的に依拠できるものであるが、もう少し述べれば、これは社会が様々な集団と共同体によって組織されていることを前提に生まれる。つまり、それらの集団や共同体は、必ず相互のネットワークのなかに自然的な共通性やそれにもとずく分業をもっている。そのまとまりが、ミルのいうように、激しい争闘、抑圧、迫害、戦争などの重たい歴史的経験の共通性と運命によって、協同意識をもち、その内部に公共圏や歴史文化を作り出した場合、それについて民族性が生まれたというのである。

 これは国民=ナショナリティとは違って想像上のもの(法的なもの)ではなく、きわめてアドホックな多様で状況的なものであるとはいえ、それなりの共同的利害をもった実在的な関係なのである。もちろん、その民族性がどの程度の広さと正統性をもつか、どの程度の強さや持続性をもつのか、現実は極度に多様であって、決して固定的なものではない。しかし、それはやはり一つの大きな共同体、共同組織なのであって、その意味では人類学のいう「エスニシティ」のことであるといってよい。

 なお、この民族の定義については、ソビエト連邦を全体主義化してヒトラーとともにポーランド分割を強行して第二次世界大戦を引き起こしたスターリンの定義なるものが有名である。スターリンの定義は右のオットー・バウアの仕事を利用して「民族とは言語、地域、経済生活、文化にあらわれる心理状態の四つの共通性を必然条件とする歴史的に構成された人間の堅固な共同体である」と述べたもので(スターリン『マルクス主義と民族問題』)、その特徴は、この四つがないと「民族」とはいわないという点にある。しかし、ミルやオットー・バウアもいうように、これらの標識は固定的なものではなく、どれか一つの標識だけでは民族は成立しないが、逆にある標識が欠けても民族として存在することはありうるというのが実態である。言語学の田中克彦が言語の近接性は民族の必然条件ではないとしていることも注意したい(『言語からみた民族と国家』)。

 スターリンの図式は、近年にいたっても、学術的に何か意味があるような扱いをうけているが、それは「堅固な共同体=民族」にのみ自治と国家的自律の権利を与えることに眼目がある。つまり、スターリンは、この「民族の定義」をソビエト連邦内部において、その異民族・少数民族を「民族」として承認するかどうかの基準として提出しているのである。実際、スターリンの右のパンフレットは、たとえばラトヴィア人は民族ではないなどの恣意的な断定をしている。またユダヤ人についても、ロシア・グルジア・カフカーズ高地の異なる地域に住み、異なる言語を使っているから、単一の民族を構成しないと判定している。ユダヤ人はその広域的な地域間・共同体間のネットワークは否定され、その各居住地に同化させるほかないという訳である。これがスターリンによるユダヤ人に対する迫害と虐殺の原因となり、ひいてはイスラエル建国にあたって、多くのユダヤ民族がソビエト連邦から離れたこと、あるいはソビエト連邦が進んでユダヤ民族をイスラエルにを追い出す結果を導びいたことはいうまでもない。

 ようするにスターリンの定義は、いわば民族の行政的定義であって、そのエスニックな側面を無視することによって成り立っている。それは民族=エスニシティと国民=ナショナリティを区別しないのである。スターリンの論理でとくに問題なのは、「民族とは人びとの人種的な共同体ではない」として「ユダヤ人」を含む「ゲルマン人、エトルリア人、ゴール人」などの「ーー人」と表記した集団を例示していることである。つまり、スターリンは人類の生物学的な分類を民族の定義においてまったく無視するのが特徴である。ユダヤ人が、普通、「人種」といわれることは決して学術的に正確ではないとはいえ、ここにスターリンがユダヤ人を民族から排除したことの重要な伏線があったことは明らかである。

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