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2017年4月29日 (土)

アメリカの人種主義イデオロギーとキリスト教ヨーロッパ帝国

アメリカの人種主義イデオロギーとキリスト教ヨーロッパ帝国

 アメリカには多数の民族集団、先に述べた意味でのエスニック集団がいる。ネーティヴ・アメリカンやアフリカン・アメリカン、次に様々なヨーロッパ系の人々(イギリス系、ドイツ系、ラテン系、ユダヤ系)、またアジア系の人々、さらに最近ではアラブ系の人々など、ほとんど世界中の民族に出自をもつ人々がアメリカにいて、多数か少数かは別としてエスニック集団を作っているのである。

 アメリカではしばしばこれらの民族集団を「人種」と呼ぶが、この「人種」観念が右のようなエスニック集団を反映している以上、それをたんに作られた虚構にすぎないということは適当ではないが、しかしそれが身分的な性格をもった虚偽観念であることは先に述べたとおりである。その意味でアメリカは「多人種国家」ではなく「多民族国家」なのである。アメリカの国勢調査には今でも「人種」という項目があるが、これは近代国家においては許されない人間に対する身分的な扱いである。これは一日も早く廃止し、「アメリカは多民族国家です。エスニックアイデンティティをご記入ください」と差し替えるべきものであろう。このような国勢調査項目自体がほとんどアメリカにしか残っていない異様なものであることが現在でもほとんど意識されないことは、アメリカの人種主義がきわめて根の深いものであることを示している。

 近代の人種主義は、だいたい一六世紀に始まった資本主義の形成の中で、世界的なイデオロギーとして登場したのであるが、そのなかで、アメリカは根本的な役割を果たした。そして、その時に形成された世界資本主義の構造の相当部分は、変形しながらも現在に続いており、それに対応して、ほぼ五〇〇年以上の歴史をもつ人種主義のイデオロギーとその影響は、現在、世界の中でもアメリカにもっとも濃厚に残っているのである。

 世界資本主義は、ヨーロッパの諸王国が北アフリカから中東をおさえるイスラム帝国に挑戦する中で形成された。それは十字軍から始まったが、成功の道はスペイン・ポルトガルによって敷かれた。両国はアフリカ西海岸に進出して金・砂糖・アフリカ人奴隷の交易を組織し、すでに一五世紀にはマディラ諸島・カナリア諸島に奴隷によるプランテーションや砂糖工場をおいており、コロンブスによる大西洋横断以降、それがアメリカ大陸に広がっていく。これがマルクスのいう「血と火の文字で人類の年代記に書き込まれた」資本の本源的蓄積の時代の出発であった。『資本論』(本源的蓄積)は、それを「アメリカにおける金銀の発見と原住民の絶滅と奴隷化、インドの征服と略奪の開始、アフリカの商業的奴隷狩猟場への転化、これらが資本主義的生産の時代の曙光を特徴づけている。そのあとに続くのが、地球を舞台とするヨーロッパ諸国民の商業戦争である。それはネーデルランドのスペインからの離脱によって開始され、イギリスの反ジャコバン戦争で巨大な範囲に広がった」と要約している。

 ここでヨーロッパの諸王国は、あたかも多頭の龍のように相互に競合しながら激しい侵略行動を展開した。アメリカの歴史家、ウォーラーステインは、この時代のヨーロッパ勢力は帝国を形成しない「世界経済」であり、その強みによって、他の旧態依然たる「世界帝国」対して優越したのだというが、しかし、十字軍以来の経過をふまえれば、それは、イスラム帝国に対抗するキリスト教帝国の行動というべきものである。そしてこの帝国は多頭であっただけにアジアの諸帝国と比してきわめて狂暴であった(『近代世界システム』)。こういうヨーロッパとアジアを絶対的に区分してしまう論理は、実際上、当時のヨーロッパ勢力の「自由貿易イデオロギー」を言い直したものにすぎず、根本的に間違っている。この点ではウォーラーステインの観点もいわゆるヨーロッパ中心史観を抜け出てはいないのである。

 このヨーロッパキリスト教帝国は、自己自身をイスラムに対抗する一つの「人種」として意識していた。それは十字軍遠征におけるユダヤ教徒の虐殺で最初のピークをむかえた。イスラム教徒に対しても異族視は顕著であったが、この時期のイスラムは経済的にも文化的にも最盛期であって、キリスト教徒はユダヤ教徒をスケープゴートに適当な異なる「人種」として迫害したのである。この他集団に対する人種化によってキリスト教徒自身が人種としてとらえられた。キリスト教史の専門家、W・ハウイットは、その『植民とキリスト教、ヨーロッパ人による全植民地における原住民の取り扱いの通俗的歴史』(一八三八年、ロンドン)においてヨーロッパの世界制覇の時代を論じて、「いわゆるキリスト教人種が、世界のあらゆる地域で、また彼らが征服することのできたすべての人民に対して演じてきた野蛮行為と無法な残虐行為とは、世界史上のどの時代にも、またどの人種のもとでも、どんなに未開で無教養であり、無情で無恥であっても、その比をみない」と述べている。これは『資本論』に引用されたものであるが、そこに「キリスト教人種」とあるのは、歴史的事実を反映している。

 歴史学は、このような人種主義がヨーロッパと環大西洋地帯を被う世界的なイデオロギーに展開する上で、一四九二年が画期の年となったとしている。まず一月、スペインがイベリア半島でイスラム勢力の最後の拠点となっていたグラナダを攻略し、三月にはユダヤ教徒に対して改宗を迫り、非改宗者を追放した。彼らはオランダやオスマン帝国などに居を移したものの、長かったスペイン居住を追われたユダヤ人のディアスポラは一挙に深まり、ヨーロッパ全域でのユダヤ教徒に対する「人種」差別と迫害の体制が決定したのである。

 この一四九二年をコロンブスの大西洋横断の年と教え記憶するのが、日本の風習であるが、これはヨーロッパ中心主義そのものであることになる。スペインがグラナダ攻略の勢いにのって、コロンブスへの援助を承認したことを知らなければ、一四九二という数字の記憶は無意味である。それは中東ーインド貿易を独占していたヴェニス商人を追い落とし、インドに西回りで到達してイスラムを世界を包囲しようという野望にもとづいていた。このためコロンブスは最後まで自分はインドを発見したと固執したのであるが、これが世界資本主義の形成、資本の本源的蓄積の最大の条件となったことはいうまでもない。スペイン・ポルトガルの両国は、これによってヨーロッパ・アフリカ・アメリカを結ぶ巨大な三角形、環太平洋地帯を世界侵略のための広大な拠点であり、実験場であるものとして獲得したのである。

 その中軸がネーティヴ・アメリカンの大地への侵略と収奪、そして一挙に展開したアフリカの人々の捕囚と奴隷化、アメリカへ向けての奴隷貿易であったことはいうまでもない。それが一六・一七世紀を通じた本国におけるユダヤ教徒に対する人種主義的な迫害と激化と同時進行したことが重要であろう。これによってイベリア帝国主義はユダヤーアメリカンーアフリカンという人種主義のまったく新たな世界的スタイルに到達した。

 このような新たな人種主義を新大陸アメリカに持ち込んでいったのは植民者は本国人に対して植民地人=クレオールと呼ばれた。その本国は、スペイン・イギリス・フランス・オランダなどさまざまであったが、それが逆に彼らにヨーロッパ人=白人という「人種」性をあたえることになった。そもそも「白人種」という観念はヨーロッパを外からみる観念で、出自にもとづく社会的不平等が一般的であったヨーロッパの内部から発展する余地がなかったことは先にもふれた通りである。クレオールとはスペイン語のcriollo、ラテン語のcreare、英語でいえばCreate(作る)という意味の言葉であるが、逆にいえば、「白人」という人種観念自体がクレオールによって作り出されたということもできる。スペイン本国では両親がスペイン人であっても植民地で生まれただけでクレオールと蔑視されたというから、クレオールというのはいわば本国身分に次ぐ位置を示す人種身分なのである。英語の人種=レースraceという言葉が、スペイン語のrazaにさかのぼるといわれることも、ここに原因があるに違いない。スペインはたしかに人種主義イデオロギーを生み出す本場であったというべきであろう。そこにキリスト教の影響が大きかったことは、『ドン・キホーテ』のサンチョ・パンザが自分のことを「良き生まれにして紛うかたなき古きキリスト教徒」といいつのっているように、スペインでは庶民が自分たちはムーア人やユダヤ教徒を先祖にもたないから高貴な血筋だと称するのが普通であったという。

 このようなキリスト教に根をもつ宗教知識が、アフリカン・アメリカンとネーティヴ・アメリカンを一つの「人種」として扱う観念材料を提供した。まず、アフリカ人の祖先は旧約聖書に登場するノアの息子のハムであり、ハムは父を嘲笑した罪によって肌の色が黒くなってアフリカ人の祖となったと広く信じられていた。この迷信がアフリカ人を奴隷として扱うこと理由として動員されたのである。しかし、捕囚とされた人々は、(1)モーリタニア、(2)ギネア=ヴェルデ岬、(3)シェラ・レオーネ=黄金海岸、(4)バンツー・ダホメ、(5)アンゴラ、(6)東海岸などまで、北から南に広大なアフリカ大陸に拡大しており、彼らは異なる民族に属する人々である。彼らを「船積み」する際の書類には、たとえば「ギネア種」などという「種(カスト)」という言葉が使われていたのは、まさに人種観念の発生場所を示している。このように、捕囚と奴隷貿易による故国アフリカの大地からの暴力的切り離しの結果として成立した、アメリカにおけるアフリカン・アメリカン「人種」の成立はあくまでも二次的なものであったのである。

 アメリカ先住民についても同じことであって、キリスト教知識の下で、彼らはイスラエルの失われた部族の子孫であると一般には信じられていた。それは現在でもアメリカの福音派(エヴァンジェリカル)のもっているアメリカこそが「新しいイスラエル」であり、神の御業を最後の審判の前に実現する選ばれた民であるというピューリタンに多いキリスト再臨説に奇妙な形で流れ込んでいたはずである。一八世紀にアメリカでエルサレム巡礼が流行し、マーク・トウェインも出かけ、「(そこにいたのは)アメリカのインディアンとよく似た、服装も粗末なら、質も悪い野蛮人どもで」(『イノセント・アブロード』)という感想を残しているのは『ハック』を愛読したものとしては興ざめな話である。ここでは広大なアメリカ大陸、北アメリカ大陸に古くから居住し、現代人にとって何よりも大事な食用食物種を作り出してきたアメリカ先住民の諸民族を「野蛮人」と一括する傲慢さがあらわである。

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